第288話 埋もれぬ英傑
後半三人称です。
播磨国 上月城
冬でも雪にあまり影響されない瀬戸内海沿岸では、年末にかけて反攻作戦の準備が進んでいた。伯耆と美作は経済封鎖され、海上を織田と尼子の水軍に封じられて寄港する船がなくなっていた。戦乱で荒廃した両国内は食料が不足しており、春まで保たないと思われている。
大友氏は急遽浅井氏を支援しようと企てたが、この折に伊東・肝付の連合軍が起死回生を賭けて日向南部の北郷氏を攻めることとなり、土持氏などが援軍に向かったために大友氏は浅井氏支援を断念した。この戦の決着の情報はまだ届いていない。
上月城にいた黒田職隆親子が挨拶にきた。主君の小寺政職が名目上先導する形だ。子供の名は黒田官兵衛というそうだ。大河ドラマにもなったあの人物だろう。若いな。
「御足労頂きありがたい」
「態々播磨の端まで御越し頂けるだけでも望外の喜びに御座います」
「今後も主君共々御世話になりまする」
主君小寺政職とともに話す黒田職隆。官兵衛は人質として、また修行を兼ねて三好の養子に入る俺の息子・千薬丸に近侍するらしい。
「備前の宇喜多も春には南から美作へ攻め込むそうで」
「宇喜多は終始我等に味方してきた。相応に報いねばな」
こうは言ったが、宇喜多直家にはあまり大きい所領を与えたくない気持ちが強い。備前・美作ならそこまで強大ではないものの、統一後も一定の勢力を保持するのは間違いないだろう。ある意味一番厄介だ。
「播磨の安寧の為にも、日ノ本の安寧の為にも、浅井と筒井には滅んでもらう他無い」
「微力ながら御手伝いさせて頂きまする」
「大友含め、敵対する者も残り僅か。少しでも戦乱を早く収めたいな」
島津からの密使は、日向・大隅・薩摩の領有を認めて貰えれば臣下の礼をとる、と伝えてきている。前世では豊臣秀吉と対立して九州征伐を受けたと習ったが、織田やうちと豊臣の違いは何だろうか。豊臣は成り上がりだから完全に新しい姓をつくったといえるが、織田斎藤は名ばかりとはいえ守護代家の一門だから問題ないのだろうか。近衛家と協力して稼げているから実利面も考慮しているのかもしれない。坊津は近衛の収入源の一つだ。
小寺が協力してくれるなら東播磨は基本問題がおきない。後方を固めて、一気に片を付けたいところだ。
♢♢
肥後国 浜の館
阿蘇の大宮司家は長い歴史をもつ一族だ。鎌倉期には北条氏から阿蘇の大宮司職に任じられ、一族の内紛を度々おこしながらもその地位を保ってきた。戦乱の時代にいたってもそれが変わらなかったのは、この数十年間の乱世でも大宮司家を支えてきた一族がいたからだ。
甲斐氏。
ある意味では当主より周辺から信頼され、信頼に応えてきた一族である。その現当主・甲斐宗運入道は、稀代の名将として名が知られていた。
その名将が、評定で悩んでいた。家臣同士の取っ組み合い一歩手前といった話し合いを、どう収めるかで。
「長年の恩顧もある。易々と鞍替えするのは如何なものか」
「既に相良も島津につき、島津は織田斎藤三好等と昵懇。徒に大友と心中は出来ぬ」
「後背を突かれれば終わりだ。今までの大友との付き合いから東は守りが薄いのだぞ」
「国衆は大友に従う者が多い。早晩兵が押し寄せるぞ」
「相良殿の援軍が来れば国衆程度恐るるに足らぬ!」
「相良は上津浦と揉めていると聞くぞ!」
この頃の相良氏は、島津に半従属しつつ独自に天草諸島での勢力拡大をはかっていた。天草諸島では柄本氏と上津浦氏、天草氏・志岐氏・大矢野氏という五氏が勢力争いを演じていた。このうち親大友の上津浦・志岐・大矢野氏と親相良の柄本・天草氏で抗争が続き、先日の合戦で柄本・天草連合軍が敗れて柄本氏一族が相良領内に追われてしまった。相良氏は柄本氏復活のため軍を派遣せざるをえない状況になっている。
「肥前の熊も先日の戦に敗れたと聞くし、大友の優位は変わらぬだろう」
「島津の大軍が来れば大友は伊予で戦う余裕は無くなる。更に長門から敵が来れば大友は呑まれるぞ」
「門司は相当固く守られていると聞くぞ。豊後水道も余所者が容易く渡れる程甘くはない」
「織田と三好の水軍は安宅船なる大型船に大筒を載せて攻めてくるのだぞ」
龍造寺隆信は夏の戦で少弐政興を大将とする有馬・大村・後藤・神代・波多・西郷氏らの連合軍に敗れ、勢福寺城の奪還を許していた。事実上全方位を敵に回しながら、それでも優秀な将の支えで佐嘉を維持している。だが、あの地域で明確に親織田を表明している勢力は龍造寺くらいである。
「入道殿!大友との盟約こそ至上」
「入道殿!島津に連絡し織田や三好の到来を待ちましょう!」
拳が振りかぶられる寸前で、彼らは甲斐宗運を見る。最後の理性は常に宗運という男なのだ。
黙って聞いていた宗運の隣で、彼の嫡男である甲斐親英が不安そうに父を見ている。それをちらりと見た後、彼が口を開いた。
「汝等は何者を本とする?」
「無論、殿に御座います」
「ならば答えは一つ。大友と暫し共同しつつ、織田に使いを送る」
いわゆる風見鶏。国人領主らしい動き方だ。しかし、ただの風見鶏では許されないだろうことを宗運は推測していた。
「但し、織田には殿の御子息を送る」
「そ、其れは我等が織田に従うのと同じでは御座いませぬか!」
「大友が勝つならば其れで良し。だが大友が負け、我等が許されずともこれで殿の血は残る」
少なくとも九州上陸がなされるまでは織田に協力はせず、むしろ大友の南の守りとして働く。宗運はそういう方針を示した。
「しかし、であれば人質等出さずとも良いのでは?」
「気をつけねばならぬのが、織田は島津とも大友とも立場が違うという事だ」
大友は九州をまとめないと織田に対抗すらできない勢力なのに対し、織田斎藤三好連合軍は本気になれば九州の国人領主を根絶やしにすることも(実現するかは別として)できる。在地領主が大事にされるのはその勢力がもつ武力や地域との親和性・民衆の支持が必要な場合である。中央集権のためにはそれは障害となる場合もある。圧倒的な武力を保有する勢力にとって、それは既得権益や中央への反発力になりかねない。
「門司に彼等が降り立てば、大友の崩壊は必至だ。そして我等の武は大友には必要でも、彼等には邪魔な物」
「し、しかし阿蘇山の霊験なる地を荒らそうなどとは」
「申さぬか?いや、違うな。高野山も彼等の武に屈した。高野山を攻めたのに、我等の社領を攻めない理由は無い」
ただし、現状は九州に限れば大友が圧倒的に優勢だ。大友が伊予に兵を送りこんだ最大の理由は門司と沿岸部の防備を固める時間を稼ぐためだ。特に門司の対大砲防衛強化のために木造建築を完全に排除する作業は今も続いている。石積みと漆喰の分厚い防壁で固める方針なのだ。
「我等の力を過大に見るな。我等の価値を過大に見せるな。然れども我等のある意味を知らしめよ」
どこまでも自分の主家を生かす道を選ぶ。甲斐宗運という人物は、自身の溢れる才覚を主家存続にのみ注ぐ人物だった。そのあり方は身内にとっても恐怖を感じる程であった。
宇喜多は賢いがために利益を重視し徹底的に中央に従っています。体制がよほど大きく崩れない限り、彼らは味方です。
島津は結果的に交易利益が史実より増したために攻勢を強めています。一方、厳しい立場に立たされたのが阿蘇大宮司。積極的に加担したくない部分と、早めに中央に従わないと大宮司職にも不安がある状況。大友・島津以外では最大勢力だけに、今後の動向が重要視されます。




