第308話 九州征伐 その3 彦島占領
後半3人称です。
長門国 下関
彦島の塹壕に白煙が広がる。大量のカタクリから作られた片栗粉で大友兵の視界を遮ると、マスクをつけたうちの兵たちが突撃する。大友兵は咳きこむとうちの火縄銃が撃ちこまれるため、手で鼻や口元を塞ぎながら後退していく。しかし、それは兵が無防備になることを意味する。長槍をもって進む兵が退く敵を追いかける。
「煙で視界を奪ったのは正解か」
「相手が何で対抗しようとしたかが定かでは御座いませぬ。皆に気は抜かぬ様伝えてあります」
「対岸から援軍は来ていないな」
「対岸の動きはほぼありませぬ。或いは、最初から彦島は時間稼ぎの為だったか」
時間稼ぎだとすれば、何が目的なのかが大事だ。島津攻めのためならば前線は手薄だろうし、何かの準備ならそれが終わっているかどうかが大事になる。
「信長から連絡はあったか?」
「大隅への派遣は無事完了したとの事。豊後の方は、湊を固めている様で」
「海戦で勝利したのが大きかったな」
「しかし豊後の方は潮目が読みにくく、湊に入る事の出来る潮か否かが分からぬとの事」
「上陸しようとすれば敵兵も阻止しようとするだろうし、小船は近寄れぬだろうからな」
豊後上陸を狙う信長は、まず緒戦の海戦で勝利した。海戦と言っても敵はあまり多くなかったらしいが、それでも小船で潮をうまく利用されたそうで、織田側の安宅船に損傷が出たり潮の影響で自沈した船が出たそうだ。しかし、この海戦に勝利して以降、上陸するために九州へ接近するのを敵に邪魔されることは少なくなっているそうだ。
難敵はやはり潮の流れだ。最も狭くなっている豊予海峡(速吸瀬戸)は14kmしか幅がない。その海流がうまく利用できるほどこちらは熟練でもないし、使える船も限られている。結果として、瀬戸内海の水軍戦力と宇和島に集結した太平洋側からの水軍戦力は合流するにも一苦労する状況であり、そのため瀬戸内海側水軍は府内周辺を、宇和島側水軍は臼杵と日向を攻める形になっている。相手の戦力を集中できないように分断できたとも言えるが、より広い範囲を攻撃しなければならない宇和島方面の水軍の方が(ガレオン船はあるものの)船が少ないので難しいところだ。
「大隅の北郷氏は大友の志賀・問註所・星野などの兵と睨み合いをしているそうで」
「筑後兵も日向に送り込んでいるのか。文字通り総力戦だな」
「当初は龍造寺一族を肥前に送り込む案もありましたが、島津領・相良領が内乱と天草にいる有馬氏によって封じられた為、中止されております」
「阿蘇がそろそろ動いても良い時期だが、さて如何する心算か」
阿蘇大宮司氏は織田の上陸で寝返るという話だったが、さてどうなるか。そんな話をしていると、煙の落ち着いた彦島内部から兵たちが続々と出てきた。
「勝ったのか?」
「伝令の持っている旗の色は……黄色ですね。占領した様で」
「詳細は伝令が到着してからだが、中の様子も気になるな」
「では、情報を確認して参ります」
「頼む」
もうずっと前からだが、伝令役にさえ俺が直接会うことはない。何事も命大事に、である。と、同時に秘かに大友内部に潜入していたはずの服部党も1人は戻ってくるわけで。九州に送りこんでから4年になるが、彦島がどんな状況だったかぜひ教えてもらいたいところだ。
♢
伝令の話では、内部には銃・弓矢の類はほぼなかったようだ。兵士の数も、塹壕の規模の割に少なかったため、居住スペースとの境となる防衛地点以外はかなり楽に攻略できたそうだ。そして、その理由は潜入していた服部党の口から語られることになった。その内容に、俺と十兵衛は驚愕せずにはいられなかった。
「半蔵、真か?」
「はっ。我が家臣が申すには、間違いないと」
「雷神は最初から低所の彦島を捨てていたか」
彦島の北部は丘陵になっているが、南部は低地が多い。もちろん小倉湊も門司湊も低地だが、関門海峡はちょっとした山のような高台であり、敵は防衛施設を置いて海峡を通る船を砲撃し火矢を放ってくる。しかし大友の砲撃は精度が悪いし火矢は本州側の岸沿いを通る限り問題ないし、現在は敵の防衛施設にも砲弾が撃ちこまれているので問題はない。だが、この高低差を利用して高所に砲台を置いて防衛する形をとっている。
彦島は低所のため、本来の大友の大砲の射程以上に攻撃が可能な場所だ。おそらくこれを見越して、彦島は最初から捨てていたのだろう。塹壕の規模を大きくして俺が慎重に攻めるように仕向け、実際はただの時間稼ぎだったわけだ。
「となると、門司と小倉湊への砲撃には、あまり前面に砲台を置かぬ方が良いか?」
「恐らくは。万一にも此方の砲が壊されてしまい、相手に勢いを与えたくはないですな」
彦島の制圧と同時に砲台を押し上げる予定だったが、設置位置などはもう一度考え直してもいいかもしれない。
♢♢
船島。巌流島と後世よばれる島に、大友の兵が潜んでいた。
その数はわずか50名。無人島とはいえ、大規模に人の出入りがあれば確実に警戒され捕捉されたであろうその島は、森の中の小規模な穴に必要な物を運びこんだ部隊が一度も大友側とも連絡をとらなかったために、誰にも知られずに一月を過ごしていた。船島の所々には確認をこめて砲弾を撃ちこまれた跡があるものの、それでも彼らは決して騒がずに耐えぬいた。
「彦島に斎藤の兵がいる。もう奪われたか」
「恐らく。では今夜ですな」
「もう少し保つかと思ったが、騙せなんだか」
部隊を率いるのは吉弘鎮生。20歳にもならない若者である。そして配下の兵も多くが若く、そして跡継ぎでない者ばかりだった。
「彦島に隠れている部隊が生き延びているか否かは分かりませぬな」
「何方でもいい。予定通り、彦島が奪われた夜、つまり今夜敵に奇襲をかける」
夜襲。最も古典的で、いつの時代でも有効な戦術。それが彦島の戦いの本当の狙い。彦島で守備に就いている大友兵にさえ伝えられていない、3つの秘密部隊による三方からの強襲攻撃。
しかし、南西福浦に潜伏していた部隊は彦島制圧後の調査で既に発見されており、日根野弘就によって全滅させられていた。当然の事ながら、残る吉弘の部隊ともう1つの部隊はそれを知らない。だが、そこまでして初めて奇襲が成功する可能性が生まれる相手なのも事実だった。
「帰り道など無い。だが、此処で武を示さねば家も名も残らぬ。行くぞ!」
「「応ッ」」
そして彼らの全てをかけた夜が始まろうとしていた。
大友は硝石の輸入が大規模にできないため、織田と斎藤に火薬をとにかく使わせようとしています。実際は硝石は自給できているわけですが、その技術が秘匿されています。そのため大友側は「火薬さえ切れれば攻撃は怖くない」という視点で見ており、彦島で火薬をとにかく使わせるためにこのような戦術を採用しています。その視点で見れば斎藤が彦島上陸を急いだのも「火薬が切れる前に九州上陸を進めたいのだ」と判断できます。根本的に戦略面で致命的なミスがあるのですが、これは仕方ない部分です。
そして、吉弘鎮生の部隊もその戦略に基づいて、1日でも彦島で火薬を使わせるための潜伏部隊になっています。