第31話 鷹司御家騒動と初めての反抗(中)
いつもより長めですがお付き合いくださると幸いです。
途中に入れてある合戦関係地図は下手ですが、参考にしていただければ幸いです。
美濃国 大桑守護屋敷
年が明けた。天文7(1538)年である。新年最初の行事は太守土岐左京大夫頼芸様の嫡男猪法師丸様の元服だった。
「本日より、名を土岐二郎頼栄と名乗るがよい。」
「ははっ、土岐の次期惣領として恥じぬ行いを心がけます。」
美濃国中の国人だけでなく、尾張の斯波や近江の六角、伊勢の北畠、更には幕府からも使者がやってきて祝いを述べていた。揉めている朝倉や情勢不穏な京極は来なかった。
「二郎様、おめでとうございます。」
「「おめでとうございます。」」
守護代である斎藤帯刀左衛門尉利茂と父斎藤左近大夫利政が祝いの言葉を述べると、国人衆とモブの俺みたいな人間も合わせて頭を下げ、お祝いをする。
「うむ、私が次代の土岐だ。我が命にきちんと従うように。」
高圧的な雰囲気に国人衆からはひそひそ声が聞こえてくる。
「あれで大丈夫なのか?例の碁会では作法を守る気がなかったと聞く。」
「小姓にも威圧的で、よく手が出るらしい。側仕えの娘を囲う気もないのに手を出そうとしたとか。」
「初陣がまだだからと早く人を斬りたいと言って憚らぬとか。」
「土岐の書画を全く練習もせずにいるとも聞く。」
「名家の神輿には神輿なりの振る舞いというものがあるというに。」
聞こえてくるものは全て良くない噂だ。事実もあるが、初めて聞いた真偽不明な噂もある。本人に伝われば歯ぎしりが強くなるだろう。ストレス溜まる不快な音だ。長生きにストレスは大敵だというのに。
元服の儀が無事終わった後、大桑で滞在に使う屋敷で父と叔父から鷹司の御家騒動について新しい動きを教えられた。
「猪法師丸……二郎様が秘かに二位殿に連絡をとっていたのがわかった。」
「太守様が仲直りするよう両者に書状を送ったのは聞きましたが……。」
「兄上が得た情報によると、戦になれば自分が味方するという内容だったらしい。」
「は?」
思わず目が点になった。何考えているんだあの歯ぎしり御曹司。
「書状では左衛門督殿を国人に阿る愚か者と称し、土岐に忠節を尽くす二位殿こそ真の武士であると激賞していたそうだ。」
「まだ書状は外に出ていないのですよね?」
「一応、な。雪解けとともにその書状を用いて二位殿が周辺に兵を募り、一気に片をつけるつもりらしい。内々に知らされたという複数の国人から相談された。実物は見ていないらしいが。」
次期美濃太守からの支持を取り付けた二位殿は、その宣伝力で周辺の土岐に従順な国人を動員しようとすることになる。これでもし国人の一部がより強い反発を見せれば美濃国内は一気に戦乱へ逆戻りしかねない。
「で、その書状で二位殿に味方しようという国人はいるのですか?」
「いない。揖斐や鷲巣すら今は静観の構えだ。彼らは愚かではない。元々同調しているのは太守様の側近、それも兵を持たぬ者ばかりだ。」
「えぇぇ……。」
人望なさすぎない?二位殿。
「最早悠長に和睦を訴えている場合ではなくなった。書状が明るみに出て二位殿が負けたら土岐の威信も地に堕ちる。肚をくくれ、新九郎。」
「父上はどうなさるおつもりで?」
「二位殿の屋敷に透破の中で潜入に長けた者を送る。書状を奪って直接のしるしたる書状さえなければ、後は二位殿を押さえれば放言としてなかったことにできる。」
「雪解けとともに動くぞ。覚悟せよ新九郎。」
なんだかとんでもないことになってしまった。これも全部歯ぎしり御曹司の二郎って奴が悪いのだ。
♢
美濃国 大桑城
2月も半ばを過ぎた頃、父に叔父と平井宮内卿信正のいつもの4人での密談に呼ばれた。
「書状の在り処は二位殿の傍にいたこちらに通じている者の手引きで手に入れた。書状のことは周囲に大事に隠してあると伝えているようだ。」
「殿のおかげで、実物がない限りいくら彼の御方が言い広めようと妄言と切って捨てられましょう。」
「しかし、二郎様が認めては困りますね。」
「新九郎、そのためにも時間との勝負だ。太守様には既に兄上から話をしてある。しばらくは理由をつけて表には出さぬそうだ。」
「左衛門督とも話がついている。雪解けとともに兵を送る。」
つまり損切だ。太守様も二位殿を庇いたいが息子が暴走したのではどうしようもない。美濃を割れば越前にいる兄とその子土岐次郎頼純が動き出す。それは避けようというのだろう。
「わしは太守様と猪法師丸様を抑える。道利には稲葉山城を頼む。」
「任せろ兄上。」
「えっと……」
「新九郎は宮内卿と共に援軍に入ってくれ。」
え。聞いてませんよ。
「安心せよ。うちの精鋭を300率いる貴重な経験だぞ。」
「お教えした通りに進めていただければ、不測の事態には対応いたしますゆえ。」
笑い方が怖いぞ、そこの兄弟。宮内卿も普段の温和な雰囲気はどこへいった。戦闘民族SAMURAI怖すぎ。
♢
美濃国 多芸郡・大墳城近郊
雪解け間もない3月上旬、鷹司御家騒動の決着をつける戦いが多芸郡椿野で行われることになった。
「まだ寒さが残っていますね。」
「雪の残り具合は予想通りですな。」
行軍の途中も落ち着いた雰囲気の平井宮内卿信正を見ながら、殺し合いとか何故やらなければならないんだとか前回覚悟決めていたのに中途半端な初陣だったせいで却って今回覚悟が決まらないとか色々考えていた。
「守護代様にまでご迷惑をおかけしたこと、真に申し訳ない。」
鷹司左衛門督政光殿は兄の二位殿とはあまり似ていなかった。二位殿はいつも公家の様な服を着ていて丸顔だった。
左衛門督殿はどちらかといえば四角い顔で肩や腰回りががっしりしている。環境の違いが体格に出ているようだった。
合流した彼は事あるごとに「申し訳ない」をくり返す。兄が「おじゃる」をくり返すのとこれまた対照的だ。
「左衛門督殿、此度の戦はどこに布陣する心算かな?」
「宮内卿様、某はまず岡ケ鼻山の篠塚神社に布陣する予定です。」
岡ケ鼻山は前世では象鼻山と教わった場所だ。関ヶ原の合戦でも軍勢(誰かは聞いたことがない)がいたらしい。
この山には篠塚神社という神社が中腹にあるため、その近辺で本陣を作るらしい。
「新九郎様、戦は高所をとれば良いわけではござらぬ。どこで戦うかを考えて、そのために最適な場所をとることが肝要と言えましょう。」
「今回はその山で宜しいのですか?」
「一番大事なのは西側に布陣することですな。主戦場となるであろう椿野の東側はまだ雪が多く、多くの兵が並ぶには適しておりませぬ。」
「なるほど。」
椿野は本家鷹司家の荘園がある場所だ。ここを押さえることで両者は自分が当主に相応しいと主張したいため、ここが決戦の場になるのは確実だ。
一口に戦場といっても色々あるものだ。今回の戦場は政治的な立場から選ばれている。
そして椿野西部は開拓が進んでおらず、雪解けも終わって地面が確りしている。
一方の東部は田んぼが広がり、水を抜いているとは言っても畔は狭く田んぼはぬかるんでいる。
♢
翌日、無事に篠塚神社に本陣を置いたこちらに対し、優雅に社長出勤して大通寺に本陣を置いた二位殿の軍勢がゆっくり西へ動き出した。
二位殿は総勢500ほどである。斎藤の軍勢が参加するとは思っていなかったらしい。こちらは斎藤からの援軍300と国人の援軍400に加えて左衛門督の領内から300で1000はいる。
ダブルスコアになったが、彼も揖斐川を降りつつ援軍要請と兵糧の融通をお願いしまくったらしい。
「まぁ、聞くところお願いではなく随分上からの物言いだったためにほぼ断られたそうですが。」
「援軍をもらって大軍で勝つつもりだったのでしょうか。」
「さぁ。私には二位殿の御心は到底計れませぬな。」
僅かに援軍を出したのは揖斐五郎光親様。太守様の弟だが周囲の雰囲気に流されやすいタイプだ。そういえば以前近江の和議でも泣いていた。
恐らく情で訴えたのだろう。それでも50ほどだそうで、人望のなさが窺える。
先鋒を買って出た国人の国枝勢が動き出す。始まるようだ。
「新九郎様、行きますぞ。」
「うむ、全軍、北へ!」
開始早々、泥濘にはまった二位殿の騎馬の一部があっという間に動きを止めた。雪で足元の田んぼが如何に酷い状況かわからなかったらしい。農兵はそれを見て畦道を列を作って進んでいく。そこを国枝ら国人の弓が射程圏内に入り次第襲い始めた。
「間抜けですな。無駄に煌びやかな馬具と大鎧を用意するなら相応に戦慣れしていてもらいたいものです。」
辛辣な宮内卿だが、実際その通りだ。京で舐められないよう揃えたらしいが、まるで意味がないどころか滑稽でしかない。
農兵はあっさりと畔で大渋滞を起こした。先頭は道から落ちて雪混じりの泥濘にはまるか、弓で討たれて落ちるかの究極の二択を迫られている。
「これ、我々がいなくても勝てたのでは?」
「地の利を生かす。そのためにその地をきちんと知っておく。当たり前ですが大事なことなのがわかりますな。二位殿はこの地の領主でしたがこの地を知らなかった。足を運んで管理をしていた左衛門督殿が勝つのは必然に御座います。」
国枝殿が先頭に立って切り込んだ。馬の突進に怯えた農兵があっという間に将棋倒しになる。
それを見た農兵が逃げ出すが、畦道は渋滞で逃げ場がない。必然的に兵は泥濘に落ちて泳ぐように逃げ出す。泥濘の騎馬も進軍してきた兵の長槍で続々と討ち取られ始めた。
「しかし、この望遠鏡とやら、まこと便利ですな。」
「まだまだ完成度は低いですけれどね。」
「いやいや、物見にこれほど便利なものはありませぬ。耳役や櫓の物見番にも欲しいところです。」
「残念ながら手作業でレンズ―部品を作っているので、当分は数を揃えられません。」
「左様でございますか。少しずつ家中に持たせたいですな。」
そう、この冬に籠って作ったのが板ガラスのレンズだ。角度計算を丁寧にやって両面の型を作ってできた試作品だ。体感だと5倍くらいなのでまだまだだが、これのおかげで遠くからでも戦場が良く見える。まだ片目用なので馬上に慣れた人は使いながらでも動けるようだ。人死にの様子は面白いものじゃないが、人の死自体への感覚はそもそもマヒしていたからな。そう考えると戦国時代への適応力は高かったのか。
「さて、二位殿を生け捕りにしたいですな。」
「なんとか助命するならそれしかないですからね。」
太守の頼芸様はなんとか助命したがっている。生け捕りで周囲に色々言いふらさない内に太守様に届け、そのまま京の土岐屋敷に送り込んで朝廷工作役継続が理想だ。
他の手段がない以上、うちで彼を押さえるしかない。
開始直後から北の雪解けした地域を大きく迂回していた我が軍はそのまま逃げる二位殿の軍勢の進行方向を徐々に塞ぐように進む。騎馬だけ先行し大通寺を過ぎた頃、最後尾らしき一団を視界に捉えた。
やや離れた距離にいるためか敵はこちらに攻撃する余裕もないようだ。何もしてこないのでこちらも無理に攻撃はしない。二位殿だけを捜す。
「若様、あれは!?」
大沢次郎左衛門正秀が指さした先には、烏帽子に鎧をまとった武者が馬から落ちそうになりながら逃げていた。
周囲には3人の騎馬のみ。ちらりと見えた横顔は評定で見た二位殿の顔だ。
「でかした次郎左衛門!皆のもの、二位殿を生け捕りにする!」
おおーっと鬨の声を上げ、騎馬30で一気に距離を詰めに行く。二位殿は慣れないためか速度が上がらない。いける。
残り体感20m。
「二位殿、大人しく降伏なされよ!命はとらぬ!」
叫んだその瞬間、視界の右端から矢が一本二位殿に向かって吸い込まれていった。
僅かにこちらへ振り向こうとした二位殿の頬を、矢が貫いた。
「えっ。」
更に一本、今度は足に突き刺さる。
馬にしがみつく足が力を失い、二位殿は馬から振り落とされるように落ちていった。
文章だけで用意していましたが、推敲時にあまりにも地理がわかりにくかったので地図も加えました。
こういう合戦の描写が頭に浮かんでくるような文章力が欲しいですね……。




