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影操師 ―絶対の血―  作者: 伯灼ろこ
 第三章 血の契約
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 6節 勝者の微笑

 昼食が終わり、杏はさくらに連れられてショッピングへと出掛ける。可ノ瀬は宣言通りに夏来を引っ張り回す為、雪祭りに誘った。

“樫八夏来。針を司るシャドウ・コンダクターで、数々の実績から委員会からの信頼も厚いわ。なかなか厄介な相手ね”

 1人になった霖は、なんとも言えないモヤモヤとした気持ちのまま、宿へ戻った。そこのラウンジに腰掛け、降り止まぬ雪空を睨む。

「シャドウ・コンダクターを相手にするのは、影人を相手にするよりも厄介だ。しかも、それが同じ組織人となると……」

 夏来はおそらく、杏と霖が惹かれ合ってることに気付いている。血が繋がっていることまでは知らないだろうが、ともかく杏を霖から引き離すような、そんな命令を下しているはずだ。

(僕を殺さないなら、何だ。『近付くな』でも『話すな』でもない)

 いくら考えても、それは推測でしかない。真実は杏しか知らない。

(クソ……こんなことなら、こんなことなら……)



 杏に、絶対命令を下しておけば良かった。



 霖は無意識的に拳を握り締める。とても酷い後悔に苛まれ、頭が痛くなる。

 やがて睨んでいた雪空にオレンジ色が混ざってきた頃、杏とさくらが帰ってくる。フロントで別れた2人は、それぞれの部屋に戻る。霖は自分も同じ部屋に泊まる旨を伝える為、杏の部屋の前に立った。そのとき。

――がしゃん、と食器が割れる音が聞こえた。その音は連鎖的に続き、終わったかと思うと次は、何かを壁に向かって投げつける音。

“杏、止めろ!”

 ベリアルが主人の行動を制止する声が響く。霖はそれを合図として扉を開き、様変わりした部屋の様子を目の当たりにすることとなる。

「――――」

 突然、入ってきた霖に対し、杏は見られてはいけないものを見られたという顔をする。

 床に叩きつけられた食器類、壁に投げつけられた本、文房具。引き裂かれて綿が飛び出たクッション――……。霖はそれらを静かに見渡し、最後に杏の目を見る。

「だいぶ荒れているようですね。血は、足りていますか」

「…………」

 霖が一歩、部屋に入ると杏は一歩、後退る。

「こ、来ないで……」

 霖は見た。窓辺に置かれた、自分の血液が入った3本の小瓶を。続いてカレンダーを見る。杏が霜蘭島へやってきてから、1週間はとうに過ぎたはずだ。なのに減っているはずの血液はそのままだ。

「杏さん……ダメじゃないですか。血、飲まないと」

「来ないでっ」

 霖は自らの手首を割れた食器の破片で切りつけ、血を流す。後退る杏を瞬時に捕まえ、口の中に自らの血を流し込もうとした。

「嫌!!!!」

 杏は霖の手を勢いよく払いのけ、直後「あっ」と我に返る。

「……ごめなさい……」

「…………」

「ごめなさい……霖。でも、どうしても、ダメなの……」

 杏は今にも溢れそうな涙をこらえる。霖は、杏の一連の行動を見て、夏来からの命令内容を悟った。

「まさか、僕の血を飲むなと……命令されたのですか……」

 杏は首を振る。

「違う。夏来以外の血を飲むなと言われたのよ……」

 つまり、杏は夏来の血を飲まないと生きられないという意味だ。同時に、杏に命令を下すことも解除することも、夏来にしか不可能ということになる。

「なんてむごいことを」

 霖は目眩でもしたかのように額を抑え、ベッドに座り込む。

「命令を解除する方法はないのですか」

「ないわ……。その為の、絶対命令拘束だもの……。しいて言えば、夏来を殺せば命令は解除される。でもそんなことをしたら、組織から処刑されるわ。私は、もう、死ぬまで、夏来の……」

 俯く杏。霖は、今までずっと気になっていたことをついに聞くことにした。

「吸血鬼の村の死刑囚は、何故、突然吸血鬼退治などという愚行に出たのでしょうか」

「…………」

 俯く杏の瞼からは、雫がポタポタと落ちる。

「……霖が別任務でいなくなった日の夜、代わりとして夏来がやってきたわ。あいつは霖が用意してくれた動物の血を全て捨て、俺の血だけを飲んでいろと言った。もちろん拒否したわ。そしたら、あいつ……私を押し倒して、口の中に舌を入れてきた」

「――――」

「ベリアルが助けてくれたから未遂に終わったけど、怒った夏来は私を殺そうと――死刑囚たちの思考を書き換えた」

 細い肩を震わせて泣いている杏。それをただ見ていることしか出来なくて、霖は血が滲むくらいに下唇を噛む。そしておもむろに立ち上がり、部屋を出ようとした。

「霖?! どこ行くの!」

「夏来さんのところです。命令を解除してもらうよう、直談判してきますよ」

「無理よ! 夏来の私に対する思いはとても執念深いわ。下手すると、争いにっ……」

 霖を止めようと背後に近付いた杏。霖は振り向きざまに杏を抱きしめ、唇を重ねた。

「り……」

「――杏姉さん。僕は、貴女を取り戻す為ならなんでもやりますよ」

「…………」

 杏の瞳から流れ落ちる涙を拭い、霖は微笑む。

「僕らは血で結ばれました。なのに血で引き離されるなど、あってはならない」

 霖は腑抜けた杏をベッドの上に下ろし、自分は夏来の部屋の前に立った。

「夏来さん。口無です。少し、よろしいでしょうか」

「――開いてるぞ」

 扉を開き、窓辺に佇む夏来を見つける。夏来はやはり霖と目を合わせようとしない。霖は今にも暴れ出しそうな影を踏みつけ、出来るだけ感情を押し殺して言った。

「単刀直入に言います。杏さんへの絶対命令の内容を変更又は解除して下さい」

「来ると思った。しかし、命令内容の変更とは何だ?」

「現在刷り込んでいる命令以外なら、何でも結構です」

「ハッ、世迷い言を。どうせ貴様のことだ、命令を変更した途端に己の血を飲ませ、更に命令を変更させるくせに」

「へぇ、そこまでお気付きとは。どうして貴男が杏さんの血の情報について詳しいのか、興味深いところですよ」

「それは至極単純なことだ。――盗み聞き」

 夏来はここでやっと、霖に振り返る。にやり、と笑った、神経を逆撫でする表情だ。

「ヴェル・ド・シャトーの部屋は防音システムが完備されているから盗み聞きなど到底不可能だが、外国の片田舎なら簡単なものだ」

「! お前、まさか」

 夏来は、杏と霖を尾行していた。それも、ずっと。気付かれずに。

「杏の血が相手だけでなく、自分自身にも通用してしまう事実は驚愕だった。だがそれ以上にお前らの関係について嫉妬に狂ったよ。互いに血を感じ合い、愛の言葉を囁く。こんなに美しいものはなかった。これぞ究極の愛のカタチだ、お前らは。――実の姉弟でありながらな」

「――――……」

「だが計算ミスだったな。杏に絶対命令さえ下しておけば、引き離されることはなかったのに。これが貴様の甘さだ」

 夏来はソファに腰掛け、足を組む。霖を見上げるその瞳は、絶対君主なる輝きを放っている。

「……お願いです。命令を、解除して下さい」

「それ以上は止めておけ、俺に逆らうな。口無だって、過去の過ちを委員会にバラされたくないだろう?」

「――――」

「何故それを知ってる? ――という顔だな。フン、俺は何でも知ってる。この世界に、どれほどの俺の舎弟がいると思ってるんだ。むしろ、今まで黙っておいてやった俺の優しさに感謝してもらわないといけないほどなんだが。俺が黙ってないと貴様、今頃処刑されてこの世にいないぞ」

「外道が……」

「何とでも言え。ただこれだけはハッキリと宣言してやる。口無霖、組織の裏切り者である貴様に杏を幸せになど出来ない。大人しく引き渡せ。そうすれば、杏には組織内での確固たる居場所を提供する。俺には、それが出来る」

 霖は珍しく言葉に詰まる。夏来は勝ち誇った邪悪な微笑みを浮かべている。

「しばらく考えさせて下さい。とりあえず、今は血を頂けませんか」

 夏来は嘲り笑う。

「駄目だ。杏には直接飲みにきてもらう。貴様が杏にやらせたように、首筋に噛みついてもらおうと思ってな」

「!!」

「今から想像しただけでゾクゾクする。そのまま杏自身の身体も楽しみたいものだ」 

 霖は右手の平を夏来に向け、黙らせる。

「……なんだ、その手は。まさか気の力で俺を攻撃するつもりか。それは同じ組織人への攻撃と見做され、釈明の余地も無いほど重罪となるな」

「…………」

 霖は右手をゆっくりとおろし、目を閉じる。もう何も言えないまま部屋の扉を開くと、廊下には杏の姿があった。

「杏……さん」

 杏は緋色の瞳を夏来に向ける。

「まさか杏が自分から来てくれるとはな。これも絶対命令拘束の効力なのか?」

 夏来は満面の笑顔で立ち上がり、扉に近付く。

「勘違いしないで」

 しかし、杏の低い声がそれ以上の接近を拒む。

「私はあんたの穢れた血をもらいに来たんじゃない。霖を連れ戻しにきたのよ!!」

 杏は霖の腕を引っ張り、自分の元へ引き寄せる。

「杏、お前は何か勘違いをしているんじゃないか? 杏が欲しがっていた吸血鬼ではない自分、組織での居場所は俺と共にあってこそ成立するんだぞ?」

「霖、行きましょう。こんな人の御託に付き合う必要なんて無いわ」

 霖と杏は部屋に戻る。杏は鍵を掛け、廊下の様子を伺った。

「追ってきてはいないようね……。はぁ、吸血鬼より厄介」

 杏は霖の様子が少しおかしいことに気付く。

「大丈夫? 何を言われたの?」

「……いえ、気にしないで下さい。でも嬉しかったですよ、来て下さって」

「当たり前じゃないの。霖は私にとってたった1人の家族であり、愛する人だもの」

 霖は僅かに微笑み、杏の頬を撫でる。

「…………。夏来さんは知っていましたよ。僕らが実の姉弟であることを」

「うそ……」

「迂闊でした。サゥルナに出向いた当時は夏来さんの執念深さに無頓着で、気にしていなかった。まさか今になって、こんな痛手を負わされるとは。自分の危機意識の低さを痛感しています」

「そう……尾行してたのね、あいつ」

 樫八夏来を殺すのは簡単だろう。だが同時にそれは、組織から極刑を受ける諸刃の剣となる。

「夏来の血なんて、もう金輪際飲みたくない。というか、霖以外の血は嫌。でも、時間があまり無いわ……」

 血を飲まないと、衰弱する杏。最悪、死に至る。吸血鬼の村にいた頃は動物の血でなんとか誤魔化してきたが、今はそれも通用しない。

「僕、研究してみます」

「何を?」

「以前、言ったでしょう。貴女を研究してみたいと」

「ええ……言ってたけど、何を?」

「“血”です。今僕の手元には、任務へ出る前に杏さんから頂いた血――つまり、命令を刷り込まれる前の血があります。それと現在の杏さんの血を比較し、違いを探ってみます。絶対的命令拘束力とは言いますが、何か抜け道があるはずだと僕は信じています」

「研究器材はあるの?」

「ええ。いつも持ち歩いてますから」

 霖が机に広げる試験管や顕微鏡などを見て、杏はふふと笑った。

「……わかった。さすが霖ね」

 杏は刃物で手首を切りつけ、溢れた血を試験管に注ぐ。

「頑張って研究してね。私も、霖の為に頑張って耐えるから」

 杏は辛そうに呼吸をし、ベッドに横たわった。

「杏さん、まさか、また寝てばかりの生活に……」

「ううん。これは、単に疲れただけ。今夜の吸血鬼退治は休むわ。夏来も加わったし、1日くらい、私がいなくても大丈夫……でしょ」

(――疲れただけ?)

 いや、違うだろう。杏は自覚していないだろうが、霖にはわかる。

 すー、すー、と静かな寝息をたてる杏を見て、霖はあることを思い付く。スポイトに自分の血を吸わせ、寝ている杏の口内に垂らそうと考えたのだ。だが。

「いやっ!!」

 深い眠りについてはずの杏は突如起き上がり、スポイトを掴んで壁に投げつけた。

「……え? 私、今なにを??」

 杏は自分がした行動を理解出来ていなかった。霖は大きく溜め息を吐き、杏に「すみません」と言って布団をかけた。

(どうやら、杏さんの体内を流れる全ての血が、夏来さん以外の血に対し、敵対反応を示すようだ。その反応は、寝ている時も遺憾なく発揮される)

 あれだけ霖の血を美味しいと言って飲んでくれた杏。霖以外の血は飲まないと、血を飲む相手は結婚する人だけと、ここまで純粋に生きてくれていた杏の全てを踏みにじったのが樫八夏来だ。

(自分の血を飲んでもらえない事実が、こんなに辛いとは――)

“霖様もお姉様も可哀想……”

 眠る杏の隣りでうなだれる主人を見て、填魁は辛そうに吠えた。


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