メーア神殿、神官長ベンディア
――――イルク村を散策しながら グリン
ディアスとの会話を切り上げ、辺りを散策して良いかとの許可を取り……そうして広場から距離を取ったグリンは、放牧に出したのか家畜達がいない厩舎の掃除をしている犬人族を見つけ、その様子をじっと観察する。
革ブーツを履いて革手袋と革製のエプロンを着用し、口の周囲を白布で覆い、小型種でも持ちやすいようにしたらしいピッチフォークで厩舎の床に敷いた草の入れ替えをしているようだ。
「ふんふんふーん」
そんな鼻歌を歌い、とても楽しそうに仕事をしているが……それをグリンは穿った見方で捉えてしまい、顔をしかめる。
体が汚れる可能性のある仕事を一人で押し付けられている、そもそもあんな仕事は体が大きい人間族がやれば良いではないか。
小型種にやらせる仕事ではないし、子供と変わらない小型種はそこらで遊ばせておけば良いではないか。
そんな考えでもってグリンは、目の前の犬人族がこの村での暮らしに不満を抱いているに違いないと決めつける。
そうして仕事を続ける犬人族の側へと近付いていって……側に立ったグリンは声を張らないよう気をつけながら声をかける。
「よう……お前も大変だな、こんな仕事押し付けられて」
その言葉を受けて怪訝そうな表情をしたシェップ氏族の青年は、スンスンと鼻を鳴らしながら顔を上げて、声の主がグリンであることに気付くと鼻筋にシワを寄せて、酷く不機嫌そうな表情になり……言葉を返すことなく作業を続ける。
なんだこいつ、群れの仲間じゃないな、全然草原の匂いがしないし、見たこともないし……そんなよそ者が大好きな仕事をしている邪魔をしてくれるな。
青年の内心としてはそんな感じだったのだが、それに気付くことなくグリンは言葉を続ける。
「なぁ……マーハティ領に戻ってきたらどうだ? 今は景気も驚く程良いし治安もよくなったし……砂糖だとか茶だって好きなだけ舐められるし飲めるぜ? どうせお前らはそんな高級なもん、飲んだこともないんだろ?
こんなとこに居ても良い思いはできねぇだろうし……人間族なんかに従うのもシャクだろ?」
この言葉に青年は鼻筋に寄せたシワを更に深くする。
何を言ってるんだこいつは?
砂糖も茶も毎日ではないが結構な頻度で、群れの皆が口に出来ている。
むしろディアス様は仕事で疲れただろうと、小さな体でよく頑張ってくれたと、疲れの取れる砂糖と茶をこちらに優先的に回してくれている。
子供達が我儘を言って欲しがった際には、自分の分を減らしてまで子供達に譲ってくれて……それで自分の分が綺麗になくなったとしても、嫌な顔一つせずただただ笑っているのがディアス様だ。
むしろ隣領に居た頃なんて砂糖や茶を口に出来ることなんて一度もなかった訳で……そんなことを考えた青年の喉の奥からグルルルルと怒りの声が漏れ出てくる。
隣領で暮らして居た頃は仕事を任されることもなく、従いたくなるような長もおらず鬱屈とした日々を過ごしていた。
氏族の長達とはまた違った資質を持つ者……圧倒的な力と絶対的な安心感と、純粋で深く郁郁たる血の濃さを持った長……それがディアス様であり、そんなディアス様の下にいるからこそ、家族も一族の皆も毎日を楽しく幸せに……安心して過ごすことが出来ている。
それをこいつは……目の前で自分を見下しているこいつは戻ってこいなどと、シャクなどと言いやがって……と、更にそんなことを考えた青年は、怒りの唸り声の中に村の皆に現状を伝えるための低く響く声を混ぜる。
それは犬人族の小型種にしか通じない……聞き取ることすら難しい特殊な声で、グリンが一体何をしているのか、なんだってまたそんなに怒っているのかと困惑し続ける中、周囲に響き渡り……それを聞きつけた犬人族達が全身の毛を逆立たせながらグリンを囲うようにやってくる。
「ガァァァァ!」
「ガルルルルルル!」
「ガァウ! ガァウ!!」
そうしてそんな声を上げ始めて……全く悪気のなかったグリンは一体何がどうしてこうなったのかとただただ困惑し、何もすることが出来ずただただ棒立ちになる。
それから少しすると騒ぎを聞きつけたのか、グリンと一緒にここにやってきたマーハティ領の獣人達や、イルク村の人間族やメーアや、大きな鷹までがやってきて……そんな中でグリンはどうにかこの状況を落ち着かせようと、犬人族を宥めようとするが、
「お、落ち着いてくれ、なんでそんなに怒ってるんだ、俺ぁ何も悪いこと言ってないだろ?
お前らのことを思ってちょっとした提案をしただけじゃないか!」
なんてことを言うものだから状況は逆に悪化し犬人族達の怒りは増して……そしてついにグリンの主であるエルダンまでがこの場へとやってくる。
「グリン! 他所様の土地で一体何をやらかしたか!!」
そうしてエルダンから上がる厳しい声。
それを受けてグリンが怯み上がっていると……そんなエルダンの肩にポンと叩いて「落ち着きなさい」と声をかけた人間族……白髪の、神官服姿の老人がグリン達の側へと進み出てくる。
「ほれ、サーレよ、お前も落ち着け……客人にそんな風に怒るもんじゃないぞ。
事情は他の者達に聞いた、その気持ちはよく分かるが……それでもその想いを抑えてはくれないか。
お前達のその素直さは美徳だと儂は思っているが……時には想いを抑えることも必要なのだよ」
老人がしゃがみ込みながらそう語りかけると、犬人族の青年はすっと表情を柔らかくし……それまで立てていた尻尾をすっと下げて、少しだけしょげたような様子を見せる。
それを受けて老人が青年の頭を優しく撫でてやっていると、
「ベン殿……ご迷惑おかけして申し訳なく……」
エルダンがそう言って頭を下げて、ベンと呼ばれた老神官は謝罪の必要はないとそう言ってから朗らかな笑みを浮かべながら立ち上がり……それからグリンの目の前までゆっくりとした足取りでやってくる。
「お客人、ご迷惑をおかけしましたな。
……聞く所によると、サーレ達のことを思ってお声をかけてくださったようで……今回は運悪くすれ違いが起きてしまったようですが、今後ともその思いやりを我らに頂戴できれば幸いで―――」
と、そう言ってベンは、この場を収拾しようとしてきて……グリンはそんな彼の様子に何故だか威圧され一歩後ずさる。
ディアスと似た威圧感、笑みを浮かべてはいるものの、確かな圧が放たれていて……人間族の老人相手に後ずさってしまったことが耐え難かったグリンは、思わず……エルダンの前だと言うのに反論をしてしまう。
「お、俺はただ皆のことを思って……!」
そんな言葉を皮切りに、王都で人間族至上主義の教えが広がり、そんな状況下に人間族の領主であるディアスが力を付け始め、それを受けて隣領がディアスに乗っ取られるのではないか、再び奴隷のように扱われていた頃に戻ってしまうのではないかと、そんな不安を抱いていたことをぶちまけていく
グリンとてスーリオと同じ過ちをおかすつもりはなかった。
スーリオが客人にしたことは大問題になりかねないことで……決してその真似をしたかった訳ではない。
だが、スーリオの気持ちがよく分かった、主であるエルダンのことを思えば当然のことであり……何ならスーリオのことを尊敬もしていたし、よくやってくれたという思いもあった。
だと言うのに帰還したスーリオはすっかりと骨抜きになっていて、あの時の気概を失っていて……ならば自分がやらねばという思いがあった。
スーリオと違う方法で……だがスーリオと目的は同じで。
……そんなグリンの弁を受けてエルダンが顔色を悪くし呆れる中、ベンは静かに微笑み、柔らかな言葉を返してくる。
「なるほど、貴殿らの立場を思えばそういった不安を抱くのは当然のこと。
であれば、その行動にも納得がいきますし……サーレ達もきっと、寛恕の想いを抱くことでしょう。
……ですが貴殿もそのままの心持ちではお辛いでしょうから、ここは一つ儂の教誨を受けてそのお心を軽くしてみてはいかがかな?」
そう言ってからベンは手にした杖でもって南の方を指し示し……南に一体何があるのか、どんな意図があるのか、南で教誨とやらをやる旨伝えてくる。
それを受けてグリンは、事を起こしてしまったという申し訳なさと、ベンから放たれる異様な威圧感と……それと主であるエルダンからの素直に受けろとの厳しい表情もあって素直に頷き……ベンの指示に従って南へと向かうための馬車の準備をし始めるのだった。
お読みいただきありがとうございました。
次回は南で何かやるつもりのベン伯父さんやら……置いてきぼりを食らうディアスさんやらです。




