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影操師 ―絶対の血―  作者: 伯灼ろこ
第一章 吸血鬼の村
2/24

 2節 血を司る少女

 その村を一望出来る崖の上に立つ少年の瞳は、背筋が凍りつくほど、くらい。

 風が吹くとサラサラと靡く漆黒の髪、仄暗い灰色の瞳、血色の悪い唇と肌。このいかにも不健康そうな少年は、自分に接近する気配に対してこう言う。

「それで? この僕に、吸血鬼の世話をしろとご命令なさるわけですか」

 言葉遣いは丁寧だが、節々に傲慢さが見え隠れする。少年の隣りに立ち、同じく村を見下ろす青年はそんな少年の態度に眉をひそめることなく、ニコニコと笑っている。

「そうだよー。なっちゃんが別任務で日本を離れることになっちゃってサ、代役をキミにって……総帥が」

「ふん。総帥の命令なら致し方ないですね、従いましょう。では、説明をお願いします。可ノ瀬朧」

 可ノ瀬朧と呼ばれた笑顔の青年は、更に目を細め、人差し指をピッと立てる。

「まず、この村は全て作り物デス! 組織によって村の歴史から家、住人、生け贄の風習に至るまでぜーんぶを捏造されてる。それは全て、あーちゃんこと杏ちゃんの為」

「吸血鬼ですね」

「正確には血を司るシャドウ・コンダクターだよん。ただ、その司ってる属性ゆえに血を求めてしまい、吸血鬼扱いされてる。そんな彼女の為に組織は餌場を用意した。それがあの村さっ」

「なるほど。村人に採用された人々は全て、死刑判決を受けている罪人だと聞いています。それをただ殺すのでは勿体無いから、有効に活用しようという魂胆ですか」

「うん。死刑囚なんて、利用するくらいしか価値が無いからねぇ。むしろ世界の為に死ねて、贖罪にもなるから彼らにとっては幸せなんじゃないかな?」

 後ろに束ねた灰色の髪を弄くり、可ノ瀬は相変わらずニヤニヤと笑っている。

「では僕の任務は、記憶操作を施されて村人になりきっている死刑囚から、死刑執行日の一番近い者を生け贄に選び、彼女の元へ導くことですね」

「そ。導く際は村人に怪しまれない程度の設定を作ってね。ちなみに先月は、村の為に吸血鬼退治に出る勇敢な青年という設定を作ってみましたんっ。導いた後はあーちゃんに任せたらいいよ。その生け贄がどうなるかは……見たかったら、見学してたらいい」

「遠慮しておきますよ」

 少年はフンと鼻を鳴らし、任務へ出向く為に可ノ瀬に背を向ける。――が、すぐに振り返り、至極当然の疑問を投げかける。

「1つ、聞いてもよろしいでしょうか」

「うんー、なになにー?」

「組織は何故、そうまでして彼女に資金を提供しているのです? 血くらい、自給自足でなんとかなるでしょう」

 可ノ瀬は笑顔を崩さない。しかしその笑顔の中に、ほんの僅かながらの悲しみの色が浮かぶ。

「あーちゃんはね……組織に捕らわれてるんだよ。詳しくは、彼女に聞いてみたらぁ」

 少年は大して興味無さそうに「そうですか」と言うと、50メートル以上ある崖からひょい、となんの躊躇いもなく飛び降りた。

「さて。今夜死んでもらう死刑囚は」

 軽々と地面に着地した少年は、全てが作り物の村を見渡し、書類を参考に死刑執行日の近い死刑囚を探す。

 自分が犯した罪も、本当の名前も、人生も、全てを忘れてこの村の住人になりきっている彼らは、もはや組織の操り人形だ。

(いや、この世界に存在する第三者は全て、操り人形か)

 村人たちが少年に不審の目を向ける。それも当然のはずである。何故なら、少年が着用しているのは近未来的な軍服であり、村からも世界からもその存在は浮いていたのだから。

“しかし、吸血鬼の餌場の為に死刑囚を集めた村なんて……組織も考えることが道楽レベルだわねぇ”

 その声は、どこからともなく聞こえてくる。女性のようだ。しかし周囲の村人の女性を観察してみても、このような発言が可能な者は存在していない。――姿の見えない謎の声。

「まぁ、見て楽しんでる感じは否めないね」

 その姿の見えない声に対し、少年はごく普通に返事をしている。よく耳を澄ますと、姿の見えない声は少年の足元から聞こえてくることが分かる。

りん様。私、こんな吸血鬼の世話係のような任務なんかではなく、世界の為に影人を殺したいわ!”

 霖と呼ばれた少年は、足元に視線を落として意味深に微笑む。

「まぁまぁ。填魁てんかい……お前の活躍の場は、ちゃんと考えてあるから……」

 霖は公園前で足を止め、ブランコに座ってぼんやりと空を眺めている高校生くらいの少女を見る。そして手にしている書類の写真と見比べ、今夜の生け贄を発見する。

(今井由里、16歳……僕と同い年か。だが、16歳で死刑囚だなんて、一体どんな犯罪を……)

 霖は書類をパラパラと捲り、判決が下された経緯を読む。

(……13歳の時、私怨により母校の小学校にて、教師と児童含む計15名を刺殺。矯正施設に押し込められるが、施設の人間を殺して逃亡。また同じ小学校にて今度は30名を刺殺。反省の態度は一切見受けられず、矯正施設にて彼女は宣言していた。ここから出たら、また同じことを繰り返してやると。それを止めさせたいなら、自分を死刑にしろ。私を止められるのは、この心臓だけだ……か)

 その年齢で何があったかは知らないが、今井由里の心は修復が不可能なほどに狂気で満たされていた。

(影人でないことが不思議なくらい、狂ってるな)

――だが。

(僕も同じようなものか……)

 霖は自嘲気味に笑うと、書類を折り畳んで軍服の内ポケットに仕舞う。

「こんにちは」

 今井由里は見慣れない少年に突然声を掛けられ、警戒してブランコから立ち上がる。

「今井由里さんですね」

「……誰? この村の人じゃないわよね?」

 普通に見れば、今井由里も可憐な少女だ。記憶操作を施されて狂気は失っているものの、この少女は約50人もの人間を殺した凶悪殺人鬼なのだ。

「名乗る必要はありません。今井さん、今晩の生け贄には自分がなる、と村人たちの前で宣言して頂きますよ」

「?? どうして私が? 生け贄なら、次は佐藤さんの奥さんが……」

「それはあくまで貴女方が勝手に考えていた順序。僕らが考える順序とは根本から違うのですよ」

「ちょっと、いい加減にしてよ! 人を呼ぶわよ?!」

「呼んでみては如何でしょうか。……出来るものならね」

「きゃっ!!」

 霖は軍服の胸ポケットから取り出した小瓶の蓋を開け、中に入っていた液体を今井由里の口内に流し込む。そして先程と同じ内容を耳元で囁き、今井由里は抵抗することなく頷く。

 こうして、今夜の生け贄は決定した。

“後は生け贄の儀式が終わるのを待てば良いだけね”

「うん。儀式が終わり次第、今井由里を吸血鬼の前に連行するよ」

 呆気なく完了する生け贄の選出。所詮、世界の真実を知らない第三者は組織に利用されるだけなのだ。

「それにしても――……のどかな村だ……」

 再び崖の上へと戻ってきた霖は、<吸血鬼の村>を見下ろしてそう呟く。

「まぁ、そのように作られているだけなのだろうけど、死刑囚の分際で死ぬまで穏やかに暮らすことが出来るなんて、悪運がよほど強いようだ」

“あらぁ。ふふふ、霖様。口がお悪いですわよぉ”

 霖以外、誰もいない断崖絶壁にその声は響く。声はやはり、霖の足元から聞こえてくるようだ。

“元は、ここは森だけが広がる辺境の地だったらしいわ。ま、今でも辺境であることに違いはないけど、人が住めるような場所では、決してなかった。それを村を一から開拓するなんて、莫大な資金が必要だったはずよ。あの吸血鬼、そんなに重要な人物なのかしら”

「さぁ。それについては吸血鬼本人から聞けと、可ノ瀬に言われているからね」

 霖は灰色の瞳を空へ向ける。

「そろそろ陽が落ちるな……」

 この村に、100年前から続いていると設定されている生け贄の儀式。実際は、10年前から始まったものだ。血を司るシャドウ・コンダクターは、10年前からあの洋館にて毎月、生け贄を食らっているという。

“私たちも行きましょ、霖様”

 村は異様な雰囲気に包まれていた。家の灯りは全て消され、村人全員が黒いローブに身を包み、片手に松明を掲げている。生け贄を乗せた御輿が通る道の脇に立ち、行く道を照らす。

 御輿を担いだ村人数名が山を登り、洋館を囲む鉄格子の前まで来たところで立ち止まる。そして声を張り上げ、吸血鬼への畏敬の念を伝えるのだ。

こんつきも我らが平穏無事に暮らせたこと、深く感謝致します。そして我々は尊い犠牲の元、らいの月の平穏無事を祈ります」

 御輿をその場に残し、逃げるように立ち去る人々。全てを物陰から見ていた霖は、村人がいなくなったことを確認してから御輿の簾を上げる。

「ヒッ」

 てっきり吸血鬼が顔を出すと思ったのだろう。御輿の中にいた今井由里は霖の顔を見てきょとんとした。

「え? あなたは……昼間の。もしかして、私を助けに来てくれたの?」

「…………。なんですって?」

 的を外れた今井由里の言葉には、安堵感が見え隠れする。それが余程霖の癪に触ったのか、たっぷりの間を置いて冷酷な返事が今井由里を攻撃する。

「罪の無い人間を50人も殺した女を……誰が助ける? 地獄の王でさえ、見捨てるぞ」

「えっ……」

 霖は今井由里の腕を掴むと御輿の中から乱暴に引きずり出し、鉄格子の扉を開く。

「ま、待って! あなたは誰なの? 私はこれからどうなるの?!」

「さぁね。だが、今夜がお前の死刑執行日だということだけは教えといてやるよ」

「死刑……執行……? 意味が……わからない……私は、村を守る為の生け贄なんじゃ……」

 今井由里は庭を引きずられ、洋館の中に押し込められる。

「きゃっ!」

「悲鳴か。どうだい? 自分が悲鳴をあげる立場になるのは」

「なにするのよ! もしかして、あなたが吸血鬼?!」

「まさか。その吸血鬼のところへお前を連れて行くことが、僕の任務だ」

 今井由里は霖から逃げるように床を這いずるが、敢えなく右足首を掴まれ、冷たい廊下を引き摺られる。

「いやあー! 離せ! 離せよ、この野郎!!」

(うるさいヤツ……)

 引き摺られる今井由里の身体は、廊下の置物や角にぶつかり、血が滲み出ていく。それでもお構いなしに引き摺り、一番奥の部屋の前で霖はやっと立ち止まる。

“この奥に吸血鬼……もとい、血を司るシャドウ・コンダクターがいるのね。会うのは初めてだわ”

 どこからともなく聞こえてくる声に今井由里は息を飲む。

「なに?! 誰だよ! 吸血鬼なの……ごふっ」

 霖は今井由里の顔を蹴り上げ、騒ぐ口を黙らせる。

“霖様ぁ。女の子には優しくしなくちゃダメじゃないのぉ”

 鼻と口から血を垂れ流す今井由里を霖は穢らわしく見下ろす。

「僕はフェミニストじゃない」

“あら、素敵”

 霖の足元から聞こえる笑い声が、洋館内に木霊する。

「さぁ、吸血鬼とのご対面だ――」

 重厚な両開きの扉。ギギ……と鈍く重たい音を立てて開き、開いた扉の隙間から僅かながら月光が漏れる。

「きゃああああ?!」 

 今井由里が耳障りな悲鳴をあげる。どうやら開いた扉の隙間から、中にいた吸血鬼の姿を見たらしい。

(…………)

 霖は怯える今井由里を無視し、扉を全開にする。中は電気などの類いが無く、大きな窓から差し込む月光だけが室内を照らしていた。その中心に大きなベッドが置かれ、ベッドに横たわっている人物が件のコンダクターであるのだと知る。

「……生け贄を、連れて来ました」

 霖の声に反応した人物が、ベッドからゆっくりと起き上がる。

 長く、艶やかな黒髪。病的なほどに白い肌に、血のように真っ赤な瞳の――少女。

 血を司り、その属性ゆえに吸血鬼と呼ばれているシャドウ・コンダクターは、人形のように生気のない少女だった。

(しかし、美しい)

 月光に照らされた姿は、夜の女王の名に相応しい。

「……ご苦労様」

 その声も消え入りそうにか細く、これが本当に人間の生き血を吸う妖怪なのか、と一瞬の疑問が過ぎる。

「いや! やっぱり嫌! どうして私が村の為に犠牲にならないといけないのよ!!」

 往生際の悪い今井由里は、自分が自分で死刑にしてくれと言っていたことを忘れさせられている。霖は尚も逃げようとする今井由里に足払いをかけ、転倒させた。

「生への執着が、ここまで見苦しいものだとは……」

 それらを見ていた吸血鬼の少女が静かに、しかし悲しげに囁く。

「……あの」

「後は私の領分よ。貴男は下がっていて。それとも――見学する?」

「……はい」

 霖は扉を閉め、部屋の隅へ移動する。

“あらら? 霖様ってば、見学は遠慮するんじゃなかったの?”

 からかうように聞こえてくる声。霖は人差し指を唇にあてがい、「しっ」と黙るように指令を出す。

 実を言うと、吸血鬼が人の生き血をすする様に興味はなかったし、見るつもりもなかった。だが、吸血鬼がこんな人形のような少女だと初めて知り、それがどうやって生け贄を食らうのか……厭に興味を惹きつけたのだ。

 少女はベッドから両足を降ろす。少女が着用していたのは、純白のネグリジェだ。シルク製らしく、艶やかな輝きを放っている。漆黒の髪がよく栄える、お似合いの服装だ。

「ひぃっ……!」

 腰を抜かし、逃げられなくなった今井由里が恐怖に歪んだ顔を少女に向ける。少女はその顔を見ても、表情一つ動かさない。少女にとって今井由里は、ただの餌に過ぎない。

「……ベリアル。食事の時間よ」

 しかしここで霖にとって期待を裏切る出来事が起きる。少女がベッドから両足を下ろしていたその床から体長30センチくらいのコウモリが飛び上がり、翼を羽ばたかせて今井由里の顔面上に着地する。

「?!」

 声にならない声をあげる今井由里。コウモリは、小さいながらも発達した牙で今井由里の首筋に噛み付き、生き血をすすった。

「いやっ……!!」

 すると今井由里の身体は痙攣を起こしたように不規則に揺れ、手足を放り出してその場に倒れる。コウモリが血を吸う勢いは凄まじく、今井由里の身体は見る間に青色から土色へ変化し、やがて骨と皮だけになった。食事を終えたコウモリは少女の肩に飛び移り、口から滴る血を舐め取る。

「え……終わり、ですか?」

 想像と違っていた吸血の現場に、霖は肩透かしを食らう。もっと血生臭く、肉片や内臓が飛ぶものとばかり思っていた。それに。

「貴女は、吸わなくても良いのですか」

 少女は生気の無い目を霖に向け、僅かに微笑む。

「私はね、吸血鬼なんかじゃないわ」

「…………」

「人間の血は吸わない。そう、決めたの……」

「ならば、この餌場の目的は」

「ベリアルの……私のシャドウの為の餌場ね」

 ベリアル。確か少女は、その肩に乗るコウモリのことをそう呼んでいた。

「私は血を司るシャドウ・コンダクター。だから、血は私の力の源よ。でもこの能力故に幼い頃より忌み嫌われてきた。私は、吸血鬼なんかじゃないのに……」

「でも貴女のシャドウは吸血鬼だ」

 霖の指摘に、少女はフフと笑う。

「そうね。私もベリアルも定期的に血を得ないと精神が不安定になる。ベリアルは特に症状の出方が顕著だわ。人間の生き血を吸わないと、敵味方関係なく血を求めてしまう……大変危険なシャドウ。だから組織はベリアルが暴走しないギリギリのラインを設け、私をこの村に閉じ込めた」

「何故そうまでして組織は貴女方を生かしているのです? そんなに危険な存在なら、いかに貴重なシャドウ・コンダクターといえど、組織は始末するはず」

「うん。どうやら組織は、私の血の力が……欲しいみたい……」

 霖と話していた少女は貧血でも起こしたかのようにフラフラと左右に揺れ、ベッドに倒れる。少女の肩から飛び上がったコウモリは、少女の顔を心配そうに覗き込む。

「血が足りていないようですね」

 霖は少女の冷たい足をベッドに乗せ、布団を被せる。

「生け贄の遺体は始末しておきますよ。あ、紹介が遅れましたね。僕は気を司るシャドウ・コンダクター、口無霖くちなしりんです。シャドウの名は填魁といいます」

「……私は……杏。血を司るシャドウ・コンダクターで……シャドウは……ベリアル……」

 少女――杏は重くなった瞼に逆らえないようだ。目を閉じ、そのまま動かなくなる。

「しばらく貴女の世話を僕が担当をすることになりました。ご用があれば、なんなりとお申し付け下さい」

 意識を手放した杏に対し、霖は機械的に喋り続けた。

 すう、すう、と規則的な寝息を立てて眠る杏を見下ろし、霖は奇妙な感覚を抱く。

(この人と、どこかで会ったことはないか――?)

 だが、明確な記憶があるわけではない。そんな感覚があるだけだ。霖はあまり気にすることなく、ミイラのように痩せ細った今井由里の遺体を片付け始めた。

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