第215話 勢いなき者、天命ある者
途中から三人称になります。
近江国 永原城
後藤氏は自身の居城である館を出て永原城周辺で対織田のため兵を集めていた。そこに進藤・山岡が同様に兵を集める中で、三井寺からの提案に乗ったらしい。
俺とほぼ同時期に情報を得た信長は馬廻りら3000のみを引き連れて観音寺まで来た、というわけだ。
「で、如何する?」
「無論。後藤に味方にする。六角は国人を強く統べる領主でしか無い。強さが見せられぬなら支配は出来ぬよ」
ということになり、蒲生の開城交渉と並行して永原城に籠った後藤氏を救うべく信長・俺・柴田権六は13000で南下することとなった。
永原城は周辺を三井寺の僧兵に囲まれていた。そこまで大きな城ではないため、狭い範囲を囲んで蠢く兵が某風の谷のアニメ映画で見た蟲を思い出させた。
「僧兵、か」
「今や僧兵を纏った数抱えているのは此の三井寺と高野山、根来寺くらいだな」
隣の信長が俺の呟きにそう答えた。
興福寺・本願寺・比叡山・日蓮宗の諸寺といった日本史上で大暴れしてきた僧兵を抱えた寺社はここ数年で急速に弱体化しつつある。そして京周辺で武力を有しているのはもはや三井寺だけだ。
この状況をつくった一端は殺された足利義輝だ。彼は筒井の乱入に前後し、三井寺に対して幕府の支援打ち切りを表明した。結果として将軍殺害後も三井寺は筒井側につき、俺たちと敵対を続けている。
逆に言えば、ここで三井寺を潰せばもう宗教勢力の直接武力に頭を悩ませることはほとんどなくなるというわけだ。
「時代遅れの生臭共に、鉄と鉛と火薬の時代を見せてやるとしようぞ、義兄上」
「既に支度は整っている。経を読んでも弾は避けられぬ」
最前線にいるのは筒井の兵だ。どこから仕入れたかわからないが竹の束を前の兵が持っているのが見える。
おそらくだが、筒井の兵が俺たちに肉薄したら僧兵で押しきるつもりなのだろう。
竹束については予想の範囲内だ。畿内にいながら火縄銃の対策をしていない勢力なんてこの時期まで生き残れるはずがないのだから。
「其れが分かっていて、義兄上が何も手を打たぬ筈も無かろうに」
「竹束なんて良く燃える的だからな」
火縄銃の部隊のすぐ後ろに控える火矢の部隊。ただの火矢じゃない。油を染み込ませた製品未満となっていた綿が巻きついている。おまけに石鹸作りで塩析した時に出るグリセリンも添加してある。
竹は燃えやすい油分を含んだ木材だ。しかも空洞が多い。火矢といっても普通はある程度物量で火を大きくしないと火攻めなんて出来ないことをこの人生で知った。だが竹は燃えやすいので火矢の本数が多少少なめでも実現可能なのだ。
♢♢
火縄銃の射程距離内に筒井の兵がやってくる。竹束を持って慎重に進む姿は狙いやすいが、火縄銃で狙い続けなければ彼らも竹束を放り捨てて切りかかってくるだけである。義龍の部隊は火縄銃の斉射から始める。竹束の兵が足を止める。やや後方で火種が邪魔にならない距離にいた火矢部隊が矢を放つ。火縄銃の第2部隊が前に出て交代射撃を行う。
前に掲げられた竹束に面白いように火矢が当たる。簡単には着火しないが、3発ほど火矢が放たれたところで竹束の1つが破裂した。中の空気が温められて膨張し中から竹の節を壊した。筒井の兵が爆弾で狙われたかのように爛れた姿で声にならない悲鳴をあげた。地面を転がりながら苦しむ姿に、竹束を持つ兵の足が完全に止まる。そこに火縄銃の斉射が襲う。筒井の兵は慌てて竹束を構える。間髪容れずに義龍隊の火矢。また別の場所で竹束が破裂をおこす。一部の兵が竹束を放り出した。その空いた隙間に向かって火縄銃の雨が降る。
ここで突撃してこれるだけの士気があれば違ったのであろうが、筒井の兵にそんな余裕はなかった。
将軍殺しの逆賊と言われ、領国の大和では反乱が起き、興福寺と比叡山に仏敵と罵られた彼らにとって、勝利だけがその場に留まれる理由だったのだ。
その理由が失われつつあることに、雑兵たちは耐えられなくなった。そういうことなのである。
「頃は良し!進めぇ!」
信長が馬廻りの騎馬隊を率いて混乱する敵に突撃をかけた。歴戦かつ長年信長と共に鍛えられた彼らは隊列の乱れた筒井の兵を次々と破り、混乱が届いていない僧兵の手前まで散々に荒らして戻ってきた。
筒井の混乱が波及するのを恐れた三井寺の僧兵は、筒井兵との間に空間を作り距離を開けようとした。しかし、その動きは信長の側近として頭角を現しつつあった丹羽長秀によって読まれていた。
「今です、殿!」
「であるか!行け、権六!」
柴田権六に向けて掲げられた旗は『予定通り敵の間隙を突け!』。柴田権六は正しくこれを受け取った。
「かかれぇ!」
「応オオォッ!」
権六の強く太い声に、兵たちは目に力強い光を湛えながら応じ、動き出した。
♢♢
筒井順昭はどこか冷めた目で戦場を見ていた。
最後の賭けと言うにはあまりにも微妙な兵力。六角と協力するには中途半端な行動。それは全て、彼の行動に一時期あった勢いがなくなっていたことを如実に示していた。
勢いのある時はとれた大胆な手も、落ち目になればリスクが目につく。まして彼は部下に一度命を狙われた。その時、六角弾正定頼にさえ完全に屈しなかった男は全てを失っていたと言っていい。
「負けた、か」
「殿。未だに御座います。未だ大和にさえ帰れば!」
「帰って、如何する?」
筒井順昭を励まさんとする島政勝に、順昭は虚ろな目で答える。
「帰っても、味方は無いぞ」
「ですが、しかし!」
「終わりか。全ては織田を、斎藤を、そして公方を甘く見た我が失態」
六角左京大夫義賢を織田信長が戦場で討ち取ることなど誰が予想できるのか、という点は置いておいても、織田と斎藤を筒井順昭が軽く見ていたのは間違いなかった。
そして誰よりも彼の計画を乱したのは自らの命さえ賭けた足利義輝である。
「公方に謀られた事で、いや其れ以前に既に我等は天に見放されていたのだろうな」
「殿……京に、戻りましょう」
抜け殻のような主君を逃すべく島政勝は彼を抱えるように戦場を離脱した。
残された僧兵と山岡らの兵は、柴田権六の軍勢により壊滅的な打撃を受けることになった。山岡は当主の近親者がことごとく討死し、三井寺に入っている山岡景之の四男以外の生き残りがいなくなるほどであった。
後世に言う永原の戦いはこうして終結した。
観音寺から六角嫡男が追放され、後室とその子を支持する勢力が三井寺と筒井を頼りに絶望的な籠城を選択してしまったのは、この決着がついた同日のことであった。
竹束の弱点は燃えやすさ。動きが鈍いので火矢の的にはおあつらえ向きというやつですね。
ただし、ある程度燃えやすい着火剤的な役割の物を使わない限りここまで楽にはいかないと思います。
勢いって大事で、勢いがあれば多少の粗もなんとかなる場合がありますが、落ち目になると今度はその放置した粗が牙をむいてくるのが世の中の恐ろしくも面白いところだなと私は思っています。




