後話7 北条氏政の憂鬱⑦ 食文化は交流と鮮度で発展する
後半は久しぶりの主人公視点です。
京都府 京都
明の大同で疫病が流行っているとの報が入った。議事堂での外務の報告に、オブザーバーとして参加していた氏政は驚いていた。
明の大同という都市が内陸の都市なのは彼の目の前にある都市の地図からもわかる。疫病が大きく流行りだしたのは3ヶ月前のことで、そこから周辺都市にも影響が出ているようだ。この情報が明から3ヶ月で来る理由が氏政にはわからなかった。国内だけであれば電信があり、台湾も連絡手段が豊富なので理解できる。しかし、北京の西にある大同の情報がこれほど早く入ってくるのは驚異的と言わざるをえなかった。
「この知らせはどのように届いたので?」
「氏政殿、こちらはアルタイ=ハーンの後を継いだホンタイジがもたらしたものですよ」
答えたのは北方担当の外務次官を務める斎藤利治。導三の末弟で初陣から天下統一まで5年しかなかったため、戦場での活躍は少なかった。婚姻相手が上冷泉家の為益の娘ということもあり、公家との関係性もあって外務の要職を任されていた。
「アルタイ=ハーンは昨年亡くなりましたが、嫡男のホンタイジがその跡を継ぎました。初めはその指揮に不安もあったようですが、ワンカオ支援の最中にホンタイジからワンカオの元に使者が訪れまして」
「それで武具などを支援したのか」
「ええ。国内では不要な武具の一部をワンカオのみでなくホンタイジにも渡しました。ホンタイジは明の熱河まで遠征し略奪によって騎馬民を大いに喜ばせたとか」
ホンタイジは1581年初頭にワンカオ経由で手に入れた木砲で長城を破壊し騎馬2万戸で直隷に侵入した。張居正死後の異動を多数行った結果、長城の前線は管理ができず突破された。董一元・劉顕率いる軍が辛うじて北京への乱入を抑えたものの、その被害は甚大なものになった。明軍は北東のワンカオだけでなく北西のモンゴルという敵を抱えることになり、情勢は悪化の一途をたどっていた。
「北方にもう一つ敵が出来たとなれば、明もワンカオにばかり兵を向けられまい。鄭松も昇龍から北上して明を圧迫しております。高平に逃げた莫氏は明の兪大猷を頼ろうとしましたが、この者は一昨年に病で没しております」
斎藤利治は大陸情勢について説明すると、目の前の地図上に青赤緑などに染まった人形が各地に置かれる。北から2勢力、南から1勢力が明に圧力をかける状態だ。これは信長が嫡男とともに対中政策として打ち立てたものだ。明が外に力を発揮する余力を奪い、女真族の国家と南北朝状態を強いる。序盤は明の力が圧倒的なので、黎朝を支援して南部でも明を圧迫する。黎朝にはアユタヤ朝タイと同様にある時期から支援が入っていた。
一連の会議を見ながら信長は満足げに頷いた。彼は隠居したからと氏政と同様オブザーバーの席に座り、隣の斎藤導三と茶を飲みながら聞いていた。時折手元の菓子に手を伸ばしては導三に窘められつつ。
「中華縮小政策、と義兄上が名づけたが、成程その通りよな。漢代は武帝の頃ならば番禺も夷狄の地だった。その頃に戻ってもらう、という事よ」
「壮族はかなり漢化が進んでいるから、そこをなんとかうまく分離できればな」
壮族ことチワン族は倭寇討伐などで明に協力していたことや首長が明によって相続を認められたことで漢と同化が進んでいる。番禺(広州)は東南アジア諸国の朝貢用の港となっている。マカオに近いこともあって経済的に発展しているが、近年は日本との関係から朝貢する国家が減って往来する船も減少していた。
「朝鮮はワンカオの勢力が拡大し次第彼らに征服させ、統治させれば我らは交易だけに専念できる。周辺関係で困ることもなくなる」
「スペインのように、大海(太平洋)を支配せんとする者を許さぬこと。そして中華を大国とせぬことこそ我が国の戦略だな」
2人の会話を何度も間近で聞いた氏政は気づいている。導三の視野の広さと信長の大局観を。関東という単位の小ささを、彼はここで徹底的に理解させられたのだ。氏政自身も九州に行った際、その距離的な遠さと鉄道・電信による心理的近さに驚いた。小田原から常陸の旧佐竹本拠・太田城まで1頭の騎馬で行くのと、鉄道で名古屋から博多の港に行くのは最早博多の方が近いのだ。
そばにいる笠原玄蕃助親綱がスケールの大きさに理解が出来ず、困惑した表情なのが氏政の視界に入った。
「玄蕃、後で仔細教える」
「はっ、申し訳ございませぬ」
北条氏の中で自分と同じ視点の人間が少しでも増えることを、氏政は願っている。
♢♢
奄美で採れた黒砂糖と蝦夷地で採れた大豆。それを混ぜて京の菓子屋である川端道喜の餅にかけたきな粉もちは議場でも大好評だった。信長が食べ過ぎそうだったので途中で注意したが、食べてみると気持ちはわからないでもない。それくらい美味しかった。
国会議が終わり、京都の屋敷に信長を迎えて夕食となった。夕食をとりつつ、話題は今日の報告の1つである蝦夷地開発についてとなった。
「蝦夷地はひとまず大豆と小麦・ジャガイモを生産しつつ、スペインから手に入れた牛から採れる牛乳とその肉が主要生産品となっているぞ、信長」
「それと、各地で穫れる鮭やスケトウダラ、鰊も鉄道で京や名古屋まで手に入りやすくなった。鰊やスケトウダラの身は肥料に、鮭といくら、数の子と鱈子は婚儀などで振舞われる名産品となっている」
「と言いつつ、いくらの醤油漬けに目がないと蝶が文で嘆いておったぞ」
「あれほど白米に合う菜はないぞ!秋は何度でも食べたい!」
各地が結ばれたことで、鮮度がある程度必要な物も各地で手に入るようになった。たらこは正月の定番食材となり、いくらも秋冬の名物となった。春頃は数の子のシーズンとなり、これらが婚儀でよく振舞われるようになった。結果として6~9月はこうした魚卵が手に入りにくいために婚儀が行われなくなった。日本でジューンブライドは流行ることがないだろう。そもそも稲作などの繁忙期だから、こういう時期には婚儀は行われていなかったから拍車をかけただけとも言える。
「まぁ、いくらやたらこが美味なのは認める」
「で、あるか!」
「だが、食べすぎは良くない」
信長は試作の水銀血圧計で計測した際、他の同年代より血圧が高めだった。塩分の摂りすぎが疑われている。この水銀血圧計は台湾や東南アジア各地で生産しているゴムノキからもっと樹液が手に入るようになれば、全国の病院に配備したいと思っている。とにかく、信長は糖分に続き塩分も控え始めてもらわねばならない。
「むぅ。心配せずとも天命が切れれば死ぬぞ」
「長生きしろと申している」
「安心せよ。孫の元服は見たいからな」
昨年俺が孫の元服を祝った時、信長も羨ましそうだったからな。まぁ、そういうモチベがあることはいいことだ。
「まぁ、大豆粕も含め蝦夷地は『米は作らないが米を育てるのに必要な地』になっていくさ」
「松前の蠣崎も、領内を通さずに舟運をされるのは困ると申して鉄道を受け入れた。札幌と釧路は義兄上の申す通り発展していくな」
石炭と樺太の中継地である札幌と、千島列島と石炭の中継地である釧路が今は発展の最前線だ。農地が拡張している地域もこの2都市と街道が結ばれている。
「あとは北条と武田か」
「武田は立地上、当面放置でいい。だが、甲斐には厄介な病があるのだったな」
「あぁ。できれば自分の代で終わらせたいところだが」
日本住血吸虫。これでどれだけの人が苦しんだか。半隠居の義信殿は一部を畑作に変えたため被害はやや減少しているらしいが、領主層が稲作を止めない限り被害は続く。
「北条は氏政が内部から変えようとしているからな。暫し任せてよかろう」
「於春も少し気にしているな。安貴が北条氏の氏光殿に嫁ぐことが決まっているし、生活面が特に心配だそうだ」
「北条氏光か。八男で水戸を任されているのだったな」
佐竹氏・江戸氏の領地だった常陸北部は玉縄北条氏の領地となった。その現当主である北条氏光は亡き北条氏康殿の八男だ。彼は北条為昌殿の養子として玉縄北条氏を継ぎ、常陸に入った。補佐役だった福島綱房殿も隠居し、甥にあたる北条氏秀が福島氏を継いで補佐役についている。
「京や稲葉山での生活に慣れていると水戸では暮らしにくいだろうな!」
「水戸はまだ都市開発の最中だしな」
まぁ、その分持参で色々と持って行かせるつもりだが、それでも於春は心配していた。息子より俺を大事に思うタイプだが、娘相手は結構過保護なのだ。
「それもあって、鉄道敷設の話は渡りに船だ。少なくとも古河まで鉄道が出るなら水運だけに頼らず物の動きも盛んになるはずだ」
「古河までは全区画一斉に敷設を始める故、安貴姫の輿入れまでにはそこまで鉄道で行けるだろうよ」
「そこからが大変ではあるがな」
まぁ、鉄道技師が全国から集まって敷設工事を始める予定だ。その工事スピードと敷設後の移動の速さで北条の国人領主には驚いてもらおうじゃないか。