第261話 夢の足音
1日遅れました。文章訂正が1日遅れるのが申し訳ない限りです。
最初だけ3人称です。
信濃国 林城
上杉政実敗れるという報が小笠原長時に届くとほぼ同時に、武田信玄が信濃の塩尻峠を越えたという報も届くこととなった。そもそも正式な同盟は結ばれておらず、名目上は敵であった武田信玄という男だからこそ、政実は備えとして小笠原長時や海野幸光を信濃に残していた。だから、織田が勝ったとなればその行動は当然のことといえた。
「やはり武田は武田か。勝ちに乗じる事しか出来ぬ」
小笠原長時は村上義清や真田幸隆の帰国まで彼らの領国を守るため、海野との連合軍3000で出撃した。攻める武田信玄は5000。織田・長尾上杉の決戦から遅れて15日後に行われたこの一戦で、武田信玄は宿敵の1人小笠原長時を破って本拠地林城を奪うことに成功した。小笠原長時は村上領に逃亡し、海野氏も大きな損害を出すことになった。
しかし、武田側も予定以上の損害を受けたことと食糧の供給に不安があったため、林城から先には進めず。そして真田幸隆・村上義清の信濃帰国を受けて、海野領からは兵を撤退せざるをえなかったのだった。
信玄から北条氏康宛の手紙には、「信濃の事は宜しく任されたし」と綴られていた。
♢♢
越前国 敦賀
秋。海路で敦賀湊まで戻ってきた。弟たちには残ってもらい、真柄兄弟に飛騨へ援軍に行ってもらった。飛騨の安定化のため江馬氏の内紛を解決する仕事だった。真柄の兵が向かうと、支城を全て失っていた父親で反斎藤の江馬時盛は高原諏訪城を守りきれないと判断したらしく、真柄隊に突撃し討死した。開城した高原諏訪城で江馬輝盛は降伏とともに弟の右馬允信盛と産まれて間もない娘を人質として差し出してきたそうで、俺たちの船の後にこちらに来る予定だ。
それ以外にも内ヶ島氏は加賀に移住させるので一族がこちらに向かっているそうだ。前世で聞いたこの地域の金山だが、言う程採掘量が多いわけではないらしい。埋蔵金がどうのこうのと熱弁していた友人がいたが、世の中消えたものほど噂に尾鰭がつくものだとよくわかる。内ヶ島氏が貯えていた黄金は、新しい屋敷を加賀の領地に造るのに大部分は消えそうだ。帰雲城は当分代官だけ置く形だな。地震の詳細までは知らないので、20年経つ前には代官所を別の場所に用意するつもりだ。本能寺より後というのは確かだし。
敦賀で出迎えてくれたのは正三位参議持明院基孝様と尼子義久殿だった。京からわざわざ来てくれたわけだが、用件は何だろうか。持明院様は何となく分かるのだが。
「持明院様、尼子殿、何故此方に」
「いやいや、同格となった貴殿は其処迄畏まらずとも良いのだ、参議殿」
「という事は」
「従三位参議、確と任ぜられ申した。御子息も従五位下美濃守に」
「有り難い」
やはり朝廷からの使者として、ということでもあったようだ。
「後、造幣局とやらの許可が降りた。直ぐに鋳銭司を誰かから選ばねばなるまい」
「おお、もう許可が下りたのですか。では其の件は信長と話し合っておきます」
紙幣の準備段階として兌換できる貿易用の銀貨金貨の準備をしているわけだが、そのためには朝廷のお墨付きが欲しかった。堺の協力もあって鋳造技術を少しずつ上げているだけに、2、3年で許可が下りればと思って話していたわけだ。
「院がな」
「院ですか」
「春先も体調を崩された。長くは保たぬと仰せでな。何とか此処迄尽力した其方に報いたい、と」
「勿体無い御言葉です」
「其れに、鋳銭司は長らく誰も任ぜられておらぬ。官位を渡しても誰も困らぬ故な」
「成程」
こうした朝廷における官位の昇進順は公家の中ではそれなりにしっかりと定められている。年次が下の人間は簡単には上の人間を追い抜けないとか、家格の関係で摂関家に子が産まれたことで足踏みすることになるとかが発生するのだ。
そういった柵の外に鋳銭司があったので、スムーズに話が進んだのだろう。
一通り京でやることについて聞いた後、尼子義久殿に向き合う。彼からすれば朝廷の情報は欠かせないのだろう。隣で俺以上にウンウンと頷いていたので待たせたのも問題なさそうだ。
「三郎(義久)殿、態々の出迎え、何か御座いましたか?」
「別に何かという程ではありませぬが、少々御願いしたき事が」
厄介事だろうか。なにせ尼子は今毛利と戦の最中だ。戦況はあまり俺のところには届いていなかったが、博多がやや孤立しているのを豊前で支えている状況とは聞いている。そして備中の三村氏と庄氏に両者が肩入れして戦っているとも。
「実は冬になる頃我が弟が此方に来る予定でして。是非参議様に元服の烏帽子親をと」
「俺に?」
「三好殿には毛利から御願いがあったでしょうから」
瀬戸内海の東西支配を分け合う関係から、毛利は三好に頼ることで状況を有利にしたいようだ。
「此度の戦で長尾は滅びるでしょう。となれば後は我等の関わる一帯と陸奥の争乱のみ。皆様との繋がりは大事にしたいな、と」
父が文で申した事ですが、と彼は相変わらず平然とした顔で言う。
「其の代わりと申しますと誤解されかねませぬが、石見の銀を御渡し致します」
「元服の儀の資金は其れから出しましょう。此方としても貨幣に銀は使いたい」
但馬の銀山があるとはいえ、貨幣の用意には足りないかもしれない。だから多いに越したことはない。
♢
美濃国 稲葉山城
戦勝に沸く稲葉山城下。今年は比較的気候が穏やかだったおかげで作柄も安定しており、豊穣の祭りと相まって大騒ぎだった。那古野も似たような状況らしい。上野は国人がほぼ全滅し、ほぼ真っさらになったとのことだ。織田は北条氏との取り決め通り上野と駿河・伊豆を交換する方向で調整に入ったそうだ。北条は始まりの地である伊豆を手放してでも関八州の確保を優先したいという考えで、織田は伊豆と駿河の金山に加え伊豆の湊が今後の遠征に必須と考えていたからだ。関東での半独立的な地位が欲しいらしい。信長と義兄殿とは経済的な発展で長期的に北条を取り込もうという話になっている。
最近は美濃や加賀で寺社に俺が、というより俺ということになっているキリストが祀られる祠が造られているらしい。
「安産祈願、病気平癒、商売繁盛、子宝等が叫ばれております」
「いやいやいや」
ちゃっかりと謎の祠を高田派の寺院に建てまくっている堯慧殿が報告してくれる。
「高野山だけが其の動きに反発しておりますな。後は異国の教えだ、と法華(日蓮宗)も」
「まぁ法華は何時も通りよな」
日蓮宗とは父や弟から繋がっている。だが高野山だけは先日の件もあって反発があるのだろう。
「高野山自体は却って強硬になっている様子ですな。毛利に文を送るだけでなく、大友や伊達にも何やら使者を出しているとか」
「帝にも何度か使者を出しているからな」
「根来寺の話も聞かぬ様で」
「根来衆にも我等に従わず、高野山に入った者も居る」
「奥出羽守等でしたか」
奥出羽守義弘や長坂泉徳院といった国人領主レベルで高野山に同調する者はいる。
「今後、高野山にも何かしら手を打つ事になりましょうや」
「恐ろしや。何が我等を分けたのやら」
難しいところだ。比叡山は三井寺との抗争で衰退し、三井寺は大規模に討伐を受けた。興福寺は筒井の焼き討ちに遭い、石上神宮も武力を段階的に手放すこととなった。本願寺も武力を手放し、根来寺の僧兵は織田や三好に吸収されたのだ。こう考えると多くの寺社がこの数年で急速に武力を失っている。こちらの願い通りとはいえ、反発が強い勢力が出るのも仕方ないだろう。
「貨幣は敢えて穴は開けずに進めまする。大秦の貨幣には穴が無い。天竺とも取引するなら彼等の物に近く致しまする」
「彫る文字は如何なさるので?」
「日本国、と年を入れれば良いかと」
偽造防止はシンプルだ。文字を小さくする。読むのがギリギリ可能なように。ただそれだけだ。鋳造でこれができるとそうそう偽造が出来ないのだ。
「弘治の字と年数を可能な限り小さく、然れど分かる文字の大きさにするので」
「昨年伺った時は出来るかと不安になりましたが」
「大事なのは型の金属が摩耗の少ない、熱に強い物にすること故」
「もう少し鋳物師を育ててからになりましょうな。堺から集めた者が参議殿の遣り方に慣れる迄」
「長尾との戦を来年中には終わらせまする。其処からですので」
「で、御座いますか。兄(飛鳥井)も御三方を助けてくれましょう」
来年は節目の年だ。俺にとっても、天下統一のためにも。
武田はちゃっかりと両者を天秤にかけながら信濃か駿河を自分のものにしようとしていましたので、今回は信濃に向かう事を決めました。とはいえ小笠原長時も史実で無能とはいえない人物でしたので、本拠を奪うので精一杯でした。真田・海野・村上らはまだいますので、どこまで自力で信濃を切り取れるかは不明です。
そして、ついに主人公は従三位に。信長も右大弁に、長慶も式部大輔(侍読にはなっていませんがそのあたりは特例です)になっています。
次話から1561年。激動の時代は続きます。




