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第302話 父(下)

書籍版本日発売です。宜しくお願いいたします。

 美濃国 大桑城


 静かに、誰も呼ばずにそこにいた。

「殿、大殿様」


 気づけば俺の日課である昼飯の時間も過ぎていた。そのため、心配した豊が声をかけにきた。

「豊。父上は、死んだよ」

「左様、で、御座いますか」

「ああ。畳の上で死んだ。そんな生き様でも、無かったのにな」

「皆様を呼んで参ります」

「頼む」


 じっと、父を見ていた。脈もない。体の芯から熱が生まれていないため、少しずつ腕が冷えていくのを感じる。

 外は雪がちらつき始めたようだ。二重ガラスの窓がわずかに曇り、外の雪化粧が目に入る。


 どたどたと、大きな足音で誰かが部屋に入ってきた。おそらく龍和だろう。落ち着きがない。


「父上!御爺様は!」

「静かにせい」

「あ……」

「死者の周りで騒ぐでない」

「御爺、様」


 今日は一日、ここで過ごすとしよう。


 ♢


 翌日、蝶姫が信長とともにやって来た。


「そうか、義父殿は、死んだか」

「最期まで、俺を振り回してくれたよ」

「死ぬ間際まで戦国の申し子だったのだな、義父殿は」

「最期まで、敵わなかったな」


 蝶はじっと父の亡骸を見ていた。


「嫌い」


「嫌い。何時も女心も考えないし、子供扱いしかしないし」


「嫌い。わっちにばかり優しくて兄様に厳しくて。嫌い嫌い」


「嫌い。死に目にも合わせてくれずに、満足気に死ぬなんて。嫌い」


 信長が抱きしめた。畳にこぼれた蝶の涙を見つつ、俺は葬儀の準備に向かった。

 信長が、蝶を宥めつつ俺に視線を向けているのが妙に気になった。


 ♢


 葬儀は3日後に行った。既に雪が降る中だったので、遺体も変に傷むことがなかった。

 小見の方も何とか出席した。人々には、雪が降りだしたので家の中で時間があれば祈ってくれとだけ連絡をした。

 周辺集落の代表者が数名弔問に来たのは印象的だった。


 全てが終わったのは師走も半ばに入ってから。ようやく落ち着いた俺は、幸と久しぶりに一局打っていた。


「何時まで大桑にいますか?」

「んー、明日かな」

「わかりました。稲葉山にいる者達に伝えておきます」


 盤面の中央で互いの石が入り乱れる。眼形を維持しつつもギリギリで繋がった石が幸のつくった厚みの先にある地を削りにいく。ただ、俺より打つ頻度が高い幸はこういう攻撃をいなすのが上手くなっている。俺のウィークポイントとなる位置へ石を進め、俺が守りに回らざるをえない状況に追いこんでいく。


「上手くなったな、幸」

「御父上様とも、何度か打ってましたので」

「下手の相手は辛かったろう」

「いいえ。とても熱心で御座いましたよ。殿と同じ小目と星を好まれて」


 互先の時、俺は初手右上スミ小目(これは某ジャ○プの囲碁漫画の真似だが)と星を使う。最近は幸とも互角になっているので互先だ。だから俺が黒をもつ時もある。


「そうか」

「ええ。殿が使っているなら一番強い筈だって」

「そう、か」


 父と打つ時、父は棋力差があっても格上がもつ白を使いたがった。だから父の黒での打ち筋は見たことがなかった。


「殿」

「何だ?」

「悲しいですね」

「そうか」


 俺はなんかよくわからない。ただ、空っぽな気はした。


 ♢


 美濃国 稲葉山城


 稲葉山に戻ると、先に戻っていたお満に呼ばれた。彼女の部屋には江の方と於春も待っていた。


「如何した?」

「殿、此方を御隠居様より預かっております。儂が死したら渡せ、と」

「文か」


 父からの手紙。死して後届くとは遺言だろうか。

 中には2行8文字の詩だけが書かれていた。少し線がぶれている。体調が悪化してから書いたのか。


『蝮生羽翔

 龍創始終』


 マムシ(自分)が羽をえて天を翔け、龍(俺)が秩序を創る。そんな意味だ。下剋上と天下統一を詠ったものだが、同時に父が俺という翼をえたことでここまで来れたという言葉でもあり、構文自体は一時期巷で噂されていた『たい』を模倣している。噂など自分で塗り替えるくらいの気概でいけ、ということでもあるのだろう。


「殿、御辛いなら泣きましょう」

「いや、そういう訳でも無いが」


 いや。


「そうでもないのかもしれない。どこかうつろな感覚がある」


 悲しいのかな。悲しいのかもしれない。


「抱きしめても良いか?」

「はい。どうぞ」


 そばまで来て頭を抱えるように抱きしめられた。耳元に鈴のように心地よい歌声が聞こえてきた。俺が教えた子守唄。


「ねんねんころりよ おころりよ。 ぼうやはよい子だ ねんねしな」


 声も嗚咽もでなかった。ただ、気づけば涙が止まらなかった。お満の温もりの中で、俺はようやく最も恐れ、尊敬していた父の死を悼むことができた。


 ♢


 翌日。郊外にある研究所から6種類のサンプルが送られてきた。研究所で発見された『放線菌』と思われるものだ。これらの中で、俺の記憶にあるストレプトマイセス属の細菌があればストレプトマイシンが作れるようになる。この作業をもう13年続けている。

 4つ目まではおそらく違う菌だった。最近はゼラチンも使って培養が上手くなっているが、初期の研究は培養も単離もなかなか出来ず試行錯誤だったのを思いだす。

 5つ目、日付は父の亡くなった日。その日に発見され培養や単離をおこなったもの。

 顕微鏡を覗くと、そこには前世の記憶とほぼ同じ形と動きを見せる放線菌があった。


「見つけた」


 ストレプトマイセス属。結核にも、ハンセン病にも効果があるストレプトマイシンを代謝する細菌。

 父の最期の置き土産。そんな気がした。

10万字で義龍と道三は手を取り合い、100万字で道三と義龍は今生の別れをする。これは2年半前の連載開始時からの既定路線でした。実際にはもう少し文字数が増えていますが、ストーリーラインは最初に創りあげた通りです。

史実との違いを見せる上で道三の生き様と死に方というのはかなり大きなテーマでした。

それが発売日当日に書ききれたのは何かしらあるのではと感じてしまいます。


というわけで、一部書店ではもう売っているそうですが発売日です。宜しくお願いいたします。


挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
小さい女の子が親に殺されて、親と一緒に死にたかったって武将が討ち死して、その流れからの布団の上で亡くなった人の死が一番涙腺に来るのは多分感情が主人公に同調しちゃってるからだろうなぁ。 めっちゃ上手いわ…
[一言] 本日購入してきました まだ全部読み切れてませんがw 道三が逝きましたか 信長は義龍の事を心配したんですかね? そして、遂に発見されたストレプトマイシン。結核やペストにも有効な薬となるだけに…
[一言] 道三の旅立ちで空虚さだけを抱えずに悲しみを実感できたのは良いことでした。 信長もそのあたりが心配で蝶姫を慰めながら義龍を見ていたんでしょうね。 ストレプトマイシンの発見でペストと結核への対…
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