第229話 上武会談
♢♢まで3人称です。
信濃国 松本 白骨温泉
武田大膳大夫晴信はきっぱりと言い切った。
「断る」
「何故か」
「先ず、此れ迄幾度となく戦って来た相手を信じよというのが無理だ。そして、其方等で出せるであろう物が織田や北条の出せる物より良いとは思えぬ。そして、何より、織田と北条と斎藤と三好、此れに其方が勝てるとは思えぬ」
上杉平三政実は晴信の言葉をただじっと聞いていた。
「織田は四万、斎藤は二万、北条は三万の兵を動かせる。其方等では此れに抗えまい」
「今は、厳しいな」
上杉勢力は現在、上野・下野で2万5千、信濃で1万、越中で1万を展開している。常陸や下総、安房の味方も総動員すればもっと増えるが、その兵が集結すれば北条の各方面の兵が集結できるので意味がない。いや、もっと厳しくなると見ていい。武田の動員力は1万が限界であり、これが加わったとしてもとても勝負にはならない。更に言うならば、織田や斎藤の動員力は武田には正確に把握できていない。噂などからの推測数なので、実際はもっと遥かに多い。
「せめて北陸道を確実に抑えられれば違うであろうが、一揆に加え畠山に斎藤もいては敵わぬ。諦めよ」
「忠告痛み入る」
「ふん」
「だが」
そこで初めて、平三政実はその欲を、渇きを覗かせた。口角が歪に上がり、犬歯がギラリと黒光りして見える。
「強い者相手程、鍔を競りたくて疼くのよ」
もし、この様子を義龍が変えなかった歴史の晴信が見れば「面倒な」と心底嫌そうな顔をするだけだっただろう。その牙は間違いなく自分に向けられたものだったから。
しかし、この晴信にとってその牙の向かう先は北条であり。織田であり、斎藤である。だから晴信は、それを戦う気概があると受け取った。
「其方が如何思おうと、遠国で息巻いているとしか思われぬ。其処迄申すなら、何か成し遂げて見せる事だな」
晴信の言葉に、温泉を桶で顔から全身に浴びると「でしょうな」と呟いた。
「又会えるのを楽しみに致そう」
「出来れば戦場で向かい合いたくは無いな」
そう一言残し、温泉に終始入ることなく晴信はその場を去っていった。
♢♢
「厳しゅう御座いますね」
大膳大夫晴信がその場を去った後、ゆったりと湯に浸かる平三政実に近寄った小姓らしき少年がそう言う。
「いや、良き塩梅だった」
「ですが、武田は応じる素振りも無かったのでは」
「源五郎、真に応じる気が無ければ此処に大膳大夫本人は来ぬ」
源五郎と呼ばれた少年はその言葉に得心がいったようで小さな唸り声を上げる。
「応じる気が無ければ木曽の様に使者を斬って首を此方に届ける位する。其れが無いという事は、そういう事だ」
「彼れ程厳しい物言いでも、話し合う事が出来る相手なのですね」
「此の程度で感心されても困るな。斯様な化かし合いは苦手だ」
「殿でも苦手なのですか」
「大膳大夫は話の中で此方に能登を攻めろと言うて来た。賢しらな者はそういう事も出来る。我等の話し合いには表も裏もある、という事だ」
「表と裏」
武田からすれば、能登攻めである程度上杉が戦える状況かを見たいと同時に、一時的にでも自分が攻め込まれる、あるいは援軍を求められる状況から逃れたいという部分があった。交渉の舞台に乗るかもしれないという見せ札を使い、武田が戦に巻き込まれる状況を先延ばしにしたのだ。
小姓の源五郎が小さな唸り声をまたあげていると、鈴の音が周囲に響いた。直後、草むらをかき分け、這いずるような低い姿勢の男が現れた。
「伏齅か。久しいな。加賀の様子は如何だ?」
「長き潜伏にて御目通り遅くなりました。春、典薬頭が加賀に来ると」
「金沢にも来るか?」
「間違いなく」
「では、畠山にも挨拶に出向くであろうな」
その言葉とともに、平三政実は獰猛な獣のように目を尖らせ、にやりと笑った。
「討ちますか?」
「無理だ。多くの兵を動かせば悟られる。能登を落とすのが第一、斎藤に勝つのが第二だ」
「では、何方に御任せするので?」
「此処は上野を長野に任せよう。柿崎と本庄、斎藤も残せば問題あるまい。信濃には宇佐美を送る」
自ら能登攻めを指揮するとの言葉に、源五郎が慌てる。
「宜しいのですか、弥太郎様と越中に居る方々のみに兵がなりますが」
「多ければ用心にと加賀に兵を集められる。典薬頭には越中の一向宗を滅ぼす戦と思われねばならぬ」
「ですが、其れでは寡兵になりましょう」
「其の方が満たされる戦が出来よう」
源五郎は相変わらず理解できないという表情をしながらも、その強烈なカリスマから目を離せないのだった。
♢♢
加賀国 金沢
金沢は御坊(尾山御坊と呼ばれている)という浄土真宗本願寺派の寺内町として発展した町だ。当然だが本願寺の影響が強かった。かった、なのは先日の白山噴火からの一連の流れのためだ。噴火を防げず、それによる局地的飢饉にも対応できなかった本願寺への不信は小さくない。
数年前に完成した金沢の町は防衛能力が高く、城と呼んでも遜色ないものだ。しかし、本願寺派の強硬派は越中に逃げ込んだため、現在は俺の支配域となっている。ここの北にも城はあるが、能登畠山との関係上国境に近い場所に城は造りにくい。対本願寺・対上杉を考えればここが最前線ということになるだろう。
この金沢を任せることになったのが芳賀兄弟の兄・芳賀高照だ。気づけば下野から美濃に来てもらって10年以上。下野から連れてきた絹の職人の一部とともに、ここで着物づくりを奨励していく予定だ。加賀友禅ならぬ加賀と結城、そして京の融合した絹織物産業となる予定だ。
金沢の対上杉防衛設備を強化すべく、現在多数の人夫を募集して城への改築が進められている。火縄銃での防衛を想定した城壁の三角・丸の穴も各地に設置中だ。火縄銃前提の防衛設備は火縄銃を持っているうち・織田・三好などで見られるが、火縄銃を持っていない大多数の大名の城には弓用の防衛機構(狭間というらしい)しかない。火縄銃ならば形が変わるので、占領した地域の城ではこの作業をまず行うようにしている。飢饉で荒廃し、仕事のない人々が多数いるため、彼らのひとまずの仕事として人気である。食料・服の現物支給でこちらとしても懐はほとんど痛まないしいい事づくしだ。
「殿、畠山様が6日後に御迎えする、と」
「分かった。では3日後に此処を出立するとしよう」
「はっ」
この後、十兵衛光秀とともに国境を接することになった挨拶に向かうことになる。越中では上杉が本願寺強硬派を皆殺しにする勢いで戦っているらしいので、敗残兵への警戒もかねて3000の兵で向かうことになっている。これ以上連れて行くと畠山を刺激することになるので、かなりギリギリの調整だった。
「十兵衛、各地の様子は如何だ?」
「米の増産を考えるなら、やはり三湖を何とかせねばなりますまい」
「確か、噴火の前は一部の民が潟湖から泥を掬って肥料にしていたのだったな。先ずは其れを大掛かりに出来る様にするか」
加賀は中央から南にかけての沿岸部で大規模な潟湖と呼ばれる湖沼地帯が広がっている。木場潟などではこの潟からとれる泥濘が肥料になるということで、噴火前は小舟で農民が泥をすくっていたそうだ。だが個人レベルで泥を掬っていても非効率なので、加賀全体に供給するシステムを作りたいところだ。
「泥が減れば新田を整備出来る地も生まれましょう」
「一番の問題は昨年十兵衛が報告した通り、水の出口が1つしかないことだがな」
三湖の水はすべて最後には梯川と呼ばれる川からのみ排出されている。だから水の排出が追いつかずに大雨になると洪水が発生しやすい。これを根本的に解決しなければ、本当の意味での加賀開発は進まない。
美濃も大分洪水が減ったとは言え、根本的に解決するなら木曽三川の流れを分ける大事業が必要だ。国土改造計画、とでも言うべきものになる。
「戦が無くなってからだな、大きな普請は」
「はっ」
とりあえず今は城の防備を固めること。本格的に上杉攻めと決まればうちと畠山・三木が越中へ、武田が信濃へ、北条が上野へ、織田・三好が全体のサポートに動く形になるのだろうか。畿内が落ち着いたらそうなるだろう。
来週になればまた少し余裕ができる予定です。




