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路線バス

作者: 吉幸 晶
掲載日:2017/01/15


 岸和(きしわ)礼二(れいじ)は市内の路線バスの運転手を、十二年務めてきた中堅の運転手であった。

 勤続十三年目の春、礼二は今まで走ってきた路線の営業所から移動となり、県内でも一番北の(さび)れた町の営業所勤務となった。

 バスの運転手として、永年勤めてきたが、営業所を移動する事は初めてで、同じ県内で有っても、現在、住いを持つ大きな市内とは違い、隣県との県境となれば、通勤も生活リズムも大きく変わると、落胆は隠せなかった。


 妻の成美は、栄転では無く左遷に近い処遇に、毎晩、礼二へ嫌味を言った。

「この歳で、何で最果ての辺鄙(へんぴ)な営業所へ転勤なのよ。貴方、何かへまでもしたの?」


 夕飯を摂っている礼二への、成美の愚痴はエキサイトする。

「翔太郎の小学校や、桜の幼稚園の編入はしないから、貴方はここから通ってよね。」

「わかっているよ。でも、始発電車に乗らないと勤務時間には間に合わないから、自転車を買おうと思って――」

「そんなお金が有ると思うの?貴方は自分の稼ぎを理解している?」

 成美に問い詰められ、礼二は仕方なく、自宅から最寄りの駅までの一時間を歩く事にした。それにより、今までよりも起きる時間は三時間ほど早くなるが、成美は子供との生活時間のリズムを譲らず、礼二の身支度の手伝いから外れる事を伝えた。

 礼二も仕方なしに、午前三時半に起床して、弁当と朝食を作り仕事へ出掛ける事になった。



 路線バスの運転手も、タクシーの運転手と等しく、恐ろしく、説明のつかない事に遭遇する事がある。それは、都心でも田舎でも変わらずに有るようだ。

 この湖周辺の田舎道も例外では無く、色々な怖い噂話が残っていた。礼二が勤めていた前の営業所でも、そう云った出任せ紛いの噂は多くあった。


 転勤者への洗礼の様に、礼二への恐怖を煽り立てるように、営業所の古株達は、事あるごとに恐怖話しを持ちかけた。

 一番恐ろしいとされている話しは、湖の裏側にある、国道から入ってくる山道に伝わる女の幽霊の話しだが、運転手をバスから引き摺り下ろして喰らうなど、リアリティーに欠けていては、恐怖する前に白けてしまう。ましてや、根が明るく、ポジティブ思考な礼二には、まったく恐怖感が通じなく、話しをした人達も、脅かし甲斐が無いと、本当に詰まらない男だと礼二へレッテルを貼った。


 移動になってから、一週間が過ぎた日のこと。上司は、独り立ちした礼二へ、峠道で事故が年に一、二度起こる場所があると、教えた。峠の道では、事故が有っても然程、不思議は無い。「十分に注意します」と答えたが、内心は、「事故が多い、幽霊スポットとして、恐怖心を煽る積りなのだろう」などと、軽い気持ちで聞いていた。


 礼二の身に、今まで聞かされてきた、いつくかの怖い話しが現実に起こり始めたのは、独り立ちした日の夕方からであった。


 まずは誰も乗っていないバスの中を、小学生くらいの子供が、走り回ると云った現象に出合ったが、その時は『湖畔』と言うバス停に着き、ドアを開けると消えたので、礼二も錯覚程度にしか思わなかった。

 しかしその三日後。二十一時を過ぎた最終バスを運転している礼二が、ルームミラーで乗客を確認した時には、誰も乗っていなかったのに、『湖畔』のバス停に近付くと、運転席の横に立っている少年を見付け、ぎょっとした。

 驚いた礼二は慌てて路肩に停車して、乗客の少年を確認したが、やはりバスの中には、自分以外、誰も乗っていなかった。


 営業所に戻ると直ぐに、上司へ報告したが、逆に飲酒を疑われ、その場で検査を受けさせられた。酒気は当然測定できず、疑いは晴れた。しかし少年の真相はうやむやとなった。


その翌々日、勤務に就いた礼二は、先日と同じ最終便で『湖畔』を通る系統の予定表を受け取る。そして最終バスを運転していると、『湖畔』のバス停の前で、『停車』ボタンが押された。「湖畔、停車いたします」と普段通りに、車内へアナウンスを流す。それから間も無く『湖畔』に付きバスを停めた。しかし、バスに乗客は一人も無く、ボタンが押される事などありえなかった。

 バス停に停めたまま礼二は、暫く様子を見ていたが、誰も来ないし、当然、誰も降りる事もない。何故かこのバス停に何かを感じ始め、次の終点でUターンして戻るだけと思い、礼二はバスから降りて辺りを見回した。


夜の九時を過ぎた山間のバス停からは、街の灯りも民家の灯りすら見えない。辛うじて、山の影と星空がコントラストを作り、山の形が目視できた。その他には、月明かりで山の闇の中に、自分が進んでゆく道のガードレールが白く浮かんで見える。

「何も無いか」

 礼二は呟くと、バスに乗り込み、ドアを閉めた。その時、乗り口に一人の子供が立っているのに気付いた。

「あの少年だ。」

 礼二がドアを開けて、少年へ声を掛けた。

「君、こんな時間に何をしているの?」

「おっ父とおっ母の迎えをまっているんだ。」

「これは終バスだから」

「今日も迎えは来ないか。」

「今日も?」

「あぁ。もう、ずぅっと待っているけど、全然来てくれない」

「君一人でここにいるの?寝る所や食事は?」

「おら、腹減んねぇ。眠くもならない。」

「そんな事有り得ないよ」

 礼二は運転席を離れ、バスを降りた。

「でも。本当だ。」

「バスに乗りなさい。営業所まで行けば、親御さんに連絡が取れるかもしれない。」

「そうなの?」

「あぁ。だからおいで」

「それじゃ、妹と弟も連れて行きてぇ」

「兄弟もいるのかい?連れておいで」

「でもこの下にいて、小さいから登れないんだ。」

 礼二はそう言われて、バス停の下を覗いた。目が眩みそうな程に深い谷が、大きく口を空けていた。

「君はここを登ってきたのかい?」

「近道があるんだ。」

「近道?案内してくれるかい」

「いいよ。こっちだ」

 少年は走り出した。礼二は慌てて少年に付いて走りだしたが、闇に紛れて見失ってしまった。


 翌日、非番の礼二は、帰宅途中の電車で居眠りをしていると、子供の声で目を覚ました。

目の前には、昨夜見失った子供が立っていて、その少年と目が合うと、礼二の隣に座り、車窓の外を眺めて、通り過ぎる物を礼二へ教え始めた。

 流石に礼二も、自分に起きている事の異常性を理解して、帰宅後に成美へ伝えた。

「変な物を家に連れて来ないでよ!貴方の事は自分で蹴りをつけて!」と突っぱねられ、寝室からも追いだされてしまった。


 自宅でも居場所を失った礼二は、ベランダに寝袋を用意して眠りに着いた。


 翌朝の岸和家の台所には、見知らぬ女が朝食の支度をしていた。

「君は誰?成美は?」当然の質問をその女にした。

「岸和さん。今朝はどうしたんです?」

 思いも寄らない回答を聞き「何が?」と問い返す。

 台所にいる女は、礼二へ云った。

「奥さんは三年も前にお亡くなりになられて、それで私達ボランィアが、朝食やお子さんのお弁当を、作りしに伺っているのですよ。」

 驚きを隠せず礼二は続ける。

「でも、つい昨日まで成美が――。家内が子供の面倒を見ていた。」

 女は申し訳無さそうに礼二へ云う。

「成美さんがこの台所でお食事を作っていたのは、四年も前の事です。それ以降、私が礼二さんとお子さん達のお世話をしてきました。」

「そんなはずは無い!」

「そう、おっしゃられましても――」

 女も困惑して、礼二へ申し訳無さそうに言う。

「昨日だって、私が成美と――」

「いいえ。昨日も私が――」

 途中まで聞いた礼二が、不安を顔一杯に浮かばせて、女へ問うた。

「私は夢を見ていると?」


 女が返答に窮して、周りをキョロキョロと見始めた。

「どういう事か、正直に話して欲しい。」

 女の様子が変わったこの期に、礼二が問う。すると女は少し考えたあとに、返事をした。

「申し訳ありませんが、湖に有る、『湖畔』と言うバス停で降りてください。そうすれば、すべて御理解いただけると――」


 警察の車輌が山間(やまあい)の県道を走って行く。その車輌には成美が乗っていた。

「三年かかりました――。ご主人が運転していたバスが見付った所から、さらに県道を進み、峠の一番高い所でした。」

 警察官の一人が説明を始めた。

「ご迷惑をお掛けいたしました。」

「いいえ、たまたま伐採作業がありまして、その茂みの中から男性の白骨体と子供三人分の骨が見付った次第です。」

「子供?」成美は警察官へ問う。

「子供といいましても、かなり――すでに六十年も前の物らしいです。」

「そうですか……」ほっとした成美の様子を見て「ご主人は何かに悩んでおいででしたか?」

「五十を超えて、左遷のような移動でしたから――。それに、朝早く帰りは遅い。通勤にも、営業所の方達とも馴染めないようでした。」

「そうですか。」

「はい。今頃――。死んで、いい夢を見ているのかも知れません。」


 山側のバス停から、一人の少年が車輌の前に飛び出した。運転をしていた警察官は慌ててハンドルを谷側へ切った。

 ガードレールが途切れている、車一台分の隙間を抜けて、そのまま湖へ向かって飛び込んだ。


「落としちゃ駄目だよ」

「おら、止めるつもりだった」

「でも落ちちゃったじゃないか。折角、あの車に乗って帰れると思ったのに。」



平成二十九年一月十五日


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