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第211話 ブレイクスルー

 美濃国 稲葉山城


 何事も不測の事態というやつは起こる。加賀の元一揆衆が想定以上にこちらに流れてきたことで食料不足になっていることもそうだ。さらに言えば衣料品の不足が冬になって見られるのもそうだろう。

 衣料品については美濃の裕福になりつつある農村や商家の人間が衣類を複数持つようになったことも原因になっている。米の価格が上がりつつあるから農家は生活に余裕が出ているし、紙やガラスの職人も生活にゆとりが出つつある。ガラス職人と鍛治屋は結婚相手としてかなり人気だ。こうして服の需要は高止まりしている。

 食料は雪道でもゴムで保護した大八車が頑張っているが、衣料品については物が不足しがちなので難しい。麻は美濃各地に自然に生えている物が徐々に狩り尽くされてきており、越前で麻狩りが進んでいる。

 稲葉山の都市民は木綿の服を欲しがる人間が増えている。三河木綿が人気だが、栽培量は増えているのに職人の育成が追いつかずに市場に供給される服の量が足りていないのだ。


「産業革命……にはちょっと早いな」

「此れが殿の以前仰っていた時代を変える物、で御座いますか?」


 お満と幸、豊が俺の手のひらに載せた飛び杼をちょんちょんとつつきながら眺める。江の方も少し後ろから不思議そうに飛び杼を眺めている。

 ちなみに於春は待望の男子に今は付ききりだ。彼女の身近に昔乳児のうちに亡くなった子がいたらしく、前の子もそうだったがある程度大きくなるまで常にそばにいようとする。彼女にも北条から一緒に来た乳母もいるが、この件は本人の好きにさせている。

 さて、飛び杼なのだが、もう少し時間をあけてから作るつもりだった。産業の急激な発展は産業構造の劇的な変化をもたらす。はっきり言ってそれは俺たちの状況的に手に負えなくなる危険があるのだ。多くの失業者を生み出したり、貧富の差を拡大しかねないので、慎重にならざるをえない。国主導で産業革命ってどこかやった国あるのか?日本の近代化?


「見ても其の様な物とは思えませぬ」

「まぁ、此れを使って服を作らないと何も変わらぬからな」

「服を織るので?」


 この時代の女性だと服を織ったことのある人は多い。だが三好のお嬢様であるお満や六角のお嬢様である江の方はそういう経験がない。幸と豊は以前作った経験があるので、しばらく触っているうちに俺のヒントのおかげもあってなんとなく使い方がわかったようだ。


「殿、此処がくるくるしますが」

「此の回転する部分を使って杼口に糸を通すのだ」

「此れは……やってみないと分かりませぬ」


 まぁだろうな。


「では、試運転中の工房に行くか」


 稲葉山の中腹に伊奈波神社がかつてあった丸山と呼ばれる場所があるのだが、そこに試作品用の工房がある。人の出入りを制限できるので重宝しているが、飛び杼の試運転もそこでやっていた。突然俺と妻たちが現れたので工房にいた全員が驚き畏まる。

 いつも通りと指示して飛び杼の側に行く。本来なら杼(シャトル)は機織りをしている人間とは別の人間に手伝ってもらって横糸を通すため使うのだが、飛び杼はその別の人間の仕事を機を織る1人でこなせるようにしたものだ。単純に必要な労働力が半分。織機を職人は足踏みと片手の動きだけで動かせるようになるのだ。


「私と幸が殿の為に戦場で身に着ける晒を御作り申し上げた時はとても大変でしたのに」

「人に合わせる必要が無い」


 幸の言う通り、他人の動きと呼吸を合わせる必要がなくなっているのが大きい。試作機を使っている職人は1人でさくさくと縦糸と横糸を絡ませていく。息の合った職人同士で協力して織りあげる必要はもうない。


「しかし、此れを作ると次が必要になるのがな」

「次?」


 作業工程が良く分かっていないお満が小さく首を傾げる。


「糸だ。糸を繰る機械が必要になる。そして紡績機を造れば機織で布を作る速度が追いつかなくなる」

「綿の塊を解すのも手作業ですね」

「豊の言う通り。少しずつ手で行う作業を機械で行っていくことになる」


 梳綿《そめん》も手作業。糸車を動かすのも手作業で1つ1つ。だから今服は高い。とにかく人が沢山の工程を手作業で時間をかけてやるから服が高級品なのだ。


「木綿の値は決して高くない。だが服は高い。其れを大きく変える可能性があるのが此の飛び杼だ」

「民に安く服が届くのなら良い事です」

「まぁ、そうなんだがな」


 後家倒しとも言われたと教わった千歯こき。仕事が増えてきた今では普通に農村で普及しているが、飛び杼の普及は職人を殺しかねない。とはいえ服の高騰は必要な量の服が供給されず凍える人間が出る危険のある状況だ。寒さが増してきた最近の状況だからそれは避けたい。ついでに言うと不足で越後の青苧を買うのは最悪だ。北条の敵を強化するわけにはいかない。先日はついに信濃に援軍を送りこんできたため、武田の小県侵攻を阻止されている。越後の肥大化は許されない。


「戦場に包帯が潤沢にあれば、救える命も増えましょう」

「まぁ、其れも考えれば何れはやらねばならなかった事だ」


 豊は医者としての視点で俺のやろうとしていることは間違っていないと示してくれる。規律のない部隊だと包帯の布を売ろうとする輩がたまに出るが、それも布が高いから起きることだ。少なくとも、前世で豊田にある博物館で見た機械の一部だけでも再現できれば布の値段は明確に安くなるはずなのだ。


「高炉と転炉が共に動き出せば一気に進められるが、ひとまずは紡績機と飛び杼だな」


 水車用も兼ねて歯車職人を秘かに育ててきたのだ。そうそう簡単には模倣できない技術を濃尾の同盟で確保してみせる。三河木綿をうちが加工する体制で一気に経済力で他国を圧倒しつつ民の生活向上をはかる。それが結果的に俺の周囲の衛生環境なども向上させていくことになる。


 ♢


 季節外れに暖かくなったある日。

 屋敷前を雪かきし、中庭の雪を脇に集めてかまくらを作った。中で嫁たちと順番にくつろぎつつ雪のなくなった庭で駆けまわる子供たちを眺める。

 江の方の順番の頃、幸の子である豊助が試作品の大型三輪車を乗りまわし始めた。雪は集めたとはいえぬかるんでいるため、グッタペルカのタイヤから泥が飛ぶ上に車輪の跡ができてぐちゃぐちゃである。

 そしてそれのどこが楽しいかわからないが、豊や幸の娘たちが騒ぎながら追いかける。


「子供は風の子、元気な子、か」

「確かに、元気ですね」


 この時間は江の方と2人だ。気をきかせたつもりか息子の次郎龍頼は縁側で新九郎龍和と他の子供たちの面倒を見ている。


「近江から来た頃は、雪の多さに驚いた物です」

「近江も寒い場所はあるが、雪の多さは美濃程ではなかろうな」

「ええ。朝起きたら真っ白で。何物も触れさせぬ様な、不思議な景色に見えました。今はもう、近江に居た頃より長い日々を美濃で過ごしておりまする。山々の雪化粧にも、すっかり慣れました」


 太守様に嫁いでからの年月が、生まれ故郷での日々より長くなった。それぐらい、時間は過ぎている。


「初めの頃は、稲葉山も近江の市に比べて小さい物だと思うておりましたが、今では殿の御力で彼の頃の大津より稲葉山の方が活気を感じます」

「人が増えたからな。物も増えた」


 人口調査の予備調査を稲葉山で秋頃から始めたのだが、今になっても学校の卒業生を相当数動員しているのに終わっていない。概算で19000人くらいになりそうだ。大垣も大規模な高炉関係の仕事などで4000人近く人がいると見ている。美濃全土の人口は25万人くらいだろうか。調べないと詳細までは分からないが。


「民の子らも、此の子らの様に笑って冬を過ごせる様になるのが殿の願いでしたね」

「ああ」

「其れには、殿が公方様を継がなくても良いので?」


 江の方は育てられ方が他の妻たちとは違う。六角の下で、権力のある人間に嫁ぐことが最初から宿命づけられた教育を受けている。


「俺は天下を治める器量が無い。其の様な大それた職は荷が重い」

「信長殿には、其れがあると?」

「ま、妹の嫁ぎ先故贔屓目もある。だが、俺には出来ぬ事が出来る男だよ」

「確かに、殿では左京大夫《あにうえ》は討てませんでしたね」


 兄の話だからあえて触れないようにしてきたのだが、ここで亡き六角義賢の話をしてくるとは。


「変に殿は気を遣い過ぎですよ」

「当たり前の事だと思うが」

「嫁ぐ時にもう戻らぬと決めておりましたから。其れに、幼き頃より住む場所も違いましたし、血の繋がりを今も余り感じられぬので」


 本来普通の大名家ではこのようにどの室の子供も仲良く同じ場所で暮らしているのは異常らしい。嫁同士の序列が明確で誰も乱さないが故のものだ。

 それに、それぞれの役割というか、方向性が違うのも奏功しているだろう。正室として奥をまとめるお満、産婦人科を中心に医学関係の豊、教育関係と碁関係の幸、北条との縁と錦小路の縁を結んだ於春、政治的な見識豊かな江の方。


「大名の型に囚われぬ家故、今では此処にいる皆こそ家族と思える様になりました」

「其方が楽しければ良いか」

「皆、思いは同じかと」


 もう数年で俺の、史実でのタイムリミットがやって来る。負けない。負けられない。絶対に長生きして、笑って過ごせる老後を目指すのだ。

 そんな決意を抱ける、1日だった。


「豊助、豊助が雪の中に三輪車で突っ込んだ!」

「父上ー!三輪車も雪の中に!」

「風の子というか彼奴は破天荒と言うべきだな」

「左様で」


 口元を袖で隠しつつ笑う江の方を見つつ、俺はずっと過ごした膝枕を惜しみながら子供たちの方へ歩き出すのだった。

技術のブレイクスルー。史実でも飛び杼や紡績機は職人の仕事を奪いました。急激な社会の変容は社会の安定を破壊します。出来る限りコントロールしながら技術を発展させたい主人公にとって、飛び杼は劇薬です。しかしいつかは手をつけるもの。少しずつ準備は進んでいます。


最近少し出番少な目だったので女性陣を少し出してみました。主人公にとって彼女たちとの時間が癒しであり休憩(break)であります。そして江の方とは少し踏み込んだ話が多くなりやすいです。そして当然大まかな内容は正室側室皆で共有しています。

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― 新着の感想 ―
[一言] 職を奪うことを心配してるけど 戦国時代終わったら手に職の無い職業軍人の手が余るのが問題では? それ以前に一桁で死ぬ子供が減るから人口爆発して 暗黒大陸ばりの飢餓の世界になる気はする
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