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影操師 ―絶対の血―  作者: 伯灼ろこ
第二章 依存
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 2節 サゥルナ

 3日後、填魁はローマの片田舎サゥルナに降り立つ。どこまでも広がる草原は、地平線を見渡すことが出来る。日本の田舎とはまた違う、異国の風景だ。

(こんな綺麗で静かな町が、影人に狙われてるなんて)

 美しく澄んだ空気を吸い込み、肌に柔らかな風を感じる。

「宿はそこの“マートン”201号室を取ってありますので」

「うん。霖が調査してる間、私はどうしたら良い? 手伝おうか?」

「いえ。杏さんは観光でもなさっていて下さい。夜の7時頃にマートンで落ち合いましょう」

 霖はそれだけを言うと、忙しなさそうに立ち去る。

(事態は一刻を争う……か)

 シャドウ・コンダクターではあっても、シャドウ・コンダクターとしての責務を果たしたことのない杏にはまだわからないことだ。

“さぁ、どうする。ヴェル・ド・シャトーから逃れるように霖に引っ付いて来た我が主人は、言われた通り観光をするだけなのか”

 皮肉を込めたベリアルの言い方に、杏は膨れる。

「だって、霖ってばこの任務に私を付き合わせたくないみたいなんだもの。観光するしかないじゃないの」

 杏は長い黒髪を真横に束ね、町の中に足を踏み入れる。この場所は古代に栄華を極めた王国が広がっていた為、至る所に当時の遺跡が残っている。神殿の柱や池、浴場跡、牢獄跡、崩れた石像。サゥルナは、そんな王国跡につくられた近代の町だ。古代の中に近代という、アンバランスながらも上手く混在している風景を見せられると、どうしても観光気分にならざるを得ない。

“まず、組織は何の為に何と戦っている?”

「いきなりね……。簡単よ、世界の均等を保つ為に影人と戦ってるの」

“影人とはあくまで大きな枠組みでしかない。その中には自分が影人であることすら気付いていない者もあれば、軍隊を結成して組織に対抗しようとする者もある”

「後者がミューデンよね。影人によって建国され、影人によって統治されている王国」

 その国はエーゲ海に浮かぶ孤島にあるとされている。

“ミューデンはその規模の大きさから、組織も手出しに二の足を踏んでいる。第三者を巻き込んでしまう全面戦争は両者も望んでいない故、今は村同士の小競り合いレベルで抑えている。その小競り合いが今、このサゥルナで発生してるということだろう”

「サゥルナに影人の前線基地を置き、ローマの地下にあるシャドウ・システムの基地、イタリア支部を攻撃する――ね。確かに、そんな計画は握り潰さないといけないわ」

 その真偽を今、霖が確かめている。

「でも、どんな方法で……」

“それは様々だ。だが一般的には、影人を捕まえて拷問する”

「うっ」

 だから霖は言っていたのだ。この任務は杏の気分を害するかもしれないと。

「確かに、霖の邪魔をするわけにはいかないわ……」

 杏はもう一度、町を見渡す。ミューデンに目をつけられた、哀れな田舎町。

(でも……)

 杏は首を傾ける。既視感デジャヴ――というやつだろうか。遠い昔に、この町を見たことがある気がするのだ。

(この大通りを行くと、女神像の噴水があって、そこから四方に伸びる道の向こうにはそれぞれ、町を守護する祠が……)

 想像する通りであった。杏は、片腕が欠けた女神像の前で呆然と立ち尽くしていた。しかし噴水ではなかったようだ。水はすでに枯れ果て、噴水跡が残るのみとなっている。

(私、この町に来たことあるのかしら)

 噴水広場から伸びる四方の道。杏は、そのどれを進もうかしばし悩んでいた。そのとき。

「吸血鬼!!」

(?!)

 たまたま家から出てきた町人が杏を見るなり、そう叫ぶ。杏は驚いて町人を見るが、町人は杏以上に驚いてガタガタと震えていた。

(え……なに……?)

 どうして自分は、こんな遠く離れた土地でまで吸血鬼呼ばわりされているのだ。

「ねぇ、あなたどうして私のことを吸血鬼だって言うの?」

 杏は町人に近付き、問いただそうとするがその前にきつく扉を閉められる。

「ちょっと……隠れないでよ。私、貴女を襲ったりしないわよ……血は、足りてるんだから」

「うるさい! 向こうへ行け!」

 町人の尋常ならざる様子に、これ以上迫れないと杏は判断する。

「なによ……私の外見って、そんなに吸血鬼っぽい?」

 長い黒髪に緋色の瞳、不健康そうな白い肌。確かに普通の人間とは違うかもしれないが、吸血鬼に限定される必要は無いと思う。

「それとも、この町には私みたいな外見のやつは吸血鬼だっていう伝承でもあるの?」

“杏、そこの服屋で大きな布を買って被っていろ。念の為”

「……不本意だけど、仕方ないわね」

 無論、布を買う時でさえ恐れられたが、杏は通常の倍額のコインを置いて黙らせた。

“本当なら宿の部屋で大人しくしておいてもらいたいが、我が主人は外の世界が物珍しいようだからな。いいか? 危ないと思ったらすぐに引き返すんだぞ”

 ベリアルはまるで親のような発言をしている。対して杏も子供のように「言われなくてもわかってるわよ!」と言う。

“あと、サゥルナの北には行かない方がいい。観光するなら、この南だけにしておけ”

「なによ、その言い方。まるでサゥルナに詳しいみたい」

“ああ……少し、な”

 歯切れの悪いベリアル。既視感のある町。杏は腑に落ちない奇妙な感覚のまま、あの噴水広場から東へ伸びる道に入った。ここは裏通りといった感じで、陽の光が射さない為に日中でも薄暗い。

 しばらく歩いた後、杏は立ち止まる。

「やっぱり、知ってるわ」

 窓から飛び出したアロエ、崩れかけの梯子、この細道を通り抜ければ祠があり、その裏に地下牢へ続く階段があることも。

“杏、ここまでにしておけ”

 今、杏の目の前には小さな祠がある。これは町の東を守護する神が祀ってあるのだ。しかし祠の扉となっているはずの銅像が破壊されている。破壊されたのは最近ではなく、少し昔のようだ。

「これ……壊したの、私だ」

“杏”

 杏はベリアルの制止を振り切り、祠の後ろに回る。そこには、分厚く土を被せられ、隠されたような地下牢への扉がある。杏は両膝を着いて土を掘り、出てきた鉄の取っ手を引き上げた。

“杏!”

 長年、開かれてなかったのだろう。中からは大量の埃と澱んだ空気が溢れ出てきた。中は当然のことながら真っ暗で、蜘蛛の巣が至る所に張り巡らされている。だが、杏にとって地下牢の様子などどうでも良かった。杏が口と鼻を押さえ、眉間に皺を寄せていた理由は――。

「すごい……影の気配!」

 埃や澱んだ空気と共に溢れ出てきた、シャドウ・コンダクターにしか感じ取れないその気配。影人が放つ、独特の空気感だ。それが、地下牢に充満していた。

「行っていい? まだ危ないとは思ってないから」

 霖の血で本来の力を取り戻した杏には、多少の自信があった。

“…………”

 ベリアルは答えない。杏は返事など待っていられない、とそのまま地下牢への階段を踏む。

 中は真っ暗だが、長年暗いところで生活をしてきた杏は夜目が効く。杏は暗闇を躓くことなく進み、ある牢屋の前で立ち止まる。地下牢には、合計4つの牢屋がある。これもかなり昔に活用されていた歴史的遺産だ。その一番奥の牢屋で杏は立ち止まっていた。

「そこにいるのは誰? 尤も、お前が影人だということは分かっているけども」

 牢屋に繋がれていたのは、30代くらいの男性だ。しかし髭がかなり長く伸び、一見すると老人のようでもある。

「お前は影人となってからかなりの時間が経っているようね。それくらい、わかるわよ。何故なら、影人は死なないから。殺されない限りはね」

 男性は白く濁った眼球をぎょろりと動かし、杏を見上げる。そして、悲鳴を上げた。

「お前! また俺を殺しに来たのかぁぁ!! 吸血鬼め! 悪魔! 怪物!」

「……かなり酷い言われようだわね。でも私、お前に会うのは初めてよ?」

「忘れたのか! お前は、お前はあぁぁっっ……!」

 男性は口が裂けそうなほどに開け、怯えている。

“杏、どいてろ。この男、変貌するぞ”

 男性が大きく開けた口、その中に何かが見えた気がした。それがなんだろうと目を凝らしていた時、口の中から飛び出した長い腕が鉄格子をすり抜けて杏の眼を狙った。

「!! べ、ベリアル!!」

 名を呼ばれ、杏の影から飛び出したドラキュラがその腕を捕まえて捻り潰す。男性は「ぎゃあ」と声を上げ、その弾みで変貌を加速させる。

“杏。ここは戦うには狭すぎる。外へ出ろ!”

「う、うん!」

 かなり慌てていた為、杏はバランスを崩して尻餅をついてしまう。その時、地面についた手に何かが触れる。それは、白骨化した人間の死体の山だった。

「ひい?!」

 杏は急ぎ立ち上がり、澱んだ地下牢から飛び出た。それとほぼ同時に、ワーム型に変貌した男性が地下牢を破壊して地上に現れる。100本近く生えた足は全て、人間のそれだ。

“まるで爆発をしたかのようだ。長年、この地下牢でヒューマン型を保ってきた影人が、杏と遭遇することにより攻撃性のある形態へと変貌した……”

「シャドウ・コンダクターのせい? それとも、私のせい?」

“そうだな……後者だろう。これは、復讐だ”

 ワーム型は、ベリアルの圧倒的な強さのお陰ですぐに始末された。サゥルナの人々に気付かれることなく。

「こいつは、霖の任務とは関係あるのかしら」

“おそらく、無い。何故なら、サゥルナを前線基地にするという計画が立てられたのは最近のことであり、あのワーム型はそれよりずっと以前からあの地下牢にいたのだからな”

「…………」

 杏はワーム型の死体を見下ろし、奇妙な罪悪感に苛まれる。通常なら、世界の均等を崩す危険因子を排除したとして、自らを褒め称えるところなのだが。

「ベリアル……私、10年より前の記憶が、曖昧なのよ」

“…………”

「組織に属す前は私、どこで何をしていたの……?」

 吸血鬼の村から遠く離れ、杏のことを知らないはずの異国の土地で恐れられている現実。既視感のある町、地下牢。銅像を壊した記憶……。 

“杏!”

 杏は祠を背にしてずるずると座り込み、気分悪そうにうずくまる。貧血とはまた違う、記憶の混濁ゆえだ。

(私――……)


 何者なのだろう。



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