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第一巻・第二章-02

「ただいま戻りました」

 週末刊行の新聞の記事内容を推敲していると、部室の扉がガラリと開く。そこに立っていたのは、先ほど取材に出て行ったばかりの数寄屋すみれだった。

「なんだ、もう戻って来たのか、ミレー。早かったな」

「はい? いえ、二時間ばかり出ておりましたので、決して早かったということはないと思うのでございますが」

 二時間。そういわれて初めて時計に目を遣った。

 すでに時針は七の数字を通過し、むしろ八の数字に近いところに位置していた。

「…、ずいぶんと、時間がかかったな」

「いえ、言い直して頂かなくても結構でございます。とりあえずということで、件の女性について調査するにあたって、校内で行なうことの出来る取材をして参りました。報告させて頂いてもよろしいでございましょうか?」

「いや、今日はもう遅い。親御さんにご心配をかけちゃ申し訳ない、帰るぞ」

「然様でございますか。えぇと、それでは今夜メールを送らせて頂きますので、そちらにて」

 手の中に抱えたいつもの取材手帳を披露することが出来なかったからだろうか、すみれは少しだけがっかりしたような顔で俺の言葉に肯定の言葉を返す。

 しかしここから二時間の取材の成果を丸ごと聞いていたらそれこそ22時コースだ。流石に部活動とはいえ、そんな時間にかわいい後輩を帰らせるというのは申し訳がないし、帰路の安全について責任を負うことが難しくなってしまう。

「ささらに試しに声かけてみてくれ。けっきょくこいつあれから一片も目ぇ覚ましてないけど」

 それに彼女は、自分の目の前にあるものを即座に要約することに、非常に難がある。つまり簡単に言ってしまえば、時間をかければある程度出来はするのだが、根本的なところで整理整頓が苦手なのだ。それは思考についてもそうだし、物理的なことについてもそうだ。

 だから二時間の取材の成果を整理していない状態で話始めたら、それこそ本当にがっちり二時間かかってしまう。流石に、それに付き合っていることはできないのが現実だ。マックから押し付けられた調査もあるが、決して週末に刊行する今週の分の新聞についての作業が消えてなくなってしまったというわけではないのだから。

「今日もささら送るのは俺がやるから。ほれ、鍵締めるから支度しろ」

 パソコンを落とし、出しっ放しの資料を片付けて。帰るための支度を整えて、結局目を覚ましてくれなかったささらを背に負って、俺たちはすっかり静かになってしまった文化部部室棟をあとにする。

 すいよすいよと穏やかな寝息を立てるささらを背に、バス通学の数寄屋すみれをバス停まで送り届け、俺はのんびりと帰路についた。頭の中は、今週末の新聞のことでいっぱいで、ほとんどすみれの一次調査の結果について考えることはなかった。

 だってそれは、どうせつまらない結論が訪れて終わるに決まっていることだから。ほぼ間違いなく俺の予想通りの展開で、最終的には『なんだこんなものか』とため息を吐き出すような、そんな程度のことでしかないに違いない。

 しかもそれは、俺たちの新聞に載せられるようなことでもない。面白おかしく脚色して、あることないこと書き足して、そうして読者が求める形にすることが許されるようなことではないのだ。だってそれは、他でもないあの生徒会長様からの依頼なのだから。敬愛すべき愛読者諸氏に向けた、所謂ゴシップでは、決してないのだから。

 現実は小説より奇なりとはいうが、そうそうそんな事態に直面するものではない。たしかに小説以上に奇想天外な現実がないというわけではないが、それは決して道ばたに転がっているようなものでもない。現実は小説より奇なり、ただし往往にして希有である、そう断ずるに些かの躊躇もない。

 なぜなら俺はゴシップライターだから。退屈な現実を、窮屈な真実を、外れた視点から崩すのが俺の本分だ。真実を穿ちに穿った先の、なんだかよく分からないものを抽出するのが俺だ。本当に面白い、それこそ俺の手を経ることもなく愉快な現実など、興味深い真実など、そうありはしないとよくよく知っているのだ。

 俺が脚色をするのは、それが面白くないものだと断じる故なのだから。

「んぅ…、もうちょっと、キツめのしめさばを、炙りで……」

 いったいどんな夢を見ているのか、背中で芹ささらがうにうにと言葉を零す。まったく起きる様子もない彼女を、俺は一度しっかりと背負い直して帰路を急ぐ。

 まるで小さな子どものように薄くほっそりとした身体つきの彼女は、決して背負い心地がよくはないが、だからといっていつまでもこうしているのも倫理的によろしくない。俺は薄い身体に欲情するような特殊な性癖を持ち合わせていないが、しかし彼女も彼女でかわいい盛りの女子高生だ、連日男におぶられて帰るというのもそう世間体がいいものではないのだ。

「気楽なもんだな、ささら」

 てくてくと歩きながら、考えた。生徒会長様が、俺たちにこの話を振って来た意味を。

 九割がた間違いなくつまらない結末が待っている話を、わざわざ拾い上げたその意味を。

「キラキラは、すみれちゃんじゃなくてささらにくださいよぉ…、光り物、好きなんですぅ……」

「今日は徹頭徹尾寿司だなおい」

 あるいは、なにか面白さでも見いだしたのかもしれない。俺には分からない、何かがあいつの目に留まったのかもしれない。それは、きっと俺には理解出来ない、その実今でも理解することが出来ていないのだから。

 だから、俺はこの件に私情は挟まないつもりだ。どこまでも私情は挟まず、最後の最後、どこどこまでも客観視しかしないつもりだ。ただの客観的事実だけを突きつけて、こんなつまらない話だったと言ってやるつもりなのだ。

 それが望みだろう。不満そうで不服そうな顔をするかもしれないが、俺はどうあろうとそうしてやるつもりだ。

「ささら、ほら、お家だぞ、起きろ〜」

 ゆさゆさと、背負った芹ささらを揺すったところで到底起きてはくれないのでドアから出て来てくれた母親に引き渡し、そうしてからやっと俺は本当の帰路につく。しかしまぁ、ささらの家と俺の家は、そう離れているわけではないのだが。

「ただいま」

 ぎぃと、小さな音を立てて扉が開く。真っ暗な、誰もいない玄関に向かって、俺はぽつりとそうつぶやいた。人の温度のしない冷えきった室内は、靴を脱いだ足から容赦なく温度を奪い、少なからぬ寂寥感と、それから孤独感を俺の心に押し付ける。

 いや、天涯孤独とかそういうご大層なものでは、俺はないのだ。ただ父親は長期海外出張、母親はそれに帯同し、姉は都会の大学に通うため家を出ている。それならば実家はと言えば、年単位で空けるならば管理もし切れないだろうし賃貸にでも出してしまおうと、今や人様の住処と化している。ほんのそれだけの、そういうくだらない、ありがちな身の上がここにあるだけ。ただそれだけのことなのだ。

 そういえば、今日も買い物に行きそびれてしまった。募る寂寥感と孤独感は、しかしあっという間に一匙の生活感に駆逐される。けっきょくは寂しかろうが虚しかろうが、それが日々の生活という営みを凌駕することは無い。俺が数年に渡る一人暮らしの末に見いだした真理は、つまるところそういう味気ないものだった。

 寂しかろうが腹は減るし、虚しかろうが夜が更け朝が来る。人間の感情なんてものはちっぽけで、時の流れやら生理現象なんていう大きなストリームに飲み込まれるくらいのものでしかない。それこそ、切ない事実に気づいてしまったものだ。

「カップ麺も残り少ないな」

 数少ないキッチン用品であるケトルで手早くお湯を沸かして、貴重なカップ麺にその中身をぶちまける。キッチンタイマーで三分をきっちり計りつつ、俺はしばし物思いにふける。

 いったいこの事件に——事件とも言えないものだと俺は思っているが——、どんな意味があるのかと。どんな価値があるのかと。やはりどうにも解決し得ず、どうにも解消し得ない疑問がこの胸の内にあった。

 快楽主義者で効率主義者のエリック・マクダウェルは、無意味な行動を好まず、無価値な行動を嫌悪する。それは一切の私感によって判断される事柄ではあるのだが、奴にとって意味があり、価値がある行動以外は絶対に選択しないのだ。

 だから、奴がそれを選択したという事実そのものが、それが奴にとって意味と価値がある行動であるという証明だということが出来るのだ。それが俺にとってつまらない結論しか導かないとしても、面白くもない結末しか用意されていないとしても、あるいはそれが奴にとっての意味であり価値だとでも言うつもりなのだろうか。

 いや、止めよう。考えることに意味は無い。どうせ俺に奴の考えは分からないのだから。どうせ俺に奴の思いは分からないのだから。どうせ俺に奴の願いは分からないのだから。どこどこまでも客観的にやってやろうと、さっき心に決めたばかりではないか。

 一人になると、いつもこうして思考に囚われる。それこそ、そうすることに意味も価値もないというのに。俺は、生徒会長の解決器官だ。方法は問わない、ただ『解決』することだけが俺の奴にとっての存在理由で、存在価値なのだから。

 言ってしまえば道具だ。そうして使うための、特殊な装置なのだ。そうであると、お互いに暗黙の了解として承知し合っているからこその、この関係なのだから。今さらこの関係性に声を上げるほど俺は前向きではないし、奴も後ろ向きではない。

 次の瞬間、ポケットの中のスマートフォンがポンと音を上げる。思考の薮に沈み込みかけた俺の意識が、その音によって息を吹き返す。ロック画面に目を遣ると、そこには数寄屋すみれの文字があった。

 助かった、これで逃げられる。そんなことを脳裏に浮かべながら、思ったより早く上がってきたすみれからの取材報告のメールを開く。ずらずらと、延々刻み込まれている情報にすらすらと目を通していく。

『佐川ゆうか(19)明京大学文学部二年生』

 メールの題名からあとは、今日の取材の成果がのんべんだらりだと書き連ねられている。

 読んでいる限り、目が覚めるような事実は、そうありはしない。彼女のことを、佐川ゆうかという女性のことを知っている人間にとっては、分かり切ったようなことが続いていく。取材のスタートは基礎固めからというのは、数寄屋すみれの信条だ、そこに文句を差し挟むようなことをするつもりは毛頭ない。

『重要・鷹野義信(28)元教諭、現在不明』

『高校三年時に事件』

『解決済み案件につき、特に追調査の必要無しか』

『連絡先:親元、大学、高校時の友人方面、大学での人間関係方面』

『警察への連絡状況、周囲への通知状況の調査必須』

『当時の担任は異動済み。異動先への連絡と聞き込み』

 とりとめもなく、特別まとめられることもなく、ずらずらと並ぶ情報の群体。読みながら頭の中で無数の断片を結びつけ、さらに要求するべき情報をタグ付けする。大切な情報と不要な情報を仕分けていき、整理整頓を進めていく。

 言ってしまえば、これが俺の仕事だ。

 雑然とした断片情報の集積体である数寄屋すみれというスクラップブックを、整理整頓してより一層使い物になるデータベースへと再編成し昇華する。それをするのが、今の俺の仕事。なんでもかんでも拾ってきては宝物箱に仕舞ってしまう彼女に、取捨選択というものを教えるのが俺の役目に他ならないのだろう。

 しかし、まったくもって恐れ戦くほどの情報量である。たかが二時間、されど二時間。よくもまあこれだけの情報を、のべつ幕無しに集積することが出来るものだ。これだけの情報集積能力があるからこそ、中学校では有名な新聞の大会でご大層な賞を頂いたのなんのって話が出てくるのだろう。

「末恐ろしいわな、まったく。ってか、逆か。すみれがいれば我が新聞部も安泰だな。代替わりすればゴシップ色は一瞬でなくなっちまうだろうがな」

 すみれが記事を書けるようになってくれさえすれば、来年以降の新聞部に対する不安と懸念の一切合切が消え失せる。だが肝心の、どうして彼女が記事を書くことが出来なくなったのかということは、俺はもちろん誰一人として知りはしない。彼女がそれを語ろうとしないのだから、それを知る人間がいるはずもない。そして語られぬのであるからして、彼女の執筆を妨げる某かを解決することなど出来ようはずも無いのである。

 そして言ってしまえば、それがそもそも解決することが出来る某かであるのかという事すらも分かりはしないのだ。もし解決することのできないものであるとしたらば、俺が彼女にしてやれることはあるのかどうかということにもなってくる。

「…、なんかあるのは、俺も同じか。人のことに首突っ込んでる場合じゃねぇのかもな」

 頭の中から雑念を振り払う。ただ、目の前の情報に向き合った。他人の頭の蠅を追っている場合ではない、自分に言い聞かせながら俺に出来ることにせめて取り組もう。

 考える。上がって来た情報に、そう目新しいことはない。当然だ、いつものフィールドから出ていないのだ、手に入る情報は俺たちにとって手あかのついたものになることは否めない。

 整える。明白な情報の矛盾は、今のところ見受けられない。当然だ、まだほんの少しの取材をしただけなのだから、一つの情報に対する多面的な視点を得ることなど出来ようも無い。

 そして言ってしまえば、少なくとも俺の食指が動くような展開は現状見込めそうになかった。だからやはり、この事件はつまらないものになるだろうという俺の見解が動くことはなかった。

 きっと、いや間違いなく、この事件はただの家出事件だ。仮に発展したとしても、失踪がいいところで、誘拐やら殺人やらの穏便でない言葉が出てくることは無いだろう。逆にそうした危険極まる事件であるならば、少し叩いただけでもっと埃が出るものだ。そうならないということはもう、そういうことなのだ。そう断ずるに、俺はあまり躊躇がない。

 ふと、ポンとスマートフォンが再びメールの着信を告げる。なんだ書き忘れでもあったかと、俺はもう一度スマートフォンを手に取ると新着メール欄に目を遣った。そこにあった名前とそれから表題を、俺は二度三度と瞬きをして確かめてしまった。

 そこには思ってもみなかった名前と、それから表題があったのだから。

『from 生徒会長 今日の件について』

 なんだこれは。俺はメールを目にした直後にそう思った。奴は、本質的にそういうタイプの人間ではなく、こんなことを殊勝にメールしてくるようなマメな人間ではない。だから、俺はこのメールの内容に一切の期待をせず、開くに際して一切の願望を持たぬことを心に決めた。

 そんなことに意味はなく、そんなことに価値はなく、つまりそこにどのような懸念もなかった。このメールに対しひとつまみほどでも恐怖を抱くことは、けっきょくは無意味であり無価値であり、つまるところ逆説的にこれが無害な代物だということは明らかなのだ。

「気にするだけ無駄だ。無価値だ。無益だ」

 言い聞かせ、言い聞かせて。それから俺はそのメールを開く。

『ユキ、すまない、手間をかける』

 それだけ。

 開いてみて、文面に書かれていたのは、たったそれだけのことだった。

 どのようにそれを理解したものか、俺にはしばらくの間それが分からなかった。 

「…、なんだこれはなにをいまさら殊勝ぶってやがるこのやろうふざけやがって、…、くたばれ!!」

 とりあえずいろいろと言葉を連ねてみたがけっきょく最後は吐き出すように言い捨てて、俺はそっとメーラーを閉じる。いったいなんだこれは、ふざけているのか。いろいろな感情が、ぐるぐると心中を巡る。ぐちゃぐちゃになってしまった毛糸の玉のようなそれをどのように解いたものか、俺にはそれがとにかく分からなかったのだ。

 手の中のスマートフォンを、ベッドに向かって投げつけてみた。ぼすんと、柔らかな布団にハードランディングした機体が、一瞬の間を置いて少しだけ跳ねる。

 あれだけのメール一つで、今回の件について、ひいては全てを許してもらえるとでも思っているのだろうか。全てを水に流してもらえると思っているのだろうか。それだけのことで、俺が気分よく調査に乗り出すとでも思っているのだろうか。

「ふざけやがって…、絶対に痛い目を見せてやる…、絶対に目の前で頭下げさせてやる……!」

 そしてふと、俺はハッと顔を上げた。キッチンタイマーがけたたましく電子音を鳴らしていることに気づき、兎にも角にも停止ボタンを押し込んだ。

 タイマーを見ても、もう何も分からない。恐る恐る時計を見ると、少なくともお湯を注いでから十五分以上が経っているらしいことが明白に分かる。集中してしまうと時間という観念を見失うのは、俺の悪い癖だ。それを理解しながら失態を繰り返すのだから、阿呆の誹りは免れまい、と考えるのも何度目のことだろう。

 目の前の原色が目に痛いカップの中身が如何様になっているかを想像し、背筋に冷たいものが走った。ただただでんと鎮座まします、希望が入っているかすら分からないパンドラの箱のふたを開くのが恐ろしい。

 俺の心中は、一瞬にしてその生活的恐怖によって塗り替えられた。現実の愉快不愉快などというものは、所詮その程度のものでしかないのだ。ざわざわと心中穏やかではない俺は、そんなことを再確認させられたのである。


…………

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