後話7 北条氏政の憂鬱⑧ 衝撃
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今回も北条氏政視点になります。
駿河国 竹之下
北条氏政は鉄道の敷設現場を見たことがある。
国人領主の兵くらいの人数の作業員が集まり、運びこまれた石や木を地面に置き、鉄のレールを固定する。
それだけならば何度も見た光景だったし、笠原玄蕃助親綱にも説明していた。
しかし、これはそんなものでは到底収まらない。
「ここは駅が出来る故、整地をもっと広く進めよ!」
「石が足りなくなるぞ!猫車をもっと持って来い!」
「三十七班、休憩時間だ!小屋で点呼の後四半刻(約30分)休め!」
最近ゴム製の外輪がついて頑丈になった猫車に積まれた石が運ばれると、それを作業員が敷き詰めていく。少し先では円匙を使った整地が進み、鉄道の通る道が次々と整備されていく。そしてかなり先では鮎沢川に架ける漆喰の橋が整備されつつあった。これらが同時に進みつつ、作業員が時間になると交代して一日中進むのだ。
陽が落ちても続くのを、水力発電で常夜灯となった電灯の下で半刻ほど視察した氏政と親綱は、帰りの馬車で足柄に向かう道中も言葉少なだった。
「玄蕃助、あれは我らには出来ぬ」
「間違い御座いませぬ。あれほどの人足を集めることも、それをまとめることも、昼夜問わず働かせることも」
「どれだけの金が要るか、どれだけの物が要るか」
この光景が後々関東中に広がれば、誰もがその基礎的な国力の差に気づくだろう。食料でさえ御殿場から毎日運ばれてくる。そしてその食べている物の豊かさに気づく。関東の農村ではここまで豊かな食事は得られない。そして、食事の時間に行われているシステムも斬新だ。木製のお盆と漆塗りの椀を持って並ぶ作業員が食堂で食事をとる。領主が農民に課す労役とは全く違う待遇だ。これを収穫期前の水田近くで展開しているから影響は計り知れない。農村の子どもらはその様子を覗いては羨ましそうに眺めていた。彼らは仕事が終わればレールを走る自転車に作業班ごとに乗って宿泊地に帰っていく。そして交代要員が宿泊地から自転車でやってくる。人員の交代はその繰り返しとなっていた。
「谷ケ関に出来た駅も立派な物で御座います。鉄道がそこまで伸びれば、今度はそこまで鉄道で人足と資材を運ぶ心算とか」
「鉄道が出来れば鉄道が伸ばしやすくなり、鉄道が伸びる、か。このままいけば今秋に穫れた米は難しいが、来秋には年貢が鉄道で小田原に運ばれるようになるやもしれぬな」
「今は人足ですが、これが兵と鉄砲と大砲になれば……」
「名古屋からここまであっという間だ。だから過度な軍備は不要な時代なのだ」
実際、小田原周辺や北条一門は軍役を少しずつ減らしている。軍役に金をかけるなら、もっと他のことを進めたいからだ。しかし、国人領主はそうもいかない。彼らは軍備を重視し、商業を軽視する。それは鉄道が目の前に来るまで、変わらないだろう。
「馬追物に時間をかけるなら、子息を京に送る方が余程軍事に明るくなろうものを」
「生涯己の郷を出ない領主も許される時代故」
新年の祝賀も代理の親族ですませ、隣の領主にさえ会わないような引きこもり領主も現れ始めた。彼らは軍役による出兵がないため、領内に籠って領内の農民から税をとり、その税で漫然と暮らすのだ。野盗などもほぼ見かけなくなり、名目だけ領内の安全を守ればいい彼らにとって、今は天国なのだろう。
「もう少し北条の家中に現状を見てもらわねばならぬな。玄蕃助の知己に誰ぞおらぬか?」
「清水の次男とは懇意にしておりますが」
「次男ということは太郎左衛門尉か。嫡男は蝦夷暮らしが長く、実質領主代行をしていると聞くが」
「ええ。兄が家督を継ぐ気がなさそうだと困っておりますな」
兄である清水新七郎親英は北条から陸軍に参加している将であり、札幌の生活が合うためか軍人給で十分と故郷に戻る気のない様子を見せていた。
「今度連れてまいれ。武勇に優れると称された男なら、この恐ろしさもわかるはずだ」
「はっ」
今のままではまずいという感覚を1人でも多く共有し、北条という大名を軟着陸で終わらせる。
氏政はそのために、この衝撃を利用しようとしていた。
♢
相模国 谷ケ関
谷ケ関は北条氏が織田氏に駿河を割譲した後に設置された関所だ。足柄・仙石原・箱根と合わせて北条の四関と呼ばれ、置県の終わった地域との境目として人の出入りを管理していた。鉄道が鮎沢川沿いに敷設されることが決まったことでこの関所は廃止が決定した。それ以来、ここは相模側から運ばれた物資の集積地となっていた。
氏政は北条氏一門の里見親尭(北条氏尭嫡男、氏政従兄弟)や北条親綱(北条宗哲孫)らをともなってここに運びこまれた資材を確認していた。
「氏政、ここに積み上げられた木材の量、凄まじいな」
「親尭はこの普請を任されたら、如何思う?」
「人も物も多すぎる。幾つか盗られても気づかぬだろうな」
だが、この現場ではそのようなことが起きていない。ここの責任者を務める増田長盛が信長の無茶ぶりにも完璧に応え、日々資材の必要量の計算をして不足なく、それでいて資材置き場を圧迫するような物量にならないように管理していた。
「しかし、駿府側だけでなく相模側でも鉄道を敷設しても大丈夫なのか?」
「おそらくだが、彼らは冬になる前に小田原まで鉄道を繋げる心算だ」
「冬までに?」
「あぁ。中央政府は兄上の体調が芳しくないことを危惧している」
信長は北条氏親が死に、幼い当主が残された時に鉄道敷設が停滞するのを恐れている。そのためまず小田原までの敷設を最速で進め、物資も人員もいつでも展開できるようにすると同時に、北条の姿勢次第ではいつでも軍が動かせるぞという状態を維持しようとしていた。
「導三様が鉄道さえ通れば何時でも診断に行けると申されていた。今より小田原に来る頻度は増えるだろう」
「この国最高の医師が鉄道一本で何時でも小田原に来て貰えるというのは悪いことではない。冬は我らも体を壊しやすい」
名目上はそういう理由になっている。ただし、実態を氏政は正確に理解していた。駅の出入口が関所となるにせよ、人の往来ははるかに増える。生活の格差もより可視化される。それが小田原から始まるのだ。
「まぁ、悪いことではない」
少なくとも氏政の目指すところからは、悪いことではない。だから彼がそれを指摘することはない。
♢♢
愛知府 名古屋
名古屋大学で「ゆりかご実験」と称される実験が行われた。
特別聴講を許された氏政は、鉄道の敷設現場を1日離れて実験の見学に赴いた。氏政の側には数名の北条氏から留学している家臣が集まり、実験装置の準備に関わった者の解説を受けていた。
「今回の実験は『尾張の揺籠』と名付けられております。こちらに用意した5つの鉄球は鋼の糸で吊られています。この端の鉄球を持ち上げて隣の鉄球にぶつけると、反対側の端の鉄球が動き、他の鉄球は動きません」
「なんと。何故他の鉄球は動かぬのか」
「これは最初の鉄球が当たった時の力がそのまま次の鉄球、次の鉄球と伝わり、最後の鉄球だけがぶつかる鉄球がないため、最初の鉄球と同じ動きで飛び出すのです」
「ううむ。難しい」
続いて、大型の設備が用意された小屋に入る。そこにはメリーゴーラウンドのように回転する設備が静止した状態で置かれていた。設備からバネの力でグッタペルカを使ったボールを射出すると、ガラスの床に描かれた丸印に正確に落ちる。
「このように、この実験施設は球を同じ場所に正確に飛ばします。この施設を回転させると、球の軌道が大きく変わって見えます」
設備が水力で回転を始め、暫くして球がバネで同じく射出される。するとそれまで丸印に向かっていた球は別の地点に落ちる。しかし、ガラスの床の下に描かれた固定床の丸印には先程の球が落ちていることが分かる。
「設備に乗っていると球が大きく曲がったように見えます。しかし、外から見れば球の軌道は変わりません。これが地球における自転遠心力と言われるものです」
その後、大型の地球儀を使った説明も行われた。地球という言葉さえまだ定着していない世代が多い中、その自転まで実験していることに氏政はもはや驚きより呆れが来ていた。
「玄蕃助、彼らは何を求めているのだろうな」
「さぁ……?」
「以前見た水車を用いた熱量保存の法則とやらはまぁ目的がわかるものだったが、これは何とも」
実験助手らが満足そうな表情で頷いているのを見つつ、自己満足という言葉がふいに頭に思い浮かんだ氏政だった。
信長は最悪軍事力を小田原に入れられるように冬までに小田原までの敷設を終わらせるつもりです。
そのためには少々採算がとれなくても構わないと考えています。
鉄道のルートは今のJR御殿場線のルートになります。トンネル工事もやっていますがその話は次回です。
清水の次男=清水政勝です。史実と違い兄が戦死しておらず、家督を継いでいません。
里見親尭は北条氏尭の嫡男(史実では不在)です。武田氏へ人質に出ていない関係で早めに婚姻し、子どもが産まれています。氏忠らは彼の子どもではない設定です。
2つの実験はユークリッドのゆりかごとコリオリの力です。こういう高校理科で映像実験するレベルなら記憶の力で再現できているかんじです。コリオリの力は氏政視点だと知識不足でわからないので割愛していますが、オーストラリアの植民都市で南半球のデータは一部取得していて、その発表会も兼ねています。