表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/7

第一巻・第一章-02

「先輩、この名状し難き汚い文字は、いったい何と書かれているのでございましょうか?」

「そんなの俺が知るか。そもそも字の汚いあいつの、しかも走り書きって、もう誰にも読めないだろそれ。解読しようって考えるのがまず間違ってるんだよ」

 マックの残していった紙切れを見ていると、どうしても忌々し気な顔になってしまうのを止められない。そこにおそらく、いや、間違いなく、新聞部の廃部を楯にして俺にいろいろと面倒なことを押し付けてやろうという奴の顔が見え隠れするからだ。

 そもそも、あいつは俺のことを使い勝手の良い便利屋としか思っていないに違いない。俺だって別にあいつにこき使われるためにこの学校に在籍しているわけではないし、なれるものならあいつのお願いなんて聞いてやる義理のない立場になりたいものだ。

 でもそんなことは、もはや出来ない。俺はあいつに大恩がある、奴のことは気に入らないし嫌いだが、それを打棄っては俺自身の矜持に関わる。

「そ、それならば、どうなさるのでございますか……?」

「行くしかないだろ、直接。この紙自体がもう、ほぼ呼び出し状みたいなもんだ」

 言葉以上に心中で激しく毒づきながら、俺は手の中の紙をぐしゃりと握りつぶす。思い切り屑篭に向かって投げ捨ててやると、嘲笑うように途中で軌道が逸れた。より一層苛々が募る。

 すみれは心ここに在らずといった様子で、どこか不安そうにおろおろしている。そりゃそうだ、急にシリアスな感じで所属する部がなくなるのなんのって大事になったんだ。これまで冗談程度の廃部の危機ということはあったが、あそこまで大見得切ったにしても修羅場を潜ったことなんてほとんどないまさにひよっこだ、それくらいは仕方なしというものかもしれない。

「ささらは寝かせといていいだろ、ミレー、行くぞ」

「いえ、書き置きだけでも残しておく方が良いでございますよ。少々お待ちくださいませ」

 そう言って、今すぐにでも出て行こうとする俺を押しとどめ、すみれは校正用のPCの前に腰を下ろした。

 数寄屋すみれは、一度静かに息を長く吐いて吸う。そして次の一呼吸にカッと目を見開くと、その指が目にも止まらぬ速度で止め処なくステップを刻み、ものの数秒でウィーンとプリンターが駆動音を上げ始めた。

「ふぅ…、先輩、お待たせ致しました。それでは参りましょう」

 静かに椅子を引き、そして音もなくそれを収める。校則通りの丈のスカートがひらりと揺れ、芯が強く真っすぐな腰丈の黒髪がさらりと流れた。

「その調子で原稿書いてくれたら、一瞬で終わるのになぁ……」

「記事を書くのとメモを書くのでは、まったく異なるのでございますよ、先輩。雑駁に撃ち込まれた文章に言霊が宿ることはないと、そのようなこと先輩の方がよくご存知でございましょう?」

 セロテープをビッと切り取り、今しがたプリンターから吐き出された書き置きを手に取る。そして、それをベッドですやすやと寝息を立てる少女の額にぺたりと貼り付けた。

 額に紙を張るなんてキョンシーか何かかと一瞬浮かんだが、もう見た目からして完全に顔に白い布をかけられた死体にしか見えない。いくら眠っていて抵抗しないからとこんなことをしてもいいのかと思わなくもないが、悪意をもってやっているわけじゃないから別にいいか。

 こんなことでお互いの信頼関係が崩れるなんてことも、たぶんないだろうしな。

「…、あぁ、そうか、ミレー、お前さんこういうことまだ、まるで経験してないのか」

 そして、ふと思い至る。数寄屋すみれが入部した去年の夏休みの終わりから今まで、この部に『エリック・マクダウェルからの通告』が突きつけられたことがないということに。

「当然でございます。廃部通告は何度か経験しておりますが、先輩がそうまで緊迫していることなどこれまで一度もございませんでした」

 一年生の頃から生徒会を牛耳る、大仰すぎるカリスマ。懐刀の副長殿にぶち切れられない限り好き勝手に振る舞い続ける、暴虐的な知性の集積点。往々にしてこの新聞部という存在は彼の金髪の悪魔、エリック・マクダウェルによって私物化している。

 それだからこうして、潰されたくなかったらお願いを聞いてくれよ、みたいな態度を平気な顔をして取ることができるのだ。全うな人間ならこんな、友人の宝物を人質にするようなことが出来るはずがないのである。

 奴がそういう人でなしだということを、そんなことが起こるのがあまりに久しぶりすぎて、俺は即座に思い出すことが出来なかった。まったく迂闊である、本当ならあの紙を取り出したところで襟首を掴んで奴ごと窓から投げ捨ててしまうべきだったというのに。

「部長会は、いつだって俺たちをぶっ潰して予算をむしり取ろうと考えてるからな、廃部通告自体はいつだって出てるんだよ。でもそれを、実のところマックが握りつぶしている、なんだかんだで生徒会長だからな、あいつが判を突かないと通る申請も通らない」

「それでは、たまに渡される部長会からの廃部通告は……?」

「ありゃ、ガス抜きだ。あんまり何度も連続で突っぱねたら、さすがの生徒会長様のカリスマも斜陽だろうからな」

 後ろに数寄屋すみれを引き連れて、俺は重い足取りで生徒会室へと向かう。マックの目的が俺たちにあの紙を押し付けることだけだとするならば、あいつはもう生徒会室へ戻っているはずだ。

 そしてこれから行なわれる話の性質上、生徒会室には奴しかいないだろう。そもそもからしてまともな話ではないのだ、善良な生徒会の面々に聞かせることなんて出来やしないし、まかり間違っても副長殿の耳に入れることも出来はしない。

 もしこの話が副長殿の耳に入ったならば、おそらく即日生徒会が解散し、明日には間違いなく生徒総会か何かが開催されることだろう。それくらいまともでないことが、これから話されようとしているのだ。

「逆に言うと、マックが判を突きさえすれば、俺らは即座に素寒貧だ。生殺与奪の権は圧倒的に握られてるし、一昨年なんて部員が俺しかいなくなって自動的に廃部になりかけたところをあいつが無理をいって存続させた。今考えれば、ありゃ俺に恩を売ってやがったんだろうな、姑息な男だ」

 外面だけは驚くほどいい男だからな。俺は自分の言葉が、少しずつ吐き捨てるようなものになっていくのをもう止められない。あの外面のよさに惹かれて信奉する生徒も少なくないのだから、こういうことはあまり広言したくはないのだろう。

 まぁ、生徒会長なんてイメージ商売みたいなものだ、見られたくない面をひた隠しにするなんて当たり前のことなのかもしれないけれども。だいたいどの時代、どの場所でも、権力者っていうのはそういうものだから。

「だから俺は、俺たち新聞部は生徒会に逆らえない。新聞でネタにして笑い者にするのが関の山だ。そう考えると、こうしてあいつが直々に下す廃部通告ってのは、マックの奥の手なんだよ」

 だから、俺たちはやれといわれたことをするしかない。ため息が、ぷかりと口から這い出して、言い足りない愚痴をすべて飲み込んでぱちりと消える。

 まぁ、どう思おうが、どう考えようが、俺には『やる』以外の選択肢は許されていないし、俺自身選ぶつもりもない。だってそれを選んでしまえば、奴は容赦しない。数時間後には、この高校の部活動一覧から新聞部の名前が消える。

 自分にとって邪魔になるもの、妨げるものは全ての権力をもってして排除する。あいつは、それがどういう感情、思考に因るとしても、そういうことが出来る男だ。手の中にある最終手段を選択することの出来る人間が上に立つのは、おそらくこの社会の決め事のようなものだろうから。

「ミレー、あいつのこと、どんどん嫌いになるんだぞ。あいつの外面は基本嘘っぱちだ」

「そうなのでございますか。わたしは元々あの方を好いてはおりませんが」

「それなら心配ない、きっとこれ以上ないってくらい大っ嫌いになれるだろうぜ、よかったな!」

 ジャーナリストたるもの、体制や大きな権力へのヘイトを持たねばならぬ。二年と少しあの男と向き合い続けることを強いられた俺が見つけ出した真理は、まさにそれだった。

 反抗精神、反骨精神がすべてとはいわないが、諂うようでは話にならない。真実を求めるということは、大きなものへと反抗することが必要になるものだ。自分よりも大きな者に言われるがままに書かれた記事などに、いったい何の意味と価値があるだろうか。

 だから、週末の号のトップ記事は差し替えだ。これから押し付けられるであろう諸々のごたごたを全部ネタにして記事にしてやろう。俺たちにできる抵抗なんてのは、それくらいのものなんだから。

「さて、覚悟はいいか、ミレー」

「何をするか分からないのですから、覚悟など決まらないでございますよ。ですが、先輩の供をするという覚悟は、少なくとも決まっているのでございます」

 数寄屋すみれは、クッと口角を上げそう啖呵を切った。こいつのこういうところが俺は甚く気に入っていて、非常に俺好みのジャーナリストになってくれそうだと期待していたりするのだが。

「よし、良い答えだ、気に入った」

 しかし今はそんなことを考えている場合ではない。俺たちはこれから、我が校の悪の総本山と対面しなくてはならないのだから。仮にそれに追従するしかないとしても、矜持くらいは持っていたいと思うのだ。

 ぼんやりと、思考を浮気させている場合ではないのだ。気分が悪いことこの上ないが、今は奴のことを考えていることが必要だ。

 だから思考のしがらみを振り切るように、目の前の扉を俺は力強く開く。

「生徒会長! お望み通りきてやったぞ!」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ