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影操師 ―絶対の血―  作者: 伯灼ろこ
第二章 依存
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 6節 霖の実験

 眠りに落ちて数時間後、杏はベリアルに起こされることになる。

“杏。霖がいない”

「…………ん……」

 頭だけを上げて眠気眼で室内を見渡す。月明かりに照らされ、ぼんやりと浮かび上がるのは霖の無機質な部屋。しかしその主がいない。

「本当ね……どこ行ったのかしら」

 霖が隣りにいない事実が、不安をかき立てる。杏は眠気など吹っ飛んだ頭で起き上がり、部屋を出る。左右に伸びる長い廊下。奥の暗がりがどうなってるのか見えなくて、不安は更に大きくなる。吸血鬼の村にいた頃から大きな家に住むことに慣れていたはずなのだが、今はそれが怖い。

「霖……どこ……?」

 杏は2階にある全ての部屋を見て回るが、誰もいないか鍵が掛かっているかで、霖の姿は見つけられない。

 杏は、思い切って両親がいる1階へと降りてみる。しかし居間にも台所にも寝室にさえ、両親の姿は見つけられない。やはり霖もいない。

「皆、どこ行ったの……」

“杏”

「ひゃっ」

 静寂に包まれた口無家に、ベリアルの低い声が木霊する。杏は心臓を押さえ、足元を見下ろした。

「ごめんなさい。何?」

“あの階段の先をまだ調べていないだろう”

 ベリアルに指摘された場所。そこは暗くてよくわからなかったが、確かに階段のようなものが見える。しかも、地下へ続く階段のようだ。

「こんなの、あったかしら……」

 杏は生唾を飲み込み、階段を降りる。降りるに連れて、下方から蝋燭の淡い光が浮かび上がってくる。そして人間の息遣い。明らかに誰かがいる。そして見たのだ。

「あっ……」

 思わず声を出してしまった杏に対し、獣のように大口を開けて襲い掛かる2人の男女。しかし枷で壁に繋がれた両手足と、頑丈な鉄格子がそれを防ぐ。

 その2人の男女とは、このホテルを一軒家へと改装した者たちである。

「お父さ……お母……」

「――起きてしまいましたか」

「!」

 鉄格子の外側には、小さな木のテーブルが置かれている。そこの椅子に腰掛けた黒髪の少年が、優雅な動作で杏を見上げる。

“霖、お前はここで何をやっている”

 声が出せない杏の代わりに、下僕が霖を問いただす。

「見てお分かりになりませんか。これは研究です」

 霖は穢らわしいものを扱うように、実の両親をボールペンで指す。

「研……究……?」

 霖は右手を唇に当て、目を細める。

「僕、言いましたよね。この家の夫婦が研究対象だと」

 杏は震えのあまり、反応が示せない。

「現在、研究は大きな変化を見せつつある。これが完了すれば、貴女に居場所を提供出来る」

 霖の瞳には、厭な輝きが宿っている。実の両親を研究対象と表現したり、怖い雰囲気を感じ取った杏は恐る恐る尋ねてみる。

「研究内容ですか? 以前も言っていたと思いますが、僕はヒトが影人化してゆく過程を克明に記録したかった。それが叶ったのですよ」

「それは……どういう……意味」

 霖に嘘だと言ってもらいたい。杏はすがるような気持ちで霖の傍に駆け寄る。しかし降ってきた言葉は、残酷の極みだった。

「杏さんは気付いてらっしゃったかわかりませんが、実はあの2人、影人化しかけていましてね」

「……うそ」

「まだ影の気配はしませんが、これまでヒトが影人化してゆく過程を散々見てきた僕には分かる。ここに杏さんが僕の姉であった事実を加味すると、2人が影人化する理由が判明します」

「まさか、父と母は、私のせいで……?」

「はい。更に先程、杏さんと再会した途端に彼らに大きく異変が生じた。これまで緩やかに影人化へ進行していた病状が、加速しましてね」

 杏は居ても立ってもいられなくなり、鉄格子に走り寄る。両親が杏に向けて獣の如く騒ぎ立てるが、杏は構わず片手を伸ばし、念じ始めた。すると何もない空間に扉のようなものが出現し、ギィ……と開くと共に両親を中に吸い込もうとする。しかし直ぐに霖が杏を鉄格子から引き剥がし、念を中断させた。同時に扉も消失する。

「なにをするつもりですか」

「決まってるじゃない! 父と母をセカンドスペースへ閉じ込めに行くのよ! あそこなら、影人への進行を止められる!」

 セカンドスペースとは、シャドウ・コンダクターのみが行き来を許される異空間だ。そこは時間という概念が無く、ヒトを閉じ込めることにより影人化への進行を止めることが出来る。

「口無康隆と口無彩芽は、杏さんを僕から引き離し、地下牢にて餓死させようとした人間ですよ。先程の杏さんと再会した際の態度と併せて考えてみても、助ける必要など皆無」

「霖、どうしてそんな酷いことが言えるの? 実の両親でしょ……? 研究対象にするなんて言語道断よ!!」

「僕は元よりこの2人に対し、両親だという概念は持ち合わせていませんでした。ただこの世に僕らを産み落とした母体に過ぎない」

 霖は非常に冷たい目をして言い放つ。両親に対する愛情は微塵にも無さそうだ。

「ただ唯一感謝してるのは、僕と杏さんの血を繋げてくれたこと」

「!」

 杏は霖に振り返る。

「霖は……私と姉弟で良かった、というの?」

 頷く霖。しかし杏の心は複雑だ。

「私……はっ……」

“あっ、霖様ぁ。外れちゃうわ”

 填魁が驚きの声を上げた。振り返ると、壁に設置された枷を外し、鉄格子に食らいつく両親の姿があった。もはや、人間の様ではない。同時に、仄かに漂ってくる甘ったるくて泥くさい臭いを嗅ぎ、杏は涙を流した。

“来たわね。ヒトが影人化する際に発せられる臭い――”

「填魁。もう枷や鉄格子などではこの影人を押さえつけることは出来ない。アドン・リングをお願いするよ」

“了解”

 霖は自分の影が鉄格子の中に入るように姿勢を動かし、填魁の名を呼ぶ。マンティコアではなく、サキュバスの姿として鉄格子の中に召喚された填魁は、緑色の光を放つリングを8本握り、それを両親の手足を縛るように付ける。手足をリングで縛られて自由を失った両親は、地下の床を芋虫のように這いずり回る。填魁は霖の足元へ戻り、こんな報告をする。

“霖様もお姉様も、いつまでも同じ地下室にいたら影に感染しちゃうわよ”

 泣き叫ぶ杏を抱きかかえ、霖は地下室の階段を上がった。

「杏さん、もう泣かないで下さい。彼らは、影人になるべくして、なったのですよ」

「じゃあどうしてすぐに始末しないのよ! 研究だなんてやらないで、殺して楽にしてあげなさいよ!」

「ご理解頂けないかと思いますが、これはまたとないチャンスなのです。影人の生態系を研究することにより、世界にとって有益な情報が得られるかもしれない」

「そんなの、他の影人でやりなさいよ……どうして、お父さんとお母さんなのよ……」

「よく知る肉親だからこそ、生前と影人化した時との違いがわかる。これは対象が赤の他人だと、成し得ないことです」

「そんな……」

――それが世界の為には必要のことなのだ。頭ではわかってはいても、感情がそれを拒否する。

 泣きじゃくり、ガタガタと震える杏を見下ろし、霖は苦笑する。

「――こんなか弱い少女が吸血鬼だなんて、お笑い種ですね」

「…………?」

「杏さん。辛いことを言うようですが、今の貴女ではどこにも居場所は無い。組織にとって貴重な兵器ではあっても、貴女自身に対する信用が無いのですよ。それは分かりますね?」

「うん……実績が、無いものね」

「はい。ここで影人に関する有益な情報を、実の両親を実験台として得たと報告すればどうなるでしょうか」

「…………」

「己が身を犠牲にして世界の為に働いたと見做され、賞賛されます。貴女への見る目も変わり、組織内での貴女の居場所は着実に広くなる」

「…………」

「一石二鳥ですよね。僕は影人を研究出来るし、杏さんは居場所を確保出来る。素晴らしい計画ではありませんか」

 杏は俯き、下唇を噛む。一度止まった涙が、再びポロポロと流れ落ちる。

「……杏姉さん?」

 地下室からは、影人と化した両親の雄叫びが聞こえてくる。

「私は……私の居場所は、組織になんか、なくてもいい」

「?」

「ただ、霖の傍にいられれば、それで良かったのよ……!」

 そう思っていた自分の心は、霖が実弟だと知っている本能がただ作用していただけなのかもしれないと思うと、無償に悲しくなった。霖が自分に向けてくれた優しさも、全ては本能からくる哀れみだったのではないかとさえ、今では思う。

「霖の血が一番美味しかったのはきっと、私に最も近い存在……家族だったからなのね……」

“杏!”

 あまりにも衝撃的なことが一度に発生し、杏は貧血でも起こしたようにフラフラになってソファに倒れる。顔色も悪い。

「血、飲んで下さい。弟ので良ければ」

 杏はフッと自嘲気味に笑い、容赦なく霖の首筋に噛みつく。

「僕の血は確か……安っぽいワインでしたよね」

「違うわ。高級ワインよ」

 唇から溢れる血。杏の顎から滴る血を霖は舐め取り、舌を少しづつ上へ上へと這わしてゆく。

「んっ……」

 杏の口内にある己の血を求めるように、霖の舌が滑り込んでくる。呼吸すら困難になるほどの濃厚な口付け。居間に響く水音が厭らしく、それが更に互いの感情を高ぶらせる。

「本当は、命じたいんです……」

「……絶対、命令?」

 荒い呼吸。相手を愛しいと思えば思うほど、呼吸が苦しくなるのだ。

「この気持ちは、杏さんが僕の実姉だと判明する以前から、変わらない……」

「でも」

「僕は杏さんが好きです。妻になってもらいたい。しかしそれは命令などではなく、貴女の意志で許可を頂きたい……」

 杏は熱くなる目頭を、霖の胸で押さえつける。――どうしようもなく嬉しいのだ。でも手放しで喜べない原因が、この地下にある。

「研究は、どうしても必要……?」

「はい。身勝手なこととは承知していますが」

 両親が影人化したのは自分の責任だ。それをチャンスとしている霖は、自分の好奇心と組織からの期待を満たす為、あわよくば組織内での杏の居場所を確保しようとしている。

(一石を二鳥にも三鳥にもなんて……そんなに上手くいかないと思うけど……)

 杏は目を閉じ、自分の中に僅かに残る家族との想い出を浮かべる。その中に霖はいないし、楽しかった頃はほんの一瞬で、後は吸血鬼として迫害されていたものばかりだ。でも楽しかった頃のほんの一瞬ばかりが脳裏を満たしてしまうのは、両親があんなことになったからこそだろう。

「研究が終わったら、手厚く葬ってあげましょう。2人で」

「……! ありがとうございます」

 霖の瞳が輝く。どちらかと言えば戦場に立つよりも科学者に向いてる弟の為、杏は苦渋の決断を下した。

「その様子だと、今夜はもう寝るつもりはないのね?」

「ええ。夫婦が影人化したばかりですから、調べたいことがたくさんあります」

「わかったわ。なんだか、邪魔をしてしまってごめんなさい。でもあまり無理しないでね」

「お気遣いありがとうございます。おやすみなさい……あ」

 霖は地下室の様子を見る為に階段に足をかけるが、すぐに引き返してくる。

「まだ許可を頂いてませんでしたね」

「へ?」

「僕の妻になって頂けるのか、否か」

 杏は言葉に詰まり、顔を赤くする。

「ふふ、吸血鬼が困惑している様は、ゾクゾク来るものがありますね」

「鬼畜ね……あんた」

 杏は赤面していたことも忘れて苦笑し、2つ穴の空いた霖の首筋を撫でる。

「私、吸血鬼として生きることを止めた時、決めていたことがあるの」

「なにをですか」

 杏は悪戯っぽく微笑み、霖の軍服のファスナーを閉める。

「機会があったら、朧に聞いてみて」

「まさか、おあずけですか」

「鬼畜さ加減でなら、私もなかなか負けてないわよ」

 杏はひらひらと手を振り、2階へと消えた。

“どうやら、あっちが1枚上手だったみたいねぇ”

 填魁の嘲りの声に、霖は肩を竦める。

「さすが、僕の姉様だ」

“でも依存具合では、霖様もお姉様も同等ね。うふ、嫉妬しちゃう”

 霖は喋りの過ぎるシャドウを黙らせるように影を踏みつけ、呻き声と共に凄まじい影の気配がする地下室を覗き込んだ。

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