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後話7 北条氏政の憂鬱② 革新の一歩にかかる手数

当分北条氏政視点が続きます。


実際にはここに表示していない国人領主が各地にいます。

挿絵(By みてみん)

 相模国 小田原


 北条氏の家臣団は各領国に北条一門を置き、その下に各家臣が配置される構造となっていた。相模は当主の氏親が、武蔵は時長が、安房は親尭ちかたかが担当するといった具合である。


 北条時長は幻庵宗哲を継ぎ、小机を拠点として東武蔵の武士をまとめていた。西武蔵は滝山城の大石氏に養子入りした氏照が担当し、名目上は宗哲配下に入っていた。氏繁は上野で北条綱成の後を継ぎ、厩橋まえばしに城下町を建設し城を預かっていた。氏邦は奉行人となるために伊勢氏に復帰しており、誰も呼ばないが文書上では伊勢氏邦を名乗っていた。他にも上総の北条綱重も同様に真里谷武田氏を継承し、対武田外交を担当する時だけ武田を名乗っていた。


 彼らの中には氏政の懸念を共有している者も多かった。しかし、坂東武士の系譜を継承しているため、完全な中央集権にはできないジレンマを彼らは抱えていた。常陸小田の小田親治、下野大田原の那須親胤、下総結城の結城明朝、下総佐倉の千葉邦胤、武蔵忍の成田氏長、武蔵世田谷の吉良氏朝などは血縁を結んでいても、政治的・経済的統合にはいたっていなかった。

 鎌倉公方と関東管領という体裁を保っているがために、こうした既存領主に手が出しにくくなっていたのだ。

 氏親が合議の開始を告げると、氏親・氏政以外の10人の中から議題が次々と出される。


「斎藤様から依頼された除虫菊の栽培は安定してきた。今年は安房で二千貫程の収入になるようです」

「輸出用の船舶を自前で用意したいのですが、大湊の造船所の方が安い状況で」


 除虫菊は浜松の工場で粉末となり、中国から伝来した線香の製法を発展させて蚊取り線香として全国販売が開始されている。特に奄美以南では大規模に使用されるため、房総半島はその一大供給地となっていた。一方で、造船技術は弘治年間末期に織田氏による大規模造船所の建設で大きな格差が生まれつつあった。いわゆる千石船より大型の船は北条氏で製造できる拠点がなく、織田氏から買いつける状況が続いていた。


「米価がどうしても安定しませんな。地域差がある状況で」

「常陸や上総・下総は収穫も安定しておりますが、戦乱が激しかった下野・上野の収穫が中々安定せず」

「上野は養蚕で少しずつ村の収入が増えていますが……」


 政府による鉄道敷設は米価の安定をもたらした。東北へも海路が整備され、近江や越前で大規模に生産された米が各地に運ばれ、日本全体の米価の安定化をもたらした。一方、関東は北条氏が直接支配する地域の街道整備は進んでいるものの、下総・常陸などで国人領主が残っているため東部と西部でインフラに差があった。それでいて東部は稲作が発展した地域が多く、国人を全滅させた上野は直接統治が進んでいるものの養蚕が根づいている。結果として東部は米が安く大型船で尾張・駿府・仙台の商人が米を買いつけ、西部は小田原や江戸に運ばれる米を買いつけて米価を維持する状況となっていた。米を買った商人は絹糸を買いつけて各地にさばいていく。儲かるのは商人ばかりで、直轄領以外から養蚕で段銭・懸銭をとれない北条氏は困っていた。そして、下野は米価高騰で厳しい状況にあった。


「虎屋(宇野家治)や小沢左馬允も銀行業で忙しく、船まで手が回らないそうで」

「やはり商家にも貢納をさせた方が」

「いや、それでは益々家中の商家が育たぬ。尾張商人に港を乗っ取られるぞ」


 一族の中でも色々な立場の人間がいるが、経済を多少理解している者は現状を何とかしたいと思っている。しかし、その方策は思い浮かばない。彼らの想像を超える速度で名古屋が、稲葉山が、京都が発展しているのだから。小田原商人が多少なりと対抗できているのは、尾張商人と違ってほとんど税をとられていないためだ。小田原で関銭などをとれば、それを払ってでも商売を続けられる体力のある大商人――つまり尾張商人らだけが生き残るのだ。

 全体が少し行き詰った空気となったところで、初めて氏政が口を開いた。


「せっかくの米が商人の利にしかならぬのであれば、いっそ我らが儲かるようにしませんか?」

「我らが?」

「鉄道を領内に敷設するのです。資金は虎屋らの銀行から集めましょう」


 それが、氏親が考えた領内経済発展への一手だった。


「鉄道を?」

「しかし、それでは箱根関の防衛が成り立ちませぬぞ」

「京都が我らを攻める気ならば、遥か昔に攻めこまれていたかと」


 関東独立に対して思うことがあったならば、そもそも直江津まで鉄道が伸びた時点で攻めこむ準備は完了している。国人領主らもぬるま湯に浸りきっている現状で、敵対的な行動はないと氏政は説得していく。


「氏政兄上の申す通りとしても、鉄道は我らの利になるのか?」


 そう疑問を投げかけたのは宇都宮を差配する北条氏康の子であり、氏親・氏政の弟である宇都宮氏忠。宇都宮氏は北条氏により滅ぼされたが、鎌倉以来の名門のため名前だけ氏忠が継承していた。


「なる。小田原・玉縄・小机・渋谷・小竹・浦和・岩槻・久喜・古河・小山・金井・宇都宮を結べば、南北を貫く道となる。その上で、宇都宮から真岡・笠間から水戸を結ぶことで、稲作地帯から直接北条領や東海道に米を運べる。その運賃を我らが受け取ることで、北条氏が直接商人たちが行っている利を得ることが出来る」


 このルートは苦肉の策だった。稲付の太田康資(現在の池袋周辺まで領有)や世田谷の吉良氏朝、結城氏や小田氏の領内を通らず、水戸と小田原を結ぶための道はこのルートしかなかったのだ。


「そして江戸と渋谷も鉄道で結べば、椎津から船の利用を最短にして上総の米を同じ鉄道で運べる。商人の利益を最小限にしつつ、湊の大きさから小田原や江戸の商人の方が小回りの利く海路となる」

「ふむ、確かにこれは良いですな。鎌倉と古河が行き来しやすくなるのは、某にとっても好都合」


 同意したのは北条氏邦。彼は普段古河で領地を運用しつつ、お飾り公方のために定期的に鎌倉に通い、小田原にも通っていた。

 一方、これに異論を唱えたのは厩橋を拠点とする北条氏繁だった。


「待て。今最も運んで我らの利が大きいのは上野の絹であろう。ならば、古河から厩橋を先につなぐ方が良いのではないか?」

「確かに、虎屋も銀行の投資先に厩橋を優先しておりますな」


 絹生産は中央政府への輸出で最も利益が出ている事業のため、氏繁直轄領では稲作より優先されていた。氏繁個人と上野の発展に限ればこの鉄道を優先する方が利は大きく、北条氏と政府の金銀バランスも維持される内容だった。


「何より、水戸まで鉄道を敷くのにどれだけ莫大な金が必要か。宇都宮までの鉄道を造る銭で厩橋まで鉄道は敷けますぞ」


 そしてこの案の最も優れた点は初期費用だ。水戸まで鉄道を敷くには総延長300km近い距離を必要とする。一方、厩橋は宇都宮までと同じ220kmの長さで小田原との間を結ぶことが出来る。しかも、笠間周辺は山岳地帯のため、鉄道敷設には倍近い費用が必要だと見積もられていた。

 この声に賛同したのが武蔵滝山の大石氏照だった。


「氏繁殿の申すこと尤も。それに、上野が安定すれば移封した佐竹や簗田らも大人しくなりましょう」


 佐竹氏は常陸から上野の国峰(富岡)に減封されていた。この地域では養蚕が盛んであり、困窮した佐竹氏の家臣も収入源に頼っていた。彼らが不穏分子になりにくい状況がつくれることで、西武蔵から彼らも監視する立場の氏照に好都合だった。

 そして、この意見について、鉄道が敷ければ利便性が増すのは変わらない氏邦は中立の立場をとるようになった。上総久留里を担当する北条綱重と安房の里見親尭は一時的に自分たちだけが米の移送に有利になることから上野ルートを支持した。

 宇都宮氏忠と水戸の北条氏光は氏政の提案を全面的に支持したものの、両者の案は氏政案3(氏政・氏忠・氏光)・氏繁案5(氏繁・氏秀・綱重・時長・氏照)・中立3(親為・氏邦・時長)となって過半数は決まらなかった。


「ではどうしましょうか?」


 11人が氏親を見る。氏政はここまでのおぜん立てをするのが最大の目的だった。当主が最終決定できる環境を整えること、二択にすることで『どちらでもない道を選ぶ』という選択肢を見せなくすること。氏繁と事前に示し合わせた計略だった。

 満を持して氏親が言葉を発する。


「先ず、どちらの案でも必要な古河まで鉄道を敷設しましょう。それだけでも上野の絹は運搬が容易になるし、上総・下総の米は運びやすくなる。それと並行してまず水戸と宇都宮の道を整備し、下野の米不足を解消しましょう」

「古河まで鉄道が来るならば、衣川を使って常陸南部の米も古河に集めた方が早くなりますな」


 衣川(鬼怒川)は銚子まで流れる唯一の川であり、小田氏の領内から古河までは川を上れば辿りつける立地だった。そのため、古河までならば特殊な船で米を運ぶことが可能だった。銚子から海路で小田原に運んだ方が早く運べるから現状がそうなっているだけで、古河まで鉄道が伸びればそちらの方が早い。古河が米の集積地になれば下野南部の米価は安定するので、陸路の整備で下野北部に米が供給できれば当面は問題ないというのが氏親の判断だった。


「氏親様の申される通りにしましょう」


 氏邦は満足そうに言った。立場上国人領主の意見に振り回されやすい氏邦(千葉氏・結城氏とその家臣が下総の大半を占める)と時長(太田康資・成田氏長・吉良氏朝という影響力の高い国人がいる)は革新的な提案には反対や中立の立場をとらざるを得ない部分がある。今回は自分たちに利があり、かつ国人の領内に負担がかからないため提案が通ることになった。


(ここまでして、やっと鉄道か。先が思いやられる)


 氏政は小さく溜息をつきつつ、氏親があとどれだけ長生きできるか不安で仕方なかった。

本日月刊少年チャンピオン2月号発売です。

来月号は単行本発売記念で巻頭カラー予定です。

是非ご覧ください。

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― 新着の感想 ―
[一言] 関東はなぁ。在地領主の力強くて面倒臭いのよね 史実では北条征伐で在地領主が一掃されて家康が一から体制作り直すことできたけど、この世界線では鎌倉以来の土地に根付いた国人、しかも相続で土地が細か…
[一言] 関東平野が機能してないな。もったいない。北条が日本の足引っ張ってる。
[一言] 小田原殿の十二人は大変ですねえ。
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