⑤
「答えなさいよ」
そんなことを言われてもシェリエには返す言葉がない。シェリエは彼女の身近には居たけれど、彼女の事について知っているのはほんの少しなのだから。
「知らない」
どうしようもない事実をシェリエは自分に言い聞かせるようにして言葉にした。短期間ではあるがこの家の誰よりも彼女のそばに居たと言うのに、彼女の考えていることはおろか行き先すらも把握できていなかったのだから。
だが、それを嘘だととった女はシェリエにくってかかる。
「知らない?隠したって無駄ってわからないの?」
バァンと壁を平手で叩き女はシェリエの恐怖心をあおる。シェリエは指先をぴくりと動かす程度で逃げ場がないのをいいことに、女はシェリエの爪先をねじるように踏み潰した。
「アレの犬だからっていい気になっているなら大間違いよ、アレに手を出せなくたって貴方にはいくらでも手を出せるんだから」
ピンヒールに踏みつけられた指先がズキズキと痛んだがシェリエはそれを顔に出すことはせず、ただ女の主張を聞き流した。こんなことで相手に屈しては主人に嘲笑されかねないからだ。
シェリエにとっては他人に膝をつくことよりも主人の笑いの種になることの方が苦痛であり、それだけは避けたいことなのである。面白くないと文句を垂れるぐらいシェリエは主人の前では完璧を演じていた。そんな彼女をからかう種を見つけてしまったら、それを見ないふりなどたとえ天変地異が起きようとしないだろう。
シェリエの主人というのはそういう人間なのだ。
「何度聞かれたって同じよ、シェリエの行き先なんて私は知らない」
知らないことを教えるというあり得ない要求に、シェリエは内心で相手を笑いながら感情のこもらない声を発した。そして、何か言いたそうに口を開いた相手をまくしたてるようにして言葉を続ける。
「それに、あなたの方が長くここにいるんでしょ?なら、私よりあなたの方が心当たりがあると思うんだけど......それとも、そんなことも知らないでここに来たの?」
自分の事は棚にあげてシェリエは女に悪態をつく。指先を踏んでくるような相手に払う敬意など微塵もないし、なにより客としてここに踏みいっている訳でもない者に大きな顔をされては困るからだ。
そしてシェリエは主人が出かける前に言っていた事を思い出した。あの子たちをここに入れてあげないでねと。あの子たちというのがどのような人々を指しているのかシェリエには知る芳もなかったが、この女があの子たちに属していない証拠はない。疑いのめははやくに摘み取ってしまう方が結果として良い方向になるはずだ。少なくとも客人でないのなら、もてなす理由はどこにもないのだから。