第一話・第一章-01
「ミレー、お前さんに伝えなくてはならないことが、一つできてしまった」
県立白石高等学校新聞部部長である俺、白峰雪路は何もすることが出来ずデスクに突っ伏していた。唯一できたのは、穴の空いた風船から空気が抜け出すように力なく、ガラリという扉の開く音に合わせて言葉を吹き出すことだけだった。
「はて? 伝えなくてはならないこと、でございますか、先輩」
気の抜けたような声でそう応えたのは、二年生部員にして我が部の取材の鬼、数寄屋すみれ女史である。長きに渡る、三時間に渡る取材の旅から帰った彼女は、しこたま情報の詰まったショルダーバックを下ろすと校正用PCの置かれたサブデスクの椅子に腰かけた。
「それは、もしかしなくてもアレでございましょうか、また〆切が縮んだのでございましょうか。さすがに当方、これ以上〆切を縮められては集められる情報も集められぬようになってしまうのでございますが」
バックの中から取り出した甘い甘い缶コーヒーをするすると啜りながら、数寄屋女史は震えるような絶望的な口調の割にはすらすらとそんな言葉を絞り出した。しかもその間も、取り出したデジタル一眼をPCに接続してデータを吸い出す作業を忘れない。
画面をちらりと覗き込むと、どんどん取り込まれていくデータがブランクフォルダに止め処なくわき上がってくる。その様はいっそ壮観で、よくもまぁこれだけ写真が撮れるものだと関心すらしてしまう。もちろんそれもある種、いつも通りの光景と言った方が良いのかもしれないが。
「せめてあと二日、いえ、明日まではお待ちいただかねば、さすがに不可能でございます」
「いやいや、そんなこと言ってない。〆切は変わらず週末合わせだ。いや、そうじゃなくて」
話しながらもまったく手を止めることのない、ひどく忙しない彼女を眺めながら、俺はこの事実を告げたくないと心底思った。俺なんかよりも何倍も何十倍も熱心な部員に、その活動の終焉を伝えることのなんと心の痛むことか。
もうこの部で活動することは出来ないと告げる。もうここで新聞をつくることは出来ないと告げる。それが彼女にとって死刑宣告に等しいものにならないと、どうして言うことができるか。
俺にはそれが振り下ろされる白刃のようにしか感じられなかった。彼女のジャーナリズムを殺す弾丸を撃ち放つ行為にしか思えなかったのだ。
「そうじゃなくて、新聞部は週末で廃部らしい……」
しかしだからといって、告げないわけにもいかない。告げないことで彼女を守ることが出来るなんて、そんなのは嘘だ。
だって、告げないからといって、生徒会長様から直々に下された廃部宣告を撤回することなんて出来るはずがないのだから。
ここは涙をのんで、彼女には退部してもらって、新しい道を探してもらうのがいい。部と心中するのは俺一人でいい。
「…、なぁんだ、でございます。それはいつものことでございましょう、先輩。そんなことより取材結果から書けそうな記事のことを相談させていただきたいのでございますが」
「いや、どうも今回は本気らしい。これまではなんだかんだ寝技を駆使して誤摩化してきたけど、今回はマジで潰すっぽい」
いつものような巫山戯たような雰囲気を、ぐっと飲み下して。真面目に、本音で、真っすぐに彼女のメガネの奥の瞳を見つめて、そう告げた。残念ながら、これが真実だ、曲げることも歪めることも、もはや出来ない。
「いえいえ、歴史ある新聞部を、潰すなどと」
はははと、誤摩化すように笑いながら、数寄屋すみれはひらひらと顔の前で手を振った。
しかし、真摯な空気は伝わるものだ。これが冗談や冗句の類いではないと、彼女が理解するまでそう時間はかからない。
「…、せ、先輩…、マジ、で、ございますか……?」
すぅ…、とすみれの手が止まり、顔から血の気が引いた。もともと色が白い彼女だ、もう顔が真っ青になってしまっている。
鼻の上に乗ったメガネを外し、かちりと机に置く。きちんと膝を揃えて座り直し、俺の目を真っすぐに見据える彼女の姿に、そう広くない部室の空気が引き締まる。
「こ、困ります、ここが無くなってしまっては、わたしはいったいどこで、何のために取材を行なえばよろしいのでございましょうか。先輩の新聞のためだからこその、取材なのでございますよ」
「新聞をつくることだけだったら、ここじゃなくても出来る。良い機会だ、お前さんも自分で記事を書いてみるこった、練習次第で書けるようになるかも知らんぞ」
「この部で、ここの新聞に加担することに、意味があるのでございます! 」
「…、俺は、足掻くだけ足掻いてみるつもりだ。が…、最終的にはどうにもならないかもしれない。俺にも、新聞部の歴史を背負ったプライドくらいはある、ただ潰すなんてことはさせない。なんとか存続させる道を探したいが、上手くいかなかったときにお前らにそれを背負わせるわけには」
「『俺は足掻く』などと!」
俺の言葉を、嘲笑うような少女の強い言葉が遮った。まるでそれ以上聞いていられないと、横殴りにでもされたような気分だった。
「『俺は足掻く』などと、水臭いでございますよ。そもそも先輩らしくもございません。勝手に巻き込むだけ巻き込んで、勝手に仕込むだけ仕込んで、勝手に使い倒すだけ使い倒して、今さら『お役御免』でございますか。わたしにもお手伝いさせてくださいませ、先輩。新聞部を、わたしの『白石週報』を失うわけには参りませんもの」
数寄屋すみれは、決意を込めた強い視線を俺の脳髄に撃ち込んだ。馬鹿なやつだと、そう考えることしか出来なかった。そもそもこれまでも『まともな』活動はしていないのだ、きっと今回の廃部騒動でも面倒くさい際を渡ることになるだろうに。それを理解することもできない、馬鹿野郎でもあるまいに。
本当ならこんなことに下級生を巻き込むべきではないのかもしれないが、彼女がこの部を思う気持ちは俺に比して落ちるものではない。一足早くこのヤマから手を引いてほしいのが本音だが、そんな彼女の思いを無碍にするというのも人道にもとること、なのかもしれない。
あと、お前の『白石週報』じゃない、それは俺のだ。そういうこと言うのは自分が部長になってからにしてもらいたい。
「わたしにも、牙はございます。ただ無為なる死を受け入れるほど、大人でもございません」
「せぇんぱぁい…、芹研修生、戻りましたですよぉ…、ふゅ〜……」
数寄屋すみれが、獣の眼光を輝かせ不敵に口元を歪ませたそのときのことだった。
からりと,もう一度部室の扉が開かれた。
「特ダネ、ゲットですぅ…。でも、もぅだめでしたぁ……」
立っていたのは、小柄な少女だった。見ていて不安になるほど四肢がほっそりとしていて、身長も体重も目に見えて不足していて、立っているだけでなんとかかんとか精一杯、そう感じさせるような少女だった。
眠たそうに細められた瞳と、ほっそりとした鼻梁、女の子らしく少しふっくらとした輪郭線を、それ以上にふわふわとした髪が飾っていた。女性というよりも少女、美人というより可愛らしい、まるで漫画の中から抜け出してきたような、そんな儚さを思わせる姿だった。
少女、芹ささらは、ふらふらとそのまま扉の脇の仮眠用ベッドに倒れ込む。そしてもぞもぞとタオルケットを被ると、そのまま頭をふかふかの枕に乗せて言葉を続けた。眠たい目をよりいっそうしょぼしょぼとさせて、プリンターの起動音に負けてしまうくらいのか細い声で、呟いた。
「せんぱぁい…、新聞部、廃部らしいのですよぅ……」
「うん、ささら、知ってる、それ、マックが直接書類持ってきたわ」
「ふゅ〜…、そうだったのですかぁ……」
残念ですぅ…、とタオルケットに包まって八割方眠ったような様子の少女は寝息に乗せて言葉を紡ぐ。そして間もなく、すいよすいよと穏やかな寝息が聞こえてきた。
「三時間取材に出ただけでK.O.か、相変わらず体力ゼロだな」
「先輩、一つよろしいでございましょうか?」
すっと、眼鏡を再び身に付けた数寄屋すみれが手を挙げる。授業じゃないんだからそんなことしないで普通に聞けばいいのに、相変わらず自分の持ってる枠に嵌った動きしかできないやつだ。
「別に二つでも三つでも構わないけど?」
「一つで結構、廃部通告書というのは、この紙のことでよろしいのでございましょうか?」
「そうだけど?」
すみれがつまみ上げたその紙こそが、まさにその紙で。見れば分かるだろうになんでそんなことを聞く? というよりも、よく考えたら、なんで廃部通知書が二枚存在するんだ? そんなの一枚でいいはずなのに?
「わたしにはこれが、そういった通知書の類には見えないのでございますが。どちらかというと、走り書きの覚書か何かのように見えるのでございますよ……?」
「んんん? ちょっと見せてみなさい、ミレー」
紙を受けとって、俺は初めてその紙に目を通す。小汚い、ミミズがのたくったような走り書き。人に見せることを前提にしていないとしても、あまりに汚すぎるその文字列の脇に、見慣れたイラストが添えられていた。
これはあれだ、生徒会長殿がよく公式書類に描き添えては副長様をぶち切れさせている、かわいくもなんともないオリジナルキャラクターじゃないか。こんなセンスの欠片もないイラスト、奴の他に描けるやつがいるなんて信じたくない、認めてはいけない。
「こりゃあれだ、マックが書いたもんだな。なんだこれ、『やってくれると助かることリスト』?」
「よく読めるでございますね、先輩。わたしには何がなにやら」
やってくれると助かるって、誰が? マックが助かるのか? というか、なんでそんなものをここに置いていった? 俺たちにこれをしろとでもいうのか? 廃部だなんだと脅されている俺たちに? 仮にそれをするとして、いったい俺たちにとって何の意味が……。
と、そこまで考えて。ようやく俺はその紙の意味と、それから生徒会長殿の意思へとたどり着く。やっぱりか、けっきょくはそういうこと、ある意味ではそれへの強制力としての廃部通告なのかもしれないとすら考えてしまう。
だがしかし。それが決して穿ち過ぎた見方ということはあるまい。相手はあの生徒会長殿なのだ、それくらい顔色も変えず平気の平左でやってのけるのだろうから。