第218話 大器
近江国 観音寺城
観音寺城最後の郭、本丸を含む最も広大なその場所以外が全て織田軍によって掌握された。
盛夏と言っていい時期なのにあまり暑さを感じない日。これまでに六角氏の栄華を築いてきた多くの将兵が散っていった。
堅田・大津に入った信長に真っ先に降伏したのは打ち合わせ通りの猪飼・居初の殿原衆。そして比叡山系と高田派の全人衆。彼ら以外に対し、信長は強圧的にはならなかったが、事前に逃げ出した一部の殿原衆や全人衆の有力者にはいわゆる懸賞金をかけて許さない姿勢を見せた。
木下藤吉郎が代官として入ったことで、今度婚姻を進める予定らしいとの話も聞いた。ねねってそんな年齢だっけと思ったら別の女性らしい。浅井の遺臣の娘だとか。秀吉の出世速度的にねねさんだと少し辛い家格になって来るかもしれない。流石になんか個人的に寝覚めが悪い気もする。機会があったらお膳立てしておくべきか。とはいえ散々歴史を変えてきた俺がそういう事をするのも偽善と言えば偽善だし。悩ましい。
最後の郭だけになった夜、六角方からは宴会の声が響いていた。観音寺に戻ってきた信長も父親の信秀殿もこれを攻めることはなかった。散り際の。今生との別れの酒というやつだろう。応仁の乱後には将軍に逆らって尚生き残った名家の、ある意味最後の宴だ。
信長とその夜、2人で酒を飲んだ。俺は長生きしたいので少しだけにしたが、信長はそれなりの量を飲んでいた。
「亀松丸だがな、義兄上」
「うむ」
「俺が烏帽子親になる。信賢と、そう名乗らせる」
「そうか」
「観音寺の近くにある垣見の城に住まわせる。幾人かは家臣として仕え続けたいと申したが大方は俺の家臣となる」
「良かったな」
「良いのか?」
信長がこちらをじっと見てくる。
「此れで織田は近江・尾張・伊勢・三河・遠江・志摩・若狭・丹後・但馬迄手を広げた。義兄上も加賀をほぼ治めたと言え、差が広がるぞ」
「構わん」
むしろ、完全に俺と信長の勢力が拮抗した方が問題だ。
「天に二君は要らぬ」
「義兄上」
「俺は天下人の器量を持っていない」
「うむ、其れは分かる」
おい、そこは否定してくれてもいいんだぞ。
「だが、己に其の器量があるかは分からぬ」
俺からすれば間違いなくあると思えるのだが、それは前世の戦国時代で活躍した織田信長が根拠の1つになっている。秀吉が文官的な立場になっていることも考えれば、今の信長にその気質があるかは確かに言いきれないのかもしれない。しかし、だ。環境や成長の方向性が多少違ったからと言って、誰もが前世の総理大臣になれるだろうか。誰もが徳川家康になれるだろうか。俺は違うと思う。それぞれの人間にはやはり成長しやすい方向性や進みやすい道があるはずで、織田信長という男は天下に武を布くことのできる人間なのだ。
「信長、其方は俺を信ずるか?」
「無論。身内を信じずして何を信ずるか」
「ならば、俺が信ずる織田三郎信長という男を信じよ」
織田信長という男なら、きっとこの戦乱の時代を終わらせられる。
「其方が間違えたら、俺が止めてやる。だから、俺が側にいる限り、己を信じて、進め」
「義兄上」
「天を抱け、信長。其の道は険しく、誰も正しい答えを知らぬ。間違うと其れだけが人々に咎められ、答えを導き出しても感謝されぬやもしれぬ。だが、其方の名は永劫の彼方まで轟くだろう。藤原道長や源頼朝、足利尊氏が其の名を今も語り継がれる様に」
実際、前世でも三英傑として信長は日本史上もっとも有名な人物の1人だった。そこにはドラマチックな生涯や人間味あふれるエピソードあってこそだが、今の信長だって十分だと俺は思う。
「親爺からも天下を治めろと言われた」
その顔には、俺に聞く前から答えは決まっていたのがわかる笑みが浮かんでいた。左のえくぼと、挑戦的な瞳。
「義兄上、俺は、弾正を超えたい」
「管領代、六角弾正か」
「弾正は幕府の、天下の支配者だった。間違い無く。ならば、其れを超えたい」
信長は以前六角弾正定頼が生きていた頃、俺がビビっていた彼に対し武者震いを起こしていた。彼亡き今も、信長はあの戦国の傑物を超えたいと願っていたらしい。
「ならば超えろ信長。畿内に収まらず、此の日ノ本を、治めよ」
「応。だが義兄上、簡単には頭を下げんでくれ」
少し予想外の言葉。思わず目を見開いた。
「義理で無く、本心から義兄上を『参った』と思わせて、そして天下に武を布くのだ」
やはりこの男は織田信長だ。俺が国譲りをする、大器。
「楽しみにしている」
そう告げると、今日一番の笑顔で信長は応えた。
♢
翌日。総攻撃が行われた。時間にすればわずかに2刻(4時間)だったが、柴田権六が目賀田一族の決死の突撃で肩に傷を負う程度に六角の最期の抵抗は激しかった。
本丸では継室とその嫡男、乳母らが既に亡くなった状態で発見され、城内に最期まで残っていた将兵は誰1人降伏することなく討死した。
目賀田一門は全滅。野寺忠行、楢崎賢道といった重臣に加え国人でも小倉氏庶流が最期まで抵抗したことが確認された。
観音寺城に入った信長は、首実検もそこそこに父である信秀殿に後事を任せ、早々に南下を開始した。
「大津に寄り、後京に入る」
進藤・山岡の残党が京方面に逃げたことも確認されている。六角氏という戦国大名を終わらせるためにも、急がなければならない。
信長の号令の下、織田軍とうちの軍は合計25000で大津に向かうことになった。
♢
近江国 大津
大津に入ると、2つの情報が同時にもたらされた。
「管領が?」
「は。御亡くなりに」
前管領・細川晴元らに担ぎ出されていた管領・細川藤賢が亡くなったそうだ。死因は不明。怪しすぎる。
そしてもう1つは、筒井順昭が行方をくらませたというものだった。
「前管領殿は朽木まで兵を退いた。大津も坂本も手は出して来れぬ。義兄上と懇意な比叡山の膝元である坂本にも兵を送ろう」
「筒井の所在不明は不気味だな。何処に向かったのか」
「尋常ならば大和に逃げたと見る可きだが、筒井は尋常の者では無い」
そもそも、今の大和に逃げ込んでも味方はもうほとんどいない。興福寺は焼かれて激怒しているし、うちが送り込んだ十市が大和で絶賛活動中だし。
「或いは、逃げたか」
「逃げる?信長、逃げて如何すると?」
地盤を大事にする大名が、地盤を全て捨てるか?しかも子供もいるのに?
「尋常でないなら、そういう事もあり得よう」
「うーむ」
俺ではわからない。このあたり、戦国脳に俺がなりきれていないのだろうか。
「で、管領は如何見る?」
「管領は病、とは思えぬな。彼の御方は俺の漢方を買っていた」
顧客リストに一時期名前があったし、年齢的にまだ寿命とは思えない。寿命だったら先に前管領細川晴元の方が死ぬだろうし。
「何者かに討たれたか」
「我等に降ろうとして、とか細川一門の罪の擦り付け合いの結果、とか理由は色々考えられるしな」
「確かなのは、何者かが蠢いている事」
「京は魑魅魍魎の住まう地だ。油断は出来ぬぞ」
何はともあれ、いよいよ入京だ。信長は準備に時間をかけていたようだし、うちの兵にも京で略奪狼藉を犯せば厳罰と前々から言い聞かせてある。せっかく人気があるのだから手放す理由はない。
秀吉、結婚。史実より早く信長の家臣になっていたため、出世も早く城詰めなのでねねさんと設定上はまだ出会っていません。ねねさんはまだ10歳なっていない説採用ですしね。
六角氏、滅亡。亀松丸以外の六角一門は途絶えました。一部家臣団も失われ、生き残っているのは降伏した家臣以外では山岡・進藤のみです。
細川藤賢、死す。史実より早い退場になっております。理由は追々判明していきます。筒井順昭は逃げた描写を以前してありますが、そのまま行方をくらました、と御理解下さい。




