目覚めの先
日本国のどこかに、その村はある。
深い森の、そのまた奥深く。太陽の光が射さず、誰も近寄らない、近寄れないところに在る村。名前は無い。ただ、関係者からは『吸血鬼の村』と呼ばれ、忌み嫌われている。
人口は僅か5000人ほどの小さな村だ。村の中心部には小高い山があり、頂には雰囲気に似つかわしくない洋館がそびえ立っている。その洋館に吸血鬼が住みつき、村を外敵から守ってもらう代わりに、1ヶ月毎に村から1人の生け贄が出されているという。この風習は、もう100年以上前から続いている。
そんな呪われた風習に終止符を打つべく、1人の勇敢な若者が吸血鬼退治に立ち上がった。
吸血鬼の活動時間は夜だ。つまり明るいうちならば、こちらにも勝ち目があるというもの。
伝承によれば、吸血鬼は十字架や銀製の銃弾、杭、にんにく、聖水などに弱いらしい。それら全てを準備し、館に続く山道を登る。鬱蒼と茂った木々に抱かせられる恐怖を振り払い、一目散に館まで走りきった。辿り着いた山の頂は、暗くどんよりとした村とは違い、陽の光がたっぷりと降り注いでいてとても明るい。館は周囲を鉄格子で囲われ、これまた鉄格子の扉は、生け贄が捧げられる時にしか開かない。若者は十字架を握り締め、鉄格子の扉に手を掛ける。すると扉はすんなりと開く。
「招かれている……?」
これは吸血鬼からの挑戦状だ――そう受け取った若者は、果敢にも洋館の中に足を踏み入れる。
手入れの行き渡った庭は、神の庭のように美しい。色とりどりの花が季節に応じて咲き誇り、鳥類やウサギなどの小動物がのびのびと生活している。
次は玄関扉だ。インターホンのようなものはなく、おそらくドアノブについてるこの鉄の輪っかでコン、コンと扉を叩いて呼び掛けるのだろう。
(俺は吸血鬼退治に来たんだ。館に無断で侵入するのは当然)
若者は鉄の輪っかを無視し、ドアノブを回す。呆気なく開くのは想定内だ。何故なら、自分は招かれているから。
開いた扉の隙間からは、ふんわりとした花の香りが漂ってくる。心を落ち着かせ、安らぎを与えてくれる不思議な香り。その正体は、館の至る所に置かれた花だ。庭と同じく色とりどりの季節に応じた花で、訪問者の心を楽しませる。
洋館の中は特殊な道具を使用して陽の光をたっぷりに取り入れており、とても明るい。ヨーロッパの技術をふんだんに使った建築様式は、一度はこんな家に住んでみたいものだと思わせる。
(あれ? なんか、おかしいぞ)
若者は歩みを止め、考える。
(この館、吸血鬼が住んでいるにしては雰囲気が違いすぎる)
まるでこの世の楽園のような場所。そこに在るべきは、美しい姫というのが相場だ。
もはや自分が何をしに来たのかわからなくなった。
(いや、まず)
「俺は、誰だ……」
名前はある。あったはずだ。両親に名付けてもらい、家を出る直前まで呼ばれていた名前。だが、それがどうしても思い出せないのだ。
コツ、コツ。
廊下の奥から、軽い足取りで誰かが現れる。吸血鬼ではない。見たことのない女性、1人だ。
「お前は……?」
女性は白色の光沢のある服を着用しており、田舎に似合わないブーツを履いている。一見すると軍人のようであるが、こんな近未来的な軍服を着用している軍人など、世界のどこにもいないはずだ。
「あら? 夏来さん、どうしてこんなところにいるのですか?」
「なつき……?」
それが若者の名前なのだろうか。女性は若者のことを知っているようだ。当然のように名を呼ぶが、しかし思い出せない。僅かに残る記憶の欠片すら無いし、何が何だかまるでわからない。
「可ノ瀬さんが言ってた通りだわ。夏来さん、本当に記憶が無いのね」
「可ノ瀬……? 記憶……?」
「私、山茶花さくらですよ。ほら、花の使い手。この館の花はぜーんぶ、私の能力で植えたものなんです」
「山茶花……?」
何を言われようが、全てがぼんやりとしている。山茶花と名乗った女性は腕組みをし、半ば呆れたように若者を見上げる。
「もし記憶操作が施されていた場合、操作される前の事柄を提示することによって思い出すけど、私や夏来さん自身の名前を提示しても何も思い出さないってことは、これは完全なる記憶障害ね。可哀想」
山茶花は持っていたラベンダーの花を若者に手渡す。
「俺は……吸血鬼退治をしに来たんだ」
そう言うと、山茶花はキョトンと目を丸くする。
「え? なに物騒なこと言ってるんですか。この館に吸血鬼なんていないですよ。いるのは、眠り姫だけです」
「? そんなはずはない、吸血鬼がっ……100年前からずっと……!」
「まぁ記憶障害の夏来さんに言っても仕方のないことですから説明はしませんね。はい、どうぞお引き取り下さい」
若者はわけがわからないまま洋館から追い出され、とぼとぼと山を降る。その様子を窓から見ていた山茶花は、背後に立つ男性にこう言う。
「夏来さん、本当にどうしちゃったのかしら。これで吸血鬼退治に来るの、56回目よ。1年前の霜蘭島での吸血鬼退治任務の日から、全ての記憶を失っちゃってる。シャドウの奎芯も、存在がわからないくらいに影が薄くなってるし……」
「さぁー? 吸血鬼退治も佳境に入ってた頃だからねぇ。激しい戦いの中で、頭でも打っちゃったんじゃないかな」
その男性は、常ににこやかな笑顔を絶やさない怪しげな人物だ。灰色の長い髪を三つ編みにして、後ろに流している部分が男性の特徴といえる。
「ちょっとー、可ノ瀬さん、夏来さんと仲良かったんじゃないんですか? 酷い物言いだわ!」
「仲が良い? うふふぅ、さくちゃんさぁ、表面上だけで勝手に判断しちゃダメだよぉ。大人は本音は微塵にも出さず、建前だけで生きる生き物ですからぁ」
「その言い方、怖い……」
可ノ瀬と呼ばれた笑顔の男性は、ふかふかのソファに腰掛けると軍服の内ポケットからおもむろに取り出した書類のチェックを始める。
「そろそろ、今月の生贄を選出しないとねぇ。えーと、死刑執行日が近いのは……この子かぁ」
山茶花は向かいのソファに腰掛け、館の最奥にある部屋の扉を見つめる。
「杏……起きないですね。ベリアルだけはなんとか、死刑囚の血のお陰で活動してますけど」
「まさに、眠り姫、だねぇ」
「……聞いてもいいですか?」
「んー?」
「1年前のあの日、杏に何があったのか。口無さんも戻って来ないし……。吸血鬼退治の任務は成功はしたけども、杏は組織内で居場所を得られるどころか、吸血鬼の村が再建されることにより逆戻り。組織はやっぱり、本部ヴェル・ド・シャトーに杏を置きたくないみたいだわ」
「そりゃあね。あーちゃんの身体を流れる血の絶大なる効力が、あの事件をきっかけに立証されたわけだから……本部も怖がるよ」
「絶対的命令拘束力……かぁ。確か、杏自身にもその効力は及ぶのでしたよね。でもその効力、誰が立証したんです?」
可ノ瀬は笑顔を絶やさないまま、「まぁいいか」という調子で話し出す。
「なっちゃん……いや、針を司るシャドウ・コンダクターの樫八夏来はね、自分の血をあーちゃんに飲ませて支配しようとしたんだ」
「え……」
山茶花の顔色が目に見えて変わる。
「可哀想に。あーちゃんは、樫八の血が無いと生きられないようになっちゃった。やがて死の淵に立たされあーちゃんは、それでも樫八の血を飲もうとはしなかったよ」
「どうして? 飲まないと、死ぬんですよね?!」
「うん。でもあーちゃんは頑固だからさ……それでいて純粋で。自分が決めた人間以外の血は絶対に口にしたくないって、死ぬ覚悟すら持ってた」
「杏……」
「そんなあーちゃんを救ったのは、なんとさくちゃんが苦手とする口無霖こと、りっちゃん!」
「うそっ」
山茶花の顔色が、違う意味で悪くなる。
「りっちゃんはあーちゃんの血を研究したんだ。樫八の命令が刷り込まれる前の血と、後の血と。得られた結果は、純粋な血はあーちゃん自身が相手に飲ませて命じないと効力を発揮しないけど、混血の血は、命令を刷り込んだ相手限定であれば、他者が飲ませても多少の効力を発揮すること。ま、これはイチかバチかの賭けだったみたいだけど」
「つまり、夏来さんの血が混ざっている杏の血ならば、他人がそれを夏来さんに飲ませて絶対命令を行使することが出来る……と」
「一時的に樫八はりっちゃんの言うことを聞いたみたい。その少ない時間であーちゃんに刷り込んだ命令を解除させ、樫八が記憶障害に陥るまで自分で自分の脳を破壊させた」
「……酷い」
記憶を失い、混乱し、存在しない吸血鬼退治を何度も繰り返す樫八夏来の姿を思い浮かべ、山茶花は胸を痛めた。
「そう思う? うん、ボクもりっちゃんは酷いと思うよ。でもね、樫八はそんな仕打ちを受けても仕方ない男――そう断言出来る」
「その後、口無さんはどうしたのですか。組織の仲間にそんなことをして、よく処刑されなかったですね」
「そこはりっちゃんの賢いところだよぉ。樫八の血が混ざったあーちゃんの血を証拠として委員会に提出し、樫八夏来による血の使い手の支配、ひいては総帥の座をも狙おうとしていた事実を、あらかじめ録音しておいた樫八の発言テープで公表した。りっちゃんは悪しき陰謀を阻止したとして功績を上げ、絶大なる信頼を得ることに成功。更にあーちゃんの絶対的命令拘束力の効果に関する論文を書き上げ、血の使い手の重要さを委員会に再認識させた」
「うう……口無さん、絶対に敵に回したくない。でも、それだと夏来さんが処刑されてないことが不思議なんだけど……」
「ああ、それは簡単。委員会はりっちゃんの研究に全面協力する姿勢らしい」
「?」
「りっちゃんはね、影人の研究をしたいらしいんだよね。で、その対象が樫八。だから生かしてるんだよ。記憶障害のまま、影人になる過程をゆっくり、じっくりと」
「……鬼畜」
「あははぁ、それはりっちゃんにとって最高の褒め言葉だよん」
山茶花は、自分はやっぱり口無霖とは相容れない存在だ、と痛感していた。
「夏来さんの命令が解除された後、杏は血を口にしたのですか?」
「うん、誰かの血をね。というか、眠っているあーちゃんの口内に無理やり流し込んだ感じかな。だからあーちゃんはギリギリ死ななかった」
「飲んだなら、どうして1年以上経っても起きないんですか」
「血を摂取出来ない期間が長すぎたんだよ。どれだけ血を飲ませても、その栄養はあーちゃんの目覚めにではなく、身体機能回復の方に血が回されちゃう」
「そんな。もしかして、このままずっと植物状態なんじゃ……」
「大丈夫」
可ノ瀬は書類から視線を上げ、やはりにこやかに言う。
「今晩くらいかな。僕らの任務――あーちゃんの世話兼監視は満了だ。次なる任務が控えてるから、さっさと引きあげるよぉ」
「えっ、でもまだ今月の生贄を……!」
「それは、後任の子に引き継がせる」
可ノ瀬は印を付けた書類をテーブルの上に置くと、爽快に澄み渡った青空を見上げた。
*
目が覚めると、その日は月光がとても眩しい夜だった。
ここはどこだろうか。
今は何年何月何日だろうか。
私の記憶は、あの日のまま、止まっている。そう、あの日、汚れた自分を呪い、絶望の淵に立たされながらも僅かな希望に託してみた日。
あれから何日が経過している?
私は何故、死ななかったのか。
どうして今、私は1人なのか――。
月明かりに照らされた部屋で考える。その時、部屋の扉が開く。誰だろう。1人の女性が、怯えた表情で扉の向こうから私を見ている。
「誰……」
「こ、殺すなら早くして! 私は村の為に生贄になったのよ。決して、吸血鬼の餌になる為なんかじゃない!」
「…………」
なんだか、懐かしい。罵られながらも、この光景を見て胸がいっぱいになる。
私は、昔からずっとこんな生活を送ってきていた気がするのだ。でも根本的に違うことは、自由があること。
「……ベリアル、食事の時間よ」
天井に逆さ吊りになっていた小さなコウモリが、私の命令に嬉々として従う。女性の悲鳴、血生臭いにおいが充満する中、私はずっと寝ていたベッドから立ち上がり、ベリアルという名のコウモリの食事を覗き見る。
「血」
人間の新鮮なる血を見た。とても久しぶりに。自分でも知らず知らずのうちに目が爛々と輝くが、この血は違う、と本能が制止する。では、どの血であれば正解なのか。それは――。
「死刑囚の血なんて、腐った水みたいなものです。せめて、安っぽいワインにしてみたら如何ですか」
部屋の外、廊下からその声は聞こえた。私は声を聞くなり女性の死体を飛び越え、フラフラとする頭で声の持ち主を探す。
「どこ……どこなの、霖!」
暗がりの中、闇雲に手を伸ばす。ずっと、ずっと、会いたかった人を求めて。
「ここですよ」
やっと見つけた私の希望。走っていた勢いのまま胸の中に飛び込むけども、その人は多少よろけそうになりながらもしっかりと私を抱きとめた。
久方振りの温もり、傲慢で素っ気ないのにどこか優しい声色、体内を流れる血、全てが大好きで。
「僕は本日付けでここへ派遣されてきた、気の使い手・口無霖です。以後よろしくお願いしますね」
私はその人の顔を見上げ、確かにここに居ることをしつこく確認する。
「りん……霖、霖!」
「はい」
名を呼べば返事が来る。こんな些細なことが、とても嬉しいの。
「戻るのが遅くなりました。ヴェル・ド・シャトー内にて、杏さんの確固たる居場所を作ろうと全力を尽くしたのですが、どうやらやり過ぎたようです。更に恐れられてしまい、また、この生活に逆戻りですね」
「いいの! どんな生活でもいいのよ、霖と一緒にいられれば……もうどこにも行かないで頂戴っ」
「…………」
霖は何も言わずにただ私を抱き締めて、甘い誘惑の言葉を囁いた。
「杏さん、安っぽいワインは如何ですか」
霖は、わざとそう表現する。私が意地になって言い返すことを分かっていて。
「違うわ、高級ワインよ」
「そうでしたか。しかしタダで提供なんて出来ませんね」
「あら? 今回はまた随分とケチなのね」
霖は微笑み、軍服の胸ポケットから取り出したシンプルな銀製の指輪を私の左手薬指にはめた。
「この指輪代とワイン代、締めて1年前の質問の返答で支払って頂きましょうか」
指輪は、よく見ると細やかな細工が施され、名前のわからない宝石が全面に散りばめられていた。光の加減により、キラキラと輝く。
左手に我が物顔で居座る指輪を眩しそうに眺め、私は苦笑する。
「霖。答えが分かってるから、指輪を買ったのでしょう?」
「まさか。僕には全く見当もつかないですよ」
意地の悪い、霖らしい答え方だ。でも、しっかりと返答をしたいと思っている私がいるのも事実。
「……組織からは吸血鬼と呼ばれている口無杏の世話兼監視の任は、未来永劫、口無霖のままを希望するわ」
再建された吸血鬼の村。死刑囚を集めて村人にし、月に一度、そこから生贄が出されるスタイルに変化は無い。しかし洋館を取り巻く環境は一変し、常に花や動物に囲まれる日々、最高の栄養剤である高級ワインはいつでも摂取可能であるし、望めば村から外出することだって出来る。
確かに逆戻りの生活ではあるけども、霖の努力により私は非常に恵まれた『吸血鬼の村』を得ることが出来た。
「承知しました、我が麗しき姉よ」
私と、どこか似た外見を持つ少年は満足そうに微笑む。
この願いに絶対命令は必要ない。そんな力など、私たち姉弟の絆の前では無力同然なのだから。
気の使い手が管理を任された吸血鬼の村。此処こそが、私の居場所である。
end.
お読み頂き、ありがとうございました!
実はまだ後日談がありますので、明日(1月7日)10時の更新をよろしくお願いいたします。




