後話3 日西戦争 第0話 倭寇壊滅
お久しぶりです。詳細は活動報告またはツイッターでご確認いただきたいですが、本作のコミカライズが来月から連載開始されます。皆様よろしくお願いいたします。
山城国 京
1573年、日本の長崎にやってきた明の貿易商・李旦から報告があった。京都にいた信長と美濃にいた俺に電信によってもたらされた報告は、倭寇に関するものだった。鉄道ですぐさま京に向かうと、すでに主だった閣僚は京の政庁に集まっていた。
「林鳳という海賊の親玉が、台湾沿岸に現れたと聞いたが」
「おお、義兄上。久しいな。いやなに、李旦の知り合いだそうだ」
「倭寇か。正直、倭の文字が入っているのが不快な連中だが」
「然り然り。潰してもよいのでは?」
「李旦の懇意にしていたのは平戸の松浦氏か。九州征伐で国替えに応じた数少ない領主だな」
九州征伐の際、国替えに応じた宗氏と平戸の松浦氏は対馬の防衛拠点と台湾統治において水軍をほぼ丸ごと再雇用している。そして貴族院に九州で唯一名を連ねているのが松浦隆信だ。島津一族のように海軍の要職などに入ったわけではないが、息子の康信(鎮信という名だったが、大友滅亡と同時に三好兄弟で現台湾総督の安宅冬康殿の息子安宅信康殿から偏諱を受けた)は海軍のガレオン船を1隻任される「提督」の一員だ。
ちなみに島津前当主の日新斎殿が亡くなった昨年来、島津氏は貴族院に誰も議員を送っていない。もう2,3年したら島津義虎殿に日新斎殿の議席を継がせたいようだが、今は義虎殿の子が幼いため義虎殿の薩州島津氏の地位を万全にすべく政府での仕事に専念するそうだ。
「で、隆信殿は如何お考えで?」
「煮るなり焼くなり、ご随意に」
一切の迷いなく、松浦隆信は言いきった。陸に上がってまだ2年の彼は、今も日に焼けた浅黒い肌と筋骨隆々とした体躯を保っている。眼光も鋭く、よく神戸まで鉄道で向かって潮を見ているそうだ。
「われらのためになるから李旦と商いをしてきたまで。倭寇を徒に助けて、明と揉めたいわけではございませぬ」
「で、あるか」
「何が大事かを誤ってはなりませぬ。康信も、それは重々承知の筈にて」
本来、自分の利権というものは手放したくないものだ。しかし、目先の利権にこの男は囚われていない。九州遠征の決まる前から宗氏とともに三好に接触してきていただけのことはある。
「では、台湾には林鳳を打ち払うよう命じよう。香宗我部(親泰)、安宅殿に連絡を」
「はっ、今はまだ奄美までしか電信が通っておりませぬ故、鹿児島から念のため海軍の援軍とともに台湾へ向かわせましょう」
「それでいいか、海軍元帥(小早川隆景)?」
「何も問題ございません。向かわせるのは六番艦隊の奈佐(日本之介)殿が宜しいかと」
信長の命令で、海軍中将・香宗我部親泰が答える。最終決定は海軍元帥の小早川隆景と信長だ。
「では、この旨李旦にも伝えよ。念のため、松浦殿にその任お任せしたい」
「はっ」
まぁ、この程度なら俺が何か決定することはないわけだ。大事なのはここにいることってね。
♢
奄美から琉球までの電信を敷設中の現在、琉球の名門だった子息が京の大学で勉強中だ。尚元王の子である尚永・尚久兄弟などがここで学んでいる。鉄道に乗って京まで来た彼らは、すでに明より日本の方が強いと考えている。貴族院の議席を尚永が、後々の衆議院の琉球議席を尚久が手に入れられるよう、今から努力しようと必死だ。
「昨年は父の病に琉球まで医師を派遣していただき、助かりました」
「いやいや、尚元王の危機ならば、それくらい苦でもないですよ」
「今も予断は許しませぬが、年を越せたのは竜作様のおかげでございます」
最初は俺が海を越える話もあったが、万一にも船が座礁したら困ると信長や龍和に止められた。そのため医師としての一番弟子である瑞策の息子で3代目の驢庵を襲名した半井瑞桂が琉球に派遣されているのだ。
「今、琉球にいる池城親方や国頭親方は鉄道も電信もご存じです。故に日本の一部となるのが最上と理解しております」
「ふむ」
「しかし、ここ2,3年で明の留学から帰ってきた者の中には日本を軽く見ている者もおります」
「ほうほう」
「浦添親方や花城親方も、ご高齢で九州に渡るのも苦しい故日本の力を知らず、昨年の留学一行に一族を出しませんでした」
「あぁ、そういえばそんな地域もあったな」
琉球でも若い層は直接うちの軍勢を見ているし、奄美での戦いも知っている。本州に来たことがあれば鉄道も見ている。そうした層はどんどん一族を京や博多に派遣してうちで学び、同化をむしろ推奨している。しかし、旧来の明寄りの人間や高齢層、そして今回判明した明留学から帰ってきた層が反発しているらしい。
「正直、我らはもう王を名乗る気はないのです。海禁政策で明は我らに何もせぬ上、台湾で交易ができる以上、琉球の一部を海軍の基地としつつ中継貿易や砂糖・ゴムの栽培で儲けるのが一番琉球を豊かにします。ですが」
「理解できぬ者も多い、か」
「特に昨年琉球に戻った鄭迵なる者、もともと聡明でしたが、明から戻ったら日本の下につくなど愚かだと首里にて騒いでいるようで」
まぁ、明に留学して明の人口や都市の大きさをその目で見て世界を知ったつもりで戻ったら、琉球は日本の一部になったのでもう明のパイプ役はいらないよでは彼らも納得できないか。
「もし可能なら、その鄭迵もこちらに呼べないか?」
「弟がいるので、弟ならば留学可能な歳かと」
「では弟から意識改革だな」
まぁ、文化面で明の方が優れている!と言われればぐうの音もでないのは事実だ。そういう方面ではぜひ明で色々学んできてほしいところだけれどね。
♢♢
安芸国 呉
数名の閣僚と鉄道で呉まで移動した。呉の海軍基地と造船所の上流にはダム式の水力発電所が稼働を始めている。呉の基地に電力を供給しているが、電灯と一部機械の稼働に使用している。一昨年初めて揖斐川支流で試作した水力発電所の動作が安定したため、必要箇所に続々と整備している。都市部と鉱山を優先しつつ、軍事拠点も整備している。使用している水車はフランシス水車だ。医科大学の生理学では流体力学の授業がある。その延長線上で人工心臓や一部の流体機械は学んでいた。そこで知りえた知識だけでは足りない部分も多かったが、第一線を退いてからは研究主体になっていたのでなんとか形にできた。
そんな呉の発電所がもたらす電力で、呉の基地は溶接の研究をしていた。アーク溶接という言葉は知っているものの、それを実現するのはまだ研究段階だ。これができれば完全な装甲艦が完成する。
溶接の研究班は煙ガラスの中でも黒の濃いものでつくった溶接面で作業をしている。美濃でも採れるが、きちんとガラス代わりになるものはかなり希少だ。
「何か溶接に必要な材料があるかもしれない、とのことで。色々試しておりますが」
「簡単にはできないよなぁ」
「鉄板を貼りつけただけのガレオン船はできましたし、蒸気船の試作も進んでいると聞いております。我らのみ成果がなく、申し訳ございませぬ」
「いや、俺も知らぬことをさせているのだ。焦らなくていい」
残念ながら、俺の知識には限りがある。和三盆だって名前だけしか知らなかったため、サトウキビが育たず研究は中断したままだ。漢方の原産地だってすべては知らないから手に入らないものもある。「サドオケラ」は佐渡島にあると思っていたら中国原産だったとか、そういうこともあった。
「大砲班はどこだ?」
「向かいの建物ですな」
「試射をするのか」
「なんとか着弾と同時に爆発させたいと申しておりますな」
もう1つの要となる大砲の改良も、ここと美濃で同時に進めている。毎月相互に人材が交流しつつ競争させている。船も呉と神戸で競争しているが、いろいろなアイディアがでるので俺も楽しんでいる。産業面でも利用できるものも出るので、少しずつ産業革命が進んでいるといえる。起爆剤の雷酸水銀自体は異性体の化学の授業で習っていたのだが、鏡制作現場での銀鏡反応の失敗と化学用の教科書の作成で頭の中で知識の結合しなおしができたかんじだった。
「場合によっては、実戦投入が倭寇相手になるかもな」
すでに増援の艦隊は出発している。状況次第では追加もありえるし、結果次第では試射の部隊を連れて行けるか。
そんなことを考えていると、電信兵が視察中の俺たちのところに走ってきた。帽子の色で判別できるのはわかりやすくていい。
「台湾の安宅冬康様、倭寇の林鳳が漁民を攫おうとしたため台湾艦隊で撃退したとのこと!」
「ありゃ、増援は不要だったか」
「南に逃げたとのことです」
「となると、マニラが心配ですな」
外務卿の役人である高山右近が声を出す。彼はキリスト教徒かつポルトガル語がわかる人間として、2年前マニラに行った経験の持ち主だ。
「すでにアユタヤ朝とは交流を始めているのだろう?」
「アユタヤの王は戦の最中らしく、火縄銃を売ってくれと申しております」
「旧式化しそうな銃は北方で猟銃として使うのが基本線なんだが、全部は要らないのも確かか」
「執政官は多少なら友好を結ぶのに安いとお考えですが」
「まぁ、俺たちから買わないならポルトガルやスペインから買うか。信長の言うことも尤もだ」
ブルネイのスルタンも火縄銃を欲しがっているらしいし、どこも武器は欲しいものなのかもしれない。
海軍元帥小早川隆景殿が海軍の地図を広げる。少し思案した後、その場の将官に命じる。
「シキホル島の(織田)信興殿に至急連絡だな。それと、鹿児島の増援部隊はそのままシキホル行きだ。今のシキホルの兵数では倭寇の船団相手は厳しい」
「視察は終わり。また京にトンボ帰りかな」
「導三様はこのまま湯布院に参りたいと申しておりましたが、当てが外れましたな」
「これなら有馬で温泉に浸かっておくべきだった」
「有馬では京に近い故、いつ執政官殿に呼び出されるかわからぬとこちらまで来ましたのに」
言うな。後悔はいつだって先に立たないのだ。




