後話5 留学生と天動説 その1
最後以外は3人称視点です。
イタリア ヴェネツィア
1576年、1人の男が家族とともにヴェネツィアを訪れていた。ティコ・ブラーエ。デンマークの貴族だが、1572年の超新星について研究している天文学者でもあった。彼はデンマーク貴族としての公務を与えられていたが、公務で職人を集めている最中に商人から驚くべきものを手に入れていた。
「こ、これは……あの時の輝き!」
超新星の輝きを写した白黒の写真。そして月面を写した写真。それも自分が研究に使っている天文台から見えるより大きく写したものだ。毎晩のように観察していた彼がそれを見間違うはずがなかった。
「ど、どこでこれを!?」
「台湾という日本の島さ。紫布を買いつけに行ったら、そこに大きな天文台があってね。1カ月ほどこの星を見ていたのさ」
この商人は1572年当時台湾に滞在し、台湾に設置された天文台に興味をもっていた。台湾での交流の中で超新星爆発を知り、天文台の研究を手伝う代わりに日本国内で4番目に大きいこの天文台を利用する許可をえていた。
最後には日本で試験運用されていた臭化銀による撮影をした写真をお土産に受け取っていた。彼はこれを他の商人たちに自慢していた。
「見ることしかできなかったものを即時に描く技術……しかもそんなに大きな天文台があるとは」
「黄金の国なんて言われてますが、とんでもない。あそこには黄金より素晴らしいものがたくさんある」
彼は3日後にまた日本に向かうと言った。彼は商人としてだけでなく星を見るのが好きな人間として台湾とヴェネツィアの往復を楽しんでいた。
「わ、私と家族も連れて行ってはくれないか!?」
「えぇ!?でもブラーエ様にはご公務があるのでは?」
「もう終わっている!だから!」
彼は「しばらく最先端の研究を学んできます」という手紙をデンマーク王に送ると、生まれたばかりの娘とともに海を渡ることにした。
♢♢
台湾 台北
ブラーエは終始驚きっぱなしだった。
「なんだあの白亜の建物は」
「コンクリート?というものだとか。大砲で撃っても壊れないそうですよ」
「煉瓦より頑丈なのか」
「実際そうなのかはわかりませんがね」
「なんだあれは?」
「あれは荷物を船から直接港に持ち上げるクレーンですね」
「人夫なしで何故あの大きな箱が持ち上がるのだ!?」
「さぁ……。あれを使えるのは日本からの船だけでして。我らも名前しか知りませんので」
「な、なんだ……馬のついていない馬車……馬がいないのに走っている!?」
「あれは知りませんね……前来た時はここにはなかったですが」
「あまり驚かんのだな」
「最初は驚きましたが、ここはそういう場所ですので」
船を降りた後も、彼と家族は終始周りをキョロキョロしながらヴェネツィア商人の言う通りに動くのだった。
「ここで入国申請をします」
「入国申請?」
「この国は外から来る人を全員確認しているんです。私は以前の入国記録もあるからいいんですが、ブラーエ様は初めてなので時間がかかるでしょうな」
「関所かね?いくら払えばいいんだ?」
「いや、入国に金は不要ですよ」
「関所なのに金を払わないなら、なぜ関所があるんだね?」
意味がわからないといった様子のブラーエに、商人は「よくわからないです」とだけ答える。納得できずに彼らは日本語とポルトガル語、中国語で『入国管理局』と書かれた看板のある建物に入っていった。
♢♢
日本の入国管理局は困惑していた。管理局で働く石田正澄が窓口対応をしていたが、そこでヴェネツィア商人から言われた国名がとっさにはわからなかったのである。
「えっと、デンマークの貴族の方、ですか」
彼は窓口の外から見えない位置のデスクに世界地図を広げた。わからない時用に渡されていた地図だった。ヨーロッパの北にデンマークを見つけると、少し落ち着いて応対しつつ机の上のボタンを押す。緊急度の高い事案発生を局内に伝える赤いランプの点灯するボタンだった。
「入国の目的は?」
「ここにあるという天文台を見せてもらいたい」
「えっと、留学でしょうか。留学は現在ポルトガルとの条約で年間20人のみ認められていますが、国交のない国からは受け入れていませんが」
現在台北ではクリストヴァン・アコスタの親族らが日本の国際留学生枠で台北大学に通っていた。ポルトガル貴族もいるため貴族用寄宿舎などもあったが、そこはポルトガル語の案内板しかない。
この会話でさえポルトガル語のできるヴェネツィア商人に翻訳してもらってなんとか会話できている状態だった。石田正澄はポルトガル語しかわからないのだ。
「とにかく、もうすぐラテン語のできる人間が来るので、一旦個室でお待ちを」
「家族も入って大丈夫かね?」
「はい。むしろ一緒に」
管理上、同じ場所から来た人間は一緒にいてもらった方が都合がいい。正澄はそう考えて彼らを特別応接室に案内したのだった。
結局、管理局は電信で京都に対処法を確認し、特別視察にきた短期入国者扱いで入国を許すことになった。イエズス会はルター派のブラーエに難色を示したが、布教などの行為を禁じることで妥協したのだった。
ブラーエらが管理局の窓口に戻ると、イエズス会に所属するデンマーク人宣教師がやってきた。デンマークはルター派が隆盛し国教会以外が排除されていたため、彼はカトリック信仰を守るべく国外追放された人物だった。
「決してこの国で異端の教えを広めぬように」
「もめ事を起こさないでくれと色々な者に言われている。部屋での祈り以外は何もせぬよ」
「信じよう、一応。入国審査をかねて薬風呂に入ってもらう」
「風呂?」
デンマークではあまり風呂の文化が根づいていない。18世紀までのデンマークは出産後の子どもは体を拭かないなどの風習があった。フィンランドのようなサウナ文化もなかったため、風呂への忌避感が強かった。
「風呂はあまり好まないな」
「これについては入国許可の条件でもある。従わないなら即帰国していただいて構わない。むしろそうしてほしい」
「わかった。従おう」
♢♢
ブラーエらはホテルに設置されている大浴場とは別に、ホテル敷地に併設された検疫局の薬風呂に連れて行かれた。
薬風呂は塩素が入っており、事前に着替えていた衣類だけでなく体についている寄生虫などを駆除する目的があった。
「この水は体についた見えない悪い虫なども殺す。詳しくは知らないが」
「何故知らないならば調べぬのだ!」
液体を手ですくって飲もうとするブラーエに宣教師が慌てて止めに入る。
「や、やめよ!それは飲めない水だ!」
「薬なのに飲めぬ理由は何だ!?それも聞かぬのか!?知を求めねば人は堕落する!」
「いや、しかし」
「だから教会は堕落したと言われるのだ。騒がぬと言ったからこれ以上言わないがな」
ブラーエたちは静かに薬風呂に浸かり、その後ホテルの部屋着に着替えて部屋に向かうことになった。
♢♢
台北には外国人の立ち入り可能地域に2つのホテルを用意していた。国際観光ホテルと国際ビジネスホテルだ。料金は圧倒的にビジネスホテル側が安く、観光ホテルは部屋サイズも様々でサービスも様々だった。ブラーエが貴族であったために、観光ホテルは最上級の部屋を宛がっていた。その部屋にはダブルサイズのベッドが存在し、そこには導三入道考案のスプリング入りのマットレスが置かれていた。
余談だが、このマットレスを味わったポルトガルの副王らはこのベッドを土産に欲しがったものの、生産が難しいことなどから実現していない。このベッドがポルトガルやスペインに贈呈されるのはもう少し後のことである。
「これは、寝るときにかけると言われた毛布か」
秋も深まっているため、台湾といえども夜は寒い。彼らは案内された部屋に驚き、子どもは大いにはしゃいでいた。
「白い布、これほどの白さはどうやって……」
子どもがベッドの上を飛び跳ねる。初めての感覚に喜ぶ子ども。そばにはまだ生まれて満1歳頃の子ども用の柵つきベビーベッドもあり、案内係の女性がブラーエの妻にその使い方を説明していた。
「何もかもが我々の世界と違う。赤子用のベッド、ブリキの人形、不思議な音のガラガラ」
子ども用のおもちゃといえば木製か粘土製、陶器製の人形とガラガラが主流のヨーロッパ。しかし、ブリキのおもちゃは存在しない。ボヘミアでしか生産されないブリキはおもちゃに使われるような素材ではなかったのだ。
「ベッドの上にある回すとカラカラと鳴るおもちゃ。ラテン語の聖書。装飾つきのランプ」
1つ1つの調度品を手にとってはその精巧さを見、同じものが2つあれば双方を見比べて違いがないことに驚く。ブラーエは1時間ほどひたすら室内をぐるぐると回りながら、そうした行動をし続けるのだった。
夕方になり、室内に食事が運ばれてくる。ケータリングのカートに驚き、出来立てで運ばれてきた食事にブラーエと家族は終始驚きっぱなしだった。
「使える食器は銀製。皿も真っ白な磁器。これ1つだけ持って帰っても一財産だ」
入国時に荷物まで検査されているため、持ち帰ろうとすれば確認時にバレて捕まるのだが、それをブラーエは知らない。
工業生産されている紙を使い、この島で個人が買える物は全て紙製の領収書が発行される。それを持たずに国外への運び出しは不可能なシステムになっていた。
♢♢
神戸県 有馬温泉
妻たちと秋の温泉休暇に興じていると、緊急の連絡が入った。外務局で働いていた新七郎の息子が、こちらにも連絡した方がよいと判断したらしい。神戸から直接ここに来ていた。
「デンマーク人?イングランド人やオランダ人ではなく?」
「はっ。何やら以前の天文写真を見てやってきたそうで」
「流石に知らないな」
デンマーク人が来る理由はわからない。天文学者といえばガリレオ・ガリレイだが、歴史の資料集に書いてあった生没年ではまだ子どもだった記憶がある。コペルニクスはもう死んでいるし、ガリレオはイタリア人のはずだ。
「目的が何かを聞き出せ。目的が分かれば政府が判断できる。緊急招集となれば相談役として京に戻ろう」
「承知いたしました。京には既に連絡が届いております」
「では必要に応じて早馬をくれ。あまり出しゃばっても良くないしな」
きちんと息子たちが考えてもらわないと困る。幸いに相手は1人らしいし、外交問題を起こそうにも行動を縛ればあまり大きな問題はおこらないだろう。
しかし、時期的にそろそろスペイン・ポルトガル以外が日本と接触する可能性もあるはずなんだが、東南アジアまで来る国が少ないように感じる。オスマン帝国がそもそもこちらの想定より強大な勢力らしいとか、ロシアが滅んだらしいという話も聞いてはいるが、一体どうしてそうなっているのかはわからない。史実との違いが何から生じたかわからないからだ。違いの根元は自分のはずだが、もしかしたら他国に自分のような転生者が出ていないとも限らない。ある程度は任せつつ、特異点ともいえる人間がいないかは情報収集を続けるべきだろう。
本日、今作の漫画版が連載されている月刊少年チャンピオンが発売となっております。
また、来月号ではコミックス発売記念でセンターカラーが掲載される予定です。
コミックスは活動報告でも書きましたが10/6(木)発売です。
漫画版につきましてはニコニコ漫画様でも現在3話まで無料で読むことが出来ます。
そちらで雰囲気を感じていただければ幸いです。
(特に3話は書籍版で加筆したエピソードが漫画になっていますので、必見です)
前話までに書きましたが、イングランドのアジア進出はドレークの失敗で史実より遅れます。
イングランドはドレークの世界一周(1577)まで東洋進出する力はありませんので。
次回はコミックス発売直前に2~3話掲載予定です。よろしくお願いいたします。