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影操師 ―絶対の血―  作者: 伯灼ろこ
 第三章 血の契約
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 5節 知らない人

両親の研究が佳境に入った頃、口無家に訪問者が現れる。だが、普通の訪問者ではない。

“霖殿……”

 玄関先から招き入れたのは、身の丈2メートル、頭部と肢体が包帯でグルグル巻きにされた巫女姿の女性だ。

「貴女は可ノ瀬朧のシャドウ、ディーレですね」

“はい”

“朧さんは今、霜蘭島で任務のはずじゃあ? かなり急いでここに来たみたいだけど、どうしたの?”

 ディーレはグルグル巻きの包帯顔を霖に向け、静かに口を開く。

“今から話すことは、全て朧様からの伝言でございます。通信機を用いないのは、盗聴されている危険性があるからです”

 ディーレは呼吸を整え、なるべく感情を乱さないように伝え始めた。

“『あーちゃんが、なっちゃんに血を飲まされた』”

「!」

 霖は視線だけを上げてディーレの包帯顔を見る。

“『恐らく絶対命令を下す為だと思う。何を命令されたかは分からない。ボクとりっちゃんしか知らないはずの、あーちゃん自身にも絶対的命令拘束力が効くという情報をどこで得たかも分からない』”

「…………」

“『命令内容が分からない限り、りっちゃんがあーちゃんに近付くのは危険だと思う。だから、本当は知らせるつもりはなかったんだけど……あの日からあーちゃんおかしくて』”

「…………」

“『ボクはあーちゃんが吸血鬼の村に住みだした10年前、最初の世話係に任命された。もう1人の世話係もいたけど、それはりっちゃんの知らない子ね』”

「…………」

“『当時あーちゃんは両親に捨てられた可哀想な7歳の子供。吸血鬼にしては随分と可愛らしいなぁってのが最初の印象。あーちゃん自身も吸血鬼だと言われることをすごく嫌がってて、もう人間の血は飲まないって当時から言い張ってた。でも人間の血を飲まないと人並みの生活を送れないよって言うと、何て言ったと思う?』”

「…………」

“『――じゃあ、私が人間の血を飲む時は、結婚する相手だけにする……ってさ。吸血鬼の村が崩壊するまで、ボクとのその約束、守ってくれてたみたい』”

「…………」

“『5年後、新たに派遣されてきたなっちゃん――樫八夏来は、怖いくらいにあーちゃんに惚れ込んでた。だから5年後からボクの任務には、あーちゃんの世話係と村を影人から守ることの他に、あーちゃんの貞操を守ることが含まれた』”

「…………」

“『ボクの任期は10年だった。しかも、その後の世話係は2人体制ではなく1人体制にするという方針が委員会から下された。焦ったよ。このままじゃ、あーちゃんがなっちゃんに何されるか分からない。だからボクは委員会に手を回し、なっちゃんを別任務で海外へ飛ばし、そして信頼の置けるキミを――口無霖をあーちゃんの世話係に任命した』”

「…………」

“『キミは、ボクが思ってる以上にあーちゃんに尽くしてくれた。ありがとう。でも、ごめんね。ボクはあーちゃんのこと、護ってあげられなかったよ……』”

「…………」

“『今、ボクは霜蘭島で吸血鬼退治をしながら、あーちゃんがどんな命令を下されたのか探ってる。なっちゃんも吸血鬼退治に加わってしまったから、なかなかスムーズに進まないんだけど、うん……多分、ボクでは無理だ。りっちゃん、あーちゃんを助けてあげて』”

 可ノ瀬からの伝言をディーレが伝え終わるその頃には、霖の姿はディーレの前から消えていた。

“霖様。少し落ち着いてよ、お願い”

 填魁の背に跨りながら、霖は海の遥か向こうを睨む。霖はあれだけ没頭していた両親の研究を全て投げ出したのだ。ただ姉の為に、海を越える。

「填魁。霜蘭島まで一切休まずに最大限のスピードで行くとするなら、何日かかる?」

“ふ、2日半かしら……”

「なら2日で行け」

“そんな無茶な!”

「無茶するんだ。頼むよ」

“……わかったわよ。しっかり掴まってて”

 填魁は両手足を真っ直ぐに伸ばし、可能な限り風の抵抗を少なくした。



「……杏さん。僕です、霖です。入っても、良いですか」

 2日後、昼前に霜蘭島に到着した霖は、組織が契約している和雪亭へ真っ先に駆け込んだ。そして今、杏の部屋の前にいるのだ。しかし返事が無い。少し躊躇ったものの、霖はいつでも迎撃出来る体勢で扉を開け放った。

「あ、霖? びっくりした。どうしてここにいるの?」

 出迎えたのは、いつも通りの美しい杏だ。艶やかな黒髪を1つに束ね、緋色の瞳には吸い込まれそうになる。杏はローマにいるはずの霖が霜蘭島にいることに驚いている様子である。

「ごめんね、ちょっと考えごとしてたからノックには気付かなかった」

 杏はにっこりと笑い、しかしその場から動かない。

「…………。杏さん、任務の進行具合はどうですか」

「なかなか大変よ。でも私の記念すべき初任務だから、失敗するわけにはいかないの。かなり頑張ってるわ」

「そうですか」

「それはそうと、霖はどうしてここにいるの? 両親の研究はいいの?」

「研究は断念しました。杏さんの様態が悪いと可ノ瀬から聞きまして、駆けつけてきたのですよ」

「えぇー! そうなの?! あんなに影人について研究したいって言ってたのに……何だか悪いことしたわね。朧が何を言ったのか知らないけど、私は大丈夫よ」

「……そうですか」

 杏はコロコロと表情を変え、豊かな感情を表現する。

「杏さ……」

「杏ー。そろそろお昼ご飯に行きましょうよ、皆、レストランで待ってるわよ……って、く、くくく口無さんっ?!」

 杏の部屋を訪ねてきた山茶花さくらが、霖の姿を見るなり動揺する。杏はさくらが霖を恐れていることを知っている為、クスクスと笑う。

「お久しぶりですね、山茶花さん」

「久しぶり……ですね。まさか口無さんも吸血鬼退治に参加するの?」

「さぁ」

 ハッキリと答えない霖の態度が、更なる恐怖をさくらに植え付ける。そんなさくらを助けるように杏がニコニコと明るい声を出す。

「お昼ご飯、まだでしょ。霖も一緒に行かない?」

「ええ。是非ご一緒させて頂きます」

 霖は杏とさくらを先に行かせ、考え込む。

「……填魁、あれを僕の知っている杏姉さんだと思うかい?」

“いいえ。なんだか空元気って感じだったわ。杏お姉様、明らかに別の感情を押し殺してる”

 それは痛いほどに分かった。

「ともかく、『口無霖を殺せ』とは命令されてないことだけは判明したよ」

 レストランへ向かう為に宿を出る霖を填魁が呼び止める。

“霖様。しばらく滞在するなら部屋を借りておかないと” 

「その必要はない。何故なら、僕は杏さんと同じ部屋に泊まるから。何も不自然じゃないよね? だって、僕らは姉弟なんだし」

“……何が起きても知らないわよ”

 レストランへ行くと、広めのテーブルに座る4名のシャドウ・コンダクターがすぐに目につく。第三者とは纏うオーラが違う彼らは少々、存在が浮き世離れしているのだ。それは霖も例外なく。

「りっちゃーん! こっちこっちぃー」

 可ノ瀬が満面の笑顔で両手をブンブンと振っている。霖はその場所にて、一番奥の席に座る男性――樫八夏来を見る。

「…………」

 夏来はただ窓から見える景色だけを眺め、霖とは一切、目を合わせようとしていなかった。

「りっちゃん、何食べるぅ? 霜蘭島は海の幸がとっても美味しいよ!」

 可ノ瀬がメニュー表を開き、あれやこれやと説明をしている隣りでさくらと杏は女同士の会話に花を咲かせている。

「昨晩は危なかったわよ。窪川家の5歳になる女の子がさぁ、吸血鬼に対して玄関を開こうとしたりして! 私が吸血鬼に蹴りを入れてなかったら、窪川家全員、襲われてるところよ」

「さくらは窪川家の救世主ね」

「あははっ。そういう杏だって、スキーをしにきた集団を、吸血鬼が引き起こした雪崩から避難させてたでしょ? すっごいお礼言われてたじゃない! 杏の友人として、鼻高々よ」

「うふふ。まぁ、感謝をされるのは悪くない気分ね。私たち、救世主ね」

 杏はあくまで元気だ。吸血鬼退治もそつなく行っている。でも何かが違う。

「あー、タバコ吸いたい。りっちゃん、ちょっと付き合ってよぉ」

 昼食の途中で、可ノ瀬が一服を理由に自然な流れで霖を外に連れ出す。

「貴男は喫煙者ではありませんよね」

「これしか方便が思い浮かばなくてさぁ」

 可ノ瀬は煙を吐く真似をしてみせる。そして周囲をキョロキョロと見渡した後に自分の足元を見る。

「りっちゃん、かなり焦って飛んで来たでしょ。ボクのシャドウすらまだ戻ってないってのに」

 可ノ瀬の足元には、あるべき影がなかった。

「どうやら、りっちゃん殺害命令は下されてないようだ。良かったネー」

「何が良いものですか。あんなの……あんなの、杏さんじゃない」

 可ノ瀬は空元気な杏を窓越しに眺め、悲しげに俯く。

「だよねぇ。あーちゃんって人間は、皮肉っぽくて後ろ向きで、精神が不安定で、喜怒哀楽が曖昧で……。そんな下ばかり向いてたあーちゃんが、りっちゃんと出会ってやっと、前向きになったってのにさ」

「ベリアルは何か言ってませんか?」

「なっちゃんに血を飲まされた夜から、ベリアルは口を閉ざしてる。ベリアルにとっても、余程ショックな命令内容だったらしい。今はそれしか、わからない」

 霖は腕を組み、重い溜め息を吐く。

「ごめんね、りっちゃん。ボクがついていながら……」

「謝られるのはこれで二度目ですね。謝罪は一度で結構ですよ」

「……ほんと、ごめん。りっちゃんはこれからどうするの?」

「とにかく、杏さんを夏来さんから守ります。今更遅いかもしれませんが、今出来ることがそれくらいしか思い浮かばないので。可能であれば、命令内容を聞き出しますよ」

「お願い。ボクは出来るだけなっちゃんを引っ張り回すようにするよ」

 霖と可ノ瀬は秘密協定を結び、何食わぬ顔でレストラン内へ戻ろうとする。しかし霖が可ノ瀬を呼び止め、「可ノ瀬にだけ言っておくことがあります」と言う。

「僕と杏さんは、血の繋がった実の姉弟です」

「…………え?」

 可ノ瀬はキョトンと目を丸くし、しばらく視線を彷徨わせた後、ニンマリと笑った。

「じゃあ、姉弟の絆がなっちゃんの絶対命令に適わないわけないよねぇ」

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