第205話 歴史がもたらす難敵 その4 不思議の勝ちと必然の負け
最初以外は3人称です。
伊勢国 桑名
早馬が桑名に来た。蜂須賀小六と斎藤利三の連名だ。つまり緊急事態用の使者ということになる。
「赤堀三家の城に殆ど兵は居りませぬ!」
「まさか、大砲ありの俺を相手に?」
「小六様より六角と織田の兵が集結中の様子と伝えよと」
「会戦に勝てば城は取り戻せるという算段か、大砲は重い故時間は稼げると見たか」
思い切った判断だ。少し舐めていたかもしれない。このタイミングで俺の兵が一部出てくるなら陽動というのは並の将なら分かる。分かるが無視できない兵数を送ったのだが。
大砲は重いのでこの陽動にはないだろうという賭けに出たのだろう。博打も博打だが劣勢の側ならどこかで博打に出てくるのも当然か。
「直ぐに兵を出す。梅戸の警戒に孫三郎(信光)殿に残って貰うぞ。急げ!」
「はっ!」
そこに、2人の男が甲冑姿で入ってきた。竹中重元だ。隣には息子の重行、跡継ぎとして今回参陣している。
「早馬が戻っておりました故、支度させました。何時でも出られまする」
「流石だな。先に大砲隊と共に出てくれ」
「大砲は遅う御座いますぞ。兵は神速を尊ぶもの。足手纏いかと」
「安心しろ。此度からもう遅くはならぬ」
いよいよデビュー戦だ。成果を出す時、来たれり。
「大砲馬車隊、出陣!」
♢♢
伊勢国 楠
織田軍は信長が率いる14000と長野藤定率いる3500、そして神戸利盛率いる1500の合流で19000の軍勢となっていた。対する六角軍は関氏の兵1500と合流し19500。兵数はほぼ互角といえた。
信長の本陣ではその陣容がほぼ判明していた。数的不利ながら、信長は火縄銃の多さと準備の進み具合から決戦を行っても勝てると判断した。六角が保有する火縄は概算1500。一方織田は斎藤から購入した分も合わせて2500。楠の西を流れる鈴鹿川と周辺で集めた柵で敵の接近を許さなければ、十分勝てるというものだった。何より、楠氏が領地を奪われた状況でこれを放置することは六角が劣勢な以上できないと信長は考えていた。放置すれば求心力が一気に失われ、国人の離反が相次ぐと六角も考えるという読みだった。
信長は先鋒に柴田権六・佐々政次といういつもの2名を置き、後方に平手政秀・佐久間大学まで配置し万全と言っていい布陣を整えて待ち構えていた。
対する六角軍は川の渡河、正面に幾重にも張り巡らされた柵、行軍による疲労、それでもここで退くわけにはいかない情勢と、負の要素ばかりが山積した状況で戦わなければならなかった。
この強固な織田の守りに先陣を切って戦いを挑んだのが伊勢の関盛信と六角氏重臣・目賀田貞政だった。彼らは先頭の兵たちに竹の束を持たせ、突撃を命じた。佐々隊の火縄銃は轟音と衝撃を彼らにばらまいたものの、竹束は一部を除き貫通に至らず目に見える被害を出せなかった。
「やはり、六角は火縄相手に如何戦うか考えていたか」
信長はその様子を数え20歳の祝いにもらった片目用の望遠鏡を覗き込みながらそう呟いた。側にいた池田勝三郎恒興が目を細めながら戦場の様子を見ようとするが、煙と距離の両方が邪魔して様子を見られない。
「竹の束、ですか。如何いった物か此処からでは見えませぬが、重く無いのでしょうか?」
「重いだろう。重いから未だ柵に取り付けぬのよ」
「殿。此方は見えぬのです。少し見せて頂けませぬか」
「い・や・じゃ。此れは義兄上の祝いの品。冥土迄持って行くぞ」
「一番お気に入りの絵本だってそう言って某に読ませて下さらなかったでは御座いませぬか!」
「ええぃ煩い!今目賀田が動き出したのだ、邪魔するな!」
「物見より早く戦場が見えるなら指示を出して下され!」
ぎゃあぎゃあと叫ぶ2人を誰も止めない。乳兄弟である彼らの仲を知らぬ者はこの場にいないからだ。
「良し、前田、前田を前に出せ」
「洒落にもなりませぬが、まぁ良いでしょう」
少し落ち着くとそれまでと雰囲気がさっと変わる。信頼関係の深い上司と部下といった振舞いでテキパキと互いが言葉を交わし、指示を出していく。
その様子だけを見ていると負ける要素は微塵もない。だが、2人は背筋に嫌な汗をかいていた。
「勝三郎、何か気色が悪いな」
「殿こそ」
「嫌な空気ぞ」
「然り」
目の前の敵を被害では圧倒しているはずなのに崩せていない。明らかに相手は攻めあぐねているはずなのに衰えない。疲労もあるはずなのに攻め手を休めない。それだけ六角の兵が精強で、将が優秀であることがそこに表れている。あるいは、先程の言い合いもその緊張感を振り払いたかったが故か。
「だが、既に二刻(4時間)になる。そろそろ打って出たいところだが」
「中央の勢いが弱まっていますが、此れが疲れか隙か、誘われている気も致しますな」
「其処しかない、のが悩み所よ」
そう。既に4時間近く戦いながら、隙らしい隙が殆ど見えない。あるにはあるが本当か疑いたくなる部分に隙がある。最近は特に圧倒する戦が多かった信長は、この接戦といえる状況で一歩踏み込むか悩んでいた。
「目賀田が崩れかけているというのが信じられぬ。暫し待つ」
「御意」
そのまま四半刻(30分)が過ぎても状況は変わらず。崩れそうで崩れない目賀田隊に、信長は訝しんで無理に攻めに転じなかった。しかしここで長野氏の雲林院隊が業を煮やす。
「ええい、何を臆しているか!弾正忠も六角の名に手が出ぬとは!我が隊が目賀田を討ち取ってくれる!」
雲林院隊は陣を維持して目賀田隊をじわじわと削っていた佐々隊の横合いから目賀田の隊を崩すべく突撃した。あっという間に崩壊していく目賀田隊。雲林院の兵が勝ったと気勢を上げたその時だった。
「頃は良し!後藤!蒲生!一気に前へ!」
左京大夫義賢の号令一下、後藤但馬守と蒲生定秀・賢秀親子の部隊が混乱する佐々隊に殺到した。佐々政次は即座に体勢を立て直そうと指示を出すが、雲林院隊によって自身もいる前線が混乱して全体に指示が伝わらない。
「いかん!後方の成政に下がらせろ!」
「兄上!此処は俺が何とかする!後ろに下がれ!」
「成経!すまん、任せる!」
次兄の佐々成経を残しやや後方に政次が下がると、時間を置かず後藤但馬守が雲林院隊を分断し彼の元にやって来た。その馬廻りの苛烈さは畿内の雄たる六角の両藤に相応しい物であり。
「おのれ!大将では無く弟の首級とは!」
「猛勇で御座いましたが、周りの兵すら纏められぬ混乱の中では限りがあるという物。しかし天晴れで御座いました」
佐々孫介成経の討死により前線は完全に混乱状態に陥った。もう一方の柴田権六隊も、隣の混乱が波及しかかった段階で素早く前線を後退することを決定したため押される形となった。混乱せずに整然と後退を行った分被害は大きくなかったものの、『かかれ柴田』の異名で織田信長の先鋒として畏れられていた彼にとっては屈辱的後退だった。
「与えられた場を守りきれぬとは、殿に申し訳が立たぬ!」
「柴田権六、彼れ程の見事な差配が出来る者が織田に居るとは、敵ながら御見事!」
その引き際を、蒲生隊はそう評した。
♢♢
先陣が劣勢になったことで、両翼で小競り合いをしていた神戸隊にも少なからず動揺が走った。神戸利盛は堅実に戦を進めていたが、先陣の崩壊にまず自身の保身を考えてしまったのは国人領主たる者の宿命といえた。彼から言わせれば、信長に必要以上に借りを作れば完全に家臣化してしまう。ある程度従属はやむを得ないにしても、一定程度自力で物事を何とか出来ることを示す必要があった。
「いかんな。長野が崩れれば余波が此方にも来るぞ」
彼は自分の命を守りつつ犠牲を抑え、かつ信長からのその場を死守してほしいという願いを叶える必要があった。だからこそ利盛は堅実に後方からの奇襲に備えるため、自身と一部の部隊を後方に下げて後ろへの警戒を密にした。
この堅実故に読みやすい行動が仇となった。
彼の勇敢さと判断の早さは伊勢・伊賀地域では有名だった。だからこそ、こうなればこう動くだろうと目を付けていたのは伊賀の忍びたちであった。今回の代表として彼らをまとめていた藤林長門守は、予想通りに動くと確信して準備をし、想定外に動くつもりで動き、そして想定通りだったために準備を生かして神戸利盛を狙った。
轟音が2方向から同時に響き、そして城戸弥左衛門の放った火縄銃が利盛の影武者を捉えた。
「何事ぞ!」
「狙われております!種子島に御座います!」
「くっ、此処でも危ないのか!」
城戸ら狙撃した忍びは当主本人も狙ったが、それ以上に指揮系統の混乱を狙っていた。結果として自身の命優先という意識が強くなった神戸利盛は、中途半端な動きによってその場を死守できる状況ではなくなっていた。
そして、戦場が織田軍劣勢の度合いを強めていく中で、城を半ば捨ててでもとやって来た赤堀三家の援軍1000が到着したことによって信長は即座に撤退を決定した。
「分が悪い。無理はせぬ!」
信長は母衣衆を引き連れ悠然と楠を放棄し、南へと兵を退いた。
結果的に佐々成経らを失ったものの、一部の戦力を温存するように素早く撤収した信長の被害は死傷者2000程であった。
一方、勝利したとはいえ色々な部分でギリギリだった六角方は被害で言えば死傷者4000に達しており、追撃が出来る状況でもなかった。
「勝った……のか?」
六角左京大夫義賢のその一言が、その日の勝敗というものの奇妙さを如実に表していた。
♢♢
そして、翌日。
左京大夫義賢の元にやって来た早馬が、六角氏の戦術的勝利を治めた昨日を吹き飛ばした。
「斎藤軍の馬載せ大砲により、羽津城と浜田城が奪われまして御座います!」
国人との距離感などが勝敗を分けました。被害は大きくないものの、信長の敗北です。
国人と長い年月をかけ(本編でも一度義賢自身が伊勢に出兵しています)上下関係を作り上げた六角氏と、最近急成長で伊勢に手を伸ばし始めた織田という両者との信頼関係や固まっていない上下関係が今回の結果に繋がった形です。
とはいえ、六角の戦術的勝利に冷や水を浴びせるのが主人公。次話は同時刻の主人公の動きからになります。




