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第287話 Historia de Japam

 薩摩国 坊津


 夏。

 1人の男性が日本へやって来た。ポルトガルのリスボンに生まれ、イエズス会に入り、インドのゴアで司祭となった男。ゴア時代に日本人と出会い、日本での布教を目指した男。


 その男の名を、ルイス・フロイスという。


 ♢♢


 和泉国 堺


 堺で信長と長慶と千宗易の茶室で話し合いをしている最中、現在の堺の商い事情の話になった。


「浦戸は無事とはいえ、やはり薩摩から物が届かない、か」

「大平洋は海流に乗れるとは言え、大友が座して待つ訳も無く」


 すごくどうでもいいことだが、俺は太平洋のことを〝大平洋〟という呼称で統一させた。後世の子供たちよ、大西洋と誤字しにくい世界をつくったぞ。地域ごとに呼び名も色々だったが、北条・織田・斎藤・三好・堺商人が大平洋で統一すれば、誰も逆らえない。


「薩摩に葡萄牙ポルトガルの南蛮人が宣教に来ているそうですが、此方に来れず困っていると」

「南蛮人と義兄上や俺との仲から、大友は南蛮人を全て敵と思うておる故な」


 南蛮人でもポルトガルとスペインは別の国なのだが、大友にはそれの区別がつかないらしい。大友家中は完全に反キリスト教化し、博多も含め勢力圏からキリスト教徒を全員追放した。結果として、逃げたキリスト教徒の商人は陸路で坊津に逃げるか周防に渡ってから堺まで逃げてきている。

 前世のイメージでは大友とキリスト教は親和性が高いと思っていたが、キリスト教宣教師がみんな九州ではなくこちらに来たから根付かなかったのかもしれない。

 特に反キリスト教強硬派なのが当主大友宗麟の正室の一族・奈多氏だ。奈多氏は奈多八幡宮という九州でも有力な神社の宮司一族だ。彼らにとって新しい宗教は敵でしかないのだろう。俺は知らないのだが、史実ではそういう正室ではなかったのか、或いはそれでも宗麟はキリスト教で押し切ったのか。不思議な話だ。


「大友は我々の火力を何とかしたいのだろうな。特に義兄上の大砲を」

「売れずに坊津に溜まる物もあろうに」

「島津が買い取るであろうな。大隅平定も時間の問題と聞いておる」


 大隅の肝付氏と対立した島津氏は日向の北郷ほんごう氏と手を組み大隅へ大規模に出兵中だ。大友氏は伊東氏と土持つちもち氏に支援させて肝付当主の肝付兼続を支えているが、島津は交易で儲けており火縄銃もかなりの数を運用しているので、肝付は徐々に押されているらしい。


「博多商人の一部も長崎に逃げているし、大友も此度を超える規模の兵は送れぬだろうな」

「豊前・豊後・筑前・筑後・日向・肥後北部。その名が六州に轟く大友とは言え、兵力に限度があるだろう」


 肥前は東部で龍造寺氏が台頭するも、西肥前国人と少弐氏残党がまだ蠢動して龍造寺と争っており、大友の脅威にはならない。肥後は北部が大友氏に従い、中部の阿蘇大宮司氏が大友を表向き支援。南部の相良氏は島津の圧力を受けており、どうなるかは不明だが阿蘇氏がいる限り大友には大きな障害にはならないだろう。もしかすると、鍋島がうちにいるから龍造寺は勢力を拡大できていないのかもしれない。


「毛利が周防にも兵を置いているが、門司もじを固められると水軍無しで上陸は不可能だしな」

「其処はうちの(安宅)冬康がやる。伊予の敵をある程度引き付けつつ周防も封鎖しよう」

「我等以外の水軍の処遇も今後決めねばな」


 最終的には織田・斎藤・北条を中心に新政府の陸軍を、三好を中心に海軍を整備しようと考えていた。しかし毛利が安芸に残る方向なので、毛利も海軍に加わることになるだろう。島津の処遇も決めねばならないし、各地の水軍をどう新しい政府軍に組み込むかも考えないといけないところだ。ちなみに織田や斎藤の水軍は蝦夷地と台湾方面への派遣で調整中だ。


「ガーゴは聖堂を造りたいそうだな」

「高野山の件もあって我々が仏教を叩いていると勘違いしているのか?」

「いや、那古野に拠点が欲しいらしい」


 バルタザール・ガーゴはうちの孤児院を手伝ったり、学校を見学したりと領内をかなり頻繁に移動していた。移動中は布教を禁止していたが、本人はとにかく領内各地を視察する事を求めていた。その後彼は1通の手紙をインドのゴアに送った。そして布教を始めようという行動なのだろう。


「まぁ、耶蘇教は義兄上に任せておけば良かろう」

「まぁ其れで悪い事にはなるまい」


 信頼してもらえるのは良いのだが、とりあえずローマに提出している『天皇はカエサルである』という主張が認めてもらえると良いのだが。


 ♢♢


 和泉国 堺


 毛利隆元倒れる。

 毛利へ派遣している医師による診断は、食中毒ではないかというものだった。生理食塩水の投与と本人の体力のおかげで辛うじて命に別状はなかったものの、吉川元春に続き一族がまた病に倒れる状況に、元就は頭を丸めて安芸武田氏の菩提を改めて弔うなど懸命だったそうだ。

 話し合いにやってきた小早川隆景が持ってきた医師の所見を読みつつ、俺は答えた。


「恐らくボツリヌス菌でしょう。食中毒なのに特異な症状があります」

「ぼつりぬす菌」


 まぁ、わかっていないのだろう。別に今は構わない。知らない病があり、しかしそれは治し方があると知っていれば。それで医者を頼ってくれればいい。神話や伝承の世界から、人が人の手で治せるものの時代に。全てがそうはならなくても、いつかそうなると信じられる世界に。


「嘔吐や下痢は良くある症状だが、発熱がなく症状が進行すると逆に便が出なくなった事。そして目眩や呼吸が浅く息切れしていた点。此れ等はボツリヌス菌の怖い症状の典型です」

「な、成程」

「呼吸困難まではいかずに済んだ事、生理食塩水により最低限体に栄養を届けた事で何とかなりました」

「これも宮内大輔様が兄(吉川元春)の為に送って下さった医師殿の御蔭で御座います」


 吉川元春の経過観察や健康状態の確認のため派遣していた曲直瀬道三がこれらの治療を行った。彼は今や日本でも有数の医師だ。きちんと胃腸の不全に対する正しい処置ができる。


「京にいれば血清の試験中だった故、其れが使えたが」

「血清とやらが何かは分かりませぬが、とにかく兄上が治って良うございました」


 ウマを使って血清をつくる実験を行っている対象の病気の1つがボツリヌス菌だ。ボツリヌス菌は外傷から侵入した場合はペニシリンで症状を改善できる。だが、食中毒のボツリヌス菌はそうもいかない。何より厄介なのはボツリヌス菌の毒素で、これは100度以上で10分以上加熱しないと無毒化しないのだ。だから明確な治療法は現状用意できないので、野菜などはきちんと洗って菌を洗い流してから食べる様に啓蒙することや、万一の時のために血清の実験をしているわけだ。


「さて又四郎(小早川隆景)殿、毛利には安芸・備後・備中を認める。此れが我等の最終的な判断です。そして少輔太郎(毛利隆元)殿は備中守に補任する事とします」

「畏まりました。来夏には長門・周防・石見を御渡しできる様支度を整えておきまする」


 これで西国の敵は浅井・筒井残党のいる伯耆・美作と大友だ。九州がどうなるかは不透明だがここまでは確定。東北も来春に伊達領を収めて葛西・高水寺斯波などが落ち着けば日本の大部分の平定が終わる。


 もう少しだ。だからこそ、前世でいう本能寺の変のような落とし穴がないように気をつけて行動しなければならない。

毛利隆元は食中毒という方向で、ボツリヌス菌という形にしました。一昼夜で死ぬとなると毒殺もありえますが、今回の事件は毒味などで慎重を期した結果増殖したということで。この世界線でも疲労がたまっていましたが、生理食塩水のおかげで若さ勝負にもちこめたということにしました。

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― 新着の感想 ―
ボツリヌスといえばカラシレンコンが有名ですね。漬物に土がついてると、漬けてる時に繁殖するんでしたっけ。
[良い点] 毛利隆元が無事でよかった。 毛利家の中で、財政が理解できて信用できると評価される政治家(武士ではない)が居ると居ないでは後々大きく違うし、何より好きな武将が無事でよかった。 元就も安心して…
[一言] 元就が暗殺許すわけないですしね。食中毒は考えられる話ですね。
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