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第260話 天下分け目の榛名山 (下) 決死と必死と万死

展開に地図上の問題があったため書き直しをしたので1日遅い投稿になりました。ご心配をおかけしました。一部の方はメッセージまでいただきありがとうございました。

全編3人称です。

 上野国 箕輪城


 夏の上州は暑い。フェーン現象によって赤城山からもたらされる暖かく乾いた風がこの地を襲うからだ。しかし夏の上州にはもう1つの特徴がある。それが落雷の多さだ。

 上杉平三政実はこの雷雲を待っていた。定期的に深夜出かけては朝方戻る中で、雷雲が発生する予兆である「昇り龍」と政実が呼ぶ積乱雲の成長を彼は見ていた。数年間ここで戦ってきたからこそ、彼はその日の夕方に雷雨が降ると確信した。


「出るぞ」


 長尾上杉全軍、出撃。いつもなら戻り次第寝る彼の一言で、兵たちは一斉に準備を始め、昼過ぎには箕輪城や周辺から3万弱の大軍が織田軍と対峙する最前線へと兵を出発させたのだった。


 ♢♢


 そして、織田右小弁信長も最前線からの狼煙でこの動きを察知した。即座に全軍が動き出す。


「来るか、越後の龍」


 43000という大軍が、各地から続々と榛名山の麓に集まった。両軍合わせれば7万という、日本史上でも随一の合戦が始まろうとしていた。



 箕輪城から南東に進んだ三国街道沿いの和田北部で両軍はその歩みを止めた。織田軍の砦が東と南西にあり、迂回路が砦に阻害されるその場所は一見長尾上杉軍に一方的に不利な場所だ。それでも、上杉政実はそこで軍勢を止めた。

 そして、おもむろに髪を刀で切り捨てた。


「髪を捧げて神を呼ぶ、とは言葉遊びにもならぬか」

「殿」

「見よ、空が落ちて来た。此れで火縄も使えまい」


 ぽつり、ぽつりと雨粒が地面を濡らし始める。雨雲にしては明るい色の積乱雲が、ついに自重に耐えきれず滴を落とし始めたのだ。それと同時に、小さく唸るように聞こえていた放電の音が大きさを増す。


「後は覚悟だけ。北条きたじょうと本庄を前へ」


 そして、雨音が次第に大きくなる中、それでもなぜか響く「えいとう、えいとう」という声が、開戦を告げる合図となった。


 ♢♢


 剣戟の音がかき消される豪雨と、時折本能に恐怖を与える落雷が戦場を包んでいた。

 開戦から1刻(約2時間)が経過するも、先陣の柴田勝家・森可成・酒井忠尚らの軍勢は攻めあぐねていた。


「やはり国人等が死に者狂いか。やむを得ぬ」


 柴田隊の前にいたのは沼田・長尾といった上野国人領主の軍勢。彼らは自分たちの本領安堵を求めて敵対していた。その領地にかける思いは強い。その思いが強さとなって序盤の長尾上杉軍を支えていた。


「だが、国人は兵が少ない。そして兵が居なくなれば簡単に補充がきかぬ。故に今耐えれば後々に繋がる」


 柴田隊・酒井隊が国人相手に耐えている間、森可成隊は北条高広隊相手にやや苦戦を強いられた。北条軍は越後の国人領主では随一の勇敢さで知られ、これまで何度も下野や上野で北条綱成らと互角に戦ってきた実績があった。また本来火縄銃で戦うはずだった森可成の部隊が、豪雨や落雷で想定した動きが出来なかったのも苦戦の一因となっていた。


「北条の後方に上野源六(家成)が、其の更に後方に本庄美作(実乃さねより)か。分厚いな」


 こうして膠着した前線を利用して、長尾上杉軍は猛将・長野業正の軍勢が決死の迂回攻撃を仕掛けた。当然だが戦場で目立つ動きを、それも長野業正という大物がしたために織田側も即時反応した。迂回路を監視できる砦にいた磯野員昌は、長野業正の旗印を確認すると砦から出陣して迂回阻止に動いた。

 しかし、これはある種の罠だった。長野業正は自身の体調から余命いくばくもないと悟っていた。そのため、自軍の迂回を支援するため自分自身の命を囮に使ったのだ。


「既に我が天命尽きるに等しい。亡き吉業の仇は取れずも、せめて一矢を報いん!」


 長野隊は砦から出撃した磯野隊2000の兵を500の兵で追い詰め、磯野配下にいた旧浅井家臣の将を多数討ち取った。磯野員昌自身は命からがら砦に戻る事が出来たものの、その間に長野業盛と柿崎景家の隊が迂回に成功した。磯野員昌は敵軍突破の狼煙を上げさせたものの、豪雨と雷光によってその情報は後方に伝わるのが遅れた。

 迂回を試みる敵軍に対応すべく移動していた旧伊勢北畠家臣の藤方朝成と家城いえき之清そして神戸かんべ利盛の軍勢だったが、狼煙の視認が厳しい状況のため敵の察知が遅れた。家城隊・神戸隊が先んじて発見し対応したものの、一帯での戦闘経験の多さと父親の決死の覚悟を背負った長野業盛隊を止めることのできる軍はなかった。大幅に崩されたところで柿崎景家隊が戦場に乱入したため、伊勢勢は神戸利盛が討死するほどの大崩れとなった。そのまま潰走する寸前の状況を家城隊が辛うじて支えていると、藤方朝成が増援を要請した滝川一益隊が到着。紙一重で迂回した敵を食い止めることに成功するのだった。


「猛将の子は猛将か。しかも柿崎という男、自ら槍を振るって兵を鼓舞する見事な武者振りよ」

「世が世なら天下の勇将と呼ばれたでしょうな」

「だがああいう将の時代は間も無く終わる。否、此の戦で終わらせねばなるまいよ」


 滝川一益はあえて柿崎景家に張り合うように前線近くに自ら立ち、辛うじて使えるように保護していた火縄銃で柿崎隊の馬廻りを狙い撃ちした。


「我、臆病故、火縄で相対する事許せよ」


 雷鳴によって発射音がかき消されたのがかえって彼を助けた。本来ならば武者が3人4人がかりで倒すべき精兵が、火縄の一撃で怯み、長槍に傷ついていく。


「其れでも、倒れぬか」

「二人程道連れに馬から落ちまして御座いまする」

「真正面からぶつかりたく無い相手だな、つくづくそう思う」

「右に同じく」


 柿崎隊・長野隊ともに、このままでは敗北は必至という状況の中、迂回路を通って長尾上杉側の援軍が現れた。


「彼れは、長尾本隊の馬廻り、か?」


 小島弥太郎率いる、虎の子の精鋭部隊だった。


 ♢♢


 齋藤氏との合戦で失った精鋭は戻っていない。


「弥太郎、幾度なら出られる」

「四半刻。其れだけなら前の部隊と同じ動きを出来ましょう」

「其れ以上は足が動かぬか」

「恐らく」


 弥太郎は自分の鍛錬を削ってまで、必死で部隊を訓練してきた。それでも、この数年で復旧したのは相応のレベルまで。


「其方が死ねば次は無し。死ぬ時は共に前に出る時ぞ」

「では、頃合いを見て退きまする」

「行け、弥太郎」

「御意」


 そして小島弥太郎率いる最精鋭は、戦場を迂回した。


 ♢♢


 柿崎景家隊が数の差と馬廻りの損害によって押し切られる間際に、小島弥太郎の精鋭部隊が戦場に辿り着いた。途中、援軍によって立ち直った磯野員昌隊に呑み込まれかけていた長野業正隊を見捨てて。

 その軍勢は僅か500程だったが、滝川一益は自身の直感でその脅威を感じ取った。


「新手か!」

「な、長尾本陣の旗に御座います!」

「否、彼れは馬廻りのみだ。覇気が違う。となれば、鬼小島か!」


 すぐに滝川一益は弓を扱える者に小島隊の兵に射かけるよう命じる。が、一寸早く小島弥太郎が猛然と一番前で走り始めた。いつものように、具足は最低限で、月の前立てを角のように突き出す低姿勢で。

 それを片目望遠鏡で見た滝川一益は感嘆の声を上げた。


「長尾の武は鬼小島に在り、と聞いたが、正にとしか言い様が無いな」


 柿崎景家の元に文字通り駆けつけた弥太郎は、そのまま馬廻り合流まで景家をサポートすると、部隊の到着後は散々に滝川兵を崩した。一度は滝川一益本人に肉薄する程の勢いを見せたが、一益も自ら武器を取ってこれに応戦するなど、両軍は高い士気で譲らず。損害は滝川隊の方が多かったものの、将が一歩も退かない強い姿勢を見せたことで互角の展開となった。


 そして、四半刻が過ぎた。


 ♢♢


 同時刻、反対側を迂回した直江景綱隊と上杉政実の本隊は、砦から出撃して来た三雲定持隊・蒲生賢秀隊をあと少しで押し切るという状況だった。直江隊まで出した長尾上杉方は既にほぼ全軍が何らかの形で戦っていたが、織田軍は信長本隊・松平隊・佐々隊・林佐渡守隊などが戦場の趨勢を見ながら待機していた。


「弥太郎は越えられなかったか」

「長野殿の御子息、敵の丹羽なる者の増援に討たれたとの事」

「終わりか。此れ程満たされたのは初めて清酒を呑んだ時ですら無かったのだが」

「未だ全てを失ってはおりませぬ。三国峠を固めて親不知を固めれば!」

「佐渡島を奪われている。海が奪われた以上、無理であろうよ。寝返る者も出よう」

「くっ、しかし」

「しかし、未だ心残りがある。死にはせぬ」


 よく響く声で、上杉政実は撤退を命じた。


 ♢♢


 撤退する小島弥太郎隊を追う余裕などなく、滝川一益は人目を憚らずに泥と化した戦場に腰を落とした。槍を持つ手は震え、膝が笑っていた。


「は、は、は。勝った。勝ったぞ!」


 それは、柴田勝家に並ぶ出世格へと上り詰める活躍を見せた男の、心の底から出た叫びだった。


 ♢♢


 織田右少弁信長は、退き始めた長尾上杉軍の状況を聞いて全軍に移動を命じた。

 そしてそのタイミングで雨と雷が収まった。


「天運は我に在り!」


 無傷の佐々隊・松平隊・榊原隊が猛然と国人兵を呑み込んでいった。津波のごとく押し寄せた彼らの軍勢に、余力の残っていなかった国人兵は次々と討ち取られていった。特に松平隊の本多平八郎は、まだ13歳ながら初陣を迎え、自ら敵の安中あんなか忠政を討ち取ったことでその武名を轟かせることとなる。


「己が手で立てぬ武功の意味なぞ御座らぬ」


 彼は後にこう語っている。


 ♢♢


 撤退戦は壮絶だった。榊原長政隊と奥平貞勝隊は国人領主に構わず長尾上杉本陣を目指し、佐々隊は柴田隊らを援護しながら国人たちを殲滅・降伏させながら前線を押し上げた。長野業正・業盛親子は磯野員昌・丹羽長秀らによって討ち取られ、柿崎景家隊や小島弥太郎隊は撤退に成功したものの、本陣付近での戦いから直江景綱が逃げ遅れかねない状況となっていた。


「本陣迄は敵も来れぬだろうが、直江殿が孤立しかねんか」

「本庄(実乃)殿が佐々勢を止めておりますが、此の儘では敵の奥平勢が直江殿の道を塞ぎかねませぬ」


 焦る将たちも自分たちの逃走準備に必死で動くに動けずにいた。しかし、ここでもう1人の重鎮である金津新兵衛が声を上げた。


「儂が殿となろう。直江を先ずは逃がす」

「な、金津様が!」


 金津新兵衛は上杉政実の養育係を務めた人物だ。家格も高く、家臣としてより父代わりとして彼を支えてきた。本来は春日山の留守居として越後を守る立場だが、今回に限って本人の強い要望でこの戦場に来ていた。


「何と無く、な。そろそろ、と思うたのよ。虎千代の為に命投げ捨てる事が出来るのは」

「新兵衛様」

「さて、終の奉公と行くか。我が子の為に」


 老齢に差し掛かっていたが、元々の金津新兵衛は猛将として知られる人物である。彼が自らと長年鍛えた兵で全力で動けば、長尾上杉の看板ともいえる柿崎隊とでも僅かであれば互角に戦えるだろう。


 実際、この日の最後を飾ったのは金津隊による織田軍追撃の阻止であり、佐々隊や榊原隊でも彼の殿を突破することは出来なかった。

 比較的日が長い時期だからこそ夜になる前に終わった一戦は、積乱雲が過ぎ去った広い空の下、佐々成政に討たれた金津新兵衛が崩れ落ちた時に終了した。


 終わってみれば、損害を出しながらも織田軍は完勝と言える結果を得た。ただし、即座に追撃する余力はない程度に、この一戦は激戦だった。

 夕闇に染まりゆく榛名山が、勝者たちの前に悠然とそびえ立っていた

予定調和といえばそれまでですが、しかし相手はあの長尾上杉氏。兵数の劣勢を勢いやら予備兵力を極限まで削るやらで何とかしようとしましたが、どうにもならないものはどうにもならない。織田の横綱相撲に押し切られたかんじです。

群馬の夏は積乱雲の発生が多く、数年間ここで戦ってきたからこそこれを利用した長尾上杉方でしたが、それでも純粋に力不足でした。ちなみに、雷鳴は斎藤が保有する大砲対策でもあります。轟音慣れしておけば大砲で過剰に将兵が恐れないだろうという思惑です。実際は織田に大砲はまだないのですが、そこまで想定して動いています。


局地戦では織田の次世代を担う人々の活躍が出てきました。このあたりは斎藤側で鍋島・竹中・蜂須賀などが出てきたのと一緒です。佐々成政・丹羽長秀・滝川一益らが今後台頭してきます。

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[一言] 長野業正………上泉信綱………新陰流・転……… うっ、頭が(太閤立志伝Ⅴ並の感想)
[一言] 決定的な追撃までは阻止したものの、数多くの精鋭や猛将が討たれ、特に本領安堵を望む国人領主の多くは今回の一撃だけで瓦解したと見ていいでしょうね。織田は足軽雑兵が多い分だけ補充もまた容易ですし、…
[一言] 結構織田側の武将の被害も大きいですね。 とはいえ上杉側の損害はそれ以上のようですが。 あともう一戦やるならまだ戦っていない芦名、相馬辺りの東北勢を加えられるかどうかでしょうか。あと、伊達がど…
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