後話1 海の向こうを見据えて
原敬の方もですが、投稿する時間が、とれないのです!
天正7(1570)年
台湾島 台南
天正7年夏、1人の男が日本領台湾へ上陸した。彼の名は、フランシスコ=カブラル。イエズス会の宣教師である。
『この国には司教座が置かれていますが、フロイスのような若造が次の大司教候補とは気に入りませんね』
彼は次の日本教区大司教位を狙ってこの地にやってきた。総司教も数年以内に設置されることが決定している。ここで自分が布教成果を見せれば、一気に枢機卿への道も見えると考えていた。
『金はあるようですし、しっかりと教えを説けばすぐにこの島国の民は、我等の正しい教えに目覚めるはずです』
♢♢
大分県 府内
彼はイエズス会が正規の手続きを進めていたおかげですんなりと上陸して、九州で教会のある豊後・府内に入った。府内には既に新しい政治体制に合わせた政庁があり、その湊の一部は石造りの埠頭になっていた。
『何やら珍妙な建物が多いですね。しかも平たい建物が多いですし』
地震が発生しやすいため、政庁の建物以外に複層の建物はすでにない。彼はそのまま教会へ赴き、着任を伝えた。
『お待ちしておりました、カブラル様』
『うむ。私が来たからにはこの国の皇帝への戴冠も教皇聖下の役目となるだろう』
『この国は少々特殊ですので、布教にも注意を払う必要があるかと』
『そう言えば、なぜ君たちは絹の服など着ているのかね?それに、この国の民が修道士になれるとは一体どう言う事なのか?』
彼は清貧という思想においてはカトリックにどこまでも忠実だった。しかしイエズス会は、台湾では居留地のため清貧を守っていたが、日本国内では他の宗教との関係から絹服着用となっていた。そして、この頃フロイスらによってつくられた和訳聖書は、日本人修道士による布教を可能にしていた。
『すでにこの国では、多数の聖書がこの国の言葉で発行されています。それによって彼らは、聖書をきちんと学んでおります』
『ラテン語も読めない者が修道士になるなど言語道断だ!すぐに辞めさせるべきだ!』
『え、いや、これはすでにローマにもお認め頂いたことで』
『献金でうやむやにしたのだろう!私は誤魔化されんぞ!その絹の服もこの島国の連中にもらった賄賂か?』
『な、なぜそうなるのです?カブラル様にも、この国に入国する上での注意がまとめられた書面が渡されているはずですが』
日本へ派遣される宣教師は、文化の違いを理解するためにリーフレット上の注意書きを読むこととなっている。しかし、カブラルはそれを不要と判断し読んでいなかった。
『極東の島国に迎合しようとするな!我等は我等の正しい文化を、この島国の民に教えれば良いのだ!』
『どうやら、カブラル様は少々お疲れの様子。今日はお休みになられては?』
『ふん。まぁ確かに疲れてはいる。今日は休ませてもらおうか』
カブラルはそう言って自分に割り当てられた部屋に入っていった。
『おい、至急神戸の大司教様に連絡を!政庁の宗教課に依頼して電信を使わせてもらえ!』
『わかりました!』
『この男がこの国にいては、布教に支障を来す。すぐに本国かゴアまで送還してもらわねば』
この年、神戸から淡路島経由で四国まで、そして下関から門司までの海底ケーブルが敷設されており、府内から神戸まで電信が接続していた。府内教会の面々はこのタイミングでの出来事だったことを神に感謝していた。
翌日。カブラルは、イエズス会日本教区大司教の命で拘束され、即日台湾行きの船で台湾へ送還された。そして報告書によって、派遣される宣教師が読むべき事前情報を無視した行いが糾弾されたカブラルは、インドで布教活動を担当することになったものの、イエズス会本部に『他国の状況を把握しながら布教を進める能力がない男』として認識され、生涯管区長への出世などはできなかった。
♢♢
長崎県 佐世保
佐世保の造船所では、戦列艦の建造が進んでいた。左右に大砲を各10門、正面にも主砲を備えた戦闘能力重視の船だ。船の側面には鉄板が貼りつけられ、火矢や火縄銃程度では傷一つつかない。この造船所の総責任者となっていたのは、小川壱岐守祐滋。近江出身で、学校で優秀な成績を修めて海軍に入り、軍需部門に配属されていた。そして、彼と協力して佐世保に鉄などを運びこんでいるのが、博多商人島井宗室だった。
「明との間で揉めたとしても、即時対応するためには戦列艦が対馬と台湾に各10は必要。呉も稼働したとはいえ、このドックは重要だ」
「安濃津の砲工廠から明日主砲が3門出荷されるそうで御座います。1門はこちらに、呉に1門、別府に1門との事」
「別府造船所は来年稼働だが、最初から戦列艦建造か。海軍予算は潤沢だ」
東南アジア諸国に対しては友好関係を進めているものの、信長はスペインという国を、知れば知るほど信用できない国、と判断していた。スペインが東南アジア諸国を属国化して日本の勢力圏を脅かすことを危惧した彼は、義龍に相談しつつ海軍力の増強を進めていた。結果として、元水軍出身者はほぼ完全雇用の状態となり、一部の織田・三好家臣や大友旧臣の吉弘一族からも元々の繋がりから海軍に入る者が増えていた。
「国内の戦乱は終わりましたが、世界中で戦争は続いています。いつ戦乱に我等が巻き込まれても、対応可能な状態を維持しなければなりませぬな」
「まぁ、政府物資の運搬を無償で行う条件でガレオンが1隻頂けたので、うちとしては商いが捗りますが」
「戦時にも、そのガレオンでの物資の運搬が義務だからな。頼むぞ」
「御任せ下さい」
博多商人は、各種の手伝いを条件にジャンク船やガレオン船を与えられ、博多は急速に復興し始めていた。長崎が明・李氏朝鮮の人間が出入りできる貿易湊となり、博多はそこで交易される商品の集積地であり、また軍需物資の集積地でもあった。博多東部には一部工場建設が始まっており、活気が戻ってきていた。
「伊万里には美濃焼の職人が派遣されて佐嘉の城下復興と共に産業振興が進められているし、九州はどんどんと復興を超えて大いに発展出来るでしょう」
「龍造寺一門が佐嘉知事になって斎藤様との繋がりが強くなった故な」
「炭鉱は蝦夷地も三池も筑豊も常に人手を募集中ですから、多くの者が町で金を使ってくれて我等も店子が人手不足で御座います」
「商売繁盛、何よりだな」
この九州北部の大規模な復興の様子を見て、相良や阿蘇も驚いている。政府が大規模に金と人を使えば一気に発展していくことを、まざまざと見せつけられているわけだ。新しく政庁都市として造りはじめた日向県の宮崎なども、火山噴火が原因とはいえ急激に都市整備が進んでいる。
「この様子を見れば、早い段階での置県がどれほど利が大きいかが解り、敏い者程早く乗って来るだろうな」
「商人としては、県であれば関銭無しですので、今後も置県が広がる事を願うばかりに御座います」
「そうだな。県内であれば移動が自由になった。行く行くは県外への旅なども可能になるだろう。夢は膨らむな」
「手前共が目指すは、亜細亜一の大商人。次にガレオンが頂けたら、アユタヤに船を出す心算で御座います」
「いいな。某も、大きな職務をドンドン務めていきたいものだ」
後に島井宗室は東南アジアに30の拠点を築き、アジア随一の商人となる。小川祐滋も参謀本部の軍需次官に上り詰め、中将の称号を得るようになる。第1次日西戦争時は軍需物資の調達と輸送で活躍し、海軍元帥安宅冬康に激賞された記録が残っている。