第268話 七難八苦
後半が3人称になります。
美濃国 稲葉山城
夏も終わりに近づいてきた。今年は夏の初めに台風がきたが、揖斐川や長良川の氾濫をなんとか防げた。堤防が安定したのがあるが、浚渫の効果も大きかったと思っている。ただし、一部の田畑は純粋に大雨の被害を受けたので、少しだけ作柄が微妙なところがある。ただし、台風の大雨で水力発電の試作設備はかなり順調な状態だった。前世で幼い頃読んだエジソンの伝記を頼りに石清水八幡宮に生えている竹を使い電球を創ったのだが、発光には高い電力が必要だった。竹のフィラメントは意外と難しくなかったのだが、これが発光できるレベルにまで発電量が届いていなかった。しかし大雨で増水したおかげで発電量が設備の限界レベルまで上がり、初めて発光に成功した。だが銅線のクオリティの問題もあるだろうが、もう少し色々と改良しないと実用化には程遠いだろうけれど。
信濃で戦っている真柄兄弟・朝倉・不破から連絡が入った。事前に寝返りたいと連絡してきていた屋代氏が村上義清出陣後に自領で寝返り、村上義清の後背を脅かしたそうだ。単独で、しかもうちと対峙していなければ脅威ではなかっただろう。しかし、この屋代正国という男はかなり強かだった。戦はうまくないと武田からの情報で入っていたが、寝返ったタイミングは絶妙だった。しかも密かに親族を人質に送って来ており、誓書を善光寺に捧げる念の入れよう。寝返り者ではあるものの、俺がこれで冷遇すれば逆に俺が非難されかねないレベルの徹底ぶりだった。更に、誓書に添えられた書状には、朝倉か芳賀、日根野との縁戚を望んでいる、と書かれていた。腹心の十兵衛でなく中核武将で願ってくるあたりも見事、とは隠居生活が板について美濃に出入りする公家と和歌集を作っている平井宮内卿の言である。
同様に接触してきた小笠原長時ら小笠原一門(彼らは三好と同族ということでお満を頼って木曽路を逃げてきた)の案内で、村上の動揺をついた真柄兄弟によって義清本隊以外が壊滅したそうだ。このままいけば村上の居城・葛尾城には冬前までに攻めこめるだろう。
十兵衛は満足そうだ。
「真田も此方に使者を送って来ましたし、順調ですな」
「武田の動きは?」
「木曽を通じて清酒を差し入れました。多くの将兵が浴びる様に飲んでいたとか」
「良し。武田には悪いが少し酔い潰れて貰え」
十兵衛によって贈られた戦勝祝いをかねた酒の贈り物は、朝倉景鏡の首を渡しに来た時の兵を中心に奪い合うように飲まれたそうだ。相応の出費だが、武田には元々そこそこの量の清酒を出荷していたので効果はてき面だった。
「井ノ口の状況は如何だ?」
「若様が調べた所、以前畿内に住んでいた者が近江や京に一部戻っておりまする。平穏が戻り、市場も活気が出て参りましたので」
「成程。となると空き家が出るか?」
「いえ。人口が増え始めた頃生まれた子が大人になって各地で職に就き始め、新しく家を求めておりましたので」
「美濃に土着した世帯数は変わらない訳か」
1540年頃から増え始めた人口。その人々が成人してきたタイミングがきている。新しい世代が結婚し、子供も生まれつつある。そのため一時期は家不足が懸念されたのだが、これに前後して近江と京の復興が進んできた。流れてきた人々の中に故郷へ帰りたい人々がいることを知った龍和が、成安市右衛門の助言を受けて帰郷支援をして空き家を作りだしたそうだ。
「大通りを狭くしたく無いとの殿の願いは何とかなりそうです」
「そうか」
今は大八車と馬車が少しだけだが、いずれは自動車の通る幹線道路となる道だ。広いままの方が良い。最初は父道三に「広い道は守り難い」と難色を示されたが、必ずこれが活きると説得したのを思い出す。結果的に、現状の道幅は馬車用の石畳をしっかりと用意できるレベルになっている。前世で見たことのある馬のサイズより小さい(といってもそれなりの大きさだが)馬が多いので、大型の馬が海外にいるか探しつつ馬車による物資の輸送が根付きつつある状況だ。
「平安京を模した街造りはせぬのですね」
「碁好きと言えど、碁盤の目の街が好きなのでは無い」
そういえば、最近は仙也と碁を打っていない。ここ2,3年で誰も仙也に敵わなくなっているらしく、最近はむしろ堺で有望な弟子を育てて自分の対戦相手を育てようとしている。仙角という自分の息子が試しに教えたら筋が良かったらしく、そのまま子供に碁を教えるのが楽しみになっているそうだ。
都市内部の排水を考えて緩やかな傾斜のついた水道が道の両端についているが、これが碁盤の目の街だと溢れやすい場所ができるのもそうしない理由だ。地下に試験的な排水管を用意していたのだが、この前の台風では都市内部の排水で有効に機能していた。河川に水が集まり過ぎるのも問題ではあるが。
「あっという間に、秋が近づくな」
「時の流れは早いもので」
このまま、今年を生き延びて。運命を1つ変えたと、確信をもって次に進みたい。
♢♢
因幡国 鹿野城
「御館様ぁ!一旦御退き下され!」
最前線に立つ1人の武士が叫ぶ。名を山中鹿介幸盛。因幡の尼子軍を支える若き勇将である。先だっての浅井との戦で兄を失い、正式に家督を継承していた。
「よもや筒井が此れ程戦上手とは思わず!此方より搦め手を先に崩すべきかと!」
「此方は保つのか?」
「藤左衛門尉(亀井国綱)様と何とか致しまする!其れより美作(川副久盛)様を!」
「分かった!頼むぞ、鹿介!」
「御意!」
浅井元政は美作の八割方を統一すると南への備えを後藤勝基に任せ、自ら兵を率いて因幡へ進出した。尼子当主・尼子義久が因幡に入って織田の支援を受けていたためである。これを知った尼子家臣は出雲・石見の維持で一応の意思統一を見せ、石見ではギリギリで銀山を死守する体制をつくりあげていた。出雲南部には毛利に備えて兵を展開するため攻勢には出られないものの、こうなると尼子には底力がある。浅井単独で因幡に勢力を拡大するためには尼子当主の排除は至上命題といっていい状況だった。
因幡と伯耆の国境の要衝である鹿野城の攻防では、浅井方先鋒の筒井兵が活躍していた。筒井兵を実質的に率いるのは島左近。若いが今回の伯耆・美作での連戦で頭角を現した人物だ。幼い当主・筒井順慶を補佐する父に代わり、最前線で体を張っていた。
「又貴様か!鹿介!」
「左近!奴を討ち取れ!我が兄上の仇ぞ!」
両者が互いを視認すると同時に激しくぶつかり合った。先だって伯耆での戦で山中鹿介の兄を討ち取ったのが島左近であった。病がちだった兄が近年は美濃の薬で体調を回復し、前線に復帰した祝いの戦になる筈だっただけに、鹿介の怒りは尋常ではなかった。
島左近が最前線に身を晒しながらもひたすら指示を出すタイプなのに対し、鹿介は自ら槍を手に取り、その武勇で兵を引っ張るタイプである。違いはあれど、どちらも果敢に、一歩も退かずに戦っている点は同様であった。
両隊の激戦は半刻(約1時間)に及んだが、浅井元政の搦め手が背後を突く前に川副久盛に阻止されたことで浅井軍が撤退を決定し、この日は終戦となった。
鹿介はその日の夜、星空を見ながら願った。
「我に立ち塞がる艱難辛苦、何れも並々ならぬ者共なれど、何時か殿を支え、出雲に帰り、そして島左近を討ち取らん。其の間に我が身に降り懸かりし数多の苦難、必ずや乗り越えてみせ給う。御仏よ、天照大御神よ、御照覧あれ」
守りの堅さから浅井元政が因幡攻めを断念するのは、この1月後のことであった。
山中鹿介が本編初登場。史実でも活躍した武将なので活躍に期待です。とはいえ、島左近と地味にあまり変わらない年齢のため未熟なりに全面衝突なかんじです。
実は主人公は気づいていませんが、本来死ぬはずの日は既に過ぎています。しかし、そんな知識は彼にないので、まだ臆病な立ち回りが続きます。




