後話7 北条氏政の憂鬱21 良縁多数
また1週間遅れてしまいましたが、今月も月刊少年チャンピオンに最新63・64話が掲載中です。是非ご一読ください。
(余談ですが、ラーメン大好き小泉さん良いですよね)
今話も全編三人称視点になります。
相模国 小田原城
天正20(1583)年の年始。廃藩が決まった武田氏の家臣団が急速に解体されている中、北条氏の家臣の中で中央政府との血縁を求める声が増えていた。中央との経済力などの差が歴然として来た上、鉄道まで通ったからこそ、中央との縁を強くしたい人間は増えているのだ。特に鉄道が直接つながった小田原にはそうした思考の家臣が多く、彼らは中央との交渉役である北条氏政にその仲介を願い出る者が多かった。
「年も明け、新九郎様も公方様に会い、昨年の帝への拝謁も含め、新当主への引継ぎが完全に終わった途端にこれか」
「父上を頼る者が多いのは仕方ないかと」
「こちらとしては、まずは若殿様の婚儀を無事に終わらせてから。更に言えば、そなたの相手を決めてからにしたいのだがな」
「は、はははは……」
氏政の嫡男である親政は中央政府から正室をもらうか、関東の領主から正室をもらうかで北条家中でも意見が割れていた。中央政府との外交役という面を見れば、そのパイプをより深くしていくために大臣級か公家の家から正室をもらうのが一番である。一方、外交役だからこそ、領内の有力者と婚姻させて内外を繋ぐ役割を担ってほしいという意見もあった。そうした意見の対立で、親政の婚姻相手は難航していた。斎藤氏に嫁いだ於春の子・安貴と水戸北条氏の氏光の婚姻が終わり、次に新当主である新九郎の婚儀が控えている。氏政としても、この婚儀より優先するものは存在しなかった。
「御相手となる織田の子は織田・斎藤の血を引く。まだ10歳とは言え、若殿様もまだ若い。来年の婚儀は閣僚も多数参加する」
「とても私の婚儀どころではないですね」
「いや、むしろそこで相手を探すのも良し、か」
「父上?」
「相手を外に求めるにせよ、内に求めるにせよ。関東の主だった者はそこに集うわけだしな」
新九郎の相手は信長の娘で蝶姫の末娘である。本来はあと2年時間があるはずだったが、氏親がそこまで生きられるか微妙な情勢となったため、昨年婚儀を早めることが決まった。公家や織田の家臣筋が多数列席するため、この機会を生かしたい人間は山ほどいた。公家からすれば支度金の名目で北条から金が入る。織田の家臣筋ならば新たな交友関係を作れる。北条一門や家臣団は外との繋がりを得る。そうした機会である。
「当家の家臣団もここで上手く相手を探して貰えば良い。それ以上は我らが手助けするものではない」
「父上が席次さえ整えれば、後は御随意に、ということですか」
「どうせ席次は我らが仕事だ。面倒は増えぬからな。年頃の娘のいるそれなりの公家や官僚と格の合う家臣を近くに置けばいい」
「それだけでも十分恩を売れるかと」
公家の力関係や交友関係、そして官僚の出世状況などを最もよく知るのは外と交渉を長年担っている氏政だ。そのため、この婚儀の席次決めは彼の役目だった。少し手間が増えるだけなので、氏政はそれだけ手配するつもりだった。
♢♢
新九郎と信長の娘・紬姫の婚儀は正月明けた11日に行われた。
出席者は織田信長とその四人の男子や斎藤氏現当主である龍和といった政府の面々に、皇太子である誠功親王の学友である今出川公彦や摂関家の次代を担う面々が並んだ。更に清華家なども多数出席し、新婦側はかなり華やかな雰囲気となっていた。新郎側には斎藤龍和がいるものの、多くは北条一門や家臣団、そして国人たちであり、服の煌びやかさなどでは中央には及ばない部分があった。
「やはり都のお歴々は着る物から雅だな」
「御一門も同じ服を着ておられる。きっと揃えたのであろう」
「やはり北条一門の力は健在か」
北条傘下の国人の出席者もこの式には感心しきりであった。天下人・信長の2種類に染めた絹を縫い合わせた礼服も奇抜というよりファッションの一種といった見方がされ、傾いているとは違う印象を持たれていた。
「義兄上がいたら新郎新婦より目立つなと怒られかねんが、万一を考えて京に残らざるをえないから好きに服を選べる。良きかなよきかな」
「父上……後で甘味を取り上げられても知りませぬよ」
「それはそれ。京で流行りの服なのだ。着るなという方が風情がない」
「龍和殿の御子息も随分父上を見ておられますぞ」
「あれは羨ましがっているのだ。気にするな。それに、これは天下静謐を示す服だぞ」
三好の藍と最上の紅で染められた絹を縫い合わせた服。絹は肥後産の物で、刺繍は西陣で施された。それは奥羽から九州まで、全ての和を象徴していると言えた。
「同じような趣向で紬の服も支度した。色は白だがかえって耳目を集めよう」
「それはそうですが」
「堅い。堅いな。こういう時は義兄上のように堅い。誰に似たのだか」
「入道様曰く、父上のような人を反面教師と申すそうですよ」
そんな会話をしているところに新婦が部屋に入り、新郎の新九郎の隣に静々と歩きながら御披露目となった。白無垢ながらその白さは重曹を使ったもので、絹の光沢もあいまって参加者の目を釘付けにした。
「ほれ、言った通りであろう?」
「いやはや、化学とは素晴らしい」
「紬の気品の良さよ」
「顔が見えないのに父上は何を申しておるのか」
北条家臣は特にその見事さに感嘆し、彼女が席についた後もしばらく儀式の進行が止まるほどであった。
式は想定外の遅れもあったものの無事に進み、宴席となってからは公家や家臣を問わず少しずつ交流が進んでいった。その中で氏政の元にやってきたのは織田側の婚儀の折衝を担当していた尾藤重吉だった。
「尾藤殿、此度は多くのことで骨を折っていただき感謝いたす」
「いやいや、氏政様の補佐ができて、某も恐悦にございました」
「こちら、我が子の親政にございます」
「おお、こちらがあの」
「あの、とは?」
「こちらに来る前、棋院で先日の利玄殿の披露目で打たれた名局が新聞に載っていたのですが、その1つが御子息の一局で」
「なんと」
「北条流は武人の気骨を残す質実剛健な打ち筋と、仙也殿も称賛しておりました」
情報統制の観点から新聞はまだ小田原まで運ばれていない。氏政も駿府にある月ヶ瀬の宿に届く新聞を定期的にまとめてもらっている状況だった。
「それは是非とも家中に見せたいですな」
「是非。我が家の孫娘も地に辛い碁が好きなので、棋譜を穴が開くほど読んでおりましたぞ」
「ほう、お孫様も碁を?」
「いやぁ、お恥ずかしながら、公家の方々と同じ学舎に入ったために、同じような趣味を持っておりまして」
織田信長に重要な婚儀の交渉役を任され、孫娘が公家の学校に通うことを許される。しかも息子と同じ趣味。氏政はその孫娘に大いに興味をもった。
「いやいや、それ程の才女なれば京の能臣方が放ってはおかぬでしょう」
「いやいや、昨今の京の流行りは梶井宮様の華道にて、官僚の娘は皆入門しては縁を結んでいるのです。しかし、娘はそちらにとんと興味がなく」
「公家の皆様が碁を打つなら、そちらの縁はないので?」
「通っているのが法華(日蓮宗)の尼寺にある碁会所なので、そうした縁はありませぬな」
華道は室町幕府の頃は男性の文化だったが、平和な時代の華やかな趣味として女性にも広がりつつあった。いち早く女性を招いた梶井宮と池坊の流派は男女の出会いも斡旋しており、一流の教養を身につけた男女同士の縁結びの場と見られつつあった。なお、安房で花の栽培が軌道に乗り出したのもこれら流行の影響は少なからずあった。
「もし宜しければ、一度お孫様と親政で一局打ちませぬか?」
「それはそれは。恐悦至極というもので」
新しい、かつ強固な窓口を作れそうな状況に、誰かのお膳立てかを少し疑いつつも、氏政は良縁の予感を抱かずにはいられなかった。隣の親政も、碁が打てる女性という話に少し乗り気な様子だった。
尾藤重吉は元々小笠原家臣説を採用しております。小笠原家臣→永禄年間末期に武田の圧力で小笠原氏とともに信濃を脱出し同じ小笠原氏系のお満を頼って斎藤氏に仕える→新政府樹立後中央で出仕→良い仕事ぶりから信長に今回の婚儀の交渉役を任される、という流れです。氏政は勘違いしていますが、実は斎藤系出身です。ただ、出自で分けられなくなっているのでそういった話題が出ていないという事情があります。
華道については池坊・梶井宮御流などが台頭しつつあります。京に運ばれる各地の花による華道文化は平和だからこそ流行しつつあります。一方、日蓮宗の囲碁への傾倒は尼寺の拡大などにも出ており、結果として女流棋士の育成も史実より早く進んでいます。女流棋士は幸がいるので、そもそも史実より圧倒的に社会的地位を得ているのですが。