第116話 濃尾大乱 その2 拡大
濃尾大乱編はこの物語の序盤最大の山場なので、当分続きます。お付き合いくださいませ。
美濃国 稲葉山城
情報が集まる。
「烏峰城主の斎藤正義様、久々利頼興によって討たれた模様!」
「村山様、御一族の城を悉く焼き払って大桑に入られた模様!動き出しの遅さから今回の動きは知らなかったと見られまする!」
「大和守家の当主が武衛様の館を襲いました!武衛様は討死、御子息は年長の岩竜丸様と御息女を除いて討たれた模様!」
数日で集まった情報は父と俺の下に集約される。用意された地図の上に、徐々に全容が描かれていく。
「父上、やはり朝倉が乱入するのを防ぐのを第一とすべきでしょう。」
「ならば、わしが大桑を牽制するのが最良だな。陣を張るだけなら誤魔化しようもある。」
父の怪我は日常生活には支障がないものだったが、踏ん張りが少々利かなくなる程度には後遺症が残った。戦場に立つ機会は減るだろう。
「宮内卿と芳賀・大久保の兄弟と龍造寺を連れて行け。火縄銃も全て持って行くが良い。わしは竹腰殿と陣を張る。道利が南を警戒し森殿と連携。此れで稲葉山も万全よ。」
「留守居は誰に?」
「宮内卿の倅を置く。信の置ける者に任せねばな。」
わざわざ種子島まで行って帰って来てくれる程度には忠誠が厚い。適任だろう。
「犬山が沈黙しているのは不気味ですが。やる事は変わりませぬ故北へ向かいまする。」
「其方が失敗する事は無かろうが、戦の経験が多いわけでは無いのだ。無理はするなよ。」
「随分殊勝な事を仰る。膝から毒が抜けましたか?」
「御仏の教えが身体中を巡って居るのが分かる様に成ったか?」
いけしゃあしゃあと手を合わせて戯ける父が悟りを開くことは輪廻転生の輪だけでは無理な気がした。
斎藤の家が動員できるのは約12000。外に出せるのはうち6000ほどだ。今回は俺がそのうち4000を率い、父は竹腰殿の兵と合わせて2500で大桑を睨む。大桑には揖斐殿の兵と村山殿の決死部隊を合わせて2000が集まっている。仮に斎藤正義殿を討った久々利の兵が合流しても負けはしないだろう。
何より烏峰城は妻木・明智といった東濃の親斎藤勢力にとって交通の要となる場所だ。久々利も援軍を出すよりここを固めた方が良いことは分かっているはずだ。
「揖斐殿は事前に知っていなければ大桑に既にいる説明はつかぬ。村山殿が事前に知っていれば無謀さに何とかして止めるだろう。結局は何方も甘いな。」
「村山殿の決死の説得も、二郎サマには届きませんでしたね。」
「決死だったからこそ覚悟を決めてしまった部分もあろうな。誰も其の道以外では同道してくれぬ、と思ったのだろう。」
四面楚歌の状況で、それでも二郎サマが頼りにしているのは誰なのか。
「朝倉は二郎サマと繋がって居らぬそうですね。」
「彼れは頼純が居る限り朝倉と行動はせぬよ。わしの調べでは畿内の首謀者気取りが裏で動いて居る。」
「首謀者気取り?」
「そう、木沢長政に長年煮え湯を飲まされていた男。最近解放されたのを力を付けたと勘違いした気取り屋よ。」
「其の男が絵図面を描いた、と?」
「細川氏綱から美濃守護を確約されて居るらしい。六角との手打ちも氏綱がしてくれる手筈なのだと。」
「他力本願にも程が有りますね。二郎サマらしくない気もします。」
「政を学んで来なかった故だろう。うまく口先で乗せられたのだろうな。」
父は既に全貌が見えているらしい。鋭い視線で明確に誰かを思い浮かべながら西を睨んでいた。
♢
美濃国 温見峠
鷲巣六郎光敦はいつもの如く家督争いに加わるつもりはなかった。
そのため実の兄が死んでも、越前国境の朝倉が動員を終えたことを理由にこの争いに加わらず。
国境周辺の国人に号令を発し、朝倉軍を討つことのみに注力する姿勢を見せた。
2月の割に暖かかった気候がもたらした敵の進軍は彼にとって煩わしいものに関わらずにすむ格好の動機づけのはずだった。
北西部の国人がこれに応じたのは土岐の名が為か、今までの対朝倉での一貫した姿勢の為か。
いずれにせよ、先に守りやすい温見峠の高所を押さえた鷲巣の軍勢は3000を号して盤石の体勢を整えていた。朝倉を率いる大野郡司の朝倉景鏡の4500にも充分対抗できるはずだった。
「此れも因果か。一族の禍根に目を背けた咎やも知れぬな。」
開戦後、敵兵を優位な状況で圧倒していたのがひっくり返った。土岐七郎頼満。前々から越前の土岐氏に肩入れしていたが、趨勢が固まった後で道三の娘を正室に迎える事で和解したはずの人物。
彼の軍勢が寝返った。
後方での寝返りに動揺した諸将は指揮系統の混乱で協力して戦う事が不可能となり、峠の小高い地点に陣を布いた鷲巣の軍勢は身動きが取れなくなった。
これに朝倉軍の先鋒を務める印牧美満が突撃を敢行。勝敗は決した。
「誰ぞ居る!?」
鷲巣六郎は周囲に居た馬廻りを伝令や敵の猛攻を防ぐためにほぼつぎ込んでいた。伝令の頼める人間は限られるため、使える人間がいないかと彼は声を上げていた。
「居りますぞ六郎様!」
呼びかけに応じたのは鷹司左衛門督政光だった。鷹司の御家騒動で最終的に勝利した男である。
「お逃げ下さい六郎様!此処は既に持ちませぬ!」
「其方は頼香に嫁いだ道三殿の娘を迎えている。此処に居ては危険だ。其方が逃げよ。」
現れた顔に驚きつつも、六郎にとって求めていた立場の人間ではないため逃げるよう命じる。
「しかし、総大将たる六郎様を置いて逃げる事など!」
「其れに此の一件は全て、結局は土岐一族が招いた物。なれば土岐一門の血が流れねば治まるまい。」
自分の無関心、否、関わる事を怖がったが故に事態は悪化し続けたことを彼は自覚した。
それがあまりに遅すぎた事も同時に。
「生き延びられよ。生きて、典薬頭殿を援けられよ。」
「典薬頭殿、ですか。道三殿では無く?」
少し意地悪な顔をして左衛門督は尋ねる。にやりと笑う六郎。
「左様。道三は此の事態をほくそ笑んで居ろう。託すなら真に純粋に美濃を憂う事の出来る若者に、な。」
「成程。では其のお言葉、確かに道三入道に届けましょう。」
泥を拭いながら走り出す鷹司の兵を見送りながら、鷲巣の旗がいつの間にか周辺に見られなくなっている事に気づく。
近くで聞こえる剣戟の交じり合う音は、既に旗指物を差したまま戦う余裕のある者があらかた討たれた事を意味していた。
「決断出来ぬ主君は家臣を滅ぼす、か。そうはなるまいと思って鷲巣に養子入りした筈が、気づけば其の典型と成って居たとは何たる皮肉か。」
そう呟く彼の前で、陣幕が引き裂かれ朝倉の三つ盛り木瓜の旗指物が飛び込んできた。
♢
美濃国 揖斐城
城内に完全に閉じこもった揖斐五郎光親様を無視して北上していると、輿に乗った一行に出会った。
先遣隊からの報告で七郎頼満様に嫁いだ姉の鶴姫と分かっていたが、改めて会った姉は以前贈った瑠璃の碗を大事そうに抱えながら俺の前にやって来た。
「済まぬ新九郎。私では、頼満様を翻意させられなんだ。」
「事情は伺って居ります。寒いでしょう。護衛を付けます故稲葉山にお帰り下さいませ。」
姉は無念そうに唇を噛みながら、泣きそうになるのをこらえていた。
「何故、家族で争わねば成らぬのか。一族皆で仲良く出来ぬのか。」
姉の呟きは、本来の斎藤氏の歴史を思うと皮肉にしか聞こえなかった。
姉を護衛と共に見送った頃、行軍を再開しようかというところで温見峠での戦の様子が服部の忍びによってもたらされた。
「鷲巣六郎様御討死。鷹司様や国枝殿は命からがら逃げましたが、此方に向かって朝倉軍が追撃して来て居ります。手薄となった国人の領地に兵を送り込んできているとの事。」
「分かった。敵の兵数は分かるか?」
「凡そ四千。我らの方が数は多いかと。」
ここ数日の気圧変化などは緩やかだ。雨が降る兆候はない。
「一気に朝倉の軍勢を壊滅に追い込む。全軍、目指すは大野郡司の軍勢だ。行くぞ!」
応、という諸将の声と共に、鉄砲隊を指揮する予定の十兵衛光秀がいつも見せないような獰猛な笑みを浮かべた。
鷲巣六郎、退場。
土岐一族はバラバラですが、外部にとってそれだけ今の美濃が厄介だから調略の手が伸びてきている証でもあります。
道三はかなり丁寧にケアしていましたが、完全に防げないから流れを自分の都合の良い方向へ誘導しています。ご都合主義ではなく道三主義です。
次話、いよいよ朝倉景鏡との二度目の合戦です。




