第273話 軍神の最期(下)
後半は3人称です。
越後国 糸魚川
糸魚川での戦が終わった頃、船で信長の使者(丹羽長秀)がやって来た。春日山城は落ちたそうだ。軍神の兄である長尾晴景が病床にいる状態で最後の籠城が行われていたが、唯一強硬に抵抗した直江景綱が城門で玉砕すると降伏を決断したそうだ。晴景は自身と妹婿長尾政景の命と引き換えに妹と将兵の助命を嘆願。これが受け入れられて降伏となった。この時点で平三政実がいないことが判明したらしい。直江津の占領とともに入港した長続連が糸魚川に向かう軍勢のことを伝えたため、柴田勝家らが東から山の偵察を行っていると報告しに来たそうだ。
「申し訳御座いませぬ。我等で全ての片を付けると申したのに、御手間をおかけ致しまして」
「気にするな。既に平三殿の首級は取った。此れから首実検だ」
この時間は今も好きになれない。人の死体を見て何が楽しいのだ。武功を認められたい者からすれば直接俺から確認をとれるのは重要なのだろうけれど。
「先ずは総大将の首級からか」
「実は長尾の兵が誰にも手柄を奪われたくないと手放しませぬ。如何致しますか?」
「半兵衛は如何思う?」
「彼の戦狂いならば、自らの首級で刺客を放つ位しても驚きませぬ」
「抑々首級は本物か?」
「布に包む前に見た者は兜は間違いない、と。傍にあった残りの体が身に着けていた武具も間違いなく」
判断に困るな。
「小島弥太郎も行方知れずの儘だ。警戒は怠るな」
そう言った瞬間、少し遠くで鬨の声があがる。まだ戦が続いている場所があるのか。
数分後、伝令がやって来る。敵はわずか20名。率いるのは小島弥太郎だった。そう、だった。もうこの部隊は全滅したそうだ。
「首級を取り返しに来た、か」
「首級をあげた兵士に向かって突撃して参りました。慌てて守ったそうで」
「首級は本物か」
「鬼小島が命を賭したとなれば、恐らく」
20名には山本寺の最後の生き残りも参加していたらしい。壮絶だ。そこまでのカリスマが軍神にはあったのか。あったのだろうな。柿崎親子もそうだったのだから。
「会おう。但し幾つか用意をして、な」
♢♢
弥太郎が命懸けで、本気で首級を取り返そうとしたことで変装した上杉平三政実は陣幕の中に呼ばれることが出来た。しかし斎藤宮内大輔義龍は呼ばれた場にはいなかった。布で仕切られた向こう側に見える人影が恐らくそうだろうと彼は思った。
「首級を台に置け」
兵が持って来た台に置くよう命じられた平三政実は、躊躇せず立ち上がってその台の上に座った。
周囲がざわつく中、その威圧感を感じ取った日根野兄弟が飛び出し、刀を首元に突きつけた。
「顔が見えぬのは残念だ。御初に御目にかかる。上杉当主・関東管領上杉平三である」
周囲が一気にざわつき、布の向こうで身代わりになるように動く者や刀を抜こうとする者が次々と出る。
「静まれ」
しかし、平三の一言はざわついたその場の興奮した全員の耳に届いた。一瞬で静寂を取り戻す。
「弥太郎や和泉(柿崎景家)が死を賭し、近江(甘粕景持)が身代わりとなったは只相討ちを狙う為に非ず」
刀を2本首に突きつけられながら、彼は一切動じない。
「問いたい、宮内大輔殿。我が渇きは戦と酒でしか満たされなかった。此れは治せるか」
少し経って、布の向こうから義龍が顔を出した。
「人には人其々己が欲する物は違う。書物を欲する者もいれば、金を欲する者もいる。しかし、酒に関しては欲するだけでなく求めて止まなくなる事がある」
アルコール依存症。そうよばれる症状に近い状態。しかし、それは彼の本質ではない。
「自ら律する事無く酒を求めたのは一種の病。しかし、平三殿の其れは戦を望み、其の為に必要な理由を探していただけに見える」
「成程。そう見えるか」
「血を求める事は生き物本来の生存本能・競争本能だ。しかし、其れが些か度が過ぎていたと思えた」
義龍は前世、残念ながら精神科医としての専門的な勉強はしていない。だが伝聞のみでも、上杉平三という男の精神の異常さは理解できた。
「戦乱の世、狂気が身近故の渇きでしょう」
戦乱の申し子の1人。それが軍神と呼ばれる世界線をもつ男。戦争のためにあらゆる大義を利用する男。どこまでも戦争を求めるために、どこまでも戦争で満たされない男。
「成程。面白い。なれば戦乱が終わらねば、いや、終わっても我が渇きは治らぬであろうな」
その瞬間、彼は手の中に隠していた石つぶてを義龍に向かって手首だけで投げた。しかし、布の前に置かれていた板ガラスにぶつかり、義龍には届かない。割れたガラスは軽やかな音とともに崩れる。
「良い話を聞かせて頂いた。修羅の亡者に教えに参ろう」
日根野兄弟が慌てて刀を振る前に、そう言った平三政実は台を降り、隠し持っていた小刀で自らの頸動脈を切り裂いた。
直後に日根野弘就の一撃が首を半分、そして日根野盛就の一撃でもう半分が切れ、不揃いな切り口で首が胴と分かれた。そして、首は下に落ちず台に乗るように落ちた。
その時、布に包まれていた首が姿を現し、その神妙そうな表情だけが家臣で唯一1人の大名の死を見届けていた。
上杉平三政実、享年数えで33であった。
上杉・長尾両一族はほぼ壊滅し、古志長尾氏・八条上杉氏なども各地で全滅していった。
越後は下越地方を除いて、織田・斎藤氏の支配下に入った。
自らの『渇き』の理由を最期まで知りたかった軍神、退場です。一個人として、自身の異常性を認識しながら突き進んだ彼の、最期の最期だけ出た小さな救いを求める声でした。ただの狂気で死にに行くための戦ではないことを知っていたからこそ、小島弥太郎や柿崎景家らは協力して死んでいったという風に思っていただければ幸いです。
それにともない長尾上杉氏は壊滅。残ったのは一部の国人のみとなりました。
かなり壮絶な戦が終わったわけですが、被害はあまりないです。そのため、主人公はこの後予定通り東北方面へ活動の場を移していくことになります。




