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影操師 ―絶対の血―  作者: 伯灼ろこ
 第三章 血の契約
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 4節 胸騒ぎ

 その町には、最近こんな噂が流れ始めている。噂の対象となっているのは、町の北方にある、一軒家にしては少々大きすぎる建物だ。この家から、耳を塞ぎたくなるほどの悲鳴や奇声が聞こえるという。

 町の人曰わく、この家の住人には昔から迷惑をかけられてきたという。ここ10年間は静かで平穏だったものの、最近はこの有り様だ。

「吸血鬼が帰還したっていうじゃない?」

「うそ。10年前に殺したんじゃなかったの?!」

「なんだか父親の方が情けをかけちゃって、遠くへ逃がしたとかなんとか。それで吸血鬼が戻ってきちゃったもんだから、父親も母親も発狂したとか……」

「その吸血鬼にさ、弟いなかった? 1つ下の」

「うん、いるわよ。この前、戻って来てたわ」

「あの子、吸血鬼の弟だけあって凄く綺麗なんだけど、なんか……」

「怖いわよね。実は弟も吸血鬼なんじゃないの?」

 主婦同士の井戸端会議の議題は専らあの家のことだ。話題が尽きないほど、話のネタがある。

「おはようございます、ネルさん、ミーアさん」

 主婦の2人に対し、通りすがりの少年がにこやかに挨拶をする。しかし主婦の表情は硬直する。笑顔の少年に対し、明らかな恐怖と軽蔑の意を向けているのだ。少年は笑顔のまま、胸ポケットから小瓶を取り出した。

“そろそろ潮時じゃなぁい?”

 噂の対象である自宅に帰ってきた少年――口無霖は、地下室から漏れ出る奇声と影の気配に眉を潜める。

「凄いな。これは、更なる変化を遂げているというのか……?」

“霖様ぁ。貴男がお姉様を送る為に不在だった6日の間に、とんでもない事態になってるっぽいわよ”

「これは研究のしがいがある」

“もー”

 地下室への扉を開けるなり、飛んでくるのはよく分からない液体だ。霖はそれを避けながら、地下室へと足をつける。

「ほう……ゴブリン型から、更なる形態への変貌……」

 組織が開発した拘束器具――アドン・リングに手足を縛られた霖の両親は、当初の形態であったゴブリン型から別のナニカになる最中である。

「……バケモノ型に変貌してしまう影人は、ヒューマン型の影人よりも強い負の感情を抱いていることが判明した。それは、もはや己の力では押さえ込めないほどに強く、やがて己自身を飲み込んしまう。それが変貌の始まり」

“ふうん”

「この夫婦は、自分たちが吸血鬼を作ってしまったという自責の念、いつか復讐されるのではないかという恐怖の念が影人化を進めていた。それが杏姉さんの登場により、加速した……」

“ちょっと待って”

「なんだ」

“ずっと思ってたんだけどさぁ、霖様って、どうして自分の両親のことを他人みたいに表現するの? あんなやつらでも、自分と、愛する杏お姉様を産んでくれた存在じゃないの”

「ああ、それに関しては感謝しているよ。逆に言えば、それだけだ。こいつらが杏さんを家から追い出したりしなければ、僕はずっと杏さんの傍で育つことが出来たはずなんだよ。世界の均等を保つ者として、道を踏み外すこともなかっただろう」

“ああ……そう。つまり、憎んでるってワケね。でも辻褄が合わないわ。杏が姉だって判明した時にはすでに、両親を研究対象にしてたじゃないの”

 填魁の指摘に、霖は驚いたようにほくそ笑む。

「ふーん……填魁、君も馬鹿ではないようだ」

“霖様ひどーい”

 霖は椅子に腰掛け、両親の更なる変貌を観察する。

“霖様。制限時間は10分よ。それ以上長くここにいたら、霖様も影人となる影響を受ける”

「ああ、わかっているよ」

 それから7分が経過した頃、ドロドロに溶けた母親の口から言葉が発せられるようになった。これには霖も驚く。とうに人間の言葉など失っていたはずだから、霖は前のめりの体勢になって母親の言葉に耳を傾けた。

「……本当……は、悪いと……思っ……てた。……あの子……に……杏に、酷いことを……した……と」

 霖は眉間に皺を寄せる。

「杏……と、霖が……2人仲……良く……遊ぶ……姿を、楽しみに……」

「何を今更。謝罪のつもりか」

 霖は汚いものを見るように母親を見下ろす。

“霖様、タイムオーバーよ。早く出て”

「杏……ごめ……んな……さい……」

“霖様!!”

 霖の足元から発せられる波動が、霖を階段へと押し戻す。

“霖! 早くしないと、吹き飛ばすわよ!!”

 霖は無言のまま、地下室から這い出た。その口元は少し、笑っていたように思う。

“気でも触れた? さっきは本当にヤバかったわよ”

 力づくで主人を守った填魁は、長い溜め息を吐く。

“ま、すでに狂ってるわよねぇ。実の姉に妻になってほしいとか言っちゃうあたり”

 填魁が反論を期待して放った言葉はしかし、霖の耳をすり抜けてゆく。霖はそのまま階段を上がり、2階を通り越して3階で立ち止まる。

 ここは相変わらず薄暗く、埃っぽいフロアだ。だが、自分の姉が幼少期を過ごした数少ない場所でもある。霖は手前の部屋の扉を開き、中に入る。3階はどこの部屋もそうだが、玩具で溢れている。この部屋も例外ではなく、ぬいぐるみやままごとのセットでいっぱいだった。その中で目を引いたのは、机の真ん中にちょこんと置かれたビーズの指輪。笑ってしまうくらいに簡素なつくりだが、幼い姉が小さな指にはめて喜んでいた様を思い浮かべると、自然と笑みがこぼれる。

「……填魁。確かに僕は狂ってるかもしれないよ。このどうしようもない思いは、自分でも止められない。負の感情が己を飲み込んでしまうように、僕は姉さんに飲み込まれている」

 霖はビーズの指輪を机に戻す。

「本部へ戻る頃には、婚約指輪を手土産にしよう」

 霖の影からは再び溜め息が漏れる。その反応を見た霖はクスッと笑い、部屋を出た。しかし。

“霖っ……様”

 填魁の小さな悲鳴が、霖を振り向かせる。霖の視線の先には、糸が切れてバラバラに飛び散ったビーズの指輪の成れの果てがあった。

「…………」

 胸が騒ぎ立つ。その騒ぎの原因が判明するのは5日後のことだ。

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