後話7 北条氏政の憂鬱23 堺の今、若い2人
発売日になかなか投稿できず申し訳ございません。
今月の月刊少年チャンピオンはセンターカラーです。是非ご確認ください。
大坂府 堺
宿に尾藤重吉が挨拶に来たのは氏政一家が宿の夕飯を終えた頃だった。見合いの場は堺にある料理茶屋であり、運営に京の商人・中島清延が関わっている店だった。尾藤は段取りを説明する中で、この店をこう評した。
「ここは官房長官である松平信康様も懇意にしておりまして。こうした宴席では公家の皆様も御利用される場所です」
「松平様と言うと、近江の松平ですか」
「ええ。先代の広忠様が合戦の功で近江の小谷を与えられ、今代の信康様は若い頃より槍働きだけでなく治政でも才覚を示された。何より執政様(信長)の妹御様が嫁がれたのが、その信の証」
「その松平様が良く通う店ならば、期待できますな」
「是非。名物の鮗を味わっていただきたく」
そんな様々な期待を抱かせる夜を終え、翌朝。
翌日の見合いは昼前であり、挨拶と顔合わせ、食事と歓談という段取りになっていた。しかし、顔を合わせるなり若い2人の会話は碁一色になっていた。
「では、北条では初手天元も使われているのですね」
「ええ。ですが、派手さではなくシチョウに優位、そして中央の地を確りと狙えるのが理由でございます」
「わかります。隅は大事ですが、最も広い盤面は中央。隅をとらせて地を囲めば相手は攻めに回らざるを得ません」
「そう。そこをいかに攻めるか、守るかこそ北条流が探求している点です」
2人は料理が運ばれ始めたのに最初気づかないほど談義に花を咲かせたため、氏政の正室が隣で脇腹をつついて気づかせるほどだった。
「いやぁ、主役と言うべき御両名が意気投合したなら、それは何よりというもの。それに、もし数学の話であれば誰よりも前のめりになっていたでしょうからな」
仲立ちである小笠原長隆は、恐縮する2人を慮るようにそう笑いながら自分ならばの話題も加えて場を柔らかくまとめた。2人も含め大半が食事を味わう余裕をなくす中、氏政は息子の親政を挟んだ向こうにいる正室が動じずに食を楽しんでいる様子を見た。その豪胆さに感謝しつつも、氏政は向かい側に座る尾藤に顔を向けた。
「ところで、鮗の酢漬けはいかがでしたかな?」
尾藤にそう言われ、氏政は先程食べた魚が話題に上がっていた鮗であることに初めて気づくのだった。
♢♢
当事者同士を2人きりにした瞬間、用意していた碁盤で一局打ち始めたのに氏政も尾藤も苦笑せざるを得なかった。言葉より一局打った方が互いのことはわかる、とでも言いたげな動きだった。そして、2人同時にその選択ができるなら、相性は最高と言っても良いだろうと氏政は思っていた。2人以外の面々は2つ隣の部屋で茶を飲みつつ、時折彼らの様子を見に行く形となった。
小笠原長隆も様子を見て帰ってくると、氏政と尾藤に問題ないことを伝えた上で言葉をつづけた。
「しかし、時代は変わりましたな。武士は弓馬の腕を見せ、女子に力を見せれば縁が来るものでしたが」
「右馬頭様の頃や我らの頃はまだ戦が頻繁でしたからな。中央では十年以上戦がなく、戦う地も相手も異国ばかり。武士とは何か、侍とは何か。急な変化に戸惑う者もおります」
尾藤がそう答えると、小笠原長隆も頷く。
「大半の侍が警察、軍隊、教師などに就いたが、中間などの者では学のないものが職に就くのに苦労した」
「中間を侍とは申さぬとは言え、戦場に身を置いた者ではある。血の気の多い者もいるし、武芸を磨いていた者もいる。彼らの中には今も燻っている者もいる」
「今も志願兵が多い所以ですな。しかし、弓馬の道に勤しんでいた者共とは違う故、北条から来る武士には及ばぬ」
称賛するような小笠原長隆の言葉に、氏政は苦笑する。
「いえいえ、時代に取り残されているだけにございますれば」
「しかし、導三入道様も仰っている。平時こそ、戦の備えを厳にせよと」
「あれは、いざ鎌倉の頃より気風が変わっておらぬだけにございますれば」
関東武士の本質は鎌倉時代の頃から変わっていない。関東独立。聞こえはいいがようは自分の上に京都の誰かが立っているのが気に食わないのだ。だから彼らは自分たちに口出ししない、かつ中央の納得する御輿を常に欲している。
「しかし、最近は京や樺太、台湾島などで中央の人間と交流が増えています。いずれ同化は進むかと」
「それはそれで寂しい気もしますがなぁ。特に樺太で沿岸警備をする騎馬武者は、北条の者が多いと聞きます故」
「あの御役目、国人衆から雪原を自由に走り回れると人気ですからな」
樺太とユーラシア大陸の境である間宮海峡周辺は、間宮康俊が発見したこともあって北条氏家臣が海峡防衛の責任者を務める事が多い。そして、この地はまだ開発余力が足りないために簡素な防衛設備しかない。結果として警備任務では広大な雪原を馬で駆け回るため、九戸政実ら東北出身の騎馬の扱いに慣れた者や北条氏の伝統的な騎馬武者たちが担当している。
「馮翊様は今後、御子息をどう育てるおつもりで?」
「若殿の右腕となるので、二人の息子には外向きと内向きの役務が出来て欲しいですな」
「親政殿は、どちらに?」
「外向きですな。役務を継いでもらうつもりですので」
「であるならば尚更此度の縁は願ったり叶ったりかな?」
「左様ですな。ありがたい縁にて」
実際、家格の高すぎる相手と姻戚関係になるとまだまだ面倒な時代である。氏政は兄・氏親と斎藤との縁のおかげで相応の官位を持っているとはいえ、元大名格の家柄とは縁が結びにくい。官位がまだまだ影響力を持つ時代な上、元○○家臣がある種の派閥を持っている。色々な事情を考えると、元信濃小笠原氏という名門の家臣で、三好氏との縁で畿内に移り住み、斎藤の家臣から中央政府に出仕して織田信長に気に入られているというのは最高の相手と言えた。
「もし良ければ、だが」
「右馬頭様、何か?」
「馮翊様の子を一人、もし良ければ、我が養子にいただく事は出来ようか?」
「小笠原氏の、ですか?」
「うむ」
小笠原長隆は府中小笠原氏の正統な後継者である。しかし、彼に今子がいない。弟の貞慶はその息子とともに6年前の南方探索に加わり、多数の島を見つけて地域の首長に任命された。彼らは今更中央に戻る気はないらしく、本家を継ぐ気はない様子だと長隆は説明した。
「島々に小笠原諸島という地名がつき、我らの名が残るのは名誉なれど、本家は本家で継ぐ者が欲しいところでして。しかし、松尾の小笠原は武田家臣として長年争った相手。家臣も納得しませぬ」
「縁戚に良き相手はおりませぬか?」
「我が母は仁科氏故、長尾と村上に滅ぼされております。祖母は上野の浦野氏ですが、こちらも長尾に従って織田右府様に滅ぼされておりまして」
「嫁がれた方に良縁は?」
「妹の嫁いだ海野氏は我らと違って領地を持って廃藩した故、分家の養子も容易には出せぬのです。叔母も藤沢氏に嫁いだので、血縁が……」
その言葉に氏政は内心で頭を抱えた。確かに今回の申し出はありがたいが、同時に自分が主導的に関東独立を解体しようとするのが難しくなる提案だからだ。関東を解体して新政府で地位を確立しようとしていると思われれば、逆に国人衆の態度が硬化する可能性もあった。とは言え、小笠原氏の血縁の悲惨さもまた、一言では表しにくいものだった。特に滅んだ仁科氏とともに、藤沢氏も問題が大きかった。諏訪氏家臣から武田氏に降伏し、その後武田氏が劣勢になった際に反乱し、討伐されている。そもそも生き残りがいるかすら不明なのだ。
「故に、こたびの縁を機に、御正室が海野氏の貴殿の子を迎えたいのだ。足利氏の政所執事も務めた伊勢氏より生まれ、関東管領家の重鎮である馮翊様の、だ」
「あ、兄上にお伺いを立てた後のお返事で宜しいですか?」
今すぐにでも国人衆の見合い話で多忙を極め、返事を先延ばしにしたい衝動をおさえつつ、氏政は辛うじてそう答えた。
見合いの終了後、上機嫌な息子の親政と正反対に、氏政は全精力を使い果たしたような憔悴した表情で宿に戻るのだった。