第3話 現状
場所についてはわかりにくいので城名などで基本表記しております。
文章で書いたものはわかりにくい部分もありますので、読むのが面倒という方は画像の方で確認いただければわかりやすいと思います。
この画像は私の(一方的)師匠である神奈いですさんに作って頂きました。ありがとうございます。
美濃国 稲葉山城
結局安静に3日を過ごした後、ようやく寝室から出られるようになった。
母の深芳野はもう一日休む方が良いのではと言っていたが、京から来た半井驢庵という医師が大丈夫と太鼓判を押して渋々納得した。
父―長井左近大夫規秀からは勉強だけ再開し、鍛錬はもう7日ほど休みと言われた。なんだかんだこの両親は自分―豊太丸を大切にしてくれている。
さて、色々思い出した上で乳母らに聞いた話から、今は1533年で、自分が数え年で7歳、満年齢で5歳とわかった。天文という元号はよくわからなかったが、義龍の生年が1527年と見た記憶があり、数え年のことを前世の患者さんから聞かされたことがあったからだ。
ありがとう元猟師の藤兵衛さん(87歳)。
勉強といっても所詮5歳児である。小児科ではなかったので細かい話は習ったことがないものの、識字や計算にはそこまで脳が発達しきっていないと知っている。そのため、家庭教師的存在である傅役も難しい勉強はやらせようとしない。
そこで、今回は日本国内の情勢とか父の現状を聞いてみた。
「日の本は乱れに乱れております。公方様には実権がなく、管領はようやく細川晴元殿で固まりましたが、その管領が本願寺に畿内から追い出されて淡路に下向したとか。配下の三好とも揉めているそうで、京の都も荒れ果てております。」
公方様が足利将軍のことらしい。そういえば鎌倉公方とか古河公方って習った気がする。
ちなみに今日教えてくれるのは日顒様という法華宗(日蓮宗)の御坊様だ。父が支援している美濃にある常在寺の本寺である京都の妙覚寺の方で、畿内の情勢に詳しいので教えていただいている。最近は延暦寺や本願寺が騒がしく、寺を守るのにお金がかかるので各地の大名に支援を求めて定期的にこうして御坊様が派遣されている。日顒様も今年派遣されてきた。
「三好というと、四国の三好ですか。」
「よくご存知ですな。阿波守護代の三好です。前管領で三好の仇敵の細川高国殿を討つのに三好元長殿が協力したのですが、管領殿が堺の公方様を蔑ろにして京の公方様を立てたことで揉めましてな。」
三好元長って誰かな。昔すぎてわからん。戦国ゲームに出てこない気がするぞ。あと堺に将軍がいたのか?歴史の授業で習った記憶がないし教科書を思い出しても……うん、載っていない。
「結局、元長殿は木沢長政様と一向一揆によって自害させられました。裏では管領様も糸を引いていたようですが、一向一揆が勢いづきすぎたので管領様は淡路島に逃げました。木沢様も本圀寺に助けを求めてきましたので、今では町衆を本圀寺や妙覚寺が統率して京の治安維持をしている有様です。」
京都って法華宗(日蓮宗)が治安維持してたのか。この時代の足利幕府、本当にもう力がないんだな。
「四国に逃げた管領様は元長殿の遺児三好仙熊丸殿と仲直りしようと必死だそうですよ。」
とりあえず、京都は今ひどい状況だってことはわかった。三好長慶はいつ出てくるのか。
「美濃とその周辺はどうなのですか?」
「美濃は少し落ち着きだしたところですな。長井長弘殿が美濃守護家土岐左京大夫頼芸様の兄政頼殿と内通したのを、お父上が上意討ちされましたからな。」
父が父だけにその話、本当だったのか疑いたくなるな。
「この稲葉山城が左近大夫規秀様のものになったのはその時の功によるものですしな。長井の名跡を謀反人の子でありながら景弘様が継げるよう力を尽くしたので、左近大夫様も長井姓を名乗れるようになりましたし。」
もし父の策謀でその長井さんが殺されたんだとしたら、その家まで乗っ取るためにやっているんじゃないかと怖くなるんだけれど。なんで息子は助けたんだ?よくわからないな。
「今は自称とはいえ太守の左京大夫頼芸様を御父上様と長井景弘殿が支える形で美濃は一枚岩となっております。越前の朝倉や尾張の斯波は文句を言っておりますし、守護職はいまだ次郎政頼殿ですが、木沢様経由で公方様にもお願いしていますから、そのうち正されるでしょう。」
とりあえず、今は周辺が落ち着いてるってことなのかな。それはとてもいいことだ。
主役級以外はわかりにくいので官途名などは省略させていただきました。
主人公の義龍が感情の起伏が薄いのは過労死の影響です。少し進むと治りますのでもう少しだけ彼にお付き合いいただければ幸いです。
次は13時頃を予定しております。




