白ギーの……
それは建てたばかりの迎賓館が早速活躍したあの日から、三日が過ぎた日の早朝のことだった。
なんとなしに早起きしたシェップ氏族の若者が散歩でもしようかと考えて、まだまだ暗い中ユルトから出た所……どこからか血の臭いがしてきて、大慌てでそちらへと駆けていって……そうしてその光景を発見したらしい。
それは厩舎での光景で、妊娠していたはずの白ギーが何故だかすっきりとしたお腹をしていて、その表情もどこかすっきりとしたものとなっていて……そしてその奥には弱々しい足取りで歩こうとしている小さな白ギーの姿があって。
『え……? あっ! お前夜中のうちに産んじゃったのか!!』
その光景を見てそんな声を上げた若者は急いでユルトへと駆け戻り、自分の家族や一族にそのことを報告し、その騒動に気付くことなく私が熟睡している中、アルナーやマヤ婆さん達にもそのことが知らされることになった。
そうして私がいつも通りの時間に目を覚ますと、世話だとか片付けだとかそういった作業はすべて終わってしまっていて……シェップ氏族長のシェフからそこら辺の説明を受けた私が、促されるままに広場へと向かうと、そこには、出産の後とは思えないくらいに綺麗な毛並みとなった子連れの白ギーの姿があったのだった。
冬に生まれるはずだったその仔は想像していたよりも大きな体となっていて、白ギー特有のあのふかふかとした毛も結構生えた状態で、そんな姿で母白ギーのミルクをもの凄い勢いで飲んでいて……そしてその側にはニコニコ笑顔で鍋を抱えた、いつも穏やかな表情をしている、細目が特徴的なスーク婆さんの姿もある。
「毎日お腹いっぱいご飯食べさせてもらって、犬人族ちゃん達にたっぷりマッサージしてもらって、おかげかよく肥えて驚く程の安産で……その上ミルクもたーっぷり出してくれるときたもんだ。
見てみなさいなディアスちゃん、お鍋一杯分もらっても、それでも仔牛があんなに飲めちゃうんだよ! 毎日これだけの出ならバターとチーズが山程作れちゃうよ!」
なんてことを言ってスーク婆さんは鍋の中になみなみと注がれたミルクをちゃぽんと揺らし……寝ぼけ眼の私にそれを見せつけてくる。
「お、おー……こんなにミルクがあるならシチューなんかも食べられそうだな。
……んー……チーズを作るには動物の胃がいるんだったか? そうなると……どこかで黒ギーを狩ってきたほうが良いのかな?」
まだまだ起きたばかりの寝ぼけ半分というか、顔も洗ってない状態のわたしがそう言葉を返すと、スーク婆さんはにっこりとした笑みを見せてくる。
「もちろんそれで作っても良いんだけどね、ベニバナの種とか植物でもチーズを作ることが出来るんだよ。
で、今セナイちゃんとアイハンちゃんが、何人かの犬人族ちゃん達と一緒に森に向かってて……チーズ作りに使える薬草を取ってきてくれるはずだから、今回はそれでチーズを作るとしようじゃないの。
薬草の種類にもよるけど、植物でチーズを作ると爽やかなレモンみたいな香りになってくれて、これがとっても美味しくなるんだよ」
笑みを浮かべたままスーク婆さんがそう説明してくれて……チーズが楽しみで仕方ないらしいシェフがその尻尾をぶんぶんと振り回す中、森の方から馬の蹄の音が響いてきて……そしてすぐに馬に跨り街道を駆けるセナイとアイハンの姿が遠目ではあるものの、視界に入り込む。
大きな籠を背負った二人は、ゆっくりと速度を落としながらこちらへとやってきて……そうして愛馬であるシーヤとグリを落ち着かせたなら、慣れた様子でその背から飛び降りて……駆け寄ってきた犬人族に手綱を預けてから、こちらへと駆けてくる。
背負う籠の中には結構な量の花が……アザミと思われる花が入っていて、それを見るなりスーク婆さんは、その笑みを一段と深くしながらセナイとアイハンの頭をよしよしと撫で回す。
「ありがとうね、二人とも。
アザミの花ならチーズ作りにもばっちりだし、余ったら余ったで食べることも出来る花だからねぇ、無駄にならなくて良いねぇ。
他にも薬草がいっぱいで……こんなに採れるだなんて、あの森の中には花畑でもあるのかねぇ」
撫で回しながらスーク婆さんがそう言うと……セナイとアイハンは、鼻息をふんすふんすと荒くしながら、順番に声を上げる。
「邪魔な木をいっぱい伐り倒したから、太陽の光がいっぱいでぽかぽかになってる!」
「はなも、やくそうも、みんなげんき! むしとかもいっぱいになった!」
「ああ、そう言えば去年、セナイとアイハンに言われて木を伐り倒したんだったな。
……ナルバントも伐って良い木を何本か伐り倒したそうだし……早速その効果が現れたという訳か」
続けて私がそう言うと、セナイとアイハンは得意げな顔でこくりと大きく頷いて……そんな二人のことをスーク婆さんは「よくやったよくやった」と褒めそやす。
「アザミの花はチーズ作りだけじゃなくて、さっきも言った通り食用になるし、蜜もいっぱいだからミツバチが元気になるし、種からは油が取れるし、鳥の好物だったりもする。
森にいっぱい生えてるんだとしたら、こんなに良い花はないからねぇ……本当によくやったよ。
あえて欠点を上げるとしたらトゲがあることくらいだけど、まぁそれも慣れてれば問題にもならないからねぇ」
スーク婆さんがそう言うとセナイとアイハンは、もちろんトゲについても分かっていたとばかりに頷いて、その両手にはめていた革手袋をわきわきと動かして見せる。
分厚く固く、アザミのトゲ程度ならば十分に防げるだろうその手袋でもってアザミを採ってきたらしく、そんな二人を見て「あっはっは!」と笑ったスーク婆さんは、そんな二人を連れてチーズ作りのためにと竈場へと移動し始める。
「畑の方もどんどんと広がっていて順調ですし、森もそこら中がお花畑って感じになってますし、木を伐り倒したことだけじゃなくて、お二人の力のおかげっていうのもあるんでしょうねぇ」
スーク婆さん達の背中を見送っていると、私の足元のシェフがそんなことを言ってきて……私は「ああ、それもあるのか」と、そう言って頷く。
森人であるということが発覚し、森人としての力を二人が思うように振るって良いということになり……それ以来セナイとアイハンは畑や森なんかで力を使っているらしく、その結果が出たというか出始めているというか、恐らくはそんな感じなのだろう。
二人の力に関してはサンジーバニーと同じく二人に任せて干渉しないということにしているので詳しくは知らないのだが、二人の側によく居るシェフがそう言うのなら間違いないはずで……私が頷いたのを見てシェフは、
「これから畑と森がどんな風になっていくのか、今から楽しみですねー」
と、そんなことを言ってから足を踏み出し……尚も授乳を続けている白ギー親子の世話を始める。
刈り取った草を詰めたバケツを母白ギーの前に置いたり、ちゃんとミルクが飲めているのか仔白ギーの側に近付いて確認したり、母白ギーの背中に乗っかってマッサージをしてやったりとするシェフの様子を一頻りに眺めた私は……なんとなしに自分の顎をそっと撫でる。
するともっさりとした髭の感触が伝わってきて、それでようやく自分がまだ身支度すらもしていなかったことを思い出した私は……アルナーに怒られる前に身支度をしようと慌てて井戸の方へと駆け出すのだった。
お読み頂きありがとうございました。
次回はこの続き……サーシュス公爵のあれこれを受けてのアルナーやら何やらの予定です。




