第265話 支え
遅くなりました。最後だけ3人称です。
いくつかコメントで提案をいただいておりますが、主人公にあらゆる知識があるわけではないので、教科書などの知識という制限をつけさせていただいております。ご理解いただければ何よりです。
美濃国 稲葉山城
夜。お満に呼ばれた。俺から声をかけることはあっても、彼女から声がかかることは稀だ。
部屋に入ると、豊や幸、於春に江の方と室全員が揃っていた。
「如何した?」
「御話が幾つか。先ずは娘達の嫁ぎ先で御座います」
「うっ」
「逃がしませぬ」
10年以上経っても耳に心地よいその声が、今日ばかりは強く俺の耳を刺激する。いつもより刺すような雰囲気があった。
「年頃の娘が何人居るか御分かりでしょう?幸の所の弥音は成安市右衛門と決めて頂きましたが、弥音以外は其の直ぐ下の玉衣でさえ決まっておりませぬ。玉衣は今年でもう十六に御座いますよ?」
先送りしていた頭の痛い問題が1つ目の用事らしい。正直な話、縁談自体は山のようにあるのだ。だが最近は色々と柵も多く、簡単には決められないことも多い。例えば公家。彼らはお満との娘を欲しがる。お満は形だけだが飛鳥井家の養女だ。飛鳥井とも繋がれる俺の娘というポジションがとても手を伸ばしやすいのだろう。しかも兄である嫡男龍和の正室は三条家の娘であり、状況次第だが俺の嫡孫に複数の男子が産まれたらその子が三条を継ぐ可能性もある。そうでなくても女子が産まれたらその子が摂関家の次男三男に嫁ぐのはほぼ決定事項だ。しかも飛鳥井家のお満の義姉は帝の典侍。その義姉に男児も産まれ、あわよくば宮家との縁戚もありうるのだ。
そんなお満の長女である玉衣は、年頃の近い従三位権中納言一条内基様との御話までいただいている。畏れ多いことだ。
公家でも実務官僚系の公家からは、豊の娘が人気である。北小路家の養女で三条家との繋がりが生まれるとなればそれも当然か。さらに言えばうちの息子の誰かが北面の武士のまとめ役を継ぐという話が(朝廷の噂としてだが)出ているらしい。これがその動きに拍車をかけている。持明院宗栄様は「恐らく摂関家の何処かが公家の皆々が如何思うか知りたいのであろう」と仰っていた。世間の反応を見るために事前に噂を流したり世論調査をするような感じなのだろう。
「た、玉衣は権中納言様からも御話があってな」
「伺っております。此れ以上無い縁かと」
「だからこそ、だ。他の御話を頂いた方々には、きちんと断りを入れねばなるまい。俺の自筆にて出すのが礼儀だ」
正直な話、断りの文を入れるにも俺が忙しすぎた。今年はそういう諸事を進める絶好の機会なので、彼女についてはそうするつもりだった。
「では、沙夜は如何なさいますか?此方も多くの方から御誘い頂いておりますが」
そう。ここからが本当の地獄だ。俺的には、沙夜は数えなら14だが実際はまだ満12歳。誕生日を考えても沙夜は未だ小学生中学生という感覚なのだ。だから結婚には早すぎると思ってしまうのだ。
だが、沙夜の妹の依茶が北小路家の御子息と同い年ということで縁談をもらっており、豊も世話になったのでこれは婚約としている。豊が養子入りした三上家は北小路家とも繋がると大喜びだ。今の帝が院になれば北面の武士をまとめるのは彼らで内定しているらしい。
依茶については、豊が北小路家で修行した侍女と共に前々から作法を学ばせており、2度向こうの家にも行かせている。医術も簡単なものは仕込んであるそうだ。
というわけで沙夜はどうしようかという問題になる。沙夜の場合、相手次第では即嫁いでしまう。もう少し待ちたいのだが。
「功臣を一族に迎えるでも、他家との繋がりを強くするでも宜しいです。其れを決めるのは殿で御座います」
「他家、なぁ」
例えば佐渡島の本間氏や飛騨の江馬氏などは、うちから誰かを嫁がせれば大喜びするだろう。三木氏がうちの援軍をもらえたのも縁戚関係があるからと見ている家はあるだろうし。豊や幸の子は北条氏や摂関家相手では微妙だが、ある程度の家ならば有効だ。
「豊は如何思う?」
「意見を申せる立場には御座いませぬが」
「まぁ、お満を立てるは正しいが、1人の母として如何思うかは申してみよ」
母親の意見は多少聞いてもいいはずだ。幸の娘である弥音は幸の意向と成安の家のことがあったから決まった縁なので、豊も多少は意見をだせる。
「ならば。彼の娘は殿に良く懐き、人を救う事を良く思う娘。医師に嫁ぐが最上かと」
「医師か。十兵衛の息子の自然丸が医学に励んでいるとか」
「次男に、というのは如何かと」
「確かに。しかし十五郎は歳が離れていないか?」
「十五郎殿は、父である十兵衛殿を継ぐべく武芸勉学に励んでおりますからね」
明智十五郎和光。先日息子の龍和が偏諱を与えた十兵衛の嫡男だ。明智宗家の名乗りである十五郎を名乗り、明智光綱殿から正式に明智宗家を受け継いだ。十兵衛は妾腹のため、逆に自由に俺に仕えることができていたわけだが。
「十五郎に嫁がせるならば和香か。5年程我が家できちんと教えてからだが」
「第一の功臣を一族に迎えるは良う御座います」
お満の声から少しずつ威圧感が減って、いつもの耳に心地よい音に戻っている。
「沙夜には半井瑞策殿の倅が宜しいかと。良く殿の書かれた医書を片手に瑞策殿に教えを受けておられます故」
「私の直丸が錦小路家を継げば、帝より認められし医家が何方も殿の血筋となりますね」
於春の長子である直丸は錦小路家を継ぐのが決まっている。錦小路盛直様より1字を受け継いだ幼名だが、来年あたりに錦小路家に入るため京で色々とやる予定だ。半井瑞策は俺の年上の弟子として、俺の医術を次代にしっかり伝えるべく現在医学校の校長として実習を仕切りつつ、美濃の医院で定期的な診療にも従事している。
「では、此れで話は終いだな」
「いえ。一番大事な御話が」
全員がじっとこちらを見てきた。まだ何かあったか。わからない。
「殿、昨秋から少し急ぎ過ぎでは御座いませぬか?」
声色がまた変わった。最近少しできるようになっていたはずの顔色を隠すのに失敗したのを感じる。
「殿は未だ未だ御若いのに、何やら生き急いでおられる様に感じます。何か御不安でも?」
「最も日の浅い身ですが、閨の殿が魘されている事が増えました」
お満だけでなく江の方にもおかしいと思われていたらしい。俺としてはなるべく表面には出さないようにしていたのだが。内容が内容だし。
「既に殿に嫁いでからの日々の方が長くなりました。もう三谷の娘でも、三好の娘でも御座いませぬ。だから、殿が誰にも言わず悩んでいる事は分かります」
「戦や新しい物作りで悩む時は、其れでも何処か楽しそうで御座います。然れど今の殿は何かを怖れている様で」
お満にも、豊にも。
「寝ている間、前よりも強く抱き締められる」
「其れ自体は至極心地よいのですが、皆様も憂いておりますれば」
幸も、於春もだ。
「申せぬ事なれば構いませぬ。只、殿は私共のかけがえの無い御方」
「出来る事があれば、分かち合える物があれば、何でも致します故」
前世では得られなかった伴侶という存在。俺なりに甘えたり、愛したりしてきた。
「殿は強い御方。然れど、常に強くだけあれとは此処にいる誰も申しませぬ。其れは魑魅魍魎に御座います」
「さ、殿、此方で頬の物を拭いなさいませ」
江の方に差し出された布を受け取って、はじめて涙が出ていたことに気づいた。気を張りすぎたか。暗殺や毒殺にまで過度に気にしていたので、どこでも気が休まらなかったのだろう。
両手を豊と幸が握って、いや両手で優しく包んでくれる。持っていた布を俺から受け取り、江の方が頬を拭う。左頬に手が添えられる。於春の手。そして耳元まで近づいてきて囁く、お満の声。それら全てが温かい。
「ねんねんよう おころりよ
方やはよい子だ ねんねんよう
日暮れの花の つぐまるように
よい子だ泣くなよ ねんねんよう」
俺が教えた、前世の岐阜でよく聴いた子守唄。お満の歌が、耳を、脳を、心を、揺さぶる。
「御安心を。此処なら、何があっても殿は守られますよ」
全員に押し倒されるように敷き布団に導かれ、俺は皆の歌を聴きながら眠りについた。
「ねんねんよう」
「おころりよ」
「方やはよい子だ」
「ねんねんよう」
久しぶりに、半日近い間俺は眠り続けた。
妻たちの匂いと歌に包まれながら。
♢♢
夜。規則正しい寝息を立てている義龍と妻たちの隣の部屋で、2人の男がひそひそと話をしていた。明智十兵衛と新七郎である。
「やっと殿が休んで下さったか」
「新七郎殿が殿が休んでいないと申された時は驚きました」
「寝ているのですが、寝息が常時と違った故、瑞策様に聴いて頂いたのですよ」
「やはり、常時の事は新七郎殿が一番良く御存知ですな」
「某では十兵衛様の様な戦働きは出来ませぬ故」
「誰か1人で殿を支え様など烏滸がましき事。我等は手を取り合いながら殿の為さる事を支えるのみ」
「左様に御座いますな」
まぁ史実だけとはいえ、自分が今年死ぬという知識があれば人間にストレスがかからないわけもなく。特に1度死んだ主人公がこれを怖がるのは当然かと思います。だからこそ、長年の付き合いのある人物たちがそれに気づき、動く。子供や家臣がいればそういった話は難しいので妻陣だけでしています。
弱さがない主人公は人気がありますが、人間味がなくなるのも違うかなとは思っております。




