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後話3 日西戦争 第11話 アチェ王国の滅亡

週1投稿がちょっと厳しい状況です。週1本原敬とどちらかは投稿するくらいの頻度になるかもしれません。


前半は三好長実視点、途中から3人称視点になります。引き続き地図は掲載します。


挿絵(By みてみん)

 ジョホール王国 カリムン島


 マラッカ海峡の東の玄関口にあるカリムン島。今回のアチェ討伐にあたってジョホールから前線基地として日本に租借された場所だ。

 ジョホールはそもそもマラッカを首都とした王国だったが、ポルトガルの侵攻でマラッカを追われ、ジョホールに首都を移した国だ。その後、マラッカの衰退とアチェ王国の侵略によってポルトガルと和睦。オスマン帝国の支援を受けたアチェとマラッカ海峡の制海権を争ってきた。

 10年前にアチェはジョホールまで攻めこんでおり、その際に王族が捕虜となるなど軍事的には劣勢が続いていた。日本がシキホルに拠点を手に入れて以降、ポルトガルの紹介もあってジョホールとは共同防衛協定が結ばれている。日本製の青銅製の大砲による沿岸台場の整備などでジョホールは防御力を高めてきた。しかし今回、オスマン帝国から大規模な軍事援助を受けてマラッカの沿岸を襲撃したアチェ王国に対し、ポルトガル・ジョホール双方から救援要請がきた形だ。アチェ王国は日本の外交使節を受け入れていないので、遠慮なく攻撃しようという中央の方針だ。状況次第ではアチェを滅ぼし、スマトラ島をバンテン王国とジョホールという友好国の支配下に固めてしまうことも考えているようだ。


「しかし、僕がここの総督になってから戦乱続きではないか?」


 こちらの問いに篠原自遁殿が苦笑する。


「それだけ世界的に戦乱が続いているということでしょう。日ノ本は天下三名人と称される亡き大殿(三好長慶)・織田(信長)執政官・導三入道の御三方の御尽力で天下泰平となりましたが、ヨーロッパは戦乱続きにございます」

「確かに、父の時代は日ノ本も戦乱続きだったか」


 実父の導三は統一までの時代を『戦国時代』と呼んでいる。物心つく頃には京都も名古屋も稲葉山も堺も平和な場所だった。戦乱は遠い出来事だったが、その頃でも父たちは戦っていた。世界中でそういう状態が続いているということだろう。


「導三入道は世界の戦乱をなくすのは難しいと申しておりました。そのためには多くの国家が参加する国際組織が必要だ、と」

「今もよくわからぬが、テルナテとの盟約を他の国とも結んでいけばいいということなのだろうな」


 とにかく、アチェ攻撃が命じられたからにはその通りに動くだけだ。今回は装甲艦5隻を主力に石炭動力の蒸気船を主体にここにきている。給炭船が先だってこの島に石炭・弾薬を供給していたので困ることはない。スールー王国で石炭が採掘できるようになったので、石炭の東南アジアでの補給が可能になっているのも大きい。


「アチェにはオスマンからの支援が届いているのだな?」

「砲兵と大規模なキャラベル船が提供されたようです」

「ポルトガルは商船以外だとナウ船が主力だったか」


 マラッカ海峡の航行を安定化させるため、ポルトガルもナウ船(キャラック船)を派遣している。この駐屯部隊が主力だ。性能的にはかなり優秀だが、数が少ない。一方、アチェ王国はかなり大人数のため、小型の船でこちらをかき乱す作戦とみていい。ジョホールは先日の襲撃で主力のナウ船を失っており、今回は陸上から地続きのアチェ西部にある貿易都市・パダンを攻略する予定だ。こちらにも日本の陸軍が大砲部隊(部隊司令官:明智光忠、光秀の従弟)を派遣している。ジョホール王国としても、ポルトガル以上に苦汁をなめさせられたアチェに攻勢に出られる機会ということでかなり気合の入った動員をしている。


 夜。補給が終了し、先行している陸上部隊にこちらの出発を告げる花火を発射する。バリサン山脈で陸軍側の観測員がこれを確認し次第進軍を開始するはずだ。


「明朝、出発する!」

「はっ!」


 旗艦以外の4隻の装甲艦を指揮するのは島津四兄弟の末弟・島津家久。村上水軍出身の村上元吉。安宅水軍の森村春。根来衆だった津田つだ算正かずまさである。


 ♢♢


 マラッカ海峡北部


 アチェ王国はオスマンからの支援含むキャラベル船を130隻用意し、この海戦に臨んだ。大砲が勝敗を分けると理解していたため、配備した大砲は各船に4門と当時からすれば絶大な量であった。オスマンから滑腔砲の支援を受けていなければこの装備は存在せず、日本がいなければスマトラ島とマレー半島を制圧するのに十分な武装だった。

 そんな彼らの前に現れたのは、日本海軍の装甲艦だった。榴弾の開発がまだされていない木造船のアチェ水軍に対し、開発途上とはいえ榴弾砲を装備し表面を鉄板で防御した日本海軍。その戦いはその後の世界における海戦の基本を示すことになった。すなわち、より遠距離から敵を狙い撃ち、敵の攻撃で壊れない船体を用意する。当たり前のようで、『壊れない船を造る』という思想はこの時代には実現できないと考えられていた。それが実際に『壊れない船』を用意したのが日本となったのだ。

 この船の性能差に誰よりも早く気づいたのが島津家久だった。彼はアチェの小型砲の大きさを確認すると、自身の船がほぼ攻撃で傷つかないことを見抜いた。そのため彼はあえて自分の装甲艦を敵の最前線に突撃させ、正面・側面の3方向で砲撃を加えていった。


「敵船に乗りこむような戦はできぬが、これはこれで面白い!」


 轟音とともに次々と砲撃を加え、アチェの船を沈めていく。アチェ側も砲撃を返していたが、その砲弾は船の外側の鉄板による装甲をへこませるものの、穴が開くような損傷は与えられない。榴弾砲による爆破と大砲の威力によって島津の装甲艦の周辺の船が大破・沈没していく。これに続くように他の装甲艦も接近して砲撃を加え、それ以外の船も大砲を撃ちこんでいった。この時のマラッカ海峡は強い潮の流れがなく、無風に近かった。そのせいで帆船は進むのも戻るのも時間がかかるため、アチェの船は蒸気船による高速移動に対処できなかった。決して広くない海峡に密集していた船は本来大砲による弾幕を形成し、数で連合軍を圧倒する予定だった。しかしその大砲では大きな損傷を与えられない船が最前線に陣取り、一方的に砲撃されたことで作戦の前提が崩壊した。さらに、日本側の大砲の方が性能が高かったため、長距離砲撃による大まかな攻撃でもアチェ側にはダメージを与えることができた。


「篠原、島津殿には予め遠距離から相手の砲の届かぬ場所で相手の密集地帯に砲撃して倒そうという話をしてあるよな?」

「ええ。しかし同時に『相手が崩れたら接近戦にもちこんでもよい』とも申しておりました」

「こういうのは拡大解釈と言うと父上が申していたな……」

「軍令違反とは言い難いですが、あまり独断専行を許しすぎても統制が取れなくなりますな」


 本来の作戦ではおそらく後方のアチェ軍はほぼ無傷で撤退できただろう。しかし島津家久は相手の布陣と自身の船の性能から「作戦目標」であるアチェ海軍の壊滅には自身が突っこんで相手をかき乱すのが最上と判断した。結果としてそれがアチェの混乱を引き起こし、逃げられる状況ではない戦場を作り出した。


「まぁ、そのあたりの塩梅はまた戦が終わってからか。いくら島津殿といえども立て続けに砲撃を受ければ船がもたぬ」

「後方の木造船からも敵船には損害が与えられています。森(村春)と位置を交代させましょう」

「それで頼む」


 旗艦から各船の後方にいる通信兵に手旗による指示が行われる。島津家久は交代の命令に素早く場所を明け渡した。彼も自分の装甲艦が沈むわけにはいかないと考えていた。交代は文字通り渡りに船だった。


「敵船を50は落とした。十分十分!兄上たちに胸を張って報告できるというものさぁ!」


 堅い木と鉄板のおかげで守られたとはいえ、見た目にも船に損害が生じていた。しかし決して沈む可能性がある損傷ではなかったため、家久はそのまま後方から砲撃に加わりつつアチェの船を沈めていった。ジョホールの小型船がこれに続いて突撃を開始し、至近距離から砲撃を加えて一気に勝負を決めにいった。


 開戦から2時間。アチェの船は4割が沈没し、4割が大破して沿岸に流れ着いた。一方、日本は島津家久の装甲艦が中破、森村春が小破のみ。ポルトガルのナウ船が2隻大破1隻中破、ジョホールの小型船が大破6,小破15となった。ジョホールは単体では勝てない練度であることを改めて露呈したが、日本の支援によりアチェの海軍を事実上無力化することに成功したのだった。


 ♢♢


 スマトラ島 バンダ・アチェ


 アチェの首都であるバンダ・アチェ(クタラジャ)はスマトラ島の最北端にあり、港湾都市として大いに栄えていた。バンダ・アチェはスマトラ島の胡椒が一挙に集まる拠点であり、イスラム商人がここからインドまで胡椒を運び、ヴェネツィア商人によってヨーロッパに運ばれていた。つまり、バンダ・アチェはヴェネツィア商人にとっての胡椒市場の要衝であり、ポルトガル商人がスマトラ島からは胡椒を入手できない理由でもあった。マラッカ海峡の出入口でもあるため、この地を中心にアチェ王国は大きく繁栄した。当然、イスラム商人の出入りが多いことから東南アジアでも最初期にイスラム教化が進み、宗教的な対立がジョホール・ポルトガルとの対立にもつながっていた。


 そんなバンダ・アチェの沿岸に、日本とポルトガル・ジョホールの連合軍が現れた。既に敗戦を聞いていたアチェのスルタン(王)であるアリー・リアーヤト・シャー1世はアチェ王国第二の都市・パダンへの脱出を考えていたが、そこにパダンの陥落という報告が届いた。パダンを攻めたジョホールの部隊は明智光忠の大砲による支援を受けて都市防壁を突破。山側から海へと押しだされたアチェの軍勢は海路でバンダ・アチェに逃走したのだった。


 既に最大都市2つを失い、海軍も崩壊していたアチェ王国には降伏と全滅以外の選択肢は残されていなかった。全滅を拒否したスルタンの弟であるムガルとゴリが宮殿内で反乱を起こし、アリー・リアーヤト・シャー1世は死亡。スルタンの近衛兵によってムガルは討たれ、ゴリは進軍したジョホール兵に捕縛された。

 内部の反乱でほぼ無抵抗状態だったバンダ・アチェにジョホール軍と日本軍が上陸。反乱であがった火の手を消火した上で占領とアチェ王国の滅亡を宣言した。


 また、同時期にマレー半島でもジョホール王国がアチェに協力的だったペラ地方の征服に軍隊を派遣しており、沿岸からアチェ海軍の大敗を見ていたペラのスルタンであるマンスール・シャー1世は降伏した。これによってアチェ王国と関係の深い地域が降伏し、スマトラ島の北部とマレー半島南部はジョホール王国によって統一されたのだった。領内は日本側との約束により信仰の自由が保たれたが、ジョホールは香辛料貿易を独占するようになり、その利益を日本と享受することで長き繁栄を築いていくことになる。


 一方、海路の問題が完全に解決していないポルトガルは、交易都市としての有用性が低下したマラッカをジョホールに返上する代わりにジョホールと日本の支援をえてインドまでの航路を守ってもらい、これまで東南アジアに駐留させていた艦隊をアラビア半島近海に派遣する計画を立てはじめる。東南アジアでの影響力は低下するものの、日本がこれ以上勢力を西に伸ばすのも許容できないポルトガルとしては航海の安全を日本に押しつけられるという意味で良案だった。インド方面の権益を確保しつつ、航路を安全にしてポルトガル人居留地さえ保障されれば香辛料貿易で大いに儲けられる。日本とは友好でいつつあまりヨーロッパ近辺まで近づいてほしくないポルトガルは、これ以後遠交近攻政策の基本としてベンガル地方以西に日本が影響力をもつことを警戒するようになっていく。日本側も大平洋政策を中心とした関係でインド方面に関与する余裕はなく、当面の間両者はベンガル地方を相互不干渉地帯として友好関係を継続していくことになる。

明日7/6(水)月刊少年チャンピオン8月号にて第5・6話掲載されます。よろしくお願いいたします。


アチェ王国については19世紀にオランダに滅ぼされるまで残っていた国家で、実は明治時代まで存続しています。ほぼ名前だけですが、その時代までスマトラ島の香辛料交易を利用して繫栄していました。本作ではかなり早い段階で滅びますが、王族は生き残っています。

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