第202話 歴史がもたらす難敵 その1 避けられぬもの
越前国 府中城
白山の活動は活発なままだ。
定期的に噴煙をあげ、麓の広範囲に灰を降らせる。
春も終わりが近いはずなのに、加賀だけは今も設置した百葉箱の中にある気温計が昼間でも20度にもならない。
中学生の時見た地図帳を思い出すと、5月で20度届かないって函館と変わらない気候だ。本来の金沢あたりが平均気温で20度くらいまで上がるのだから、温度計の精度を考慮しても寒すぎると言っていいはずだ。というか函館も死ぬ前はもっと温かかったのではないだろうか。俺の義務教育は20年以上前だ。
そんな極寒と言っていい加賀は、案の定作物を植えられる状況になかった。降灰で水が濁り、水路に灰が溜まると水の流れが悪くなる。飲み水にも苦労する上、水田に溜まる灰が稲作の邪魔にしかならない。しかも日照時間も短すぎる。越前の3分の2しか晴れる日がない。野菜を作るにも難しい。
現地担当の十兵衛光秀と彼を手伝っている光教寺顕誓、そして芳賀兄弟の弟芳賀高継らが越前に一時的に戻り、現状報告をすることとなった。
「作付はほぼ無と言って良いかと。金沢に近づくほど灰が降ってきて何も育てる余裕は御座いませぬ」
「何とか大聖寺に逃げて来た者の住環境は整いましたが、城壁の整備などはまだまだ甘いかと。一揆衆が攻めてきたら防ぎ切れるか」
顕誓が現地の状況を説明すると、続いて芳賀高継が担当した住居整備について報告をする。しかし厳しいな。
「十兵衛、小松は如何だ?」
「今江潟を利用して急ごしらえした城壁と柵で火縄を撃って守る事は出来ますが。逆に言えば其れ以上は厳しいでしょうな」
「人を受け容れる余裕は無い、か」
「むしろ減らしたい所。一揆の間者が何処に紛れ込んでいるか」
兵が減ればスパイ経由で知られ、攻め込まれるかもしれないということで小松には常時4000の兵がいる。正直かなり負担だ。大聖寺と周辺を巡回する兵を合わせて10000近くが常時展開している。尭慧殿が少しずつ本願寺派を切り崩しているので、過激な潜入者は大分排除できてきたそうだが油断はできない。
「一揆衆が暴れぬのは能登が揉めており、能登の方が御しやすいと見て能登に流れ込んでいる故。越中の支援もある分能登の方が良いのでしょうが、越中もかなりの一揆衆を受け容れた様で」
「で、結果的に越中が食糧不足で神保へ攻めかかったか。まるで蝗だな」
「明でも昔蝗の大群が都を襲ったとか。数任せというのも恐ろしい物に御座います」
この冬、雪の中で越中西部の庄川を一部が無理矢理超えたらしく、神保氏は大混乱だったそうだ。ハンニバルがアルプスを越えたが如き死傷者を出しつつ、奇襲を受けた神保氏は射水周辺を一揆衆に奪われたらしい。能登方面は表面上内乱状態が治まって一揆衆を共闘で排除しようとしているらしいが、出来れば被害を相手に押しつけようとするのは人の常らしい。
「一先ず、小松が落ち着くまで加賀北部は放置だ。南部を確実に固めていく。芳賀、頼むぞ」
「御意。殿の申される通り、九谷で焼き物に使える石を今探させておりまする」
「農業は壊滅的な被害を出したが、磁器が造れる様になれば十分復興出来る。頼むぞ」
加賀地方の再建はまず九谷焼の再現からだ。美濃で妻木殿の領内が試作・生産している各種陶磁器に加え、加賀の九谷を磁器中心で発展させようというわけだ。そして加賀の温泉地も使って資金を集め、その資金で稲作の復興を目指す。窯のノウハウがあるからこそ出来ることだし、妻木殿の娘と婚姻している十兵衛が計画の中心なのもその協力をスムーズに得る為だ。
「メシアとかは如何でも良い。だが、加賀一国救えずして何が人を救うか」
俺の言葉に、十兵衛たちは力強く頷いてくれた。
♢
現地視察を終え府中に戻って来ると、早馬が来ていた。何かあったかと慌てて滞在する屋敷に戻ると、そこには半井瑞策が待っていた。荒い息を整えながら、彼は俺を見るとすぐに駆け寄ってきた。
「如何した瑞策。美濃の医師の統轄を任せていた其方が態々来るとは」
「居りました」
「は?」
「癩の女子が、殿の家臣の一人。五年前に罹った様で、殿の御触れに家臣本人が恥を忍んで」
ついに見つけた。
俺を殺そうとする、死神を。
♢
ハンセン病。癩病。
斎藤義龍の早世に大きく関わったとされる病気。
前世の研究では感染経路は不明ながら、栄養状態や免疫の状態で発症すると考えられていた。
つまり、その考えが正しいなら俺は既に保菌者の可能性がある。だから大風子の油を定期的に摂取し、栄養状態を万全にし、体調を崩さないようにしてきた。
とはいえ、大風子は皮下注射が基本のもの。きちんと処理しないと激痛な上に雑菌が混入すればそれが原因で発症しかねない。
結局、これまでの俺は発症しないよう衛生状態に気を配るしかなかった。温泉も石鹸もそういう意味では対ハンセン病を少なからず意識していた。ハンセン病の菌は感染力が強いとは言えない。だから俺が健康であれば必要以上に恐れる必要は無い。史実の斎藤義龍は信長との敵対で強いストレスにさらされ続け、実の親と敵対し、そして戦場に居続けた。そういった環境の悪化が発症に繋がり、彼の寿命を縮めたのだろう。
感染方法は飛沫感染だろうが(恐らくだが)鼻の粘膜からなので小さい子供と接する時はマスクを欠かさなかったし、過去に感染チンパンジーの研究から幼少期に感染するのが危険なのは分かっていたことだ。
俺としてはその感染経路があるなら知りたいという考えはあった。なので調べていたのだ。俺が既に保菌者だとしたら、どこから感染したのかを。
♢
女性は今は亡き北小路で仕えた乳母の側で働いていた女性だった。彼女が亡くなる前、豊と幸が一人前になった頃には御役御免となっていた。年齢的にも45を超え、この時代なら高齢といっていい女性だ。
そして彼女の甥にあたるのがハンセン病のことを伝えてくれた家臣だ。彼からすれば俺の病気の研究に役立てたいという思いもあったのだろう。現当主の側で働いていた伯母が病で苦しんでいるのが辛かったのもあるだろう。とにかくありがたい。
マスク含め完全防備の半井兄弟の兄・寿琳を先頭に診察を行う。万一があってはいけないということで俺は隣の部屋から遠目での参加だ。正直俺も必要以上には恐れていないが、史実を考えれば近づきたくないのも事実だ。
寿琳が背中を向けた女性の肌を観察する。遠目でも皮疹が分かった。俺の習ったハンセン病の写真のものと酷似している。
わずかにこちらを向いた寿琳に頷く。ほぼ間違いないだろう。彼女が保菌者だった。
とはいえ、別にその罪を問うとかできるわけがない。この時代でそんな知識のある人間もいない。この事実はここにいる10人もいない一部のメンバーのみに秘される。
「では、大風子を注射致しまする」
「ストレプトマイシンが間に合わなかったのは悔しいが、仕方ない」
「ゴムの御蔭で注射の質は間違いなく良い物になりました。強い痛みは与えずすむかと」
蒸留した生理食塩水と大風子油を混ぜたものを少量注射する。多いと副作用で体に良くない。筋肉注射は痛みが強くなりやすいので静脈で様子見だ。
女性は苦悶の表情を浮かべる。正直効果は大きく期待できないのだが、無いよりまし程度だろう。先程衛生面を考え風呂に入れさせた分血流も良いだろうし。だがひとまず効くか否かを見るには治験が外せない。今までのように確実視できる治験は前世でも得られていないものなのだ。治験が大規模に行われる前にプロミンなどが登場したためだ。
「今は其れで我慢して貰う他無い。何れストレプトマイシンが手に入れば、治る可能性がぐっと上がる」
「もどかしゅう御座いますな」
「俺とて万能ではない。治せない病の方が多い」
側に控える瑞策とそう話しながら、俺はその様子をじっと見ているしかなかった。
ハンセン病は幼児期に感染すると体内に潜伏することがわかっています。
作中ででたチンパンジーの話はアフリカから日本にやって来て、30年後にアフリカ性のハンセン病に罹ったものの実話です。
30年間チンパンジーに潜伏していたことから、幼児期感染後の潜伏という説が立証されることとなりました。
そのため主人公は自分を保菌者と仮定しこれまでその感染源となった人物を探していたわけです。
生後20年以上が経ち、史実の感染源だった女性にハンセン病が発症したため発覚しました、というお話。とはいえ主人公の衛生への徹底具合ならば発症する状況にはならない可能性が高いですが。
残念ながらストレプトマイセス属の発見は探し始めて5年経っていないのでまだです。顕微鏡の精度も微妙なのでもう少しかかるでしょう。
そして白山噴火。まだ続きます。当然ですが土壌にも深刻な影響を与えています。とりあえず復興費用の捻出と雇用の確保を考え、九谷焼を目指すのが方針となります。




