第282話 重い命
伊予国 西条・野々市原
大友軍大将・戸次鑑連は雷を見て斬った、と伝わる。
雷を斬った彼の刀は「雷切」と呼ばれ、その落雷で片足が不随となりながら本人も刀も生き残った。九州最高の名将といえば、彼であろう。
そんな人物が、三好軍の陣の乱れに気づくのは必然だった。
「攻め時か」
彼は由布惟信・柴田礼能・小野鎮幸・志賀親度・一万田鑑実・蘆野鎮房らを先鋒として動揺する三好軍に襲いかかった。派遣されていた大友軍14000のうち、10000を投入する全力突撃だった。
対する三好軍は占領地域へ兵を派遣していたが、それでも野々市原に布陣していたのは17000。しかし大将である三好義興が病床に臥せており、しかもまだ織田・斎藤の増援がやって来る事は情報として本陣に届いていなかった。この最も三好軍が浮足立っているタイミングを、鑑連は完璧に自らの『眼』で見抜き、利用したのだ。
輿に乗った鑑連は、自ら先鋒部隊のすぐ後方まで進軍して叱咤激励を行った。
「雷さえ恐れなかった我に怖い敵なぞおらぬ!進め!道は此の先に続いている!」
「「「おおおおおおおっ!」」」
彼が率いる大友兵とそれ以外の将が率いる大友兵は『別物だ』と九州の人々は語る。その眼は敵を見、味方を見、その動きの先を見通す。
「崩れるぞ!小野は右へ!蘆野は突出せず息を整えよ!」
それは経験が、知識が、そして何より雷を見た時に身につけた超人的といえる視力と聴力が織りなす力。息の荒い兵を、焦る将を落ち着かせると、恐怖に染まる敵を見分け、そこに戦力を投入していく。恐れる味方を見つければ輿をそこに向かわせ、声をかける。もしもこの時代にスナイパーライフルがあれば、彼の目はスコープの力を借りて誰よりも敵を崩す狙撃手となっただろう。それでいて、全体の空気感を耳で感じ取ることもできた。雷を浴びて以後、元々あった彼のそれらの能力はかえって研ぎ澄まされていた。
「柴田の倅!慌てるな!」
「紀伊守様」
「我が指揮下にある其方に恐れる者は何も無い!我が目を見よ!」
「はっ!」
「良し!もう大丈夫だ!行け!其の体躯で敵を薙ぎ払え!」
「はっ!」
鑑連の意志の強い目が、戦場での味方の心の中に誰よりも『勝てる』という自信を漲らせていた。だからこそ、彼の率いる兵に恐怖で動けなくなる者はいなかった。彼自身はもう足が動かない。しかし、彼の率いる軍は誰よりも強く前へ足を踏み出す。
♢♢
一方、三好軍は苦戦が続いていた。
全軍を指揮すべく最前線から十河一存が離脱している。それが何よりも大きな影響を与えていた。三好軍最高の部隊がその実力を発揮できず、結果として十河隊に引っ張られながら士気を高め勝利に貢献する部隊が機能不全になっていた。
「大西隊、崩れました!」
「高山佐渡守様、御討死!」
兵数の有利を生かし、義興が倒れなければ先手で攻めるつもりの布陣も裏目に出た。守勢一辺倒だった大友軍の布陣に合わせていたため、急激な陣形変更が間に合わなかったのだ。
「此れが、九州の雷神か」
本陣にいた岩成友通が呟いた。その声には感嘆すら混じっていた。
「此方が対処する前に敵が弱みに攻め込んでくる。読みと見抜きが尋常ではない」
「又四郎(一存)様、此の儘では」
「うむ、俺が突撃して戦線を立て直す」
「いけません。今又四郎様が全体を見れなくなれば其れこそ負けます」
「だが」
「若様を守りつつ、御下がり下さい。若様は船に乗せるのが難しい状態と御聞きしております。又四郎様。御自重を」
「前線は如何する」
「御任せを」
崩壊寸前の戦線を文字通り命懸けで立て直したのは岩成友通だった。前線の将の撤退を支援しつつ損害無視で疲れの見えていた柴田隊に突撃し、大友の支援部隊による側面攻撃を受けて全滅するまで岩成隊は戦い続けた。岩成友通によって大友の先鋒は一時的に規律を失い、三好軍の戦場からの撤退を許すことになった。
♢♢
「流石は四国の覇者。良き家臣がいる」
「紀伊守様」
「良い経験となったな、柴田の倅。日ノ本でも中々会えぬ真の勇士と戦が出来たのだ。此れからに生かせよ」
「はっ!」
♢♢
伊予国 川之江城
敗走中の十河一存が、畿内からの援軍派兵の決定と義興治療のため斎藤義龍が四国に上陸する予定だと知ったのは、伊予最東部の川之江まで後退した後だった。
三好軍は伊予沿岸部を安宅冬康らが全力で確保したため、現時点で沿岸部を何とか失わずにきていた。しかし陸上拠点は戸次鑑連率いる大友軍の攻撃に耐えられず失陥していた。
一方の大友軍としては援軍上陸と物資補給の観点から沿岸部の湊を最も求めていたが、これを手に入れられなかったのは痛恨と言ってよかった。佐伯・若林といった水軍は来島の村上水軍の生き残りの支援を受けながら、能島村上と手を組んだ安宅水軍に勝てなかったのである。
しかし、陸上を慎重に運ばれる義興と、彼とともに撤退する三好軍にとってはここが正念場となっていた。治療のため讃岐を安全圏にする必要があり、そのためにはこの川之江で敵の進撃を食い止める必要があった。海上からの支援も一定程度受けられる川之江を、十河一存は死守するポイントと判断した。
軍議は十河一存・篠原自遁・池田長正らが主導して行われた。
「如何するか。肥前守(自遁)は医師の話を聞いてきたのであろう?」
「若様の御容態は悪化していると医師が申しておりまする」
「戦場で御倒れになったのは最も不味い事で御座いましたね」
「弥太郎(長正)、今更其れを嘆いても仕方ない。今何が出来るかだ」
「池田城に戻して頂いた恩を返すなら今、という事で御座いますよね?」
池田長正はかつて、亡き管領細川晴元に所領を追われたことがある。そんな池田一族を保護したのが三好であり、晴元討伐後元の領地をそのまま彼に渡す安堵状を発行したのが義興だった。
「弥太郎、何をする心算だ?」
「最近、某も病がちで御座いまして。長くは保ちそうに無いなと」
「弥太郎!」
「我が命、ここで若の為に使えるなら、悪くないかなと思う次第で。摂津に残した息子を頼みまする」
「弥太郎!」
一礼して陣幕を出て行く池田長正を追いかけようとする一存を、自遁が止めた。
「肥前!」
「兵の疲労の色も濃く、時を稼がねば迎え撃つ支度も整いませぬ」
「だが、だが!」
「主税助(岩成友通)と弥太郎殿の思い、無駄にしてはなりませぬ!」
「しかし、彼奴等も、我等三好の大事な、大事な!」
「某とて!必要なら同じ事をする覚悟!だからこそ!今は弥太郎殿の為を思うなら!」
脱力する一存。俯く頬には、悔しさが溢れる。
「分かっている。分かっているが!せめて儂が病で軍を止めずにおれば、式部大輔(義興)は年始に京に戻れていた筈なのに」
一存は自分が一度病に倒れた結果、義興に負担をかけたことを悔いていた。どうにもならないものだが、もしあれがなければと思ってしまうのもまた人の性である。
「又四郎様は悪く御座いませぬ。権中納言様(義龍)曰く病に罹る事が悪ではないと。病は誰にも襲いかかる物と」
「そうかもしれぬが、己の体の調子も整えられずして何が兄上の槍か」
「伝染病なる己の責無く罹る物も御座います」
一存は目元を拭う。彼は熱い男だが、必要な時には冷静になれる器をもっていた。
「済まぬ。醜態を晒した」
「又四郎様が臣を真に大事にされる事、全ての将兵が知っております。だからこそ、弥太郎殿は命を賭けられるので御座います」
「全軍に休息を取らせよ。明日から城の防備を固める」
「はっ」
4日後、池田長正率いる1500が決死の夜襲で時間を稼いだことで、三好方が城の防備を完全に固めたことを知った戸次鑑連は兵を退いた。補給が不完全な一帯へ留まる愚を避け、作り上げた防衛線に戻ったのである。1人の義将によって戦線は保たれた。そして大友軍撤退の3日後、柴田勝家率いる11000の援軍が川之江城に入ったのだった。
♢♢
讃岐国 宇多津
宇多津は讃岐で唯一医師が常駐し、重傷の兵の治療用の建物のある場所だった。壊死した足を切断したり、矢弾の切除を行う為に用意された消毒が(この時代では)された部屋で、俺は三好義興という患者が運ばれてくるのを待っていた。
朝の段階で港には到着済みとの知らせがあり、体への負担をかけないよう慎重に運ばれているのも知っていた。
隣の部屋に人が運ばれてきたのがわかる。隣の部屋には、以前電気分解で生成した塩素入りの水が箱に入って床に置かれている。建物の入口で交代した医師助手たちも、ここで足回りの消毒をしてから入らせている。
「先生!患者様来ました!」
「良し、服を脱がせてあるか?」
「手術着に着替えております。体も消毒を施しております!」
「良し、台も載せ替えているなら入れろ!」
「はっ!」
運ぶのに使った木製の担架も入れ替える。隣の部屋の時点で可能な範囲で消毒を行い、清潔な状態にしてからこの部屋に入るのだ。
部屋の洋式の扉が開かれる。本当は出入り口は自動扉がいいが、現時点ではこれでもかなり頑張った方だ。
「御願い致します!」
義興が運ばれてきた。麻酔準備を進めるため、大きく深呼吸をして彼の顔を見た。
その顔色を見た瞬間、俺は気づいてしまった。
それは前世でも見た、救急搬送されながら、助からなかった人々の顔色。人工呼吸器を繋いでも、心肺蘇生を試みても、AEDを使っても、緊急手術をしても、助からなかった人々の、顔色。
その死の色を、今俺は鮮明に思い出していた。
多くの人が彼を助けるために命のリレーを繋いできた。だが、たとえここが前世の大学病院でも、彼の病は治せない。
俺は、そう確信できてしまっていた。
世の中には、ままならないことが多いですね。
次回投稿は火曜日です。




