第6話 小さなその身でできること
今日は8話までを予定しております。
♢♢からは三人称になっております。
稲葉山城そばの屋敷はやや小高い場所にあって、城下の町が良く見える。太陽が昇る頃から響く体操の1,2,3,4の声は、寝坊した人の目覚まし代わりになっているらしい。軒先で親しい人同士顔を合わせて体操しているため、周辺の国々でもちょっと話題になっているらしい。
我が家も屋敷の中庭に出て家族みんなでやる体操は朝の風物詩だ。最近では家族の健康チェックの場みたいになっている。チェックしているのはなんとなくだけれど、顔色が悪くないかは気にしている。女性は動きやすい服にこの時は着替えている。普段は重そうに服を着込んでいるので、朝だけでも解放されているのが楽で良いらしい。
斎藤の名跡が継げそうという話が来て、父の左近大夫規秀はいつにも増してご機嫌である。朝の体操の声が弾んでいるからよくわかる。きっとこれがうまくいって斎藤道三が出来上がるんだろう。
年が明け数えで8つになったので、筆の持ち方とかより少し難しい字の練習が増えた。読み書きは現代日本の知識が逆に邪魔になってやや苦戦中だ。なんでこの丸がその漢字になるんだよと悩む日々。板の間に直に座って練習しているので尻なども痛くなる。だが少し姿勢を崩すと字も崩れる上注意されるので辛い。
作法とか礼儀については目覚めて最初にあった乳母が一番うるさい。聞いたところ彼女の母親は俺の曽祖父が北面の武士だった頃の縁で、祖父の正利と同年代の宮内卿北小路俊永様の下で働いていたらしい。細かいところまで毅然とした態度で指導してくる。新人研修の時しごかれたお婆さんを思い出す。
祖父の死で早めに動かないといけないと思ったものの、できることは少ない。次期当主(予定)の人間にはそのための勉強がある。
それでも、明からいくつか漢方の種を取り寄せることだけは許可が出た。
漢方は現代の普通の医師も結構使う。年配の方は結構漢方が好きで、漢方を処方した方が喜ぶ人もいた。
というわけで、傅役や御坊様に取り寄せをお願いしたわけだが、目玉はなんといっても、
「大風子とやらの種子と甘草の種子、あとぺぱーみんと?の一部も手に入れましたぞ。」
「あと、クスノキの群生地、蘆會、クソニンジン、ハトムギは見つかりましたか?」
「少数ですが手に入りましたな。クスノキは今尾の中島殿が多く生えている場所を教えてくれました。」
そう、大風子である。蘆會ことアロエやペパーミントも栽培方法に気をつけて栽培を始めるが、大風子は特に大事だ。
なにせこれがハンセン病に効果があるのだ。この時代にリファンピシンなんて作れる気がしない。でも大風子の種子からとれる油なら作れる。タネを取れる成木になるには時間がかかるので、今のうちから育てることにした。こればかりは自分の手で育てる場所選びから初期の世話まで丁寧にやるつもりだ。本格的な薬までいけるかわからない今はこれが最優先だ。大風子は我が生命線也。
ついでに城の郭に漢方の畑を作ることにした。薬を作れば何かあっても対処できるし、場合によっては売ればいい。盗まれる心配も城内なら少ない。仕切りも作りやすいのでペパーミントの大繁殖も防げる。
漢字も書けるようになったら漢方薬を本にまとめるか。いや、紙は貴重だし印刷なんてこの時代やっていない。写本では美濃領内の医師だけでも時間がかかるか。活版印刷ってどうやるんだ?木彫りの版画しか思いつかない。
何はともあれ、まずは中間を住み込みで雇って栽培を手伝わせることになった。父は興味はなさそうだったが、祖父の死の直後ということもあり、資金も人出も用意してくれた。命あっての物種とはよく言ったもんだ。早死にするのは一回の人生で十分だ。絶対長生きしてやる。
夏を過ぎた頃、6月に織田弾正忠の当主に嫡男が生まれたと噂が流れて来た。今年は天文3年(1534年)だから……うん、信長のはずだ。覚えてなかったけれど一度読んだことがあったらしい。しかし情報が遅い。電話も電信もないし今の信長の家はあまり有名ではないから仕方ないのかもしれない。乳母の乳首を噛み切った話は更にタイムラグがあったし。
そう言えば正室の小見の方も懐妊したって話を聞いた。母の深芳野は下賜された側室なので、これで男の子なら嫡男である。まぁ別にその子が跡を継いでくれてもいいので、傅役を通じて産褥熱や流産を防ぐために足りない知識で助言を伝えるようにした。自分は産婦人科じゃなかったので、細かい知識はありません。
これで歴史が変わるならそれも仕方ない。身近な人が死ぬのはもう勘弁願いたい。
♢♢
美濃国 稲葉山城
小見の方は、傅役から左近大夫規秀を経由して渡された豊太丸からという文を見て困惑していた。
「はぁ。身ごもっている時に食べると良いものと悪いものについて。とありますね。」
「豊太丸様は御前様のお身体を心配して、明の書物を読んでお書きになったそうです。」
「なんと。豊太丸殿は賢いだけでなく優しい子ですね。普段体操の時も話すことはありませんが、こうして気遣ってくれるとは。」
「殿も中身に食べられぬ物は入っていないから、文の通りにせよと。」
小見の方からすれば、現在の跡継ぎである豊太丸は接し方の難しい相手である。自分に男子が産まれれば恐らく跡継ぎになるであろうものの、今の段階では跡継ぎは彼という状況である。
多少はそのことを豊太丸も知っているだろうに、それでもこうして気遣えるのは立派なことと考えていた。
「では、豊太丸殿の言う通りにしましょう。食べる物に橘の汁を絞って食べると体に良いし食べやすいのですか。」
「では、夜のお食事に準備しておきます。お茶やお酒は控えてくださいとのことで。」
「ヒジキと鰻の食べ過ぎは良くないのですか。別に普段から食べていませんが、気をつけましょうか。」
アロエ(ケープ・アロエ)は室町時代伝来説を採用しております。キダチアロエは明末に栽培用が中国伝来らしいです。
大風子は明代に中国に伝来しているのでなんとかなると判断しました。
セネガがどう頑張っても手に入らない……悔しい。