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影操師 ―絶対の血―  作者: 伯灼ろこ
 第三章 血の契約
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 8節 暗い闇底へ

「あーちゃんっ」

 陽気な声の持ち主が、向かいの席に座る。可ノ瀬朧だ。

「昨晩はだいぶ無理してたって聞いたよー。今晩は吸血鬼の本拠地に乗り込むわけだけど、あーちゃんはやめとく?」

「……行く。私の、初任務だもの」

「でも死んだりしたら元も子もないよ? 今は、りっちゃんの血の力も借りれないわけだから……」

 可ノ瀬は、杏と霖の関係を知っていて、尚且つ応援してくれるお兄さん的存在になっていた。

「だから大丈夫だってば……。心配性なのは昔からね、可ノ瀬」

「そりゃ心配するよー。だって、りっちゃんが挫折してるの初めて見たもん」

「――え?」

 可ノ瀬は言う。霖の研究の結果、絶対的命令拘束力に対抗出来るものは何もなかったと。別の人間が杏に血を飲ませられない今、解除も変更も、命令を刷り込んだ本人にしか不可能だと。

「だからあーちゃん、あんま無理しないでよ」

 わかってはいた。絶対的命令拘束力は、絶対だから絶対の存在なのだと。だけど、それを認めたくなくて、杏は戦うことにより、霖は結果の見えてる研究に没頭することにより、現実から逃げていたのだ。

 宿へ戻ると、ラウンジにて夏来と霖が話し合いをしている姿を目撃する。隠れて様子を窺うが、明らかに穏やかな雰囲気ではない。その様子は取っ組み合いの喧嘩よりもある意味恐ろしい、冷戦である。やがて霖が先に席を立ち、ラウンジを離れる。交渉決裂といった様子だ。

「盗み聞きとは、俺への仕返しのつもりか?」

 霖の後ろ姿を目で追っていた杏は、夏来が接近していることに気がつかなかった。

「……あんたほど趣味悪くないわよ」

 杏は自分を見下ろす夏来をキッと見上げる。

「口無が俺にどんな頼み事をしにきたか、気にならないか?」

「頼み事?? 苦情じゃなくて?」

「はっ。お前も口無に似て、よく減らず口を叩く」

「姉弟ですもの」

 夏来は杏の憎たらしい表情を見て、それが崩れゆく様を見てみたいと感じる。

「口無は――お前の弟は、俺に頼みにきたよ……血を分けてくれと」

「!」

「研究結果が芳しくなかったか、或いはまだ時間が必要なのか、どちらにせよ今は俺の血が必要だと判断したのだろう。杏、それはお前が一番よく分かっているのではないか? そろそろ、限界が――」

「お黙りなさい」

 痛いところを突かれた。魂をグリグリと押されているように、図星すぎる。

(くそ……)

 杏は拳を握り、しかしそれ以上何も言えぬまま、霖を追う為に立ち上がる。だが。

(あっ)

「杏!」

 立ち上がった途端に頭が真っ白になる。視界がぐらりと揺らぎ、そのまま倒れると思われた。

「貧血だな」

「放し……てっ」

 夏来に抱きすくめられるように身体を支えられた杏は、身の毛がよだつほどの嫌な感覚に気が狂いそうになる。だが夏来を殴り飛ばそうにも、思い通りに動かせない身体ではどうにもならなかった。

「口無に血の提供は断った。だが杏、お前が直接飲んでくれるならば話は別だぞ。ほら、首筋に噛みついてみろ。お前が口無にしたように――!」

 杏は両耳を塞ぎ、やめてと悲鳴を上げる。フロントのおばさんや他の客が訝しげな視線を夏来に送る。夏来は杏を「友人だ」と誤魔化し、如何にも看病するような素振りで自室のベッドの上に降ろした。

「い……や……」

 ガン、ガン、と酷い耳鳴りと頭痛がする。苦痛に顔を歪め、ベッドの上で悶え苦しむ杏の姿を見て夏来は自身の胸が高鳴っていることを自覚する。

「はは、吸血鬼のお嬢様。貴女が求めてやまない餌は俺のナカにあるぞ」

「誰が……お前なんか……!」

「強情なやつだ。しかし、どこまで保つか」

 ギシ、とベッドが軋む音がする。どうやら、夏来もベッドに乗ってきたようだ。杏はやけに渇く喉を感じながら、必死に逃げる。

「待てっ。ほら、腹が減っただろう、血はここにある」

 夏来は軍服のファスナーを下ろし、首筋を出す。杏が首を振ると、夏来は杏の頭を両手で固定し、口を近付けた。

「!?」

 また、あの夜の悪夢が始まる。

 唇を塞がれ、声を出せないまま涙を流す。自分の影が激しく揺れている。洒落にならないほどの殺気が夏来に向けて放たれ、夏来の影からも放たれる殺気がそれと衝突する。

「杏……愛してる。俺にとって、お前は理想なんだよ。出逢ったあの日から、俺の心はお前に捕らわれたままだ」

“愛しているなら、こんな乱暴なことは止めろ!!”

「自らの欲望を断ち、組織の道具と成り下がりながらもこの魂には決して負の感情は宿らなかった。身体は血濡れているのに、魂はどこまでも清らかで」

 霖と同じく、崇める対象でもあるかのように、夏来は杏を見つめる。

「畏敬の念はいつの間にか恋心へと変わっていた。神に仕え、一生独身を貫く女性の気持ちがわかった気がしたな」

“それは貴様の勝手な妄想だ。我が主人を神に見立てるな!! 杏を放せ。杏の傍にいるべきは、気の使い手口無霖のみだ!”

 ベリアルがその名を口にした途端、夏来の表情が一変する。

「口無……。ハッ。後から現れ、他人ひとの姫様を横取りしたクソ野郎か。ああ、そうだ。嫌な予感はしていたんだ。やつは組織の裏切り者だからな、どうせ俺のことも裏切るだろうとは思っていたんだが、案の定だ!」

「黙って! 霖はそんなつもりで組織を裏切ったんじゃないっ……!!」

「では、どんなつもりだという? まさか、世界の為だとでも?」

 杏が頷くと、夏来は声高らかに笑う。

「組織を裏切るとは、ひいては世界を裏切ることになる。それを世界の為だなどと……ガキが考えることは論理が破綻していて困る」

「それでも……それでも霖は」

「霖、霖、と煩くて適わんな!!」

 夏来の平手打ちが杏の頬を襲う。じん、じん、と赤く痛む頬を庇いながら、杏は突き上げるように夏来を睨む。その緋色の瞳には怒りしか宿っていない。

「……それほどまでに口無のことを愛しているのか」

「…………」

「あんな生意気で傲慢な男のどこが良いんだ。自分の身勝手な考えで実の両親を研究対象にしたり、組織を裏切ったり……一体、俺の何があいつに劣っている? お前の弟に劣っているのは、俺のどの部分なんだ?!」

「そうね……」

 杏は少し痛みが治まった頭で、部屋の外に迫る気配に気付く。その数は数秒も経たぬうちに増殖してゆく。夏来は霖に対する嫉妬、杏に対する怒りの為に気配に気付いていない。

「あんたが霖に劣ってるところは――徹底した鬼畜さよ」

「なに?」

 部屋の扉が叩き壊され、窓が破壊され、舞い込む吹雪に紛れて血濡れた物体がなだれ込んでくる。

 杏は夏来の注意が逸れた隙にベッドから転がり落ち、部屋の隅に逃れた。

「なっ、何故、吸血鬼が和雪亭に――!?」

 夏来は針のシャドウ、奎芯けいしんを呼び出して応戦する。奎芯は身の丈2メートル、全身が銀色の人型で、針のように鋭い髪と長い爪で吸血鬼を突き刺してゆく。

 杏は時計が午後7時過ぎを指していることを確認する。これは吸血鬼退治が開始される時間だ。

「夏来さん、大丈夫ですか」

 扉の前にいた吸血鬼を波動で吹き飛ばし、霖が顔を出す。

「どうやら、和雪亭の主人が吸血鬼を招いてしまったようでしてね。吸血鬼が出現する時間になっても夏来さんが現れないので、警備の手薄になったマンホールから飛び出してきた吸血鬼が客のフリをして和雪亭を訪問したのですよ」

 無表情で、まるで機械音声のような霖の説明には感情が含まれていない。

「口無……貴様、<そのように仕向けた>だろう!!」

 霖の口端が少し吊り上がる。

「ご安心下さい。和雪亭の従業員と客はすでに避難させましたので。僕は具合の悪い姉を引き受けますね。夏来さんの戦いの邪魔になってはいけませんから」

 霖は杏を抱きかかえると、押し寄せる吸血鬼たちを波動で吹き飛ばし、夏来の立つ場所へ狙って投げつける。

「貴様ぁ!! この俺を侮辱した行為、褒美として処刑の判決を総帥に下してもらうことにするぞ!!」

「――どうぞ、ご勝手に」

 霖は夏来に振り返ることなく、夜の町に杏を連れ出した。

「すみません、助けるのが遅くなりまして」

 杏は霖の胸に力無く顔をうずめながら、首を振る。

「私は大丈夫よ……。それより、多くの吸血鬼が町に放たれてしまったわ。さくらと朧は?」

「2人にはスキー山の麓にあるマンホールを任せました。山茶花さんは突然のペア変更と僕の参戦に疑問を持っていましたが、そこは可ノ瀬に誤魔化してもらうよう頼みました」

「じゃあ、町外れにあるマンホールを夏来と共に見張ると言いながら、わざと町に解放したのね……」

「ある程度の数の吸血鬼を出した後のマンホールは填魁に任せましたから、被害は最小限で抑えられるはずです」

 霖が言う最小限の被害とは、樫八夏来1人の死亡のことだ。

「絶対的命令拘束力は、命令を刷り込んだ本人が死亡すれば、命令も比例して消失します」

「でも、吸血鬼程度じゃ夏来は倒せないわ。下手すると、樫八夏来殺害の陰謀が公になって処刑される」

「僕は処刑されるつもりなどさらさらありません」

「夏来は狡猾よ。どんな手段を使ってでも、必ず霖を追い込むはず」

「そうですね。でも僕には、ある考えがあるのです。本当は使いたくない手段だったのですが、研究結果が思わしくなかったので致し方ありません。このままでは、僕が処刑される前に杏さんが血液不足で死んでしまうので」

「? その手段って?」

 霖は意味深に微笑むだけで答えない。ここは安全な場所ですと言って別の宿“枯読亭”へ杏を案内した。

 あらかじめ予約しておいた部屋に入る頃には、杏は意識を保つことが困難になるくらい視界が真っ白になっていた。ベッドにゆっくりと身体を降ろされ、霖の手を握っていた自分の手から、次第に力が抜けていくことを感じる。それがとても悲しく、これが“死ぬ”ことなのだろうかと考えた。

「……霖……私、死ぬの……かしら」

 荒くなっていた呼吸も、もはや虫の息のように小さくなる。

 このまま本当に死んでしまうか、奇跡的に目覚めることが出来たとしても、隣りにはもう霖がいないかもしれない。

 閉じる杏の瞳から流れ落ち、布団に染み込む涙。

 自分が司っている属性ゆえに苦しんできた人生だったけども、その属性のお陰で弟と再会出来た。だから、少しは血の属性に感謝していたりしたけども、やっぱり最期は、血に苦しめられる結果となった。

「大丈夫です。僕の研究が正しければ、貴女は死なない。そして次に目覚める時こそ、あの返事を聞かせて下さいね」

(返事。そんなもの、最初から決まっているわ。でも、伝えられるかしら……)

 重い塊が頭上よりのしかかる感覚。杏の意識は、暗い闇底に押し込められるように閉ざされていった。


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