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影操師 ―絶対の血―  作者: 伯灼ろこ
第二章 依存
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 1節 ヴェル・ド・シャトー

 口無霖と杏がシャドウ・コンダクターの総本部ヴェル・ド・シャトーへ戻ったのは明け方5時頃だ。24時間関係なくコンダクターで賑わう本部は、吸血鬼の帰還にざわついていた。おまけに、今の杏は全身血だらけという如何にもな様相だ。杏は霖の後ろに隠れ、小さくなっていた。

「あーちゃーん! おかえり! なんだか大変だったみたいだねぇ!」

「……朧」

 人ごみを掻き分け、間延びした声の持ち主が霖と杏の元へ駆け寄ってくる。

「死刑囚たちが暴走したんだってぇ?」

「う、うん……」

 全ては樫八夏希のせいだと、本当は声を大にして言いたいのだ。しかし組織からの信頼の厚い夏希と吸血鬼の自分、組織がどちらを信用するかは考えるよりも明白だ。

「なんでそんなことになったんだろー。あ、りっちゃんありがとう。あーちゃんを助けてくれて!」

 可ノ瀬は霖の両手を握りしめる。

「任務ですから」

 対して霖の返事は素っ気ないものだった。

「血の使い手よ。シャワーと着替えを用意してありますから、こちらへ」

 メイド服を着た女性が杏を手招きする。杏は少し不安げに霖を見る。

「どうぞ、綺麗になってきてください。僕はラウンジでお待ちしてますので」

 スタスタと離れてしまう霖の後ろ姿を見つめながら、なんとなく寂しさを感じる。杏はメイドに指示されるまま、バスルームへ入った。

「ねぇ……見た? ベリアル。私を見る、皆の目……」

“うむ。好奇と軽蔑の視線だったな”

「変よね。同じシャドウ・コンダクターのはずなのに……やっぱり、司ってる属性が悪いのね」

“しかしその属性のお陰で霖と出会えたではないか”

「……? なにを言ってるの? お前……」

 ベリアルは、口が滑ったかとでもいうように慌てて黙り込む。杏は釈然としないままバスルームから出て、用意されていた軍服へと袖を通す。それは近未来のデザインで、白色を基調としている。更に、受けたダメージを軽減する機能が施されており、ブーツの高いヒールにはまだまだ慣れないが、今までの寝間着ばかりの服装とは違ってなんだか生まれ変わった気分である。あの洋館の中でも、霖はいつもこの軍服を着用していた。

「あーちゃん! こっちこっちぃー」

 霖が待っているというラウンジへ向かうと、可ノ瀬がこちらへ向けて大きく手を振っていた。霖以外にも言霊の使い手・可ノ瀬朧と花の使い手・山茶花さくらが増えていたのだ。朧は杏の世話係をしていたことがあるので顔見知りだが、この山茶花さくらは初めて見る顔だった。杏は慣れないヒールでコツ、コツと歩いて輪の中に入る。

「あーちゃん、軍服似合うじゃんー。ねっ、りっちゃん」

「え? あ……そうですね。とても良くお似合いです」

 霖は珍しく言葉に詰まっていた。杏は首を傾ける。

「あのー、初めまして! 私、花を司るシャドウ・コンダクター、山茶花さくらって言います」

「私は」

「血を司るシャドウ・コンダクター、杏さんでしょ? 皆知ってるよぉ、だって吸血鬼だもん」

 おそらくさくらは悪気無く言ってるのだろう。だからこそ反応がし辛い。杏は苦笑いを浮かべることしか出来なかった。

「ああ、お前たちこんなところに集まっていたのか」

 この輪に接近する、もう1つの気配。遠慮なく近付くということは、ここにいる全員と顔馴染みのようだ。

(…………)

 しかし杏は少し、顔色を変える。

「まさか死刑囚共が暴走するとは思わなかった。杏、大変だったな」

 その男性は、可ノ瀬と共に杏の世話係をしていたことがあるという。5年という長期勤続であった。だから、杏とは友人並みに親しい間柄なのだろうと――可ノ瀬以外の組織の人間は、そう思っていた。

 杏の視界には、その男性の両足が写っている。ゆっくりと視線を上げてゆき、男性と目が合うなり杏は立ち上がり、ラウンジを離れた。

「あれ? 杏さん、気分でも悪いのかな……」

 不自然な去り方に、さくらは頭上に疑問符を浮かべる。可ノ瀬はいつもの笑顔を消し、黙り込む。霖は杏とこの男性の関係に何かを感じ取ったようだ。

「口無、お前には礼を言わねばならないな。俺があと少し、長く洋館にいれば死刑囚の暴走を防げていたかもしれないのに……。急用など、無視すれば良かった。ともかく、杏を助けてくれてありがとう」

「……。任務ですから」

 霖は男性――樫八夏来を見上げ、軽く会釈をした。



「信じられない! あの男、のうのうと私に会いに来たわ! 全て、夏来のっ……」

 まだ記憶に新しい昨晩の出来事。杏の中では死刑囚に殺されそうになるよりも酷い出来事――この身体に、夏来にされた行為が蘇り、震える。

“案ずるな。今の杏は十分にあの男に対抗出来る。それに定期的にシャドウ・コンダクターの血を摂取する約束も果たしたのだから、夏来も簡単には手出し出来まい”

「そ、そうね……今の私は、強いもの……。でも、あいつと同じ本部で暮らすなんて……」

 もうこの際、任務を与えてもらって遠くへ行きたい。杏は廊下の壁を背にずるずると座り込み、自分に安息の地は無いことを絶望した。

「杏」

「!!」

 その男に名を呼ばれ、杏は反射的に立ち上がって逃げた。しかし本部の構造を知らない杏は、すぐに袋小路に陥ってしまう。

「杏、何故逃げる?」

「……何故ですって?」

 杏は男を――樫八夏来をギロリと睨み、間合いを取る。

「あんなことをしておいて、逃げられることが不思議だと?」

「不思議に決まってる。俺だって、本当はあんなことしたくなかったんだ。ただ、杏の聞き分けがあまりにも悪かったものだからな……」

 杏は自分の頭に血が昇るのを感じた。

「でも、無事で良かった。今では後悔しているんだよ。あの村がお前の居場所だったのに、それを奪ってしまったからな。ヴェル・ド・シャトーは居辛いだろう?」

「……どういうこと?」

「杏を見る皆の視線だ。気付いていないのか? 明らかに歓迎されていないだろう」

「確かに……歓迎ムードではないわね」

「組織が何故、本部から遠く離れた場所を杏に提供していたか、だ。それはごく自然な発想の流れ。――誰だって、いつ襲われるかわからない吸血鬼と同じ場所で暮らしたくない」

「…………」

「だが組織にとって杏の血は必要な兵器だ。ならば、人里離れたところに匿うのが都合良い」

「その兵器をお前は破壊しようとしたわ。これは組織に対する、立派な反逆罪よ」

「そうだな。で? 杏は俺を告発するか? 委員会は、精神不安定な吸血鬼とこの俺――針の使い手・樫八夏来、どちらを信用するだろうな」

「くっ……!」

 夏来は一歩、一歩、杏に接近する。杏は苛々と恐怖でごちゃごちゃになった感情を必死に堪える。

「だが杏。俺はいくらだってお前に血を吸われても良いと思ってる。杏を理解し、受け入れることが出来るのは俺だけだ。だからこんなところは出て、2人で暮らそう」

「夏来! それ以上、近付いたらぶっ殺すわよ!!」

 杏は影から取り出した吸血剣ヴォレミアを夏来に向ける。夏来はそれらを忌々しげに見下ろす。

「力が、完全に戻ったのか。しかし何故……人間や動物の血だけでは、ここまでは」

 夏来は考えを巡らし、ハッと勘付く。

「まさか、お前」

「黙りなさい! そして道を開けなさい。我が下僕、夜の王ドラキュラがお前の血を全て吸い上げるわよ!!」

 血が滲むほどに唇を噛む夏来。杏はその横をすり抜け、逃れようとするが伸びてきた手に両肩を掴まれ、壁に叩きつけられる。

「痛っ――」

 またもや近付く夏来の顔。しかし今回はこのまま唇を奪われることはない。杏は迷うことなく夏来の腹にヴォレミアを突き刺し、夏来が怯んだ隙に顔面を蹴り上げ、走った。

 頭に昇りきった血は、なかなか冷めない。都市ぐらいの広さがある本部の中を走り続け、やっと立ち止まったのは誰かに呼び止められた時だ。

「杏さん?」

「! 霖……」

 尋常ではない杏の様子に、心配顔の霖。杏は霖を見るなり安心し、大きく息を吐き出す。しかし慌てていた理由は話さず、「なんでもない」の一点張りだ。霖は仕方なく自分の用件を話す。

「今回の死刑囚暴走の件について、委員会には適当に報告しておきましたが……本当は何があったのですか?」

 杏は霖をゆっくりと見上げる。

「今は聞かないで。言っても、どうせ信じてもらえないし……」

「?」

「それより、私が今こうして動けていることはどう誤魔化したの?」

「動物の血を持続的に摂取していると報告しています。吸血鬼と呼ばれることを嫌う杏さんですから、もちろん僕の血を飲んだことは伏せてありますよ。安心してください」

「そう、ありがとう」

 杏は自室として与えられた部屋の鍵を霖から受け取る。そして霖は思い出したように胸ポケットから小瓶を取り出す。これは記憶・思考・情報を操作する際に組織が常套手段として用いる薬が入っていたものだ。今は薬ではない赤い液体が入っているが。

「え……? これは、なに?」

 どう見ても、血だ。霖は血入りの瓶を杏に差し出す。

「ええ、これは僕の血です」

 霖の腕には、帰った時にはなかった傷が出来ている。そこから血を抜いたらしい。

「どういうこと?」

「杏さんがヴェル・ド・シャトーへ戻ってきたということで、僕の任務は強制終了したのですよ。……村は無くなりましたから。なので委員会は僕に次なる任務を与えました」

「え……」

「2週間ほどで戻る予定です。ですが僕の血の効果が切れるのが1週間とのことでしたので、昨夜飲んだものと合わせてこれで2週間は保つ計算になりますよね」

 感情の無い計算が、この血入りの瓶を作り上げた。杏はどうしても瓶を受け取ることが出来ず、俯く。

「杏さん?」

「…………て」

「はい?」

「私も、任務に連れて行って」

「……いえ、それは。危険な任務ですので」

「貴男、私を妻にしたいんでしょ? 夫は自分が行くところへ妻も連れて行くものよ!」

「杏さん」

「お願いよ……ここから私を連れ出して。この場所は、息苦しい……。お願い!」

 両手の拳を握り、神に祈るように懇願する杏。霖はしばし黙った後、血入りの瓶を洗面台へ流しに行く。

「霖……?」

「わかりました。一緒に行きましょう」

「霖!」

「ただし、これは普通の任務ではありません。貴女の気分を、害してしまうかもしれない――それで良ければ」

「大丈夫っ。霖がいれば、私は!」

 言った後で、自分は何か恥ずかしい事を言ってしまったのではないかと気付く。しかし霖はクスクスと笑うだけで、それ以上は突っ込まない。

「では、準備が整い次第、出立しましょう」

「うん! でも私、何も準備するものがないわ……持ち物とか、何もないし」

「では僕の部屋の前でお待ち頂けますか。すぐに済みますので」

 霖の部屋は、広大な総本部ヴェル・ド・シャトーの中を専用のシャトルに乗って移動しやっと辿り着く場所にあった。

 ヴェル・ド・シャトーはこの建物内だけで十分に生活出来るようになっている。ショッピングセンターはもちろん、娯楽施設、コンダクター養成所も整い、シャドウ・コンダクター各々の部屋を家に例えるならば、ヴェル・ド・シャトーは総本部という名の大都市ということになる。

「じゃ、待ってるわね」

 杏は霖の部屋の前に立ち、<街>を見渡す。

「ヴェル・ド・シャトーは、人間が目指して止まない理想郷よね……絶対」

 しかしこの総本部へは、第三者はおろかシャドウ・コンダクターでさえ辿り着くことは出来ない。ヴェル・ド・シャトーは存在している次元が少しズレており、その上、常に移動している。だから専用の案内人ナビゲーターがいなくては入ることも出ることも出来ないのだ。

 ここ十数年は日本の次元内を彷徨っていて、シャドウ・システム日本支部のコンダクターからすると、交通の便が良い状況となっている。

「あーちゃん? どうしたのー。あーちゃんの部屋はこのD地区じゃなくてS地区でしょ? それに、この部屋はりっちゃんトコだぁ」

 その特徴的な口調の持ち主は誰であるか、すぐに分かる。杏は声がする方向を振り返り、手を振ろう――とした。

「…………」

 杏が手を振ろうとした相手、その隣りに樫八夏来がいたのだ。

(なんで……さっき、痛めつけてやったばかりなのに)

 杏は言い知れぬ恐怖を感じる。刺されたはずの夏来の腹はすでに再生し、穴が空いてるのは軍服だけだ。蹴り上げて顎を歪めたはずなのに、もう戻っている。シャドウ・コンダクターの自然治癒力の凄まじさをまさに体現している。

(それとも、あの程度の攻撃では痛くも痒くもないと?)

 可ノ瀬はそんな杏の心情など知るよしもなく、ただ陽気に笑い、杏に耳打ちをする。

「りっちゃんと一緒に任務へ出向くんでしょ? なっちゃんはボクが引き止めておくから、安心して言って来なぁ」

「!!」

 可ノ瀬は軽くウインクをし、右手の親指を立てた。

(朧……気付いてた)

 飄々とした立ち振る舞いはあくまで外見上だ。朧にはいつも、底知れない鋭さを感じてはいたが、やはり。

 こっそりと朧にお礼を言おうとした時、準備を終えた霖が部屋から出てくる。

「…………」

 一気に増えていた人口密度に、霖は顔をしかめていた。

「じゃ、ボクとなっちゃんは行くねー。今日はカジノで豪遊だぁっ」

 さっさと立ち去る可ノ瀬に対し、なかなかその場を動かない夏来。杏は夏来を半ば睨みつけつつ、後退る。何か言いたそうな夏来を制止するように、霖が鋭い声色で言い放つ。

「道を開けて頂けますか、夏来さん」

 それでもなかなか動こうとしない夏来。霖は杏の手を掴み、半ば押しのけるように夏来の横を通り抜ける。だいぶ距離が離れた頃合いを見計り、霖は杏の手を離そうとした。だが、杏が霖の手を強く握り、離そうとしなかった。

「…………」

 霖は仕方なく杏の手を握り返し、第5昇降口から外に出た。外では組織の案内人が待ち構えており、外界への道を指し示している。

「填魁、姿はマンティコアでお願いするよ。目指すはローマだ」

 予想だにしていなかった任務地に、杏は驚きを隠せない。

「ローマって……イタリアの?」

「そこ以外、どこにあります?」

「そ、そうなんだけど……」

「組織のシャドウ・コンダクターが任務で世界を飛び回るのは当然のことです」

「それは分かってる……」

 頭身を下げ、背に乗りやすくしてくれる填魁に杏は「ありがとう」と言う。

“ローマまでは片道3日よ。飛ばすから、しっかり掴まってるのよ!”

 杏は霖の腰にしがみつき、振り落とされないように細心の注意を払った。

「ねぇ、ローマでの任務って、どんな内容なの?」

「調査です」

「調査?」

「これはあるヒューマン型の影人を拷問して得た情報なのですが、ローマのサゥルナという片田舎を影人の前線基地にするという計画が立てられているようなのです。僕の任務はその計画の真偽を確かめ、真実であるなら――」

「皆殺しにする……と」

 霖は頷く。

(拷問……皆殺し……)

 霖は当たり前のように言っているが、狭い世界しか知らなかった杏には恐ろしい単語だ。

「……でも、それならローマにいるシャドウ・コンダクターに頼めば良い話じゃないの? どうしてわざわざ、日本から」

「いえ、実はローマには僕の個人的な目的もありまして。丁度良かったのでこの任務を引き受けたのですよ」

「個人的な目的って?」

「それは到着してからのお楽しみです」

 しかし言葉とは裏腹に、とても楽しめそうな目的ではないだろうと杏は感じていた。

 いくつもの都市や山を飛び越え、いつの間にか海の上を飛行していた時。どこを見渡しても陸地など見えず、光といえば夜空に浮かぶ月だけになっていた。闇夜の暗い海は、一度落ちてしまうと二度と浮かんでこれないようなイメージがある。

「……ありがとう」

「なにがです?」

 背後からぼそりと呟かれたお礼の言葉に、霖は後ろを振り返ることなく聞き返す。

「私のワガママ、聞いてくれて」

「ああ……」

 なんだそんなことか、と霖は肩をすくめる。

「本部の中での杏さんは、まるで見世物状態でした。確かに、そんな貴女を1人残すわけにはいかないなと思いましてね」

 言葉使いは丁寧だが、どこか素っ気なくて傲慢な少年。それでも時々、泣きたくなるような優しさを見せてくれる。杏は、年下だけども自分より遥かに頼もしい霖の背中に頬を引っ付け、目を閉じた。

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