第89話 偉人の死と異人の接近
美濃国 稲葉山城
春の息吹がそこかしこに芽を出し始め、暖かな地域では田植えが進み始めたその日。
北条氏綱様の死が知らされた。
実際は年明けまもなく亡くなったそうだが、武田信虎が冬が終わって一時甲斐に戻るまで伏せられていたそうだ。
葬儀は氏康殿が執り行い、家督相続は前年に済ませていたためスムーズに全てが行われた。
また、ほぼ同時期に氏綱様の御正室の弟である権大納言久我晴通様の養父である久我通言様もお亡くなりになったそうで、北条の身内が相次いで亡くなることとなった。
錦小路盛直様は船が間に合わず死に目にも会えなかったそうだ。孫娘をお願いしますと遺言されたそうで、何が何でも俺に嫁がせて錦小路を継がせると決意を新たにしている様子だった。後で於春にも手紙を書いておこう。可愛がられていたと聞いているし、悲しんでいるだろう。
大和守織田家、即ち守護代織田の動きが不穏らしい。弾正忠織田ばかりが勢力を拡大しているのが気に入らないのだろう。父と叔父、平井宮内卿とのいつもの話し合いで話題となった。
「何か対策されるので?」
「その必要はない。わしから見て、弾正忠は其れを把握した上で今は放置しておる。」
「ならば、兄上が動けば逆に良くない流れになるやも知れませぬな。」
なるほど。泳がせているだけならこちらの介入が相手の予定を狂わせる危険もあるのか。
「しかし、蝶も文を書くようになるとは、成長したの。宮内卿が読み書きを教えてくれたそうだが。」
「いやいや、蝶姫様は絵本のお蔭で崩さぬ方が御得意にて、作法のみ御教えしてそのまま文を出されましたぞ。」
蝶姫こと我が妹は絵本で覚えた楷書で手紙を書くようになった。最初に手紙を貰ったのは小見の方。母に日頃の感謝の手紙とは、「かたみの人形」の話をした時に話したことを覚えていたのか。
「わしに文が来るのはいつか。楽しみだが、急かすわけにもいかぬからな。」
ちなみに家族で今も手紙を貰っていないのは父だけだ。俺も叔父上も貰ったし、先日は遂に吉法師に手紙を出していた。少しだけ父に同情したい。
1543年といえば鉄砲伝来だ。鉄砲がどのような形で畿内に流れて来るか不明だが、先行して生産するためにはこちらから使者を派遣して早々に確保するのが一番だろう。
「というわけで、南蛮人が薩摩の種子島に来ているとか来ていないとか。彼らが持つ火縄銃なる物を手に入れましょう。」
「来ているのか来ていないのかはっきりせい。」
流石に突拍子もない部分もあるので父は難色を示した。しかし、叔父の道利から思いもよらない言葉が出てきた。
「そういえば、昨年琉球に青い目で長身の男が数人明の者に連れられやって来たと聞きましたな。」
「ほう。青い目か。それは珍しい。天竺か、波斯(ペルシャ)か。」
どういうことだ。ヨーロッパ人が日本に来るのは今年……って琉球は当時独立国か。なら来年来るのは確定的だ。
「その者たちに接触したいのです。恐らく薩摩の種子島に来るでしょう。」
「……夢か。三河の温泉以来久しぶりに聞いたが、まぁ堺の商人を使えば良いか。図書……はわし同様歳よな。宮内卿、其方の息子に任せられるか?」
「御任せを。『ひなわじゅう』でしたか。若様、絵なり特徴のわかる物を準備して下さいませ。」
「わかった。絵を渡す。かなり高額だと思うが、実物さえあれば何とかなるから頼む。」
「御意」
火縄銃を確保したら早い段階で量産体制を作ろう。斎藤と織田で独占して一気に勢力を拡大するのだ。今年は勝負の年だ。犠牲を最小限に、一気に戦国の世を終わらせる準備をしなければ。
♢
火縄銃を量産するのに何が必要か。稲葉山城下に工房を持つ中学時代の技術室を思い出しながら作れそうな道具や設備がないか考えていると、万力やクランプのような固定器具や、そもそも長さを正確に計測する道具が足りないと感じた。
で、万力・クランプの試作と共に曲線のガラス管を試作させることにして色々と進めたが、万力とクランプはとにかくねじ回しの機構が苦戦した。
特に稲葉山にいる鍛冶師はねじ回しを知らなかったため、ハサミを作った職人を呼んで実物で説明させるという面倒な作業が必要だった。
そして作った物を試作すると、クランプは強度の問題で最初の物は固定が甘いうちに破損した。金属部品の部分を少なくしようとしたためにネジと挟み込む部分以外を木製にしたのが良くなかったらしい。
大部分を結果的にはしっかりした金属部品で作らざるを得ず、一部の工房にしか置くのは厳しいと言わざるを得なかった。
ガラス管は2週間ほどで届いた。U字に曲がってさえいれば良いと伝えておいたので割とすぐに出来た。温度計の試作はちなみに既に200本は失敗している。液溜まりが難しい。
ガラス管に水銀を入れて液体の表面を結んで直線を引く。この直線に木製コンパスで作図して直角を作る。
直角に交わる2本の直線の交点を中心に半円を書き、二等分線で45度が計れる分度器と直角二等辺三角形の三角定規が完成。
更に直角二等辺三角形を2つ使って正三角形を作図。60度を作り、そこから30度の角も作って基本となる三角定規2種類を完成させた。長さは先日の身体測定に使ったメモリを振る。
三角定規の組み合わせで15度単位のメモリが分度器に刻めたので、更に正三角形からL字型定規を用意し、その幅を利用することで角の三等分線を引けば20度の角がとれる。これを使って5度単位まで分度器を刻む。
更にコンパスで正五角形の作図をし、72度と18度を計測すれば一気に1度単位まで計測できる分度器の完成である。
「とはいえ、この分度器?とやら、大きいですね。」
「仕方ない。正確にとれるようにちょっと大きくしたからな。」
職人には驚かれた。まぁ学校にある黒板で先生が作図する時の分度器より大きいから仕方ないか。
「でも、これで黄金比も出せるようになりますしね。正五角形は偉大ですよ。」
「黄金比?」
「ええ。まぁデザインとか得意じゃないのでそのへんは後世の誰かに任せますが。」
温度計より曲がった管を作るだけという意味では楽な水銀気圧計を作った。
全部の長さは3尺7寸弱(1m10cmくらい)で形としてはJの字と言うべきか。管の上は塞いで中を水銀で満たし、管を水銀で満たしてから空気が入らないようにJの形に起こす。
トリチェリの真空が出来て溢れた水銀を容器で受け止め、更に少しガラス製のピペットで水銀を減らして気圧変化にも対応できるようにすれば完成だ。
細かい気圧を知りたいのではなくあくまで気圧の変化で天候が変化する兆候が見たいだけなので、稲葉山の屋敷と城、更に数カ所に設置して気圧の違いを確認する事とした。76cmを正確に計れれば1013hPaがわかるのだが、尺寸だと2尺5寸と少しなので無理がある。
一応その位置に目印だけつけておき、そこから大きく変化したら稲葉山に報告として後は記録だけとらせている。
台風の接近や冬の寒気が近づくのが分かれば多少なりとも対処できる程度だが、やがては全国にこれを設置したいところだ。
気圧配置で天候予想が出来るようになれば早めの対策も出来るのだ。水銀の取り扱いは専門の人間を育てて危険性の分給金を多めに払っているが、温度計作り含め今後も苦労をかけそうだ。
均一な細さの管までガラス製造技術は辿り着いた。失敗することもあるがもうすぐ温度計まで辿り着けるだろう。
ヨーロッパ人を驚かせなければならない。この時期から対等な交易と交流をして力をつけるのだ。
瀬戸呉須で瑠璃の品を作っているので、それらと板ガラス、そして試作した一枚板の鏡をどの程度売れるかがまず勝負だろう。
硝酸が作れるようになったら銀鏡反応で鏡を量産すれば売れるはずだ。一枚板の鏡はヨーロッパも欲しがるだろう。頑張らねばならない。
試作は硝石も輸入だから高くついたのだ。ミョウバンだって安くはない。火縄銃と交換出来ると良いのだけれど。とにかく火縄銃を確保してからが勝負だ。
1543年はメインとなる火縄銃+各地の情勢以外は結構流します。今作では1542年琉球に一度到着した説を採用しています。
かたみの人形は日本の昔話の1つです。山賊などを亡くなったお母さんの形見の人形が追い払ってくれる話。
火縄銃量産のために道具作り。のための道具といった状況ですが。
万力・クランプなどは固定具ですので結構重要。火縄銃を手に入れた後文房具は使います。
分度器を作る作図は全部高校数学教科書までで出てくるという恐怖。
義務教育ってのはつくづくチートだな、とプロット段階で思いました。
気圧計も中学校理科で載っているレベル(初期のフォルタン水銀気圧計)を作っています。




