第220話 夢の跡
体調不良で投稿がずれこみました。申し訳ありませんでした。
山城国 槙島城
三好の軍勢が京に向かっていた。軍勢といっても、京にいるのは味方の織田・斎藤のため、その数は多くない。
だが、三好筑前守長慶は足利義維を擁してここに来ていた。細川持隆とともに、幕府の体裁を整えるために必要な人物2人を抱えていたことが、京に入るのを急がせない理由となっていた。
「弾正忠殿も義弟殿と共に我等を待っている筈」
「公方様亡き今、新しい公方様が幕府には必要だ」
そんな三好の考えは、しかし信長の入京の報で狂うこととなった。
普通に考えれば入京の御輿に足利義維は必須のはず。なぜ信長はさっさと京に入ったのか、と。
「我々の想定以上に京が荒廃していたのか?」
「いえ、其の様な筈は無いかと」
三好長逸はそれに否を唱えた。彼は直近まで京におり、その情報も最も正確に手に入れていた。
「松永弾正の文には京が落ち着きを取り戻しつつあると」
「では何故公方様を求めぬ?公方様あっての幕府であろうに」
「松永は何と?」
「分からぬ、と」
彼らは何かを決定的に見落としているような不安感に囚われながら、それでも京に向かわずにはいられなかった。
足利義維と細川持隆を連れて。
♢♢
山城国 京
三好一族の到着を待ちつつ、信長による臨時政府的な統治機構の整備が始まった。
まず、防衛と信長の滞在のため足利尊氏がかつて屋敷を構えた一帯の隣にスペースを確保し、屋敷を建設することに。その間の住居は最初本能寺や本圀寺にしようとしていたが、色々と縁起が悪いので義輝様の亡くなった武衛屋敷に滞在してもらった。信長には「むしろ此処こそ縁起が悪い」と言われたが、俺的には本能寺は本当にダメなので無理やり納得させた。
そして、弾正台の再建だ。弾正忠という信長の官位は検非違使の誕生で有名無実と化していたそうで、その権限を復活させるべく源高明失脚以来の皇嘉門の復活と弾正台再建を行うことにしたのだ。
弾正台本来の役目は京内部の治安維持だ。刑部との関係や検非違使との関係もあって色々と面倒なのだが、今はそういう部分は投げ捨てていく。秋の任官で信長が刑部少輔を兼帯することが決まっているからだ。
今大事なのは『幕府なしでも信長に畿内統治の大義名分がある状態をつくる』こと。その点からいえば、これは現状のベストといっていいはずだ。
弾正台のトップは慣例的に皇族がなるので、伏見宮邦輔親王の第五王子を御迎えすることになっている。予定では信長が金を用意し、一昨年に断絶した常盤井宮家か南北朝期に断絶した花町宮家を再興していただく予定だ。現帝の第二皇子(目々典侍様の御子なので名ばかりだが、目々典侍様は俺の正室お満の姉である)はまだ幼いし、ある程度健康に育つまでは油断できないので伏見宮様にお願いしたわけだ。
「義兄(長慶)殿の下に出向かせていた者達が徐々に合流しているな」
「我が家からも何人か手伝わせていた甲斐があった。とはいえ筒井が京周辺の国人を粗方滅ぼした為に無法者が方々に出ておるな」
「京は問題無いが、京の町を出ると酷い状況だ。松倉はよくぞ此処迄幼子を連れて来れたな」
「其れだけ必死だったのであろうよ」
弾正台の内部はとにかく織田で固める。現時点で弾正少弼に任じられている松永弾正久秀を除き、弾正史生に村井貞勝・島田秀満・塙直政・丹羽長秀・松井友閑ら信長を支える若手・官僚を配置。巡察弾正と呼ばれる巡回担当に池田恒興・河尻秀隆・丹羽氏勝・森可行・前田利久らが任命された。
「宮内省は俺が押さえている。院近臣にも顔は効く。此の儘既成事実を積み重ねるぞ」
「山城の国人不在となった地に佐久間(信盛)を置く。大津が木下、南近江は柴田で睨みを利かせる。大和を押さえた後に佐々、北近江の押さえは松平。若狭に下方が既に居て伊勢に山口が入る故、此れで落ち着くか」
「後は三好の反応か」
「管領の後継者なぞ不要。公方などもう誰も求めておらぬ」
「義兄は幕府での出世を第一にしてきた男だからな」
幕府のない世界というのが想像できないのかもしれない。
「人は直ぐ慣れる生き物よ。三好も暫くすれば慣れる」
「そう考えると、幕府とは何だったのだろうな」
鎌倉幕府、室町幕府。この世界における幕府とはなんだったのだろう。
「決まっている」
信長が空を見上げた。
「侍共の夢の跡よ」
♢
「正気か」
三好筑前守長慶の第一声はこれだった。
そして、間髪容れずに信長が答えた。
「本気だ」
室町幕府はこれで終いとする。1555年、室町幕府滅亡。義兄は信じられないといった表情だった。
再興できる手段はある。だが、俺も信長ももうそれを選ぶ気はない。
「諸大名は従うのか」
「従わぬのか?」
疑問形にすらなっていない呟くような声に、信長は逆に聞き返す。
「分からぬ。幕府が、無くなる?管領が居ない?」
呆然とした、という表現がこれほど似合う表情はほかにないだろう。
「筑前守殿、如何するかは其方次第だ。幕府を作りたくば平島で作れば良い。だが、新しい公方が畿内に入る事は許さぬ」
信長の決然とした態度が三好の家臣団を動揺させた。信長は亡命幕府ができても無視するときっぱりと言い切ったのだ。
「く、宮内大輔殿は如何御思いか」
三好長逸が俺に問いを投げかける。彼でさえも余裕がないが、義兄はもっと余裕がなさそうなので仕方がないか。それに、この流れはそもそも俺が考えてきた形に一歩近づけた状況だ。俺にとって悪いわけがない。
「抑々、神武帝の御世より幕府は無い時代の方が長い。平氏は武士であれど幕府は開かず世を治めた。幕府に拘る必要は無し」
「た、確かにそう申されるのも道理には御座いまするが」
「幕府に囚われると、出来る事も出来ませぬぞ」
管領は細川という縛りのせいで今の三好は常に難しい立場を強いられてきた。三好が幕府の頂点に立つには細川という『呪い』が邪魔なのだ。しかし、幕府がなければ問われるのは朝廷の権威と武士としての、大名としての実力だけだ。
「三好の方々。細川と戦いながら、細川の枷を自ら嵌めるのは止められよ」
「細川の、枷」
細川家臣でないと幕府での地位が保てない。そんなことを考えているから細川晴元に良いように逃げられているのだ。幕府という権威を完全に否定し、朝廷という国家の柱たる権威だけを見れば彼らはいつでも、織田より先に天下人になれただろう。でも彼らは最後まで自分で嵌めた枷を外そうとしなかったのだ。その発想に至らなかったのだ。だがそれは間違いだとか愚かだという話ではない。武士にとって、民衆にとって、公家にとっても、既に幕府はあって当たり前の物だったのだから。人々にとって、幕府があることは息を止めれば死ぬことと変わらないレベルで『当たり前』のことだったのだから。
俺が仮にこの時代に記憶や知識を受け継がずに生まれていたら、三好の人々と同じ呪いの中で生きていただろう。当たり前という呪いの中で。
「少し、皆と話し合って参ります」
ぎらついた野心はどこにいったのかという空虚な声で義兄殿はそう言い、滞在予定の屋敷に帰って行った。
信長は「ま、二日もすれば立ち直るであろ、筑前守殿程の男なら」と呟くと、出迎えの為中断していた政務に戻るのだった。
歴史改変によって目々典侍様に男子が生まれていたり、色々と細々と変化はあります。
織田の中核を今後背負う面々が下級とはいえ官職をえて活動し出していることも実感して頂ければ幸いです。
次話は信長・長慶・義龍会談2回目になる予定。




