金の亡者
あとがきにコミカライズに関してのお知らせがあります
――――カスデクス領改めマーハティ領、東部の街バーンガル
他都市からの玄関口であり、王国西部の交易の中心地でもあるバーンガルの旧市街。
古びた家々が立ち並ぶ一画の、とある屋敷の一室で。
書類と金貨の積み上げられた机を前に、椅子にその身を預けた二人の男が言葉を交わし合っている。
「よくもまぁこの短期間でこれだけの金と権利書を……金の亡者と呼ばれるだけはあるってことか」
頭と体に布を巻きつけたという、この辺りでの一般的な格好をした、特徴のない目立たぬ顔の男がそう言うと、似た服を着たもう一人の……波打つ銀髪に鋭くつり上がった目、細面できつく下がった口角という顔をした若い男、第二王子のマイザーが声を返す。
「たったこれだけの端金が何だって?
この程度、その気になりゃぁ誰にだって集められるだろうが。
……あの馬鹿のような頭してたら無理かもしれねぇけどよ」
「そうは言うがな、あんな魔法のような真似……俺にだって無理だぞ。
……傍で見ていてもお前が一体何をしているのやら、何を言っているのやらさっぱりだったしな。
お前が金をチラつかせながら口を開けば、それで相手が金を出してきて、その金が更なる金を呼び込んで、土地を買って建物を買って、更に更に多くの金貨が積み上がっていく……まったく訳が分からん」
「はっ……そこら辺は全部が全部、カスデクスのガキの失策のおかげだ。
関税撤廃、自由市場は大いに結構だが、そこを突いて悪さするやつを警戒しとかねぇとなぁ。
人と物の出入りを見張る目が少ないおかげで、密造品に禁制品と……まったく良い商売をさせてもらったよ」
そう言って積み上がった金貨のうちの何枚かつまみ上げたマイザーは、それらをパラパラと落として金貨の塔を崩しながら小さく笑う。
「……これからのことを思えば、こんなのは本当に端金でしかねぇんだよ。
金をもっともっと積み上げて、倍々にしていって……それでようやく『本番』が始められる。
ここら一帯を金の力で牛耳って、ディアスとカスデクスのガキに思い知らせてやった上で傀儡にして、『人』と『獣』を商品に稼ぎに稼いで派閥を立て直す。
その後は派閥の馬鹿共と金を上手く転がして……そうやってお前らを勝たせてやりゃぁそれで元通りの計画通りだ。
計画通りにいった後は金に埋もれながら悠々自適の隠居生活を楽しませてもらうよ」
そんなマイザーの言葉に対し、目の前の男……帝国の諜報員は顔をしかめながら訝しがる。
「……王位についたお前がこの国を明け渡すという計画はどこへ行ったんだ?」
「この期に及んでまーだそんなこと言ってんのかよ。
派閥の立て直しはまだしも、こうなっちまったらもう王位はリチャードで確定だ。
たとえ親父が味方についたとしてもひっくり返せねぇよ。
……盤面をひっくり返せねぇ以上は別の手を使うしかねぇ。
ま、お前の言うところの魔法みたいな真似で……そうだな、二、三年のうちに形にしてやるさ」
「……お前が王位につけないというのであれば、手を組む価値無しと見限って、お前の首とその金を手土産に帝国に帰るという選択肢も―――」
と、諜報員がそんなことを言いかけると、マイザーは口角をぐにゃりと曲げながら、嫌な笑い声混じりの声を上げる。
「よせよせ、やめてくれよ、そんな出来もしねぇことを口にするのは。
それが出来るならとうの昔にやってるはずだ。出来ねぇからこうして金と人を寄越してるんだろうが。
それと、だ。俺だって相応の備えはしている、もし俺を殺そうもんなら、色々と愉快なお話があっという間に王国中を駆け巡ることになるぞ」
マイザーにそう言われて「ぐう」と唸り声を上げた諜報員は……そのまま何も言えなくなってしまう。
そんな諜報員のことをじっと見つめたマイザーは、相手を心底から見下すような歪んだ表情を浮かべてから、
「……こんな奴を寄越すとは帝国も人材不足が深刻だなぁ」
と、そう言って呆れ混じりの深いため息を吐き出す。
諜報員はその言葉に対してどうにか反論しようとした……のだが、良い言葉が、反論が思い浮かばず、仕方なしに苦い声を振り絞るようにして吐き出す。
「……一体何なんだお前は。
金に執着し、国と家族を売ることに一切の躊躇も罪悪感も無い。
何がお前にそうさせるのだ? 金か? 金だけのためだけにそこまで出来るものなのか?」
「あー? 俺にそうさせたのはお前らとこの国の愚民共じゃねぇか」
即答と言って良い早さでそう言われた諜報員が、間の抜けたぽかんとした表情をしていると……マイザーは小さく笑って、次第にその笑いを大きくしていって、そうして思う存分に笑ってから、息を荒く吐きながらその心中を語り始める。
「そもそもだ、この国を最初に売ったのは俺じゃねぇ、愚民共だ。
親父は確かに有能じゃぁねぇが、それでも善良で真面目な良い王だった。
だってのに帝国が攻めてきたとなったら、あんの愚民共はあっさりと親父を裏切り、この国を……食料と武器と情報を売っぱらいやがった。
……お前みたいな連中がそうなるようにと、事前に手筈を整えてたんだろうが、それにしたってひでぇ話じゃねぇか。
挙句の果てに戦況がこっちの優位となったら、手の平を返したようにこっちに媚びてきやがって……。
そのうちの何人かは見せしめとして裁かれたが、商人共……真っ先に国を売っぱらって私腹を肥やした商人共は、経済の立て直しやら賄賂やらを理由に無罪放免……。
……それを見て俺は悟ったねぇ、この世は金が全てなんだってな」
そう言ってマイザーは金貨を荒く掴み……憎々しげに握りしめながら言葉を続ける。
「もし戦争に負けていたら親父は殺されていたんだろうな……寝る間も惜しんで大した贅沢もせずに、国の為、国民の為にって必死に働いてきたってのに……だ。
善良に生きようが真面目に生きようが……王であろうが、金の力には勝てねぇって訳だ。
……そんなものよりも、悪事で握り込んだ血に塗れた金貨のほうが、何倍も何十倍もの価値があり力がある。
……親父も兄貴達もなんだってそのことに気付けねぇのかなぁ」
腹の奥底からのそんな言葉を口にしたマイザーは、握りしめていた金貨を窓の外へと放り投げる。
そうして立ち上がり、窓際へと移動したマイザーは、窓の外の光景を眺めながら、醜悪なまでに歪んだ嫌な笑みを浮かべるのだった。
――――その部屋の天井裏で蠢く者達
(襲うかッ? もう襲っても良いんじゃないかッ)
(……襲う時は、体を伏せながら柔軟にしなやかにッ、気配を消しながら近づいてッ……だったかッ?)
(馬鹿ッ、何かをする前にまずは報告だって教官が言っていただろうッ)
黒い装束で身を包んだ大耳跳び鼠人族達が、天井裏でこそこそと蠢きながらそんな小声を交わし合っている。
(お前等ッ、まずは奴らの会話の記録が先だろうがッ!
一言でも抜けがあったらッ、教官に食われちまうぞッ!!)
一人の鼠人族が発したそんな言葉を受けて、この数カ月間彼らを厳しく教育していた教官……獅子人族の老人の顔を思い浮かべた鼠人族達は、その口の大きさと牙の鋭さに恐怖し、ガタガタとその身を震わせ始める。
そうして大慌てで報告用の小さな紙を取り出した鼠人族達は、その身を激しく震わせながら眼下のマイザー達の会話を記録していくのだった。
――――数日後、エルダンの執務室。
「……金が全ての世の中が嫌だと言うのなら、世の中を変えてしまえば良い話であるの。
人の上に立つ者であるならば、そのくらいの意気込みがなくてはお話にならないであるの。
そんなことも分からないお人であるならば……ご退場頂くしか無いであるの。
……それとこの報告書、文字が歪んでいるというか、震えていて読み辛いであるの、次回以降の報告書はそこら辺を改善するか、清書をお願いするであるの」
大耳跳び鼠人族達が書き上げた報告書に目を通した主人の、そんな言葉を受けて……彼らの教官であり上官でもある獅子人族の老人は、苦い顔をしながらしっかりと頷いて、鼠人族達に厳しい『訓練』を課してやろうと、静かに決意するのだった。




