2人の公爵の鍛錬
――――ある日の昼食後、広場で鍛錬をしながら ディアス
あれから数日が経って……冬備えは順調、洞人族による治水工事も順調、船造りも順調と、何もかもが順調に進んでいた。
ゴブリン族の練習も順調で……客がいてもイルク村は問題なく日常を過ごしていて、その客であるエルダン達もイルク村での日々を楽しんでいた。
領主が何日も帰らなくて良いものなのかと心配になるが、何かがあればゲラント達鳩人族が報せに来てくれるし、仕事に関する指示や連絡もゲラント達があっという間に届けてくれるので、このくらいの距離であれば全く問題ないらしく……言ってしまうと領主屋敷にいるのと大差はないらしい。
カマロッツを始めとしたエルダンの部下達からすると、そんなことよりも父との戦いだの反乱騒ぎだのがあった上に、ずっと働き詰めだったエルダンに休暇を取らせる方が重要なんだそうで……冬が来るまでこちらに居ても構わないというか、居て欲しいとさえ思っているそうだ。
私達としても以前隣領に行った際には散々世話になった訳だし、あれこれと贈り物ももらっている訳だし、何の文句もなく……好きなだけ滞在してくれたら良いと思っている。
アルナーはエルダンの奥さん達とあれこれと話すのが楽しいようだし、セナイ達もカマロッツと遊べることが楽しいようだし……モント達もエルダンの護衛達と鍛錬したり戦い方について語り合ったりと、モント達なりに楽しんでいるらしいしなぁ。
そして私はエルダンと一緒に過ごすことが多く……それは鍛錬の時間であっても同様だった。
毎朝、朝食の前や後にやっている鍛錬の時間では、望めば誰であっても相手をするようにしていて……普段は犬人族達や、ジョー達、パトリック達なんかも相手にしているのだが……その様子を見たエルダンが自分も参加したいと声を上げてきたのだ。
私は木製の戦斧で、エルダンは木製の片手剣と盾だったり大槍だったりで……毎回勝敗は私の勝利という形で決着がついている。
……が、それは簡単なことではなく、常にギリギリ……どうにかこうにか、経験の差でなんとか勝利しているという感じで……健康になり立派に成長したエルダンの強さは、あの戦争の中で出会った猛者達にさえ肉薄しつつあった。
病弱な時でさえ私を持ち上げるくらいの力があったのだから、それが健康になったなら当然のことと言えて……特に象人の力を使われた時には手が付けられなかった。
力が強く素早く、鼻という三本目の腕までが襲いかかってくる。
鍛錬だからと鼻で武器を持つことはないが、ナイフのような軽量の武器を持つとか、鼻の先端にトゲとか刃付きの防具を装着されたなら、もうどうにもならないだろう。
それで致命傷を与える必要はない、適当に振り回して隙を作ったり、武器を持っている手を多少でも傷つけたり出来たならそれで良い訳で……後は両手で持った武器でトドメを刺せば……うん、とんでもなく厄介なことになるだろうなぁ。
タダの人間では勝ち目のない……只人にはどうにも出来ない強さがそこにはあった。
あと数日鍛錬を続けたならきっと私を追い抜くはずで……鍛錬の中で私は獣人の凄まじさを改めて思い知ると同時に、若者の成長というものはなんとも言えない良いものなのだなという実感を得ることになるのだった。
――――広場でディアスと打ち合いながら エルダン
ディアスと実戦形式の鍛錬をするようになり、エルダンは自分という存在の弱さを嫌という程に痛感することになった。
健康になり肉体が成長し……遅れを取り戻そうと鍛錬に励み、何人もの師を招いて己を鍛え上げた結果がこれなのかと弱音を吐き出したくなってしまう。
まさかあの英雄ディアスに勝てるなどとそんな思い上がりはしていなかったが、多少の勝ち目はあるはずで……あっと言わせるくらいは出来るはずで、師達と練り上げた戦い方の全てが完封されるなど、予想もしていなかったのだ。
あと一歩というところまで追い詰めることは出来る、だけどもそこから先に進むことがどうしても出来ない。
汗が流れ息が切れ、エルダンの全身がどうしようもなく重くなっても、ディアスの顔には笑みが浮かび続けていて、汗が流れても息が切れても、戦いの中で器用に体と心を休ませてあっという間に回復してしまい……いつまでも優勢に立つことが出来ない。
獣人の力を開放し、体力と力で勝っても経験と……勘によるものなのか動きを完全に読まれてしまい、挙句の果て勝てそうだとなったその瞬間に放たれる謎の気迫で体の動きが鈍ってしまう。
これがスーリオ達が感じていたものか……殺気や師達の放つ気迫とはまた別種、なんとなく感じ取れるというものではなく、明確な実感として襲いかかってくる……不思議な力。
体格に優れ力に優れ、十分過ぎる程の経験がありそれに裏付けられた自信があり……その上そんな謎の力まであったなら、どうやって勝てるというのか……。
エルダンがそんな苦悩の中で武器を振るい……ディアスはどこまでも笑顔でそれを受け、そうやって鍛錬の時間が過ぎていって……ディアスの婚約者であるアルナーが果実水を持ってきたことで鍛錬が終了となる。
「ディアス殿……今日もお付き合い頂き感謝するであるの」
「ああ、こちらこそだ……エルダンに負ける日も遠くないかもなぁ」
エルダンが礼の言葉を言うとディアスがそう返してきて……エルダンはなんとも言えない気分となる。
「ディアス、これで汗を拭け……そうしたらこの果実水を飲んで少し休め。
エルダンと遊べて嬉しいからって少しはしゃぎ過ぎだぞ」
そう言ってアルナーが世話をやき始めると、ディアスは恐縮して素直に言うことを聞き……そんな光景を見てエルダンが更になんとも言えない気分になった所で、ディアスの部下であるロルカがエルダンの下にメーア布のタオルと果実水入りの陶器を持ってやってくる。
「お気遣い痛み入るであるの。
……ところで、その……ディアス殿達はいつもあんな様子なのであるの?
……あの様子で婚約のまま……?」
ロルカからそれらを受け取りながらエルダンがそう問いかけると、ロルカは意外なことを聞かれたという顔になってディアス達に視線を向け……それから小声で言葉を返してくる。
「まぁ……そこはディアス様ですからねぇ。
アルナー様も慣れた様子ですし……ディアス様が約束を破るような方ではないということも分かっていらっしゃいますし、問題は無いと思いますよ」
「いや、しかし……一緒に暮らし、ああも世話をされてよく耐えていると言うか……実際に目にすると驚いてしまうであるの……。
……慣れた様子という言葉を聞いてふと思ったのだけど、まさかディアス殿もああいう状況に慣れているとか……?」
「んー……あー……まぁ、解放した領土の住民とかでディアス様の世話をしようとする女性は多かったですねぇ。
占領地でも紳士的な態度を崩さなかったからか多少はそういう女性がいましたし……更にジュウハさんが踊り子とかを雇っていましたから、そういう人達も頭目であるディアス様に近付こうとはしますよね。
……ただそれでもディアス様は鋼の態度を崩しませんでしたね。
両親や神の教えに徹し、そんなことよりもどうして戦争が終わらないのかと苦悩し……十数年。
あれこれと思い悩んでいるうちに……いつしかその、性欲とかについては諦めたと、そんなことを仰ってましたねぇ。
そんなディアス様だからついていった連中も多いですし……ディアス様が我慢しているからと我慢出来た連中も多いですし……そんな俺達からするとあの光景は当たり前の、安心出来る光景、なのかもしれませんねぇ」
「いやいや、いやいやいやいや……」
ロルカの言葉に驚き、思わずそんな声を上げるエルダン。
絶句と言ったら良いのか、言葉を忘れて何も言えなくなり……それから自らの顎を撫でたエルダンは、あれこれと思考を巡らせる。
今回の旅での目的はいくつかあり……神殿建立を祝い、友好を深め休養をとり、奇跡を目にし救国の英雄との鍛錬という貴重な経験も得て、大体の目的を達していたエルダンは、もう一つ自分にこそ出来る……自分こそがやるべきだと思われる目的を一つ追加する。
ディアスとアルナーの仲を少しでも深めること。
婚約自体はしている訳だし、余計なお世話かもしれないが……約束の日まであのままというのも良くないだろう。
こと結婚に関しては自分の方が先輩で、あれこれと助言や助力が出来るはずで……達観してしまっているディアスとその部下達に出来ないことこそすべきだとの結論を出したエルダンは、自分の顎を何度も何度も撫でつつ、口元を綻ばせてのニヤリとした笑みを浮かべるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回はこの続き、エルダン視点でのあれこれとなります。




