過日、丘陵地帯の逆転劇 その3
――――占領した北部陣地の中央天幕の下で とある帝国軍、指揮官
「よしっ、よしっ、よぉーーし! 上手くいったぞ!」
天幕の下、簡単な作りのテーブルの上に置かれた地図の前に立ち、嬉しそうに地図を撫で回している立派な装飾付きの黒色鎧を身にまとった男性がそう声を上げると、周囲の兵士達が称賛の声を上げる。
「まさかここまで上手くいくとは思いませんでした」
「流石のご慧眼!」
「本当に……貴殿は帝国軍の希望です」
「あとはあのディアスを倒すだけですな」
するとその男性……今回の作戦を練り上げた緊急反攻軍と名付けられた軍の指揮官が、ぐっとガントレットに覆われた手を握り込みながら兵士達に応えるのではなく、独り言のように声を上げる。
「敗北が続き、目を覆わんばかりの領地を奪われ、ついには中央にまで迫り……あらゆる手を打ってもどうにもならず、あの厄災とも言えるディアスをどうやって倒したら良いのかと苦悩していたが……その答えは結局正攻法だったのだ。
まずはディアス以外の軍を追い返し、少しの間で良いから行動不能にし、ディアスが孤立したところを挟み撃ちなり包囲をし……あとは力押し。
敵の数1000に対し、北部1万、南部1万、更に伏兵として中央5000の兵を用意した、流石にディアスと言えど、この数に包囲されてはどうにも出来まい……!
ディアスの腹心……神算鬼謀たる名も知らぬ軍師も、今度ばかりは何も出来ないはず……。
あえて言うなら何もかもを捨てての全力撤退だが、撤退してくれたのならそれはそれで良し、戦線を押し返し、物資や陣地を奪った上で次の機会を伺えば良い……焦らず確実に正攻法でもって押し返していけば、残る王国軍は脆弱、どうとでも出来るはずだ」
それは兵士達からすると無視された形となるが、誰も文句を言うことはない。
それだけの手柄を上げているし、それがこの指揮官の癖だとも知っている……十分な物資と十分な兵力を用意した上で、有効かつ堅実な作戦を立案してくれるのだから、多少変な癖があったとしても文句などあろうはずがなかった。
「……一つだけ予想外だったのは偵察兵の損失だな……。
よほど防諜に気を使っているのか、ディアスの下に向かわせた者達が次々捕らえられてしまっている……。
まさかこれ程の損失が出てしまうとは……まぁ、それでもしっかり帰還者がいるのだから大勢に影響するような問題はないが……」
更に指揮官が独り言を続けていると、天幕へと駆けてくる足音が聞こえてきて……指揮官と兵士達がそちらに視線を向けると、今しがた独り言に出た偵察兵の一人が、泥にまみれたマント姿でやってきて、報告のための声を上げる。
「ディアスの陣地の確認をしてきました。
北部南部の王国軍敗戦の報を受けたようで動きがあり、壁や櫓の増築をし、更に木杭を地面や壁に打ち……それと伐採をしすぎたためか枝付きの木をそこらに積み上げていました」
それを受けて指揮官は、嫌そうな顔をしながら言葉を返す。
「……それは伐採をしすぎたのではなく、意図的なことだろう。
枝付きの木を適当に積み上げておけば、それだけで強固な壁となるのだよ……越えようとしたなら鎧の隙間や目に枝が刺さり、撤去しようとしても枝同士が絡み合って簡単にはいかん。
それでもなんとか撤去しようと四苦八苦してみれば、枝に隠れて見えない所でしっかりと固定してあった……なんてこともザラだ。
どうやらディアスは撤退ではなく陣地を強化しての抗戦を選んだようだが……ふぅむ、なんとも意外な手に出たものだ」
「あー……そのディアスなのですが、何日か粘ってみましたが、姿を確認できませんでした。
食事の煮炊きの様子を注視しましたが、どこかに運んでいるという様子もなく……恐らく不在なのではないかと」
「……な、なんだと!? それを早く言わんか!? いない? いなくなった!? どこかに移動した!? どこへ!?
でぃ、でぃ、ディアスめ、べ、別働隊を編成してどこかに奇襲を仕掛けようとしているのかもしれん。
た、ただちに南部、中央部に奇襲への警戒を強めるよう連絡して―――」
「ああ、いえ、いないのはディアスだけで、陣地には以前と変わらず1000前後の兵士がいるようです。
軍師と副官を含めた、いつもの側近も見かけましたので……ディアスだけがどこかに行ったのではないかと」
「ディアスだけ……?
……他の連中の様子はどうなんだ? 動揺していたか? 不安そうにしていたか?
仮にディアスが病にかかるなどして後方に下がったとなったら、連中も冷静にしてはいられないはずだ」
「特に変わりはありませんでした。
……北部南部敗戦の動揺すらない様子で……こちらの数をなんとなく察しているでしょうに、ただ陣地を強化しているだけです
それだけの備えしかしていないのにあれだけ平静を保っていられるのは、何かしらの裏があるのではと、勝手ながら邪推しています」
「だろうな……絶対に何らかの奇策を練っているのだろうな。
いや、もう既に打っているのかもしれん……ディアスも厄介だが、あの軍師も厄介だ、あの低地の二の舞いはごめんだぞ……。
……どんな策だ? この数をひっくり返せる策とは一体どんなものだ? ディアスをどう動かしたらそんなことが出来る??
……分からん、そんな策あるものなのか……?
ど、どうすべきだ? ディアスが動き出す前に一斉攻撃をしかけ陣地を破壊すべきか? それとも奇襲を警戒? また水計か? それとも火計か? 他にどんな計略があるのだ?
……ど、どこだ……でぃ、ディアスは、どこにいるんだ……?」
偵察兵に言葉を返している途中でまたも独り言が始まり、独り言の中で動揺を大きくし……呼吸がどんどんと荒くなり、顔色が悪くなり、顔全体にじっとりとした汗が浮かぶ。
ディアスがいない、何かをしている、しかしその何かが分からない、何をしようとしているのかが分からない。
分からないことが辛く、苦しく……その苦痛から逃げようと必死に考えるが、余計に混乱が増すばかり。
今総攻撃を仕掛けたなら、3方向からの奇襲包囲が成り、まず間違いなく敵陣を落とせるはずなのだが……そこにあの低地のように大水を流し込まれたなら? そこらに積み上げているという木材に火を放つかもしれないし、それ以上の何かが強化が進む陣地に隠されているのかもしれない……そうなったらどうなる?
ディアスが混乱しながら撤退しているという王国北部軍に合流して立て直しを図ったらどうなる? 南部軍かもしれない、いやいっそ両軍をまとめて一つの軍とし、ディアスが率いてこちらに襲いかかってくるかもしれない。他のどこか、街や拠点や……もしかしたら帝都を襲ってしまうかもしれない。
こちらの想定通りにディアスがあの陣地にいてくれたのならなんとでもやりようがあったが……いないとなると途端にどうしたら良いのか分からなくなってしまう。
ディアスがいない……ディアスを捕獲出来る可能性も、打ち取れる可能性もない、なんでもない陣地に2万5000もの戦力を投入して、損害が出た日にはこれまでの計画が破綻するだけでなく、戦線がまたも押し込まれる可能性もあり……そのまま帝国の敗戦、あるいは滅亡となれば、歴史にこれ以上ない汚名を残すことにもなりかねない。
奇策ばかりを使ってきたあの軍師が、何の手も打っていないということはないはずで……と、指揮官の混乱は、考えれば考える程に悪化していき……四十と少しといった年齢の指揮官は生気を一気に失い、まるで老いの極地にあるような顔となって……一つの結論を出す。
「よ、様子を見る……情報収集を徹底し、敵の策を見抜くまでは全軍今の戦線を維持するように。
……わ、我らは既に戦果を上げている、王国軍の物資を十分過ぎる程に奪ってもいる……こ、功を焦る必要はない、とにかく様子見だ。
そ、それと偵察に回す人数を増やす……い、今の20倍だ、20倍の数でもって情報を集めろ……ディアスの居場所を特定しろ!!」
声が上ずり、最後の方にはまるで悲鳴となっていて……そんな声での命令を兵士達は素直に聞き入れ行動を開始する。
そうしてこの指揮官及び帝国軍は、これからしばらくの間、ディアスの居場所を探ろうと苦心し、苦悩し、苦戦し……思っていた以上の消耗をしてしまうのだった。
――――一方その頃、後方陣地の一つで ディアス
「よーし、到着した者達から走り込みだ、走り込みが終わったら私と模擬戦だ、模擬戦が終わったら荷物の運搬だ、やることは山程あるから頑張るんだぞ」
ジュウハに言われて後方に移動して……森の中に作った陣地の中で、私がやっていたのは新兵達の訓練だった。
1000人の兵士達を帝国に気付かれないよう何組かに分けてこちらに移動させ……時間差で出発させたり、寄り道をさせたりと、よく分からないことをさせながらこちらに向かわせ、そしてここでジュウハが良いと言うまで訓練を続けることが、ジュウハが考えた対策……奇策の一つらしかった。
訓練は確かに必要なことだし、新兵達にそれをやってやるのは悪いことではないと思うのだが……それでどうして今の不利な状況をひっくり返せるのかは、よく分からなかった。
不利な状況の中、訓練の監督を得意としているクラウスではなく、わざわざ私に訓練の監督をさせる理由も同じくらいによく分からなかったのだが……とにかくジュウハがそう言うのならと、私は素直に従うことにした。
新兵達はジュウハのことをよく知らないので、そんな策が上手く行くものかと顔色を悪くし、いつ終わるかも分からない鍛錬をしなければならないと心底から嫌そうにし、私の指示にも逆らってばかりだったが……私との何度かの模擬戦を終えると、大人しく指示に従うようになり、熱心に訓練に励むようにもなり……一応、悪くない効果が出ているようだ、こんなことで戦況が変わるとはとても思えないが……。
更にジュウハはクラウスと何人かに前線陣地の周囲を巡回させ、こちらの様子を見に来た偵察兵を捕縛させているらしいが……それもよく分からなかった。
陣地の情報を隠したいのかもしれないが、そんなもの隠しきれるものでもないだろうし……たった数人の敵兵を捕縛したところで、何万もの相手がいるらしい今の戦況が変化するとも思えない。
敵だって武装をしているし、何度も何度もそんなことをやれば当然警戒するのだろうし……逆に偵察兵を囮にして、なんてことをしてきそうだが、そういった危険性を覚悟してでもやる価値のあるとかで、クラウスにかなりの無茶をさせているらしい。
まだまだ若く私との模擬戦で変に硬直してばかりの、未熟なクラウスにそんな危ない真似をさせるなんて……と、そんなことを思ったりもしたが、ジュウハがクラウスなら出来ることだと、そう言っていて……クラウス本人もやる気のようなので、こちらの決定にも黙って従うことにした。
従うことにしたが……ジュウハがその意図を、何をやろうとしているのか説明してくれることはなく……それからしばらくの間、私はなんともモヤモヤした気分で日々を過ごすことになるのだった。
お読みいただきありがとうございました。
恐らく次回か次次回で過去話は終わりとなります、多分……きっと、メイビー




